提督はBarにいる。
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6月第3日曜日・12
「ちょっと!何でdarlingは鼻の下伸ばしてるデスか~!?」
「あだだだだ!頬をつねるな金剛!」
後ろから抱き付いたままで両頬をつねってくる金剛。仕方無ぇだろが、あんな不意打ち食らったら大概の男は顔も弛むわ。
「あらあら、相も変わらず仲のおよろしい事で」
「ホントホント、独り身の寂しいオンナ達としては羨ましい事この上ないわ」
俺と金剛、2人揃って声の方を見ると足柄と大和が銀の盆を持って立っていた。
「よぅ、どうした2人して」
「折角の機会だから提督に私達の料理を試食してもらおうと思って!」
「それで、悪い点等があったらご指摘を頂こうかと」
そもそも俺は美食家でもねぇんだがなぁ。……まぁ、聞かれれば答えない事もないが。
「じゃあ、そこに置いてくれ。……那智、シャンパンのお代わりを頼む」
「あ、那智姉あたし達にもお願いね~♪」
「自分で取りに行け!」
「まぁまぁ、持ってきてあげてくだサーイ」
金剛に宥められてブツブツと言いながらも、シャンパンの新しいボトルを持ってきてくれた那智。
「さぁ、まずは私のヒレカツからよ!」
鼻息荒く出して来たのは、揚げたてなのだろう湯気の立ち上るヒレカツだ。食べやすいようにだろう、一口サイズでカットしてある。
「んじゃ、まずは一口……」
サクリ、衣とヒレ肉を歯で断ち切る。う~ん流石は足柄の得意料理と自負するカツだ。火の通りが甘くもなく、揚げすぎで焦げ臭いという事もない、絶妙な揚げ具合。下味は塩と粗挽きの黒胡椒、それにニンニクと生姜も使っているのか。俺は肉の旨味をストレートに楽しみたいからあまり下味を付けないが、これはこれで肉の臭みを取りつつ味を引き立てている。このスパイシーさが病み付きになりそうだ。
「うん、悪くねぇな。だが……」
「だが?」
「こいつぁ植物油で揚げてるだろ?カツとかコロッケ揚げるならラードだろ、やっぱり」
ラードは豚の脂身を精製した動物性油脂で、イメージとしては臭そうだと思っている人が多いらしいが、不純物などは取り除かれているので臭みはない。それに油が酸化し難く体内に吸収されにくい上にカラリと揚がる。植物油は酸化しやすい為に体内で余分な脂肪に変わりやすく、冷めるとベッタリとした感覚になってしまうのだ。
※天ぷらは香り付けの意味もあって白胡麻油が専門店では一般的
それにラードは何度も使えて植物油よりも長持ちする。冷えて固まれば揚げ物から零れた衣などは分離されるから、温め直して濾してやれば綺麗になる。なので俺は揚げ物はほとんどラードを使っている。
「そっかぁ、やっぱりラードの方がいいのね」
「では今度はこちらを!」
大和が取り出して来たのは、オニオングラタンスープだった。
「う~ん……」
「ど、どうですか?」
不安そうに見つめてくる大和。何かダメ出しを求めているんだろうが、正直な所悪い所がない。玉ねぎの炒め具合も絶妙だし、大和自慢のビーフコンソメも絶品だ。
「美味いよコレ。いやマジで」
俺がそう言った瞬間、ぱあっと笑顔が輝き出した大和。とても嬉しそうにしている横で、ぶすっとしながらスープを啜っている金剛。……なんだよ、やきもちか?
「あとは『幅』だな。この味を損なわずにアレンジで品数を増やせればパーフェクトだろ」
「アレンジ、ですか……例えば?」
「そうだな…入れる野菜を増やしてみるとか、バゲットを別の物に変えてみるとかな」
オニオングラタンスープは手間がかかる割には使うのは玉ねぎ、バゲット、チーズ、コンソメと大きく分ければ使われているのは4つしかない。この4つと相性のいい具材を見つけられれば、簡単に品数は増やせるだろう。
「成る程……取り組んでみます!」
大和の表情は明るい。俺の指摘を心底楽しんでいるようだ。それとは対象的に憮然とした顔の金剛。
「なんだよさっきから。忙しく機嫌が変わるやつだな」
「darlingが皆に慕われるのはとてもいい事だと思いマス。けど……」
「けど?」
「やっぱり私の方を向いてないのは寂しいんデス……」
ケッコンではない結婚をしてからだろう。金剛は前にも増して嫉妬深くなったし、少し精神的に幼くなったように感じる。前は鎮守府のトップエースとしてだとか、金剛姉妹の長姉としてだとか、無理に我慢している事が多かった。素直になった事は大変喜ばしいのだが、その分舵取りが難しくなった。
「バカ言え、俺の最期を看取るのはお前の役目なんだぞ?それだけはお前以外の誰にも譲らねぇ。それだけでもお前は特別だろうが」
「でも、それは……」
「私が沈んだら出来ない、とでも言うつもりか?……愚問だな。俺がお前を沈めさせるような指揮なんて執る訳ねぇだろ。それに、無様だろうと泥を啜ろうと、絶対に生きて帰って来いと教えただろうが」
「そう……でしたね、すみません」
「わかりゃいいんだよ、わかりゃあ」
……まぁ、じゃじゃ馬を乗りこなすのはそれだけで楽しい物なのだが。
「うひゃ~、お暑いお暑い」
「見ているこっちが恥ずかしくなりそうですわ……///」
そんな声の方を振り向くと、ニヤニヤと笑う鈴谷と赤面した熊野が立っていた。
「なっ、てめぇら見てやがったな!」
「そりゃあねぇ、あんだけ見せつけられちゃあ見たくなくても目に入っちゃうよそりゃ」
そう言ってケラケラ笑いながら、茶化してくるのは鈴谷。隣の金剛はトマトのように赤くなってしまっている。
「鈴谷、からかうのはそれくらいに致しましょう」
「そだねー、馬に蹴られちゃ困るしね」
「……で?何しに来たんだお前らは」
まぁ、2人が盆を持っている時点で何となく察してはいるが。
「いやぁ、折角だからアタシ達の作った料理を味わって貰おうと思ってね?」
「先程まで邪魔者がいらっしゃいましたので遠慮しておりましたの」
チラリと別の方を見ると、最上と三隈が此方に手を振っていた。どうやら4人で作った力作らしい。
「じゃあ、いただこうかな。ちなみにメニューは?」
「『ハヤシライス』ですわ」
「金剛さんもよかったらどうぞ~」
「Oh、じゃあいただきますネー!」
盆から下ろされた皿から漂うその香りは正に、本格的な洋食屋のそれだ。俺が手抜きで作るよりも恐ろしく手間がかかっている。デミグラスもよく煮込まれて具材に染み込んでいるし、材料にもかなり拘りを持って作られている。スプーンを手に取り、ご飯とソースを適度に合わせて口の中へ。……うん、手間暇を惜しんで出せる味ではない。だが、惜しい。恐ろしく惜しい。
「なぁ、これを作る時に中心になったのは誰だ?」
「私ですわ。メインの牛肉には神戸牛を惜しみ無く使って高級感を出しましたの。それにデミグラスソースも……」
「あ~、このハヤシライスにかなり手間がかかってるのは解る。解るんだがな……」
「どしたの提督?なんか奥歯に何か挟まったような言い種だけどさ」
「こういう場合、はっきりと物を言った方が良いのか、正直迷ってるんだ。俺を思っての料理だしな」
このハヤシライスは美味い。間違いなく美味いのだが、使われている具材の割には『美味しくない』のだ。それでも高級な物を使っているだけあって、並のハヤシライスよりは美味い。……だが、それまでだ。
「……どこが、いけないと言うんですの?」
震えるような声で、熊野が聞いてきた。
「たった1点だ、熊野。肉のチョイス……これが不味かった」
「何故ですの!?私が伝を頼って神戸牛を仕入れましたのに、なんで……!」
「このハヤシライスに切り落とし肉だと柔らかすぎるんだよ、熊野。そのせいで牛肉の旨味が全部抜けちまってスッカスカなんだ」
ハヤシライスには大きく分けて2つの作り方がある。じっくりと煮込んで作るタイプと、炒め煮のように作るタイプだ。じっくりと煮込むタイプは長時間加熱する為にモモ肉やスジ等の煮込んで柔らかくできる肉が好ましい。しかし薄切り肉や切り落としのような火が入りやすい肉は必要以上に火が入ってしまい、肉本来の旨味や甘味がとけだし過ぎてしまうのだ。
逆に炒め煮のように作るには薄切りのタイプが向いている。加熱絡みの失敗が無いし、何よりも食べやすい。短時間で仕上げる為に煮込むタイプのように旨味が逃げ出し過ぎない。熊野はじっくりと煮込むタイプを選んだにも関わらず、薄切りの肉をチョイスした。それが唯一にして最大のミスだ。
「手厳しい、というのは否定しない。だが、お前が聞いてきたんだからな?熊野」
そう言って俯いたままの熊野に視線を送る。熊野は下唇を噛んだまま、俯いて踵を返して行ってしまった。
「ホントに手厳しいねぇ、提督は」
「聞かれたからにゃあはっきりと言わねぇとな」
「でもまぁ熊野は負けず嫌いだからね~、多分すぐにでも復活するっしょ。また作って来た時には味見してあげてね?」
そう言って鈴谷はニコリと笑って、熊野を追うように歩いていった。
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