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ルヴァフォース・エトランゼ 魔術の国の異邦人

作者:織部
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シーホーク騒乱 7

「《守人の加護あれ》!」

 火炎による熱で肺と喉が灼ける前に、延焼によって窒息する前に唱えた【トライ・レジスト】によってカルサコフは炎の害から逃れることに成功した。
 対抗呪文(カウンター・スペル)【トライ・レジスト】。
 三属エネルギー(炎熱、冷気、電撃)のダメージを確実に軽減する符呪の対抗呪文。あくまで三属に対する軽減であり物理的防御力は皆無。
 だが魔術による作用以外にも効果が発揮されるため、汎用性が高い。
 炎天下の日射病対策や日焼け止めに使用したり、極寒での凍死も防げる。冬場の静電気対策にも使えることだろう。
 どの程度まで軽減できるかは術者の腕によるが、一流の使い手ともなれば燃え盛る火の海の中でも自由に行動できる。
 全身を炎につつまれていても、カルサコフにはなんのダメージもない。

「くだらぬ小細工を! 炎などなんの意味もないわ!」

 炎はむしろカルサコフの闘志を猛らせたようだ。火だるまと化した身体で猛然と打ちかかる。

「うわっ、あちちちッ!?」

 紙一重で避けようものならまとった火焔に炙られる始末。まるで炎の衣をまとい、術者の周囲の者を火炎で攻撃する黒魔【フレイム・クローク】でもかかったかのようだ。
 蒸気機関が熱を利用して動くように、熱というのは力を発生させるための重要な要素である。
 スターリ・ルイーツァリにはそのような機能はないが、カルサコフ自身の精神は炎により昂り、火炎の勢いに後押しされたかたちで猛進する。

「ニチェボー! 炎を身にまとう。これは案外良いアイディアかもな」

 壁面に追い込まれた秋芳は熱気に辟易しつつ攻撃を的確に避ける。ルイーツァリの殴った壁に亀裂が生じた。

「……油をまいて火を点ける。いい考えだと思ったんだが、その手の魔術があるとはね。やはり学院に入ってきちんと学ぶ必要があるな」

 秋芳はそのまま壁際を移動し、ふたたび追走劇がはじまった。

「カモとかいう東方人、おまえとの戦闘は良いデータが取れるが、そろそろおしまいにしようじゃないか」

 炎などなんの意味もない。
 そう断言したカルサコフではあるが、炎熱によって外部センサー機能がいちじるしく低下していた。センサーはメインカメラで見えない部分を補正して可視化する重要な機能だ。ただでさえ先ほどの一撃でメインカメラは破損し、モニターに映る外部の映像は不鮮明になっている。
 当然命中率も低下する。

「こちらの命中率が落ちたのなら、相手の回避力を下げればいい」

 センサー機能の低下により雑になってはいるが、周囲の地形がモニターに映し出されていた。

「このまま追い詰めていけば袋小路だ。せまい空間に押し込めれば自慢の体術で避けることもできまい。詰みだ」

 秋芳はカルサコフの思惑通りに、徐々に徐々にせまい路地へと追い込まれていく。
 だが秋芳にもシーホークの土地鑑はある。だからこそカルサコフを倉庫街におびき寄せて油をまいて火を点けることができたのだ。
 それがなぜ、みずから不利になる場所へと誘導されるのか?
 秋芳にはまだ一計があった。
 行き止まりに、たどり着く。

「おしまいだ、ウラー!」

 ルイーツァリによる全力の体当たり。
 前方を塞ぐ壁と後方から迫る鉄塊にはさまれ、押し潰される寸前――。

「《大いなる風よ》」

 秋芳は跳躍すると同時に【ゲイル・ブロウ】の呪文を一節詠唱で唱え、地面にむけて放った。

「なんだと!」

 巻き起こる猛烈な突風が秋芳の身を木の葉のように宙に舞わせ、放物線を描いてルイーツァリの頭上を跳びこした。
 目標を失った鉄の巨体は壁に直撃し、派手な衝突音を響かせる。
 壁一面に蜘蛛の巣状の亀裂が走る。

「ちぃっ、味な真似を!」

 これではまた追いかけっこの繰り返しだ。
 カルサコフは焦燥は駆られた。
 だが、秋芳は遁走せず、ふたたび呪文を唱える。

「《奔放なる嵐よ・止むことなく・猛り狂え》!」

 秋芳の手から爆発的な風が生まれ、ルイーツァリに放たれる。

「なんだ、いまさらこの程度の風……」

 局所に集中する突風。それだけなら【ゲイル・ブロウ】とおなじだ。
 しかし異なる点があった。

「なぜ止まぬ!? いや、止ませぬ?」

 【ゲイル・ブロウ】によって生じる強風は一陣の風。ひと吹きで終わる。だが秋芳の手から放たれている指向性の強風は轟々と吹きすさび、止む気配がない。
 魔術公式と魔術文法に手をくわえることによってルーンが引き起こす深層意識の変革結果を従来のものとは異なるようにする。
 呪文の改変というやつだ。
 秋芳は一瞬で終わる【ゲイル・ブロウ】の効果に持続性を持たせた。
 だが即興ゆえかなり〝粗い〟改変である。
 呪文の発動中、つねにマナを消費し続ける。

「……たいした魔力容量だな。だが無意味なことを」

 駆け流れる強風は風の壁となってルイーツァリを圧迫している。だがこの魔鋼鉄のゴーレムの重量と剛力をもってすれば吹き飛ばすことはおろか押し倒すことすらできない。せいぜい歩みを遅くする、進行速度を落とすことくらいだ。

「なにかの時間稼ぎか?」

 だが周囲に援軍らしき気配は感じられない。

「なぜだ、なぜ逃げずにこのように消耗の激しい真似をする? 最期の悪あがきか?」
 
 一歩、一歩、気流に逆らい秋芳ににじり寄る。

 一歩。

 みしり。

 一歩。

 みしりみしり。

 一歩。

 みしみしみし――。

 もう一歩。
 もう一歩の距離でルイーツァリの鉄腕の間合いに入る。

「……敗北主義者どもとちがい最後まで立ち向かったのは評価しよう。だが、これはなんだ? なんの意味があってこのような真似を――」

 みしみしみし――ミシミシミシミシィィィッッッ!!

 壁が、堤防が決壊し、大量の海水が流れ込む。

「――――ッ!?」

 いかな鋼鉄の巨人もこの海嘯のごとき圧倒的な水量、水圧にはひとたまりもない。
 叫び声を上げるいとまもなくカルサコフは瀑布に押し流され、荒れ狂う濁流の中に没した。



「火がダメなら水。もし火計をしくじったら旧磯地区に近づくな」

 秋芳の考えを察したウェンディはその言葉にしたがって人々に呼びかけ、自身もまた安全と思われる高所に移動していた。
 その眼下、旧磯地区があったあたりにみるみる水が満ちる光景は圧倒的だ。

「まさか本当に壊すだなんて……」

 シーホークの一角にある旧磯地区。このマイナス海抜になっている場所は堤防の老朽化で多数の漏水が発見されており、改修できる状態ではないため破壊する予定だったのだが、思わぬ事態で予定が繰り上がってしまった。

「まだ見つかりませんの?」
「いま水中でも活動可能な魔術師たちを集めています。ただいま少しお時間が……」
「そう……」

 リビングアーマーらを掃討し、負傷者への対応を済ませた警護官たちがカルサコフと戦闘中行方不明になった秋芳を探索中だ。
 もとより旧磯地区一帯に人は住んでいない。堤防決壊による一般人への被害がないのは不幸中の幸いだが、ひとりで襲撃者の首魁を撃退した街の英雄を探し出そうと警護官たちも必死なのはウェンディにも伝わってくる。

(いっそのことわたくし自身が彼を探しに……。水中でも活動できる魔術が、【エア・スクリーン】なら使えますわ)

 黒魔【エア・スクリーン】。強固な空気障壁を膜のように張る。物理的な衝撃には弱いが、三属エネルギーを防ぐ対抗呪文の基礎だ。対象指定呪文なので足が止まらないのが利点で、圧縮空気の膜を球体上に形成しての潜水活動などにも多用される。

(あら?)

 ウェンディの視界の隅。空の
一点に見なれないものが浮いている。
 あちらに飛んだかと思うとこちらに急旋回、妙な角度ででたらめに飛行するその姿は鳥でも風船でもない。
 そんな未確認飛行物体をよく目を凝らして見れば。
 人だ。
 人が空を飛んでいる

「アキヨシ!?」

 秋芳と思われる飛行物体はウェンディのいる港に近づくと、近くに泊めてあった船の帆にむかって斜め気味に落下した。



(乗矯術が、呪術が、使えない、てのは、つくづく、不便だ、なっ!)

 乗矯術というのは道教に伝わる空中浮遊、飛行の術だ。
 もとの世界の呪術が使えない秋芳は【ゲイル・ブロウ】を即興改変した高出力かつ持続時間延長のオリジナル魔術をもちいてジェット噴射し、強引に空中飛行(の真似ごと)をして陸地に近づこうとしていた。
 
(アイアンマンや、アトムは、よく、こんな、方法で、空を、飛んで、るなっ!) 

 人の身体は空を飛ぶのに適していない。
 並の魔術師ならば秋芳と同様の方法で空を飛ぼうとしても、
三半規管がついていかず、途中で魔術を使える状態を維持できなくなるか気を失い墜落することだろう。
 そもそもマナの消費量がけた違いだ、このような無謀な方法で空を飛ぼうなどという考えに重い至る魔術師などいない。
 持ち前の魔力容量にくわえて、秋芳には軽功の心得がある。
 跳躍の力と落下の力が釣り合う最頂点では上下にかかる力がゼロになり、一瞬だが完全に静止した浮遊状態になる。その一瞬に身体を大きくしねらせ、反動力を生じることで二段跳躍をする軽功絶技。その名も『翻鯉転龍』。
 この体術を、中国武術発祥の軽業スキルを習得していたからこそできた芸当だ。
 大気の腕、重力の枷をごまかし、くぐり抜け、船の帆をクッションにして着地。
 なんとか地上に帰ることができた。

「アキヨシっ!」
「ラムを飲み干せ、YOHO」
「は?」
「いやなに、こういう船に乗ると言いたくなるんだよ」
「こ、このお馬鹿! なんて無茶な真似をなさるんですの。お馬鹿、お馬鹿、お馬鹿!」
「お馬鹿様」
「は?」
「その科白、二〇〇年生きた月の兎の末裔の女の子みたいに言って」
「存じませんわ、そんな方!」

 軽口を交わして船から下りる。

「あのカルサコフとかいう狼藉者はどうなりましたの?」
「沖に流されたか深海に沈んだが、あのゴーレムに水中でも活動できる機能が備わっていないことを祈ろう」

 その時、盛大な水しぶきが上がり、海面を割って魔鋼鉄のゴーレムが姿を現した。

「……んもー、しつこい」
「未練がましい殿方は嫌いですわ!」

 シーホークを襲った災禍は、いま少し続きそうだった。 
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