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あの人の幸せは、苦い

作者:おかぴ1129
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1. 特別な日

 目指し時計の音が、ピリピリと私の耳に響いた。まぶたを開かず、手探りで音の発信源と思われる目覚まし時計を探り当て、これまた手探りでストップをかける。

 目覚まし時計を投げ捨て、数分の間、布団の中でまどろんだ。……ふりをした。

「……」

 意を決し、布団から上体を起こす。何かの間違いであって欲しいと祈りながら、私は投げ捨てた目覚まし時計に目をやった。時刻は朝の8時。これはいい。いつも起きている時間だから。

 日付を見る。……一度目をそらし、もう一度見る。

「……やっぱ、間違ってないよね」

 今日は結婚式。私のかつての仲間にして、今は大切な友達の球磨と、そして、ハルの。


 あの戦いが終わり、私たちは軍を退役したあと、鎮守府から少し離れたこの街で、各々自分の住まいで暮らしている。今でも私たちは互いに連絡を取り合い、あの頃と同じように、楽しく毎日を過ごしている。

 球磨とハルは、いつの間にか互いに意思表示を済ませていたらしく、その後一緒に暮らし始めた。私がそのことを知ったのは、ハルの新しいお店の開店を知らせるポストカードをもらったときだ。

 開店当日、私は、大切な仲間の新しい門出を喜ぶ気持ちと、不思議な不安感を抱えながら、ハルの店の開店祝いに向かった。その日は他のみんなは忙しかったらしく、開店祝いに駆けつけたのは、私以外には、北上と隼鷹の二人だけだった。

「俺の店の名前はこれしかないよな!!」

 新店舗を前にして興奮したハルは、私たちの前でそう言い切り、自分の隣に置いてある新しい看板のシーツを剥ぎ取ったのだが……その途端……

――バーバーちょもらんま鎮守府『だクマ』

 ステンドグラスのようなセンスの良いカラフルな看板には、えらく力のこもった殴り書きで『だクマ』という、余計な一文字が書き加えられていた。それを見たハルは、

「……ん?」

 と二度見し、目をゴシゴシとこすり、そして顔を青くした後、怒りで真っ赤にしていた。その様子はとてもほほえましく、そして大の大人の男性にこんなこと言うのも何だが、なんだかとても可愛らしい。

「ふっふっふっ……球磨が一筆書き加えておいてやったクマっ」

 そんなハルの背後……店の入口のドアがカランカランと開き、この事件の容疑者、球磨が不敵に笑いながら姿を見せた。振り返り、球磨の姿を見た途端に『お前かッ!!』と怒りの咆哮を響かせたハルは、次の瞬間、その球磨の元に走りより、憤怒の形相で……でもどことなく楽しそうに、自分の恋人で将来の妻になるであろう、球磨の首根っこを掴んでいた。

「うがッ!? な、なにするクマっ!?」
「うるせー妖怪落書き女ッ!! どうすんだこれ台無しじゃねーかッ!!」
「球磨の粋な計らいで個性的になったクマッ!! この球磨に感謝するクマッ!!」
「感謝どころか湧き上がるのは憤怒と憎悪しかねーよッ!!」

 そんな言い合いを繰り広げながら、二人は互いをもみくちゃにしつつ、笑顔で楽しそうに店内へと消えていく。

 私は、そんな二人の楽しそうな声を聞きながら、看板をジッと見つめた。

――バーバーちょもらんま

 ……この名前は、みんなにとって、とても思い出深い。ある日、アキツグさんの後任として従軍床屋として鎮守府にやってきたハルは、床屋『バーバーちょもらんま』を開いて、私たちの髪を洗い、髪型を整え、そして共に楽しい毎日を過ごしてくれた。

「バーバーちょもらんま……」

 もちろん、私にとっても、この名前は特別な意味を持つ。あの、過酷だったけど楽しかった日々……

『やせぇええええんっ!!』
『うるせー川内ッ!! 毎晩毎晩10時を過ぎたら俺の店にやってきやがって!!』
『ハル夜戦っ! 今晩こそ一緒に夜戦しよっ!!』
『誰がやるかこの妖怪夜戦女ッ!!』

 そんなやりとりを飽きもせず、毎日毎日……夜になって、お店の窓を勢い良く開けたら、そこには必ずハルがいてくれて……口では『うるせー』って文句言うくせに、必ず窓の鍵は開いていて……ハルを夜戦に誘うたび、私はとても胸がポカポカして、暖かくて……

「ホント、びっくりだね……」

 不意に北上に声をかけられ、ハッとした。私はいつの間にか、昔のことを思い出していたらしい。

「そだね。でもさ。球磨らしいよね」
「うん。でも戦々恐々だよ……私の店にもいつか余計な一言が加わりそう……」
「『ミア&リリー』だっけ」
「うん。『ミア&リリー“だクマ”』なんて店の名前、私はヤだなぁ……」

 私の隣で、同じく私と一緒に看板を眺める北上が、そう言いながら苦笑いを浮かべる。そんなことはないだろうけれど、相手はあの球磨だけに、『絶対にない』とは言い切れないのが恐ろしい……。

 とはいえ、きっと球磨は、ハル以外にはこういうことはやらない。球磨は、きっとハルに甘えてるんだと思う。好きな人には、甘えたくなるじゃん。楽しそうに笑ってる顔だけじゃなくて、困ってる顔とか怒ってる顔とか、そんな顔も見たくなるじゃん。

 ……だって、私は見たいから。

 『ふたりともやめなよー』と言いながら北上は、相変わらずわーわーギャーギャーと騒がしい店内へと消えていった。その場に一人残された私は、再び看板を見つめ、そして、『バーバーちょもらんま鎮守府』と書かれた部分に触れた。

「……」

 なんだか、言葉にしようのない気持ちが、私の胸に押し寄せる。思い出すのは、鎮守府にいた頃のハルの顔。彼が私に向ける顔は、みんなに向ける笑顔と同じ。彼にとって私は、隼鷹や北上、加古やビス子たちと変わらない。あの顔を見ればわかる。彼にとって、私はとても大切な仲間。

 ……だけど。

 ぽんと私の肩が叩かれた。いつの間にか、私の背後に隼鷹が立っている。

「……川内」
「ん?」
「店に入ろっか」

 振り返り、笑顔を向けた私に対する隼鷹の表情は、とても優しい。私は、努めて明るく振る舞う。

「そだね」
「今日は開店初日だからさ。ハルには頑張ってシャンプーでもしてもらおうか」
「うん。そして今日こそ夜戦を……ッ!!」
「それは勘弁してやんな。せいぜい足の裏をかいてもらう程度にしといた方がいいよ」

 私の夜戦への固い誓いを聞いて苦笑いを浮かべる隼鷹と、軽口を叩き合いながら、私は店へと入る。ドアは自分で開けるドアで、開くと『カランカラン』と優しいベルの音が鳴った。北上のお店とベルの音を合わせているということを知ったのは、後になってからのことだった。

 入り口をくぐると、目の前にはレジがある。

「……あ」

 そこで私は、随分と懐かしく、そしてとてもうれしいものを見つけた。

 隼鷹よりも先にレジに駆け寄り、その懐かしい写真を手に取った。古めかしいアンティークな雰囲気を漂わせる写真立てで飾られたその写真は、あの鎮守府での最後の秋祭りの時に撮った、思い出深い一枚だ。

『ちょ……ハル……もうちょっと離れるクマっ』
『お前だってもうちょっと離れろよっ……アホ毛が刺さるッ』
『だからハルがもうちょっと離れるクマっ』
『川内も押すなって……』
『えーだって写真に入り切らないじゃんっ』
『いやそうだけど……くっつきすぎだろっ』

 『写真に入り切らないから』そんな幼稚な言い訳を思い出し、私は苦笑いを浮かべた。そんな子供みたいな理由を口実にした写真の中の私は、彼の隣で、満面の笑みを浮かべて、上機嫌に写っていた。

 この写真は、私も自分の家に飾っている。私とハルが、同じ写真を写真立てに入れ、大切に飾っている。

「……」

 私と同じものを……彼と私が、一緒に写っている写真を、彼が大切にしてくれている……その事実が、どことなくうれしかった。

 たとえそれが、彼にとっては大切なみんなとも思い出の写真であって、決して、私との思い出の写真ではないとしても。

「……へへっ」


 あの日から数週間経過した今日は、ハルと球磨の結婚式の日だ。式といっても、大層な披露宴をやるわけじゃない。北上の喫茶店『ミア&リリー』で、かつての鎮守府のみんなが集まって、ささやかな手作りパーティーを開くだけだ。

「……」

 寝ぼけた頭をボリボリとかく。寝癖が中々に酷い。それが、私の重い腰をさらに重くした。

 意を決して布団から飛び起き、出発の準備をすすめることにする。冷蔵庫から牛乳を出し、紙パックからカップに注いで、居間のテーブルまで戻った。テーブルの上のバナナの皮を剥きながら、テレビのスイッチを押すと、タイミングよく天気予報のコーナーがやっている。

『今日の✕✕地方は、雲一つない晴天が一日中続きます』

 お天気お姉さんが、満面の笑みで私にそう伝えた。反射的に、まだ遮光カーテンが閉じたままの窓の方に顔を向けた。

「……」

 カーテンの隙間からは、眩しい太陽の光が差し込んでいる。皮を剥いたバナナを口に咥えながら、私は両手でカーテンを開いた。

「……うわぁ」

 窓の外には、雲一つない青空が広がっていた。まるで、私の友達と、私の大切な人の新たな門出を、神様が祝福でもしているように、空はどこまでも青く、お日様はとてもあたたかい。

「よかったね。ハル。……いい天気で」

 そんな青空の気持ちよさは、起き抜けの私には、少し、眩しすぎた。
 
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