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銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)

作者:azuraiiru
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第百三十九話 挙国一致への道

宇宙暦796年10月 8日    ハイネセン 統合作戦本部 ヤン・ウェンリー



「君達が何を心配しているか、私には分かる。だがその心配は無用だ、私がこの人事に反対する事は無い。私達はこれから協力し合って同盟を守っていく事になるだろう」

何を言っているのだ、この男は。協力し合って同盟を守る? 私に新しい番犬にでもなれと言っているのか? 冗談じゃない、そんな事はまっぴらだ。私はヨブ・トリューニヒトが宇宙で一番嫌いなんだ。

私の、いや私達の視線は決して好意的なものではなかった。その様子を見たレベロ委員長がおかしそうに笑いながらトリューニヒトに声をかけた。

「やはりお前さんは信用が無いな」
「笑うことは無いだろう、レベロ。友達甲斐の無い男だな」
「友達じゃない、私達は仕事仲間だ」

そう言うと二人は顔を見合わせ苦笑した。おかしい、この二人はどちらかと言えば敵対しているはずだ。それなのに今、私の前で見せている姿はどう見ても親しいとしか思えない。どういうことだ?

私だけではない。ビュコック、ボロディン、ウランフ提督も訝しげな表情をしている。シトレ本部長とグリーンヒル中将はどこか呆れたような表情だ。レベロ委員長は苦笑を収めると生真面目な表情で私達に話しかけた。

「君達はどちらかと言えばシトレに近い人間だ。当然主戦派とは一線を画している。君達が軍の中枢を占めれば、当然軍は君達が動かす事になる。そこで訊きたいのだが、君達は同盟がこれ以上帝国と戦い続ける事が可能だと思うかね?」

「……少なくとも攻勢を執る事は不可能でしょう。可能であれば和平を結ぶべきだと思いますが」
ボロディン提督が答えた。ビュコック、ウランフ提督が同意するかのように頷く。

「そんな君達がトリューニヒトを信じられないのも無理は無い。なんと言っても彼は主戦派として戦争を煽ってきたのだからな。しかし、あれは彼の本当の姿ではない、擬態だ」

擬態? 本当の姿ではない? どういうことだ? レベロ委員長は何を言っている? 私の疑問を口に出したのはビュコック提督だった。

「レベロ委員長、擬態とはどういうことです?」
「彼の本心は、帝国との和平にある。私と彼はそのためにこれまで誰にも知られぬように密かに協力し合ってきた。それが真実だ」

トリューニヒトの本心が帝国との和平? 冗談ではない、あの男の煽動でどれだけの人間が戦場に送られたか、どれだけの人間が死んだか……。それなのにあれが擬態? 納得などできない、ふざけるな!

「より正確に私の望みを言えば、戦争の終結と民主共和制の維持だ。帝国との和平というのはその一手段であり、現状では唯一の手段だと思っている」

穏やかな口調で話すトリューニヒトが癇に障った。思わず口調が強くなった。
「納得がいきません。戦争を煽りながら和平など。信用しろというのは無理です」

私の言葉にビュコック提督、ウランフ提督が同調する。
「小官もヤン提督と同じ思いですな」
「同感です。ビュコック提督」

トリューニヒトとレベロ委員長は顔を見合わせ苦笑した。そのことが私をさらに苛立たせる。
「確かに私は戦争を煽った。そのことを否定はしない、そうする事で軍内部の主戦派を私の元に引き寄せコントロールしようとしたのだ」

トリューニヒトの言葉にレベロ委員長が頷いている。コントロール? 主戦派を引き寄せる事で彼らをコントロールしようとしたと言っているのか?

「残念な事だが長い戦争で国が荒んできている。徐々に軍部の力が強くなり、その分だけ政府の力は弱まってしまった。私は軍内部に影響力を強める事で主戦派をコントロールし、レベロは良識派といわれるシトレ本部長と接触して君達の動向を調べた。私たちは軍を暴発させないようにしてきたのだ」

「……」
自分たちが暴発するのではないかと疑われた事は心外だが、トリューニヒトの言っている事は理解できなくも無い。政治家にとって文民統制を覆す軍によるクーデターなど悪夢以外の何者でもないだろう。しかし……。

「ドーソン大将を宇宙艦隊司令長官にしたのもそのためですか? シトレ本部長を宇宙艦隊司令長官にしていれば今回の敗戦は避けられたかもしれない。違いますか?」

ボロディン提督の言葉に皆の視線がシトレ本部長に集中した。本部長は目を閉じている。表情を読まれたくない、そう思っているのだろうか。答えたのはトリューニヒトではなくレベロ委員長だった。

「君の言う通りだ、ボロディン提督。シトレを宇宙艦隊司令長官にしておけば今回の敗戦は無かったかもしれない」
「ならば何故……」
言い募るボロディン提督をレベロ委員長が遮った。

「彼が実戦部隊を握った場合、クーデターを起す可能性を考えざるを得なかった……」
馬鹿な、本部長がクーデターなど有り得ない。思わず言葉が出た。
「本部長に限ってそんな事は……」

「ヤン提督、百五十年続いた戦争は終わらず、財政は破綻、国民は負担に喘いでいる。政府は能力的にも道徳的にも劣化し国民は政治に不信を抱きつつある」
レベロ委員長は何処かやるせない様な口調で話し始めた。

「そんな時、実力と人望を兼ね備えたシトレが実戦部隊の頂点に立つ。これは民主共和政体にとって危険すぎる状態だ。政府に不満を持つものがシトレを中心に集まるだろう。彼らがシトレに何を期待すると思うかね?」
「……」

何を期待するか……。レベロ委員長の問いかけの答えが分からないではない。
「軍によるクーデター、独裁政権の樹立だ。非合法政権が成立されれば民主主義は弾圧され、軍は権力維持のために圧政を布くに違いない。宇宙は専制国家で有る帝国と独裁国家である同盟の間で覇権を争う事になるだろう」

「……」
「今同盟が帝国と戦うのは、民主主義が標榜する基本的人権、人間の自由、平等を守るためだ。それを大義として同盟市民は戦っている。だがその大義が失われれば、何のために戦うのだ?」

レベロ委員長が問いかけてきたが、誰も答えることが出来ない。私もだ。何のために戦うのか?同盟市民は深刻な問題に直面するだろう。市民の一人一人がそれを問い直す事になるに違いない……。ビュコック提督、ボロディン提督、ウランフ提督も沈痛な面持ちをしている。

「私達の心配は杞憂なのかもしれない。しかし、そのような事態を招いてはならん。だからあえてドーソンを選んだのだ。決して権力欲や自己の勢力拡大のためではない。そんなことが許されるほど同盟は余裕を持っていない!」

吐き捨てるようなレベロ委員長の口調だった。トリューニヒトがレベロ委員長の肩に手をかける。レベロ委員長は邪険に手を払うと決まり悪そうに顔を背けた。微かに苦笑してトリューニヒトが話し始める。

「あの時は帝国が攻勢を強めるとは思わなかった。それならドーソンの方が適任だろうと思ったのだ。前任者のロボス大将はどうにも戦争好きだった。シトレ本部長に対する競争意識もあったのだろう」

確かにそうだった。能力も自信もあったロボス大将は自分が軍人として最高の地位に上がれない事が我慢できなかった。統合作戦本部長、元帥……。それに宇宙艦隊司令部の主戦派が同調した。

「あれに比べれば戦争に自信の無いドーソンの方が兵を動かすのに慎重でコントロールもし易いと判断したのだよ」

「ですが結局はそれに失敗し、あの遠征が起きた。そうですね?」
「残念だがその通りだ、ヤン提督」
トリューニヒトが認めた……。

「それなのに責任も取らず議長に就任ですか?」
自分でも嫌な言い方をしていると思うが、どうにも止まらない。こんな男が議長など納得がいかない。一千万人死んでいる、その責任も取らずに議長就任など認められない。

「その通りだ、ヤン提督。どれほど非難されても構わない。議長を辞退するつもりは無い。今の同盟には私が必要だ」
「!」
トリューニヒトは開き直るかのように言うと、私を見て笑いかけた。

「ヤン中将、いや大将。君は私が嫌いなようだね、私が責任も取らずに議長につくのが納得行かないようだが、あの遠征が私の所為で起きたと考えているのかな?」

「責任が全くないとは言えないと思います」
「確かにそうかもしれない。だがそれは君も同じではないかね」
「……」

「トリューニヒト議長、ヤン提督がイゼルローン要塞を攻略したことを言っているのであればそれは酷では有りませんか? あれは帝国の侵攻を防ぐため止むを得ない事であったと小官は思います」

ウランフ提督が私を援護した。だがトリューニヒトは首を横に振って言葉を続けた。

「ウランフ提督、私が問題にしているのはヤン提督が全てを理解した上でイゼルローン要塞を落としたのかということだ」
「?」

全てを理解した上で? どういうことだ? 何を言っている。思わず周囲を見渡した。皆不思議そうな顔をしている。トリューニヒト、一体何が言いたい。

「ヤン提督、君はイゼルローン要塞を攻略した時点で帝国との間に和平が結べると考えたかね?」
「……考えました。和平が無理でも防御に徹すれば国力の回復は可能だと考えました」

トリューニヒトは私の言葉を聞き終わると苦笑しながら口を開いた。
「やはりそうか。君は分かっていない」
「?」

分かっていない? 一体何のことだ? 私の疑問に答えるようにトリューニヒトは話し始めた。

「君はイゼルローン要塞攻略時点で和平が可能だと考えた。だが私はあの時点では不可能だと思った。せめて味方が二個艦隊ほども損害を受けてくれれば話は別だが……」
「……損害が少なかったとお考えですか?」

「違う、損害などどうでも良い事だ。大事なのは君が同盟市民を分かっていない事なのだよ、ヤン提督」
「!」

同盟市民? 何を言っている? 馬鹿にしているのかと思ったがトリューニヒトの表情はいたって真面目だ。そして哀れむような口調で言葉を続けた。

「ヤン提督、同盟市民は銀河帝国を憎んでいるのだ。君はそれが分かっていない」
「!」

「いいかね、この国では毎年百万から二百万人が戦死している。どこの小学校、中学校でも戦争の度に家族を亡くした子供が生まれる。彼らはその悲しみに堪えながら生きる。そして周囲はそんな彼らを支えながら学生生活を送るのだ」
「……」

「分かるかね。この国の学生たちは帝国への憎悪を胸に生きるのだ。人生の一番多感な時期に帝国への憎悪を植えつけられる。和平論など簡単に出るものではないのだよ」
「!」

「君の事は調べさせてもらった。五歳から十六歳まで宇宙船で暮らしている。つまり君は学生生活を経験していない。だから帝国への憎悪がない。同盟市民が分からないとはそういう意味だ。それと他者とのコミュニケーションを積極的に取るのが下手だ、おそらくは宇宙船という閉じられた世界で過ごした所為だろう」
「……」

「軍事的に見ればあの遠征は馬鹿げていただろう。しかし、市民感情の面から見れば当然の行為だったのだ。だから同盟市民はあの遠征を支持した。君には理解できなかった事だろうが……」
「……」

「君はイゼルローン要塞攻略後、和平論をマスコミに話すべきだったのだ。エル・ファシル、ティアマト、イゼルローンの英雄が、誰よりも帝国と戦って勝利を収めた男が和平論を口にすれば同盟市民も少しは考えたはずだ」
「……」

言葉が出なかった。おそらく私の顔は青ざめているに違いない。トリューニヒトの言う事は悔しいが正しいのだろう。私は同盟市民を理解していなかった。

民主共和制を布いている以上、市民感情を無視は出来ない。それなのに私はそれを知らずにあの作戦を立て実行した。もし、同盟市民の帝国に対する憎悪の深さを知っていればあの作戦を実行しただろうか?

シトレ元帥も帝国の脅威を重視するあまり同盟の市民感情を軽視したという事だろうか。そこまで私達はヴァレンシュタインに追い詰められていたという事か。

そしてヴァレンシュタインはその市民感情を上手く利用して同盟軍を帝国領へ誘い込んだ。情けない話だ、私は自国民への理解さえあの男に劣るという事か……。一千万人を殺したのは誰でもない私の無知が原因か。私にトリューニヒトを責める資格など欠片もない……。

そしてこの男は私を冷静に観察し、その欠点を押さえている。嫌な男だ、トリューニヒトに対する不快感がこれまで以上に増した。

「私は君に対して責任云々を問うつもりはない。今の同盟には君の力が必要だ。私達は過去よりも未来に対して責任を負うべきだと思っている。そうではないかね」
この男に慰められるのか、いっそ罵倒されたほうがましだ。

トリューニヒトの後をレベロ委員長が続けた。
「私とホアン・ルイはトリューニヒトを助け政権を担ってゆくつもりだ。何故なら、それが同盟のために一番よいと思うからだ」

「……」
「今の最高評議会を見れば分かるだろう。サンフォードやウィンザーのような自己の権力維持のためなら兵を死地に追い込むことを躊躇わない政治家が大勢居るのだ。君達は彼らとトリューニヒトとどちらを選ぶつもりだ? これ以上無益な戦いを続けるつもりか?」

「……では、政府は和平に向けて動くと言うのですかな?」
ビュコック提督が問いかけトリューニヒトが答えた。

「私達の目的は帝国との和平の締結だ。しかし今すぐ帝国との間に和平を結ぶ事は不可能だろう……。今の同盟に出来る事は専守防衛に徹し、出来る限り国力の回復に努めることだ。そして和平の可能性を探る、それくらいしかない……」
「……なるほど」

「シャンタウ星域の敗戦は財政面、国防面で致命的とも言える打撃を同盟に与えた。政府と軍部はこの危機を協力し合って乗り越えていかなくてはならない。違うかね……」

ビュコック、ボロディン、ウランフ提督が顔をこちらに向けてきた。止むを得ない、私は頷いた。彼らも頷き返す。どうやら私は今日からトリューニヒトの協力者になったようだ。全く今日は人生最悪の日だ。



 
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