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異伝 銀河英雄伝説~新たなる潮流(ヴァレンシュタイン伝)

作者:azuraiiru
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困ったチャン騒動記(3)

新帝国暦 2年 7月25日   ハイネセン  オスカー・フォン・ロイエンタール


七月二十五日が来た。ついに困ったチャンにとっての決戦の日が来たのだ、来たのだと信じたい。この十日間、俺にとっては不本意な十日間だった。案の定だがフェザーンでは俺とお天気女が毎日風呂でイチャツイテイルという噂が広まった。

そしてその噂はハイネセンでもあっという間に広まった。だがそのおかげでハイネセン・フェザーン間の情報のルートが分かった。意外なルートだった。ミッターマイヤー、皇帝ラインハルト、ミュラー。

ミッターマイヤーが陛下に夫婦間の惚気話として話し、陛下がミュラーに結婚生活のよさを説明する。そしてミュラーが酒の席で皆に話し、それを周囲で聞いていた人間がハイネセンの友人たちに確認するというものだった。道理で広範囲に広まるはずだ。だが幸いな事に俺の幕僚には裏切り者はいなかったようだ、それだけが救いだ。

お天気女はここでも俺にお返しをしてきた。ハイネセンのマスコミ関係の人間に噂の事実関係を問われた彼女は否定も肯定もしない、ただ微笑むことで相手を煙に巻くという高等戦術を使った。おかげでマスコミの人間は総督夫人の謎の微笑みに様々な解釈を加えて記事を書いた。

ハイネセンにおけるマスコミの俺に対する評価は先週までの困ったチャンと変態から今週は困ったチャンと変態と色魔にグレードアップした。まあ評価が上がったのは良いことなのだ、俺は極めて満足だ。

そろそろあの女を迎えに行かなくてはならない。これからが本当の勝負だ……、何度目だろう、そう思うのは……。これまでの通算勝敗は二勝……、勝敗が逆だったら良かった……。


例の店に行くとオーナーが満面の笑みを浮かべて出迎えてくれた。
「総督閣下、お待ちしていました。奥様はもう準備は整っております」
「うむ、では迎えにいくとしようか」
「はい」

オーナーに案内されて休憩室に向かう。既に用意を整えたお天気女は休息室のソファーに座って俺を待っていた。俺が休憩室に入るとお天気女は立ち上がって俺を迎えた。何処と無く困惑したような表情だ。やはり着飾るのは苦手らしい。

濃紺のドレスはV-ネックで胸元の色の白さと形の良さが一際目立つ。ウエストは明るいパープルのベルトで細くくびれている。そしてスリットからのぞく脚はほんの僅かしか姿を見せていないがそれでも形の良さは誰でも分かるだろう。

遠目でも美しいのが分かる女だ。お天気女はゆっくりと、いやおずおずとこちらに近づいてくる。訂正しよう、この女は着痩せするようだ。89・57・87ではない、91・57・87だ、また負けたか……。やるな、お天気女、この俺の眼を欺くとは……、流石に手強い。

「あ、あの、おかしいですか?」
「い、いや、そんな事は無い」
「……」
「よ、よく似合っていると思うぞ」

思わず声が上ずった、卑怯だぞ、お天気女。お天気女は俺の目の前でイジメテというかイジメナイデというか妙なオーラを醸し出している。まるでヤン・ウェンリーの用兵のようだ。後退しているのか、誘っているのか、進むべきなのか、止まるべきなのか、判断に悩むではないか。

「本当に良くお似合いです、奥様。この仕事を長くしておりますが、奥様ほど御美しい方の御召し物を用意させていただきましたのは当店にとっても大変嬉しい事です」
オーナーの言葉は嘘では有るまい。オーナーの顔には作り笑顔ではない、本当の笑顔が有る。

「そろそろ時間だ、行くとしようか」
「はい」

俺はお天気女に背を向けた。腕を絡め易くしたつもりだったが、少し間が有ってからエーリカは腕を絡め隣にきた。白くハリの有る胸元にネックレスが良く似合う。大粒のルビーにラウンド ブリリアント ダイヤモンドをプラチナにセットしたネックレスだ。

ついつい胸に視線が行きそうになって慌てて視線をそらした。ドレスの肩紐が視線に入る。肩紐には細かいダイヤがちりばめられている。パーティ会場のライトを浴びて煌くだろう。イヤリングのルビーも良く似合う。やはり濃紺のドレスには赤が良く映えるようだ。

店内を歩いていると彼方此方からざわめきが聞こえる。俺とエーリカの事を話しているようだ。エーリカは慣れていないのだろう、不安そうな表情をしている。
「大丈夫だ、もっと堂々としていろ」

エーリカが驚いたように俺を見てきた。髪をアップにしているせいだろうか、それとも何時もより念入りにメイクをしたせいか、普段の彼女とはまるで別人だ。驚いた表情が無防備なまでに俺に向けられる。白い首筋が、肩が驚くほど華奢に見えた。

「はい」
エーリカはそう言うと身体を俺に寄せてきた。エーリカの胸が腕に当たる。柔らかく、そして同程度の強さで押し返してくる。腕が熱い、何か別の何かにでもなったようだ。

胸元の豊かさは抱きしめたいと思わせるが、肩から首筋の華奢さは抱きしめたら折れてしまうのではないかと思ってしまう、一体どうしてくれよう……。

店を出て地上車でパーティ会場に向かうが視線が横に行きそうになるので困った。下を向けば脚に、上を向けば胸に視線が行く。別に自分の妻なのだから見ても構わん筈だ。そう思ったが、睨まれそうだし軽蔑されるのはご免なので我慢した。

ハイネセン・グランド・ホテル、パーティが行なわれるホテルだ。ハイネセンでも伝統と格式のあるホテルらしい。会場は十三階にある芙蓉の間で行なわれる。芙蓉の間は結構大きな会場だった。中央にはダンスが出来るようにスペースが確保してあり、曲を奏でるための演奏者達も揃っている。

既に先客が大勢いた。帝国軍人もかなりいる、イエーナー、ニードリヒ、ゾンダーク、ブラウヒッチ、アルトリンゲン、エーリカの艦隊の指揮官たちだ。イエーナー、ニードリヒ、ゾンダークは元々ケスラーの下で分艦隊司令官を務めていた。ブラウヒッチ、アルトリンゲンは陛下の直属部隊だったが、エーリカの下に配属されている。

「ベルゲングリューン、随分と盛況だな」
「……」
「……ベルゲングリューン、随分と盛況だな」

「は、はい、やはり総督閣下と副総督閣下が出席なされるという事で随分と人が集まったようです」
「そうか」

ベルゲングリューン、頼むから俺の前でエーリカに見とれるのは止めろ。俺は一応、いやとりあえず……、何でも良いが俺はエーリカの夫なのだ、不謹慎だろう。俺は嫉妬深い夫ではないし卿が信頼できる男だと知っている。

だから卿を補給基地に、オーベルシュタインの下に送ってやろう等とは考えん。だがな、もしオーベルシュタインの下に就けられたら、あの義眼が最初にやる事は卿の髭をそる事だぞ。髭が無くなったら誰も卿の事をベルゲングリューンだとは気づかなくなるがそれでも良いのか?

あの男はむさい男が嫌いなのだ。レンネンカンプが何かと割を食ったのもその所為だし、イゼルローンでゼークト提督を見殺しにしたのもゼークトがむさい親父だからだ。陛下に近づく男たちに敵意を隠さないのも実はあの男が美少年好きの耽美主義者だからに他ならない。

おまけにどうしようもない変態で陛下を苦しめてその悶え苦しむ姿を見て喜んでいた。あの男は冷徹非情なのではない。冷徹非情な振りをしてむさい男を落とし入れ、陛下に近づく男を蹴落とし、陛下を苦しめて楽しんでいたのだ。今は補給基地に飛ばされ性格は以前よりさらに歪んでいるだろう。ベルゲングリューン、あの男の下に行きたいか?

一人の軍人がこちらにやってきた。敬礼をするとエーリカに話しかける。
「副総督閣下、本日の会場警備を担当するエーベルシュタイン少佐です」
「ご苦労様です、エーベルシュタイン少佐」

「現在の所、会場、ホテル周辺にも特におかしなところはありません」
「分かりました。何か異常が有りましたら私達に遠慮はいりません。適宜と思われる処置を取ってください。宜しく御願いします」
「はっ」

あれは憲兵隊だな、戻って行くエーベルシュタイン少佐を見て思った。まあ国内の治安維持はお天気女の担当だからエーリカに報告するのはおかしくは無い。しかし俺には何も無しか? おまけに帰り間際に変な目で俺を見たな。多分俺の事をエーリカを苛める悪い夫だと思ったのだろう。

勘違いするなよ、俺はエーリカに何度もしてやられている可哀想な男なのだ、着せ替え人形ごっこも一緒に風呂にも入っていない……。これからは外に出るときはエーリカと出来るだけ一緒にしよう。あいつら俺だけだと警備の手を抜きかねん。奴らにとって俺は御邪魔虫なのだ。エーリカを未亡人にしてはいかん。

エーリカを見た。豪奢なドレスとアクセサリーなのだが、それが少しも不自然に見えない、完全に着こなしている、うなじが細い、産毛一本見えないうなじに吸い寄せられそうな気がした。いかん、気をつけろ、これは罠なのだ。

憲兵隊におけるエーリカの影響力は半端ではない。元々憲兵隊にいたことも有ったが、ケスラーが憲兵隊総監になってから国内治安維持においてその相談役、参謀になっていたのはエーリカだった。

ケスラーは有能な男だが、私生活ではロリコンで十歳以上歳が離れていないと関心がもてないという困ったチャンだ。エーリカはケスラーの好みの女性だった、もし今の奥方と知り合うのがもう少し遅かったらエーリカはケスラー夫人になっていたかもしれん。

リップシュタット戦役後、憲兵隊と内国安全保障局の間で勢力争いが起きたが常に憲兵隊が内国安全保障局の上を行ったのはエーリカの力が大きい。何といってもエーリカは未だ少佐の時にフェザーンと地球教の繋がりを指摘していたと言うのだから凄い。トサカ頭の言葉だから間違いはないだろう。

キュンメル事件、ワーレン襲撃事件、フェザーンでの爆破事件、いずれも憲兵隊の力で失敗に終わった。そのたびに内国安全保障局は面目を失った。その事がラングと組んだオーベルシュタインの権力基盤を弱めた。

極めつけは俺の事件だった。あの事件の圧巻は気がついたら内務尚書オスマイヤーがケスラー、エーリカと組んでいた事だった。俺の謀反を言い立てるラングに対し、オーベルシュタイン、ラングによる謀略を暴露したのはラングの上司である内務尚書オスマイヤー自身だった。

“自分はいかなる意味でもラング内国安全保障局長にロイエンタール元帥の調査など命じた事はないし報告を聞いたことも無い” ラングは上司からも見捨てられていた。オーベルシュタイン、ラングは失脚し、ケスラー率いる憲兵隊は国内最強の捜査機関となった。

パーティが始まったのは俺たちが会場に入ってから直ぐの事だった。主賓の挨拶を俺が乾杯の音頭をエーリカが行なった。最初は一緒にいたのだが直ぐに別々になった。俺の周囲には経済界の人間達が集まり、どういうわけか少しはなれたところにいるエーリカの周囲には帝国軍人達が集まった。

エーリカがベルゲングリューンと話をしている……。ベルゲングリューン、エーリカの胸元をチラチラ見ながら鼻の下を伸ばすのは止めろ。その91センチの胸は卿の物ではない。髭を生やしていても鼻の下が伸びているのは分かるぞ。

どうやら卿は補給基地に行きたいようだな。望みどおり卿の人事考課には補給基地への異動希望アリと書いてやろう。オーベルシュタインに可愛がって貰うと良い。せいぜい玩具になって来い。俺は他人の望みをかなえるのが大好きな親切な男なのだ。

エーリカ、お前もその髭ににこやかに微笑むな。まさかとは思うがベルゲングリューンが好きなのか? それともお前は髭フェチなのか? ならば俺も髭を生やしてみるか……。しかしな、あれは基本的にむさい男がするものだ。俺のような美男子に似合うものではない……。どうしたものか……。

「総督閣下」
「?」
「私の話を聞いていらっしゃいます?」
「失礼、何のお話でしたか」

うるさい女だ。さっきから俺にまとわりついている。このハイネセンでも有名なモデルらしいが俺の好みではない。すこし化粧が濃いし、顔の表情がきつい感じがする。髪型も派手さを強調し過ぎて品が無い。

胸が大きいのは分かるが少したれ気味だしハリが無い。触感は余り良くは無いだろう。腰も少し張っている。服のセンスが余りよくないのは、自分を目立たせようとしすぎている所為だろう。その所為で目だってはいるが同時に周囲から浮いている。エーリカとはまるで違う。

「総督閣下は下着に詳しいと聞いていますわ」
「……」
別に詳しいわけではない。ただエーリカに下着を買っただけだ。

おまけに少しサイズが違っていた。後で買いに行かなくてはいかん。帰りにあの店に寄って行くか。サイズが合っていないと胸の形が崩れるからな。どうもあの女はその辺が無頓着だ、俺が気をつけてやらねば……。ああ、それから前に買ったヤツは全部廃棄だ。家に帰ったら直ぐにやろう。

「私もモデルをしていますから、下着には関心が有りますの。私にはどんな下着が似合うと思いまして?」
何処か期待するような表情をしている。余りに露骨な誘いに興醒めした。

おそらくこの後は、俺に下着を買ってくれとか言うのだろう、その上で身につけたところを見て欲しいとか。
「フロイライン、自分はそれほど下着には詳しくないのです。先日もサイズを間違えました。他の方に頼んだほうがよろしいでしょう」

「それはいけませんな。あのような美しい奥方を持ちながら下着のサイズを間違えるなど、夫としてはいささか問題ですな」
声のしたほうを見ると嫌味なくらい気障な男が居た。
「以前見た顔だな」

「ほう、総督閣下に憶えて頂いていたとは光栄の至り。元自由惑星同盟軍中将、ワルター・フォン・シェーンコップです」
「ローゼンリッターか、イゼルローン以来だ」
俺の言葉にシェーンコップは不適な笑みで答えた。

「お嬢さん、こちらの総督閣下は貴女には興味がなさそうだ、他を当たるのですな」
女は一瞬表情を強張らせたが、俺もシェーンコップも彼女をまるで相手にしていないと分かったのだろう、諦めたように立ち去った。

「随分と酷い事を言うものだ」
「それは閣下も同じでしょう。奥方の方ばかり見て、まるで彼女を相手にしていなかった。大体名前を覚えていますかな?」
「……」

俺が沈黙するとシェーンコップはシニカルに笑った。
「やはりそうですか、彼女がしつこく迫ったのもその所為ですよ。あそこまで無視されれば意地になります。まあ私は感謝されてもいいと思いますな」
「……有難うとでも言って欲しいのか」
この男はどうにも好きになれない。そう思ったときだった。

「貴方、どうかしまして」
「ああ、エーリカ、なんでもない」
いつの間にか彼女が傍に来ていた。心配そうな表情をしている。もしかすると何か感じて此処へ来たのかもしれない。そういう面では鋭い女だ。

「これは、奥様、ワルター・フォン・シェーンコップです。以後お見知りおきを」
そんな名前は憶えなくて良い、思わず心の中で罵った。しかもシェーンコップはエーリカの手を取って口付けした。わざとらしい振る舞いだが嫌になるほど様になっている。喧嘩を売っているのか、この野郎。

「初めまして、シェーンコップ中将」
エーリカは口付けされた事に少し驚いたようだったが、微かに笑みを浮かべて答えた。シェーンコップの方が中将と呼ばれて驚いている。

多分こいつは要注意人物で監視対象なのだろう。さり気無い一言で、相手に釘を刺すか。相変わらず頼もしい限りだ。だがシェーンコップもしぶとかった。直ぐに不敵な笑みを浮かべた。

「総督閣下、先程の感謝の件ですが……」
「……」
「如何でしょうな、奥方とのダンスをお許しいただきたいのですが」

エーリカとダンスだと! 馬鹿か貴様は。俺だって未だ一度も踊っていないのになんだって貴様が踊るのだ。いや、大体エーリカはダンスが出来るのか、彼女が踊っている所など一度も見たことが無いが……。

「シェーンコップ中将、お誘い有難うございます。でもファーストダンスとラストダンスは主人と踊る事にしておりますの」
エーリカは俺を見て柔らかく微笑んだ。シェーンコップが微かに残念そうな表情をした。

「そういうことだ、シェーンコップ中将。先ずは俺とエーリカが踊るのを待つのだな。では奥様、一曲お相手を願おうか」
俺はエーリカの手を取ると、ホールの中央に向かって歩き始めた。残念だったな、シェーンコップ。俺はエーリカの夫なのだ、俺を差し置いてダンスなど絶対に許さん。軽やかな笑い声が俺の口から出た。



 
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