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いたくないっ!

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第五章 じょじょじょ

     1
「あああああああああああ!」

 まるで断末魔のような凄まじい悲鳴をあげながら、(やま)()(さだ)()は腕を振り全力で走っている。
 魂と、お腹の肉を、ぶるぶる震わせながら、他の生徒らの視線も気にしない、なりふり構わぬ全力で。

 トゲリンと八王子、二人の親友とともに。
 学校の廊下を、ただ全力で。

「な、なんで逃げるんですかあ!」

 という背後からの声に、定夫は肩とお腹をびっくんぶるんっと震わせた。
 女子生徒が、追い掛けてきているのだ。

 殺されるっ。
 きっと、捕まったら殺される。
 もしくは、辱められる。一生消えない心の傷をつけられる。

 これまでは陰からひそひそと、クズとか、死ねばいいとかいわれたり、遠くから石を投げつけられるとか、そんな程度だった。
 正面きって堂々と声を掛けられたり、追い掛けられたことなどはなかった。

 きっと、女子たちの総攻撃が始まったんだ。
 もう我慢できない、オタを駆逐しろ、殺戮しろ、撲滅せよ、と。
 そうに違いない。

 ということは、捕まったらきっと殺される。
 殺される。
 殺される。

 まだ、
 まだっ、
 まだ、「トーテムキライザー」の第二部も観ていないのにっ!

 校内で女子生徒に話し掛けられたことのない定夫は、すっかりパニック状態。パニック状態ゆえに、この通り思考の悪循環に陥っていた。
 生命の危機に、必死に走っていた。

 両隣のトゲリンと八王子も恐怖に泣き出しそうな顔。おそらく定夫と同じような心理状態なのだろう。

「うああああああああ」
「ああああ」
「ひぃえええええ」

 中央公園での発声練習のように、いや、それ以上に、実に情けない声をあげ、泣き出しそうな顔で、三人は全力で走る。

 自由を求めて。
 生を求めて。

 しかし、そうはさせまいと、
 女子が、
 女子が、追い掛けてくる。

「なんで逃げるんですかあ。……あ、あなたたちがっ、一体なにをしたっていうんですかあ」

 普通ならば、「わたしがなにをしたんですか」だろう。気が狂っているのか、あの女子は。
 きっとおれたちオタへの総攻撃において、鉄砲玉として一番ヘンな女子が選ばれたのだ。

 つまり、捕まったらなにをされるか分からない。
 つまり、絶対に捕まるわけにはいかない。

 ライフ オア デッド。
 逃げのびねば、生はない。

「むああああああああああ!」

 ブレーキかけずコーナリング、定夫たちは運動ダメなくせにこういう時だけ神のごときの高等テクニックを見せ、上履きのままで玄関から外へと飛び出した。

 飛び出し、そのまま外を走り続ける。
 レンガ道、そして校庭へ。

 神の高等テクニックを披露しようとも、いかんせん元の体力がない。さしたる距離など走っていないというのに、彼らはみな、すっかりバテバテで、ゴール直前のマラソン選手のような苦悶の顔になっていた。

 はひい、はひい、と犬の咳のような呼気を吐き出しながら、なんとか前へ進む定夫。
 惨めさと死への恐怖にすっかり涙目であった。

 背後からぱたぱたと足音。

「ちょっとお話したいだけなんですうう!」

 女子がなんかわけの分からないこといってる。

「がああああああああ」
「あああああ」
「ひいいいいいいい」

 腕をぶんぶん振り(その割に速度は出ていないが)、必死に走る三人。

「待ってくださあい!」

 背後から、女子生徒がぴったりついてくる。

 捕まって、たまるか。
 おれは、
 おれたちは……
 生きる!

 定夫は、残る力を振り絞って、走る速度を上げた。

 と、その瞬間、
 激しく転倒していた。

 三人、もつれあうように、どどっと。
 砂場にさしかかっていたことに気付かずに、足を取られてしまったのだ。

 口の中に、はねた砂が入った。
 昨日降った雨のために濡れていた重い砂が、水底の藻のように彼らの身体をからめとった。

「うぐううう」
「まあああ!」

 三人は、みな必死の形相で、這いつくばり、
 からみあうように。
 押しのけ合うように、
 神にすがるように手を伸ばし、
 身体をくねらせ、
 なおも逃げ、進む。

 いや、進もうと頑張っているだけで、湿った砂をただ手でかいているだけ。
 砂まみれ、泥まみれの、実に酷い有様であった。

 這いつくばったまま、顔を起こして後ろを振り返った定夫は、ひっ、と息を飲んだ。
 余裕で追いついた女子生徒が、彼らのすぐ足元に立っていたのである。

 定夫は、涙をぼろぼろ流し、泣いていた。

「もう、もう勘弁してくださあああい!」

 泣き叫びながら、なおも砂をじゃりじゃりかいて進もうとする、抗おうとする。

 定夫だけではない。
 トゲリン、八王子、
 我助かろうと三人は押しのけ合いながら、涙を流し、絶叫し、手で、足で、砂をかき続ける。
 まさに阿鼻叫喚の地獄絵図であった。

「助けてくださあい!」
「トーテムキライザーーー!」

 泣き叫ぶ八王子とトゲリン。

「たっ、助けるって、なにをですか? そもそも、どうして逃げるんですかあ!」

 女子も、少し息が上がってしまっているのか、それとも単にイラついているのか、興奮したような声を出した。

「じょ、じょん、じょじょっ、じょしっ、女子にっ、ははぱぱぱぱぱなしかけられると思ってなかったむでえええ!」

 恐怖に歯をガチガチならす定夫。いや、トゲリンと八王子もだ。ガチガチカチカチ地獄の大合唱であった。

「だからって、どうして逃げるんですかあ。一体あなたたちが、なにをしたっていうんですかあ」

 だだ、だからそのへんな台詞をやめろお!

「もうおしまいだあああ!」

 絶望絶叫八王子。
 砂場の砂に、だすっと拳を叩き付けた。

 その横では、

「すいへいりーべ、すいへいりーべ、すいへいりーべ」

 トゲリンが歯をガチガチならしながら上半身を起こしたかと思うと、肥満したお腹を両手でむにょむにょつまんで、なにやら口ずさみ始めた。

 意味不明の行動だが、何年もの付き合いである定夫にはどういう心理状態によるものなのか想像が出来る。
 トゲリンは「ひょっとしたら、もしかしたら、敵ではないのかも」、というこの女子と、なんとか話そうと、なんとかコンタクトしてみようと、まずはなんとか落ち着こう、と精神統一しているのだ。

「ががががが、ががががが」

 八王子が、頭を振りながらエレキギターをピックで弾くようなポーズをとったかと思うと、右腕をぶんと斜めに振り上げ「ぎょいーーん」と叫んだ。と、突如ポケットから小型ノートを取り出し、がりがりなにやら書きなぐっていく。

 その八王子の行動、何年もの付き合いである定夫には分かる。
 トゲリンの人間を捨てたような情けない様子に、他人の振り見てなんとやらで恥ずかしくなり、よし、ここは落ち着くんだ。落ち着いて、この女子へ話し掛けてみるんだ。しかし女子と話をしたことなどなく、しかもこのシチュエーション。なんとか冷静にならねば、とデスリストへの写経によって精神統一を図っている、というわけだ。

 女子生徒は、錯乱したような三人の姿にあっけにとられ立ち尽くしていたが、やがて、すっと軽く息を吸うと、ゆっくり口を開き、尋ねた。

「あの……イシューズさんですよね」

 違う!
 定夫は、胸で即答していた。
 あ、いや、そう呼ばれていることに違いはないのだが。

     2
 宇宙があり、
 銀河系があり、
 太陽系があり、
 三つ目だか四つ目だかに地球があり、
 成層圏があり、
 アジアがあり、
 日本列島があり、
 本州があり、
 東日本があり、
 関東地方があり、
 東京都があり、
 武蔵野市があり、
 都立武蔵野中央高等学校があり、
 校門近くに植えられたケヤキの木を、ぐるり取り囲むように三つのベンチがあり、
 そのうちの二つに、彼ら四人は腰を降ろしていた。

 山田定夫と、トゲリン。
 八王子と、先ほどいきなり声を掛けてきた女子生徒。

 定夫たち二人は超肥満なので当然のことぎゅうぎゅうで見ているだけでも暑苦しい状態、反対に八王子たちは空間スッカスカ、何故このような組み合わせなのか。

 それはさておき、定夫たちは現在ようやく落ち着きを取り戻していた。

 先ほどの阿鼻叫喚絵図を、もしも誰かが動画に撮っていて彼らに見せたならば、あまりの恥ずかしさに自ら命を絶つ者が出たとしても不思議ではなかっただろう。

 と、それほどに狼狽していたわけであるが、繰り返すが現在は落ち着いて完全におとなしくなっていった。

 女子生徒の掛けた言葉、「いつもアニメの話をしているから、ちょっと興味を持って」という、それにピクリ反応して、じたばた暴れ泣き叫んでいたのが嘘のようにすーっと収束したのである。

 おとなし過ぎるくらいであるが、反動というよりは単に女子との接し方が分からないからであろう。

 とにかく、
 「そこで座って、ちょっと、お話しませんか?」と恥ずかしげに顔を赤らめる女子生徒に促されるまま、ケヤキの木の下のベンチにこうして腰を降ろしているというわけである。

「とと、問うが、何故、せ、拙者どもが、アニメファンであると。あいや、結果的には事実関係としてなんら相違ないわけではあるが、いわゆる、その論理的判断に至った過程が気になり」
「ですから、廊下でそういう話をしていたのを聞いたからですってば」
「ああ、そうでござった」

 日本語を無意味にこねくり回すわりに、人のいうことはあまり聞いていないトゲリンであった。

 今度は女子生徒が、質問の口を開いた。

「あの、あなたたちが、イシューズと呼ばれている有名な三人組さんなんですよね」
「い、いわれては、いるらしけど……。どど、どゆっ意味なのかなあ」

 八王子がカチコチ笑いで尋ねた。
 みな、女子と喋り慣れていないのである。

「ええと、なんでも精神的悪臭を放っているからだとか……あ、あ、いえっ、わたしは別にそうは思っていませんけど、世間的にっ」

 前へ突き出した両の手のひらを、ひらひら振る女子生徒。

 その言葉が終わるか終わらないかのうちに、定夫たち三人は寸分の狂いもなく同じタイミングでがばっと腰を上げ立ち上がっていた。

 彼女から数メートル離れたところで、顔を突きつけあった。
 今にも泣き出しそうな、情けない表情の顔を。

「やっぱり、そういう意味だったのか」
「靴とか、そういうことではないのでござろうな、とは思っていたが。うすうす」
「しかし、あの女子もさあ、本人たちの前でいうかなあ。精神的悪臭とかさあ」
「空気を読めないタイプなのかも知れないな。我々以上に」
「どうやら敵ではなさそう、と思っていたが、分からなくなってきたでござるな」

 ひそひそこそこそ。
 こそこそひそひそ。

「あ、あの、なにか」

 女子生徒がベンチに深く座ったまま、黒縁眼鏡の奥でちょっと困ったように微笑んでいる。

「いやいやいやいやいやいやいやいや」

 三人は、右手をぱたぱたしながらベンチへと戻り、先ほどと同じフォーメーションで座った。つまり、定夫とトゲリンでベンチぎっちぎち、女子生徒とガリガリ八王子はスッカスカだ。

「どっどっ、どのように呼ばれているかは別として、せせっ拙者たちがっ、そのその三人であることは、事実としては相違ないようではあるが」

 トゲリンが代表して返答。つっかえつっかえであるが。

「でもなあ、有名な三人、とかいわれてもな。ぼくたち、ただアニメの話をしているだけなのにね」
「だよなあ」

 ぼそぼそぼやく八王子と定夫。

 それを聞いた女子生徒は、ニコリ微笑みながら、

「他の人たちがどう思っているかは知りませんけど、その、アニメの話をしているというのが、いいなーって思ってたんですよねえ、あたし。……羨ましいなあって」

 定夫の胸に、ズンだかガガーンだか、衝撃の旋律が走った。要するに、驚いたのである。

 アニメを嫌悪していないということに。
 自分達にそうした嫌悪の感情を向けないどころか、どちらかといえば好意的であるということに。

 だが、驚くのはまだ早かった。
 ズンでもガガーンでも表し足りない衝撃的な言葉を、女子生徒は続けたのである。

「あと、アニメを自分たちで作っているなんて、凄いなあって」

 と。
 眼鏡の奥の彼女の瞳、本当に心から凄いなあっと思っているような純粋な眼差しであった。

「よ、よ、よ、よく、そそっく創作っ、してしているなどるどっ」

 驚きの表情で、座ったままぐいっと身を乗り出そうとする定夫であるが、腹の脂肪が引っ掛かって乗り出せず、諦めて立ち上がった。
 じろ、と額から脂肪の汗が滲み出て、袖で拭った。

「ああ、あたしの知識にない人名が出ていたから、じゃあ、ひょっとして、作っているのかなあ、っと」

 えへへ、と女子生徒は笑い、頭をかいた。

 彼女のその言葉に、トゲリンと八王子は素早く立ち上がり、既に立っていた定夫とともに、ベンチから飛び退いた。
 何故だか知らないが横っ飛びで、たんっ、たんっ、たんっ、と。

 三人は、顔を突きつけあって、こそこそひそひそ。

「知識にないから、即、創作系」
「事実としては、まことその通りではあるが」
「アニメ知識に相当な自信がある、ということだよね。実際あるかは別として、自信は凄い」
「すなわち、アニメ好きだということか」
「すなわち、同じ……畑」
「すなわち、拙者どもを壊滅させる部隊の先陣、鉄砲玉、ではない、ということでござるのか」

 トゲリンのこの言動、やはり彼も定夫とまったく同じ思考であったようである。まあそうでもなければ、あんなに必死の形相で逃げるはずもないが。

 ちら、と三人は、女子生徒の顔を見た。
 殺される恐怖もなくなり、アニメ好きであることも分かると、なんだか、急に彼女に対して親近感がわいてきた。

 同時に、何分か前まで阿鼻叫喚の雄叫びを張り上げて、大号泣しながら地面を這いつくばり命乞いしていたことが、たまらなく恥ずかしい気持ちになる定夫であった。

 おそらくは、トゲリンも同じような気持ちだったのであろう。
 ごまかすように、大きなネチョネチョ声を彼女へと張り上げた。

(じよう)っ、し、しからば問おうっ!」

 と、女子生徒へ、おずおずと踏み出す。まだ、()()()と踏み出す勇気はないようである。様々な意味において。

「はい」

 女子生徒が、微笑したまま小首を傾げた。

「『ほのよいサクラ』の、劇場版の監督は?」
()(たか)ヤッ太さん」

 女子生徒、即答であった。
 トゲリンは、定夫と八王子のいる位置へと戻ると、また三人で顔を寄せ合ってひそひそ。

「まさか即答されるとはな」
「い、いや、ま、まだ、安心は出来ないでござる」

 トゲリンは顔を上げ、またおずおずと、何故か内股で女子生徒へ踏み出して、

(なな)(もり)(なな)()の所属事務所は?」
「ハイテンション」

 またもや即答に、一瞬たじろぐトゲリンであったが、気を取り直し、ニチョニチョ声で大昔の野球ラブコメの物まね。

「も、もうっ、動かないんだぜえ」
「第26話」

 問題の意味を先読みしたようで、またもや即答であった。

 ぐ、と一歩引くトゲリンであったが、強気になって一歩(内股で)踏み出し、

()(じよう)()(おり)(やま)(ざき)やまねが共演しているアニメは、あるか、ないか?」
「ある。OVAの『ゲートボーイ』と、『なつきトワイラル』の予約特別特典パイロット版。ゲーム内のアニメシーンでもいいなら、『モナクシティ3』に、山崎やまねが(むね)(みせ)(いや)()名義で出演している」
「か、完璧だっ!」

 トゲリンは、がくり膝をつき、手をつき、四つん這いになった。

「そして、完敗でござる……」

 と、打ちひしがられているトゲリンの前に、八王子が立った。
 き、っと女子を睨み付ける。

「じゃあ、じゃあ、次はぼくの攻撃だ! 人気がなくてすぐ絶版……」
「『ずうっとクズクイズ』」
「なんで分かったあ!」
「分かりますよお。作品を読んだことある人は、ほとんどいないでしょうけど、不人気ぶりが騒がれたじゃないですかあ」

 クイズをテーマにしたライトノベルで、八王子の問題通り、すぐ絶版になっている。
 人気作家である(むら)(かみ)(さい)()の、黒歴史的な作品だ。

「くそお。なら次だ。『魔王少女ララ』で、一回だけ…」
「レインボーカスタネット」
「なはんで分かったぬあああ!」

 レインボーカスタネット、ララのパワーアップアイテムの一つだ。あまりの人気のなさに、一回しか劇中に登場することはなかった。

「ぼくの負けだあ。畜生! 畜生!」

 八王子は、トゲリンの横で四つん這いになると、地面を殴り、そして、まるで甲子園の土のようにガリガリと引っかき始めた。

 一人残り、女子生徒と相対している定夫。

 残るはおれだけ、か。
 戦わねばならぬ宿命ならば、戦おう。
 受け入れねばならぬ運命ならば、受け入れよう。
 幻魔に、おれは勝つ!

 ごくりとつばを飲むと、サイオニクス戦士レンドルは毅然と顔を上げ口を開いた。
 ハルマゲドンを阻止するために。

「こ、こっこっこっこっこここここ、これならっ、分かるまるまいっ! 受けてみろ! 『アニモン』の、クーリキと、ガイオウと、ホッカ…」
()(ぶし)(よう)()さん」
「…の、誕生日と血液型は」
「八月八日。オフィシャルプロフィールにはA型と書かれているけど、検査したらB型だったと、『今夜もアニメオウ』第247回で話していた」
「お、お、同じ畑だっ!」

 定夫は驚愕に目を見開き、叫んでいた。
 自分たち側だ。彼女は自分たち側の存在だ、と。

 まさか、本当に実在していたなんて。
 この滅びゆく世界に、生存者は自分たち三人だけだと思っていたのに。
 滅びの世界というかなんというか都立武蔵野中央高校で。

 しかし、なんたる知識量か。
 特に、声優のことに関しては、かなり詳しいようだ。

「ル、ル、ルプフェルをっ、(とり)(ごし)まなみの声でえ」

 定夫は、ちょっと無茶振りしてみた。

「なーんでなーんで、なーんでこうなるーー。あたしの天才頭脳の勝利の方程式があああ」
「めかまじょの追加戦士、(みや)(もと)()(なえ)の変身の声」
「ほな今日ものっりのりで、行っくでーーーーっ! ワンツースリーフォー」

 本当に、物凄い知識量であった。
 まあ細かいこと細かいこと。いわれて気付くような、細部までが完璧だ。

 負けた……

「完敗じゃああああい!」

 定夫はゴツイ声を作って叫ぶと、トゲリンと八王子の間に肥満した肉体を割り込ませて、目の幅の涙を流しながら自らも甲子園の土を掘り始めた。

 ざくざくざくざくやっている三人を見ながら、女子生徒が苦笑し、後ろ頭をかいている。

「あのお、完敗、とかなんとか、意味が分からないんですがあ」

 分からずともよい。
 負けは、負けだ。
 老兵は潔く散ろう。
 しかし本当に凄いな、この女子。
 特に、声関連。
 知識だけじゃない。
 演技力も素晴らしい。
 無理して喉で声を作ることなしに、キャラを演じ分けている。特徴の把握がしっかり出来ているということなのだろう。
 ああ、そういえば……
 先ほど、廊下で声を掛けられた時、
 そ、そうだっ……

 定夫は立ち上がり、不細工な顔を女子生徒の方へと向けた。
 乾燥して粘っこくなっている口を開いた。

「こ、こここ、こっこっこっこっ、ここ声っ、ややや、ゆゆゆ、やらやる、とかとか、とかとかっ」

 女子と話すこと意識しすぎるあまり、またしどろもどろに戻ってしまう悲しい山田レンドル定夫であった。

 きょとんとしていた女子生徒であったが、やがて、柔らかな微笑を浮かべると、自分の胸にゆっくりと右手を当てた。

「あたし、声優志望なんです。あなたたちが以前に廊下で話していたことが気になって、ネットで検索したりして、たぶんこのアニメを作っている人たちなんだろうなーって思ってました。さっき、後ろで会話を聞いていて、声優を探しているとか。きっと、そのアニメのことなんだろうな、って。興味あることだったものだから、あたしつい無意識に叫んじゃったんです。……すごく恥ずかしかったですけど」

 そういうと、にんまりと笑みを浮かべた。

「やっといえたあ」

 と、すっきり笑顔、

 の女子生徒へと、定夫はずいずいっと威勢よく迫っていた。
 迫ったはいいが、女子を前にすっかり強張った顔。
 なんとか口を開き、声を発した。

「ど、どんどど、ど、じじじらせさく、あににににめっ、かわかかかい、こえこここえこえ、るりるまま、こりっ、こりっ」

 山田帝国の使用言語であるレンドル語を日本語に翻訳すると、「どうして自主制作アニメであると見抜いたのかは分かった。確かに我々は声をどうするか困っている。こりっ、こりっ」ということだ。なお最後の部分は翻訳不可のため原文ママである。

「さっきの演技、とても上手だったし、やってくれる?」

 八王子は、定夫のレンドル語を通訳することなく、定夫の言葉を続けた。

「面白そうですね。それに、自分の将来の夢にも繋がりそうで、ご迷惑でなければ是非とも参加したいです。……あ、改めて自己紹介します。あたし、(さわ)(はな)(あつ)()といいます。一年生です」

 そういえば先ほど、アツコとか名乗っていた気がする。何故か英語で。

「ええと……」

 女子生徒、沢花敦子が頭に手を当てながら、三人を見る。

 視線が合った瞬間、定夫はびくり飛び上がるくらい大きく肩を震わせた。

 ま、まずは、自分が自己紹介せねばならないのだろう。目が合った手前。
 でも、なんていえばいいんだ。
 名前だけ、いっておけばいいか。とりあえず。
 よしっ。

 意を決し、お腹に手を当て一呼吸、二呼吸、
 口を開いた。

「お、お、おりっ、おりおれっ、おられはっ、ややや山田っ、ミラノフ、じぇなくてっ、れれんレンドルっ、さっさっ、さっ、ばっ、おっ!」

 緊張のあまり、つい昨年までのミドルネームを名乗ってしまう定夫であった。
 どのみち、つっかえるわ間違えるわまともに聞き取れていないだろうが。

 続いて、

「せっ、せっ、拙者はっ、梨峠っ、その名っ、健太郎。あっ、トゲリンと呼ばれているでごぅざあるぅーっ!」

 定夫よりは遥か格段にマシだが、やはり相当に緊張してしまっているトゲリン。
 途中から腰落とし首振って手のひら突き出しカブきまくっているのは、その緊張のためなのかどうなのか。

「ぼ、ぼくは、土呂由紀彦。みんなから八王子って呼ばれている。出身地なんで。ぼくたちみんな二年生。よろしく」
「なに普通に喋ってんだあ。気取るなあ!」

 女子に対して順応してきているのかすらすら喋る八王子に、定夫はなんだか悔しい気持ちになって、思わず掴みかかっていた。

 がっぷり四つ。
 体格差は熊と子犬。
 しかしお互い異様な非力で押し押され。

「別に気取ってないよ!」
「さっきまで砂の海を、助けてーって泣きながら泳いでいたくせに!」
「レンドルの方が酷かったろ!」
「むまーーっ!」

 ぎゅいーと力を入れる定夫。

 などと不毛極まりない争いをしている彼らの頭上に、キンコンカンコンとチャイムの音が鳴り注いだ。
 四時限目の終了を告げるチャイムに、さあっ、と四人の顔は青ざめるのだった。

     3
 ここは、(やま)()(さだ)()の自宅である。

 と、これまでに何度このような描写をしてきたであろうか。

 だけど今日は、今回は、これまでとちょっと違うのである。
 なにがどう違うのか、
 とりあえず、話を進めよう。

 玄関の扉を開けて家へ入ってきた山田定夫、と、トゲリンたち客人は、なんだか、やたら、とっても、かなり、緊張したような面持ち。要するに表情カチカチ関節ギクシャクであった。

「お、お邪魔するべござーる!」

 トゲリンの上擦ったニチョネチャ声が響く。

 一同は、靴を脱いで、玄関を上がり、ぞろぞろ階段を登っていく。

 山田家の二階には、部屋が二つ。
 定夫の部屋と、妹の部屋だ。

 行列先頭の定夫が自分の部屋のドアノブを回した、と、その瞬間であった。
 妹の(ゆき)()が、定夫たちに気付かずドアを開け部屋から出てきたのは。

 つまりは、兄の客人であるトゲリンたちと遭遇し、目が合ったわけであるが、しかし幸美にはまったく慌てた感じはなかった。

 それも当然で、そもそも人間扱いをしていないからである。
 兄の定夫、その友人たちのことを。

 ブタが、またオタ友どもを連れてきたか、と、普段通りにあざけりの視線をちらりと向ける幸美。
 完全に、彼らを下に見た、生物として上に立つ者の表情であった。

 侮蔑しきったその視線が、すっと横に動く。

 ブタオタ、
 ネチョネチョブタオタ、
 ガリガリチビオタ、

 次の瞬間、幸美の目が驚愕に見開かれていた。
 ひっ、と息を飲んだ。

 その反応も無理はあるまい。
 普段ならば、侮蔑の視線を受けて肩を縮めてぞろぞろ電車ごっこのように兄の部屋に逃げていくのは、三人だけ。「デブ デブ ガリ」「男 男 男」「オタ オタ オタ」「黒縁眼鏡 黒縁眼鏡 無眼鏡」「デカ デカ ガリクソチビ」表現レパートリーなどどうでもいいが、とにかくキモオタ列車三連結である。

 ところが、ガリクソチビに続くのは制服を着た女の子ではないか。

 幸美の精神を、一体どれほどの驚きが襲ったことであろうか。
 ぺったん力なく床にへたり込んでしまったことからも、想像は容易というものであろう。

 突然アメリカ軍が日本全土に大空爆をしかけ、主要都市がすべて壊滅してしまった、それに匹敵する、いやそれ以上の衝撃であろう。

「じょっ、じょじょじょじょっ、じょっじょっ女子いいいっ」

 どどーん!
 どどーん!

 幸美の脳内に響いているのはこんな音だろうか。B-25やB-29が投下する爆弾の。

「じょっ、じょっ、じょおっ!」

 どどどーん!

 もうお分かりとは思うが、女子とは、すなわち(さわ)(はな)(あつ)()であった。
 定夫たちと同じ高校に通う、プロ声優になりたいという夢を持つ一年生。
 自主制作アニメの女性声優を担当してくれることになり、さっそくきてもらったものである。

「はじめまして。お邪魔してます」

 さすがは声優志望といった可愛らしい声に、幸美はさらに驚いたか、へたり込んだままびくびくうっと激しく肩を震わせた。
 瞳孔の開きかけたようなとんでもない顔で、

「ブッブッ、ブスでもないっ、太ってもいないっ、異臭オーラも発していない、ぱっと見のごくごく普通な女子があっ。ブッブッ、ブサイクでっ、太っていてっ、気持ち悪い髪型でっ、不潔でっ、ネクラでっ、キモオタなっ、あっ兄貴の部屋にいいいいい。じょっじょじょっ、女子がああ! なんだかいい感じな声の、女子があああああ!」
「つつ、連れてきちゃ悪いのかよ!」

 と、文句をいいながらも、実は胸にちょっとした優越感を覚える定夫なのであった。

 そう、定夫のぶくぶく肥満した体内には、女子を家に連れてくるということについて、緊張とは別に、妹に対しての優越感が芽生えていたのである。
 異性を連れてきたことの一度もない妹に対して。

 そこからくる余裕から、じょじょじょって新流行語大賞にならないかな、などとしょうもないことを考えてしまうくらいに、気持ち舞い上がっていた。

 まあ、舞い上がるのも無理はないことかも知れない。
 だって、生涯そういうことと無縁と思って生きてきたのだから。
 周囲も、おそらく誰しもがそう思っていたであろう。

 一番そう思い自分を見下してきたのは、妹の幸美。
 真性重度のアニメオタクで、しかも激烈猛烈に太っており、不潔で、死ぬまで彼女が出来ないどころか、女性とまともに話も出来ない、どうせ生涯童貞であろう、と思っているに違いない妹に対して、ちょっと自慢げな、痛快な気分にもなるというものだろう。

 まあ、なにがどうであれ生涯童貞の可能性は非常に高いということに変わりないわけだが。

 さて、廊下でぺたんと座り込んで口をぱくぱくしている幸美をそのままに、定夫たちは部屋に入り、ドアを閉めた。

 20××年。九月某日。
 築十四年の一軒家。二階の、このレンドル部屋に、初めて家族以外の女性が入ってきた瞬間であった。

     4
「ここがアニメ制作スタジオなんですねえ」

 沢花敦子が、山田家に起きた奇跡に協力した自覚もなくほわんとした表情で、室内をぐるり見渡して感慨深けな声を発した。

「いやっこ、ここはっ、さくせくっ作戦っ会議室ちょっ、視聴部屋部屋っ」

 ここは作戦会議室と視聴部屋。
 と、まだまだ通訳翻訳が必要な酷いものではあるが、定夫の敦子への喋りの固さは出会った当初と比較すると相当に取れてよくなっていた。

 二時間ほど前ならば、「い、いい、いやぅ、こ、こかっ、こかっ、こかっ」などと声を絞り出すだけで精一杯だったことだろう。

 たったの二時間でここまで固さが取れたのは、実は、敦子の気遣いのおかげであった。

 八王子以外、なんともギクシャクギクシャクの彼らであったのだが、敦子がトゲリンの真似をして()()()言葉を使ってみたところ、まずトゲリンが恥ずかしがりながらも段々と調子に乗って口数が増えて順応。それはそれで鬱陶しいものではあったが。

 集団心理で強気に、というわけではないが、八王子とトゲリンが普通に話をしているものだから定夫としても入り込みやすく、かなり馴染んできたところで、敦子がござる言葉を解除。

 と、このような流れである。
 馴染んだといっても、この通り定夫一人だけまだまだ相当に酷いものではあったが。

「す、少し狭いが、楽にっ」

 トゲリンが、くつろぐよう敦子を促した。他人の部屋で偉そうに。

 まあ確かに、窮屈な部屋である。
 部屋自体はごく普通の六畳間であり、広くもなければ、狭いものでもない。
 しかし、ベッドと机で部屋の半分以上を使用しており、残りは三畳弱。

 定夫とトゲリンは超肥満体であり、八王子と敦子も足せば面積定夫一人分は使うわけで、窮屈なのは当然であろう。
 しかも、音声収録のためのマイク台として、みかんの段ボール箱を床に積み上げてあるのだから、なおさらだ。

 窮屈なスペースに四人は腰を降ろし、車座になった。

「でででで、ではではっ」

 定夫は、総監督として口を開いた。

 敦子を加えて四人体制になってからの、初めての話し合いである。

     5
 まず定夫たちは、今日学校で敦子へと簡単に伝えたことを、あらためて説明した。

 アニメを作ることになった経緯を。
 映像はほぼ完成したものの、声へのこだわりから、制作進行が滞っていたことを。
 女性声優を求めていたこと。演じ分けが出来る器用さを持ち、キャラに愛情を持って演じてくれる、そんな女性声優を。

「器用、というのは自信はありません。でも、そうあるべく日々の練習はしていますし、そこそこは、やれるんじゃないかと思います。キャラへの愛情に関しては、もちろん感じた上で演じたいと思っているので、まずは作品を見せて頂けますか?」

 視聴希望する敦子に、定夫は、作品の背景設定などを簡単に説明した上で、パソコンの動画データを再生した。

 オープニングが始まった。
 歌と、映像。

 続いて本編パートに入ると、一転して無声無音になった。

 主人公の少女の、登校シーン、学校生活。
 アルバイト先の神社で、仲間たちと楽しそうに会話。
 敵が出てきて、主人公、変身。
 戦闘。
 勝利。
 友達らとの場面に戻って、どたばた騒ぎ、笑顔で終幕。
 黒背景の、エンドロール。

 敦子は床に背筋伸ばして正座して、食い入るような真面目な表情で映像を観ていたが、エンドロールが終わって黒い画面になると同時に、ぶるっと肩を震わせた。

 頬を、光るものがつっと伝い落ちた。
 眼鏡レンズの奥、彼女の瞳は、たっぷりの涙が溜まって潤みに潤んでいた。
 伝って濡れる涙を袖で拭ったが、またすぐに次の涙がこぼれ落ちる。

「凄いです、これ」

 そういうと、泣き顔を隠すように下を向き、ふーっと息を吐いた。
 でも、涙を流す恥ずかしさより感情の爆発の方が上回ったか、次の瞬間には顔を上げて、潤みながらも真剣な力強い目で定夫たちを見つめた。

 ぎゅう、っと両の拳を握り締めながら、

「感動しました! こんな、パワーや愛に満ちた作品を、自主制作してしまうだなんて、ほんと凄いです」
「みやっ、そ、そそっ、そんな」

 褒められて、つっかえつっかえ言葉を返す定夫。褒められずともつっかえつっかえであろうが。

 八王子も、ちょっと恥ずかしそうに鼻の頭をかいた。

 トゲリンも、やはりなんとも照れたような笑みを浮かべている。

「これ、何万枚のセルを使ったんですかあ?」
「いいいまろきシェルはちきわないッ!」

 いい、今時セルは使わないッ。
 心の中でだけいちいち訂正する定夫。

「えー、そうなんですか? 知らなかったあ。……え、え、でも、それじゃあ、どうやって描いているんですか?」

 うーむ。
 定夫は思う。
 これは、素でボケているのだろうか、と。アニメ作品自体への知識は、三人を凌駕するほどなのに。素か、狙いか。
 仕方ない、一応簡単に説明しておくか。と、定夫は口を開く。

「せ、せせ、せせっせせっ、セルっ、セルっ、がしっ、がしゅ、がっしゅ、し、しっ、ががっ……」

 簡単に説明しようにも、そもそも言葉出ず。

「セル画はすべてコンピュータ着色になったんだよ。取り込んでパソコンデータにしてから、マウスクリック一発で指定の色を塗るんだ。まあ、それすら過去のものになりつつもあるけど。ちなみにぼくたちのアニメは、全部3Dで作ってから、それを2D化しているんだ」

 人の言葉をさらり奪い取って、すらすら女子へと説明する八王子に、敵意殺意にも似た、ちょっとしたイラつきを覚える定夫であった。

「そうだったんですか! 無知だなあ、あたし」

 敦子は、自分の頭をコツンと叩いた。

「でもこのアニメ、本当にいい出来ですね。まず、絵がとっても丁寧で、綺麗。表情もバリエーションに富んでいるし、それと、指の描き方もしっかりしていて。あたし、中学生の頃に何度か、漫画を描くのにチャレンジしたことあるんです。顔はなんとかごまかせても、指はごまかしがきかないんですよね。開き直って雑に描こうものなら、作品全体の質が下がってしまう」
「そう、そう、そうなのでござる! いやまさか指の苦労を理解してくれるとはぁヒデキカンゲキでござるべし!」

 感極まって、目に涙を滲ませるトゲリンであった。

 アニメそのものは最終的にコンピュータで動かしているとはいえ、データ化するために相当量の絵を描いている。その努力が報われた思いなのだろう。

「漫画の場合は止め絵ですから、顔なんかはついつい得意な角度からばかり描いてしまって、それでもなんとなく作品になってしまったりもしますよね。でも、アニメはそうはいかない。確固としたデッサン技術がないと作れない。そういう意味でも、この絵は凄いです。それだけでなく、お話も楽しそうで。後はこれに音声を入れることで、作品に魂が入る。……この女性キャラたちの声を、あたしが担当すればいいんですね」

 敦子は微笑みながらも力強い真剣なまなざしで、自らの小さな拳をぎゅっと握った。

 その言葉に、
 その仕草に、
 その表情に、
 定夫は、ついに制作段階最終章に入ったのだなあ、としみじみ感じていた。

 感じているうちにだんだんと現実感が増していき、いつしか脂肪だらけの心臓は、どっくんどっくんと激しく高鳴っていた。
 そっと胸を押さえた。むにょんむにょんの、お相撲さんのような胸を。

 音、つまり効果音と、曲、声を入れれば作品は完成する。
 特に大事なのは、声。
 その良し悪しが、全体を左右する大きな要素になる。

 つい数時間前までは、不安いっぱいの定夫であったが、現在の彼にそうした気持ちは微塵もなかった。
 きっと、よい作品になる。
 確信めいた思いがあるばかりであった。

 作品を愛してくれそうな、そんな女性声優を求めていたところ、声優志望でアニメ好きの女子が目の前に現れた。
 これを神の采配といわずに、なんといおう。

 神でないならば、七天から見下ろしている吉崎かなえの霊力か。
 いずれにしても、よい作品にならないはずがない。

 あと少し。
 頑張るぞ。

 やるぞ!
 やるぞおおお!

 ヒーハーッ!
 ヒーッハーッ!

     6
「あ、あの、いいですか?」
「ははっ、ははひはいっ!」

 心の中でヒーハーヒーハー雄叫んでいた定夫は、敦子に話し掛けられていたことに気付き、驚いて肩を震わせた。

「すみません、ちょっと失礼します」

 なおもびくびくしている定夫の前で、敦子は立ち上がると、うーんと難しい表情を作りながら部屋の壁や窓を調べ始めた。

「窓枠の目張り、音漏れ対策ということなんでしょうけど、それはそれでいいんですが、この部屋じゃあまり声が反響しないかなあ」

 難しい顔のまま呟くと、くるり定夫たちへ向き直った。

「引越しでガラガラになった部屋って、とても音が反響しますよね。反対に、物があると、音を吸ってしまうんです」

 物、すなわちベッド、すなわち学習机、パソコン、テレビ、コンポ、エアコン、カーペット、テレビゲーム機、壁にかけた学生服、めかまじょ一号()(とり)()()()のフィギュア、「はにゅかみっ!」の、(こと)(のり)(こと)()のフィギュア、本棚の漫画本、雑誌、アニメDVD、CD。

「とりあえずはこのままで進めていって、でも最終的には大きなシートを壁に張ったり、机やベッドを覆っちゃいましょうか。または一日だけスタジオを借りちゃうか。シートも安くはないので」
「いひ、えやっ、おお、おれたちたちっ、ええ演技下手だからからっ!」

 拝むような片手を、顔の前でぶんぶんぶんぶん振るうレンドル定夫。
 言葉が聞き取れなかったのか、意味が理解出来なかったのか、敦子は黒縁眼鏡のあどけない顔に小さな疑問符付きの笑みを浮かべた。

「下手だから日数をかけて何千回でも録り直して、よい音声を選んで使おう。かような考えでいたのでござるよ」

 トゲリンが補足する。

「ああ、なるほどですねえ。そういうことでござるか。じゃあ、とりあえずのところ、これからも発声のトレーニングだけはしっかりやって、どうするかは結果で判断しましょう、ということで、いまのところ部屋はこのままでいいですね」

 そういうと敦子は元の位置へ戻り、座り直した。

「あたしの担当するキャラクターのこと、把握したいんですが。まずは主人公。どんなタイプの声にするか、もう一度、キャラの背景や関係性を整理したいので、設定資料を見せてください」
「あう、どど、どむどぞっ」

 定夫はいわれるまま、印刷した資料を両手に持って敦子へ差し出した。

 敦子は、定夫から受け取った資料をぺらぺらめくりながら、うーん、と唸った。
 眼鏡を外し、レンズを拭いて、眼鏡をかけ直すとまた、うーん、と渋い顔。

 ぽかんとしている三人の視線に気付くと、「すみません」と笑いながら頭をかいた。

「あたし一人では、『これしかないっ』って思える声がなかなか浮かんでこなかったので、考え込んじゃいました。……まず、主人公のほのかちゃんですが、どんな声にしましょうか」
「え」

 問いの意味が分からず、定夫はきょとんとした顔になっていた。

 誰だって、そうなるのでないか。
 現にトゲリンも八王子も、不思議そうな表情になっている。

 それはそうだろう。
 どんな声もなにもない。もうタイプは決まっているのだから。

 設定資料にだって、どんな性格なのかしっかり書いてあるわけで。
 ただそれに従って演じればいいだけではないのか。
 それとも演技の世界には、さらに進んだ、突き詰めた、なにかがあるというのだろうか。

 そんな彼らの表情、疑問を察したか、彼女はにこり微笑み、答えた。

「声の出し方、といっても、色々とあるんです。性格が明るい、暗い、無邪気、大人、子供、とか、そういう分け方でひと括りに出来るものではないんです。性格と年齢、顔のタイプ、それが分かれば声が作れる、というわけじゃないんです」

 分かったような、分からないような、いわれてみれば当然な気もするが、考えてみたこともなく……

 定夫も、他の二人も、頷くことすらも忘れて黙ってしまっていた。

 敦子はちょっと間を空けて、話を続けた。

「考えてみて下さい。世の中には同じような性格で、似た感じの容姿の人はいっぱいいます。声帯も同じようなものだとして、ならば声も同じはず、と思いますか?」

 八王子は、首をぷるぷる横に振った。

「そうですね。喋り方の癖、喉の使い方つまりどこから声を出すか、人それぞれ違いますよね。同じ声帯で同じ性格であっても、高く喋る人、ぐっと押さえた低い越えを出す人、ゆっくり喋る人、喉にこもるような発声をする人、お腹から突き上げるように声を出す人、逆に全然腹筋を使ってなさそうな人」
「分かったような」

 定夫。

「分からないような」

 トゲリン。

「お二人。レンドルさんと、トゲリンさんって、声の感じはまったく違いますよね。でも、たぶん声帯は似てますよ。声の出し方が違っているだけで」
「えひ?」

 そう、なのか?
 そんな似てないと思うが。
 いや、まったく似てない。
 でも、達人がいうのだから……

 似てないとは思うけど、
 ちょっと、試してみるか。

 定夫は、すぶぶぶっと息を吸い込むと、

「おっすオラトゲリン! 今日もコミケにバイセコー!」

 トゲリンのニチョネチャ声を真似して叫んでみた。なお台詞自体にはなんの意味もない。

「確かに、そっくりだ」

 と驚いている八王子の声を掻き消すように、

「失敬な! そんなニチニチした声などしていないでござる! しからば、それがしも……アニメ好きなだけでぇ、石ぃぶつけてくんなよう」
「そこまで暗い喋り方などしていないっ!」
「でも、似てるなあ」

 そんな三人に、敦子はにっこり微笑んで、

「分かりました? 声は、声帯だけじゃないということなんです。周囲環境、歴史、縦の繋がり横の繋がりで、いくらでも変わってくる」
「いや、おみそれしたでござる。あれ、違うな」

 八王子が、トゲリンのニチョニチョ声を真似しようとしてみるが、まったく似ていなかった。

「単なるこだわりかも知れませんが。あまりに細かいところまで意識しても、実際の発声にまったく影響はないかも知れない。でも、常にたくさんのことをイメージしておくことで、演じる際に無意識に滲み出てくるものが絶対あるはずなんです。と、あたしは信じています。……では、とりあえず、キャラごとにいくつかの声を考えて、それぞれを当ててみましょうか。まずは、主人公の台詞ですが……」

 と、敦子はあらためて台本を開きめくって、声の確認に使えそうな台詞を探し始める。

「つっ、ツンデレで」

 ごくり唾を飲みながら、個人的な趣向性癖を解放するトゲリンであった。

 隣でも、ごくり唾を飲む音。
 定夫である。
 身体を震わせながら、両の拳をぎゅっと握り締めている。

 これからいよいよ本格的に音声収録への挑戦が始まるということに、覚悟を決めると同時に、襲う緊張や重圧と戦っていたのである。

 同時に、今日という日を忘れぬよう心の奥に日付をカリカリ書きとめていた。

 何故ならば、ついにこの部屋に、生身の、2Dの、リアリアリアルじょじょじょじょじょしじょじょっ、
 いやいやいや、そうではなくっ、

 スピーカーからの音ではない本物のアニメ声が、初めてこの部屋へとやってきた日だからである。

 それにより自分のアニメ作りの情熱が再度高まり、そして改めて、自分はアニメや声優が好きなのだと再確認させられることになった日だからである。

 さあ、やるぞ。
 アニメ制作の、最終章だ。

 絶対に、後世に残るような名作を作り上げてやる。

 定夫は、熱い闘志を燃やしていた。これで脂肪も燃えてくれたら、というほどに、静かだが熱い熱い炎であった。 
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