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【短編集】現実だってファンタジー

作者:海戦型
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既死廻生のクレデンダ 後編

 
前書き
6/29 微修正 

 
 
 不意に。

 『彼』の意識は、嗅ぎ慣れない有機物の刺激によって覚醒した。

(コンディションチェック………)

 意識の覚醒と同時にコンディションのチェックを行い、駆動体に問題がないかを確かめる。
 クレデンダが行う、言うならば「朝の日課」とも言える自己診断プログラムをOT経由で走らせようとした『彼』は、そこで、OTが休止状態にあることに気付く。

 どうやら損耗があまりに激しかったためにコクーンを展開してしまったらしい。
 コクーンはOTの自己防衛と自己再生、及び敵からの干渉を防ぐ概念障壁だ。高次元干渉をジャミングしつつ物理的干渉も防ぐ複合位相障壁で自身を球体のように覆い、内部では自機の永久機関『離元炉』、バッテリー、及びナノマシン・セルの生成の3機能だけを稼働させる。

 離元炉は破損しているが、コクーンはそれ自体が高次元内の無と有が混合した空間からエネルギーを抽出する機能を持つ。エネルギーがあってプログラムそのものが無事ならば、時間をかければいつかは完全に機能を修復できる。

 万全の状態ならばOTは持ち主を超高熱量兵器級の危機から守り、慣性を無視した飛行や馬力を見せつけ、あらゆる環境での稼働を可能にし、更には武器を持たずとも銃撃や接近戦を行える。高次元の干渉という、ミランダの辿り着けなかった技術があるために可能となったことだ。
 ただ、扱う人間が脆い有機物であるため、それを防衛することで物質的負荷がかかる。だからこそ最終的にはミランダの物量に押されることになった。

 それならば人間を機械化すればよかったのではないか、と疑問に思ったが、クレデンダは人間を「理性的で効率を求める生物種」と定義していたために生身を失うことを忌避していたようだ。
 逆に、人間を「感情や自由を貴ぶ意志ある存在」と定義していたミランダは、肉体がどうなろうと意志があればよいと考えていたためにサイボーグ化に抵抗が無かった。

 人の意志を無視しながらも「人」であることに拘ったクレデンダと、意志さえあれば肉体を捨てても構わないと考えたミランダ。これではどちらが人間なのか分かったものではない。

 しかし、OTの機能が停止している以上、五感を用いて状況を確認するしかない。

 ふと見ると、腕になにか医療用注射針のようなものが差し込まれていた。信じられないくらい旧式の薬物投与機だ。ミランダでは未だに使っている地域もあるらしい。静脈にそれを通して液体が投与されていたが、邪魔なので引き抜いた。
 周辺を見る。驚くほど原始的な寝具の上に寝かされていた。何の合理的機能もなく、ただ分厚い布とバネだけで寝者の負担を申し訳程度に和らげるだけのものだ。布は、未確認の素材で作られている。

 周囲を見渡すと、部屋らしき四角い空間の中にいた。内部に設置してある収納器具らしきものは、驚くべきことに古代生物である『植物』の死骸を原材料に作成されているようだ。現代では天然素材と呼ばれ、戦争開始前のミランダが独占していた素材だ。戦争の開始から間もなく観賞用を除く天然素材は完全に枯渇したと聞いている。

 自分で確認するのは効率が悪いな、と思った。
 OTが停止しているのならば1000号に情報を拾わせればいい。
 擦れた声で、1000号を呼ぶ。

「1000号、応答しろ」

 1000号に命令を送る時、『彼』はいつも肉声での意思伝達を行う。思考が直接伝わるインプラントAIに対して、効率の悪いコミュニケーション手段。だが、自我のある彼は敢えてそれを好んだ。

「1000号……?おい、1000号………ッ!?」

 そこに到って、『彼』は遅ればせながら、意識を失う前の出来事を思い出した。
 禁忌保管庫から盗み出したデータ。
 記憶を量子化しての、別概念世界への存在シフト。
 そして、1000号は――1000号は、一緒に空を見ると約束したあいつはどうなった。
 肉体を起こそうとして、身体がひどく弱弱しく変貌していることに気付く。クレデンダのそれとしては考えられないほど、余りにも痩せ細った体。体内循環ナノマシンによって一定に保たれている筈の筋肉が著しく減退している。が、今はそれを考える時間すら惜しい。1000号を、『彼』の一部にして半身の存在を、探さなければならない。

「ぐ、う……1000号!1000号!?どこにいる、1000号ッ!!」

 痛む頭を抱えながら、必死で膜電位の流れを探る。いるのなら、ある筈だ。膜電位からエネルギーを補給して、二つ返事する筈だ。
 今置かれている状況など、そんなことはどうでもいいことだ。
 今は自分という存在があるかないか、そのような次元のものを探している。
 1000号を探しているのだ。インプラントAIで、いつも一緒で、機械知性体で、大切なんだ。

「俺の命令を無視したのか、1000号!規定違反だ!定期メンテナンスに提出する必要がある!!」
 
 何故返事しない。何故膜電位の流れに引っかかりがない。どこに――どこに――!
 一緒に来れなかったなどと、そんなことを言うつもりか。
 認められない。
 命令だ、返事をしろ。

 『俺』を、置いていくな。

「応答しろと、言ってるんだ………応答しろッ!1000号ぉぉぉーーーーッ!!!」

 この感情が何なのか、物知りのお前は知っている筈だろう。
 視界が滲む。生理的な、不純物排除用の洗浄体液が、こちらのコントロールを離れて勝手に放出されていく。これも感情なのか。感情の意味を知りたいのに、相変わらず1000号は応答しない。
 教えてくれ、1000号。教えてくれ。お前がいないなどというのは、約束違いじゃないか。

「命令を………約束を、無視したのか?答えてくれよ………俺を捨てないでくれ………」
 

 きぃん、と小さな音がした。


 これは、体内ではない。これはOTから、高次元からの干渉。
 その意味をゆっくりと咀嚼し、認識し、そしてもう一度確認した。
 
「……………いるんだな、1000号」

クレデンダとして、一度確認を取れたことをもう一度問うのは無駄な行為だ。それでも、問うた。
 再び、きぃん、と骨伝導で音が響く。

 ――そうか。

「いるんだな……いるんだな!!いるならいい!いるなら、いいんだ………ッ」

 横隔膜が不自然な動きをし、瞳から溢れる洗浄体液が増加し、口から嗚咽が混じる。
 1000号は、いたのだ。転送先に自分の『入れ物』が無い場合を想定して、自分のデータを高次元に存在するOTに転送し、OTを量子化してデータ送信を行う事でこちらを追ってきていたのだ。高次元に存在を固着されたOTは、半ば実体を持たない存在だ。実体がないなら、データだけを送り込んでもOTは機能を果たすだろう。

 頭の中にいないから、膜電位に反応はなかった。返答が奇妙な音しかないのも、OTがコクーンを展開しているせい。いずれ修復が完了したら、動き出すだろう。

 1000号は、ここにいる。

 『俺』は、この文化圏で感泣(かんきゅう)と呼ばれる行為を、ただひたすらに繰り返した。



 = =



 暫く1000号の協力が得られない以上、自力で情報を収集するしかない。
 取り敢えず立ち上がる。バランスが取れずふらついた。信じられないほど、筋力が足りない。
 一体どのような生活を送ればこれほど身体機能が低下するのか見当もつかなかった。

「そういえば、これは俺の肉体ではないんだったか……?」

 改めて考えると、これは記憶の転送先にいた『誰か』の身体なのだ。
 生身でありながら機能的であるクレデンダの肉体とは違う。
 今更になって、自分が自分の肉体からは離れたことを初めて自覚する。
 年齢は、ミランダ基準ではおおよそ13歳程度だろうか。クレデンダでは必要に応じて成長速度を速める処置が下されるために年齢より耐用年数の方が重要になる。

 クレデンダの肉体は全て遺伝レベルで調整され、人工子宮の中で生を受け、誕生から6年間の間、幼児育成機関でクレデンダとしての生活に必要な身体能力と知識を植え付けられる。遺伝子異常による不適合者は基本的に蛋白源として処理され、個性による「むら」を排除するために形成される顔などはあらかじめ決められている。網膜には識別番号とコードが刻まれており、全身は常にナノマシンによって管理される。
 体温、痛覚、汗腺、脳内麻薬など体内で生成されるありとあらゆる部分を半自動的に最適化しつつ、人間特有の鋭敏な感覚を強化した理想個体だ。

 太古の昔に存在したリザードという原生生物が体の一部を自在に切り離せたという伝承をヒントに、破損の激しい部位や異常をきたした部位を細胞レベルで切り離して代価パーツと付け替える機能もあったが、どちらにしろこの世界では代価肉体を用意するのが一苦労なのでなくとも構わないだろう。OTの補助があれば『まるで肉体があるような現象』を起こすことも出来る。

 一先ず、身体能力の確保を出来る限り最適化する。このままでは歩行もままならない。先ほど行った膜電位への干渉は高次元領域を知覚することで可能になる認識論的なプログラムである。つまり、OTを介さずとも多少の事象干渉は可能だ。今できる事をする。

「血管強度……筋肉繊維質……皮膚細胞……細胞活性化……免疫細胞強化……脳細胞……末梢神経系操作……反射速度強化……関節補助……眼球……聴覚系……嗅覚系……内蔵機関…………現在強化が可能な分は、こんなものか」

 その光景をもしも事情の知らないミランダなんかが見ていたら、恐らくは自身の眼球と脳の正常を疑うところだろう。その少年が起き上がってブツブツと何かを呟いていると、唐突に血色がよくなり、荒れた皮膚が正常になり、枝のように細かった手足に健常な筋肉が宿ったのだから。
 ぼさぼさの髪を除き、概ね健常な肉体に変化した身体を動かして問題がないかを確かめる。
 と、早速一つ問題が生じた。体内に保管されたエネルギーに不安がある。本来のクレデンダは体内に脂肪をベースとした栄養素を補完する補助臓器が小腸の一部に設けられているが、この身体は遺伝子改造の形跡がないため存在しない。新たに補助臓器を精製しようにも、OTの補助なしには難しい。あれがあれば3日分は行動が可能だったのだが、現状のエネルギーでは切りつめても1日程度しか動けない。栄養分を補給する必要がある。

「栄養分が足りない……栄養素になる食物は――これか?」

 目につくのは、この薬物投与機に入った液体入りの透明な袋。
 血管に刺さっていた針を調べてみると、中に入っているのはどうやらブドウ糖の溶液らしい。このような分析も高次元干渉の賜物だ。これで多少はマシになるだろうと考え、回転式のふたのようなものを取り外し中身を頂く。そのまま吸収しては急激に血糖値が上昇するため、事象干渉で液体が少しずつ体に吸収されるよう設定した。

 ブドウ糖水溶液の入っていた透明な容器を成分分析してみると、信じられないことに地球では当の昔に枯渇した炭化水素(石油とも呼ばれていた)によって生成されているらしい。あの天然素材といいこの炭化水素加工品といい、『跳んだ先の世界』は文明レベルが低い代わりに天然資源に余裕があるように見受けられる。

 袋には文字のようなものが印刷されているが、こちらと異なる言語体系なのかまったく読めなかった。恐らくこの文明圏では言葉も通じないだろう。
 クレデンダは基本的に高速言語(ハイワード)と呼ばれる独自の効率的言語を使用している。ミランダと同系列の言語がベースであるこの高速言語は、少なくて速い発音で可能な限り相手に多くの情報を伝達することを主としており、そのために極限までワードが簡略化されている。ミランダでも余程聞き慣れた存在でなければ翻訳機なしに読解することは難しいのだから、この文化体系の人間に通用する道理がなかった。

 改めて建物内を見渡す。壁は非常に簡素で質の悪い原始的なコンクリート。
 中には申し訳程度に強度補強の鉄筋が詰っており、複合加工板に比べて非常に脆い。
 壁にぶら下がるポリエステル製の布は、恐らくカーテンと呼ばれる光の遮断器だろう。
 奥にあるのは手動のドア。手動と電動の両方ではなく純粋な手動ドアなど骨董品の類だ。

 壁に設置された金属パイプと古代陶器は、どうにも小型水道設備のようだ。
 これも恐ろしく効率が悪いが、原理そのものはクレデンダのそれとほぼ変わらない。
 天井の光源に至っては、原始的すぎてこちらの知る文明に該当する技術が見当たらない。
 ただ、やはりエネルギー効率は悪そうだ。

 天井には網目状の炭化水素パーツがあり、その奥に通気機構らしいものがある。
 空気清浄化を目的とした環境維持装置かと思ったが、原始的な気温調節機能しかないようだ。
 目につくもの、近くにあるものが悉く地球のそれより古い。
 まるでミランダの擁する「博物館」――過去の文明形態を保存する施設にいる気分だ。

「相対的にはミランダ側に近い文明のようだが、ここまで古いとクレデンダ・ミランダという問題ではないな……一先ず、この世界の文化形態と言語形態は後にするとして――ここはどこだ?」

 何かの施設内である可能性が高いが、OTがないことには電子的・量子的な情報収集は望めない。
 最低でもある程度正常な空気がある以上、相応の環境維持装置がある空間なのだろう。そう思い、酸素供給板に近づく。

 ……酸素供給板ではなく、どうやらスライドシャッターの類だったらしい。ナノマシン・セルによる自己修復機能もなく変性強化プラスティックも使ってない、脆いガラスがアルミ製枠に嵌められているだけの板だ。四隅から空気が漏れているのでてっきり酸素供給板だと思い込んでいたが、単純に密閉性が緩すぎるだけだったようだ。
 地球では考えられない。ガスでも放り込まれたらどうするつもりだろう、と思いながら手動のレバーを回すと、シャッターが横にスライドして部屋の中に風が吹きこんできた。
 
 咄嗟に呼吸を止めつつ大気を分析。少々塵が混じっているが、健康に害はない程度に純度の高い空気だ。呼吸に問題はない事を確認して、外のベランダらしき狭いエリアへ出る。

 外を見渡して、絶句した。

 いま自分の居る質の悪い建築物の近くには、見たことのない緑色の生物が大量にひしめくエリアが存在した。太陽光を吸収しようとするように突き出た夥しい緑、緑、緑……クレデンダの世界には、どこにも存在しなかったもの。

 異様。こちら側の常識の範疇を越えている。あまりの驚愕に一瞬思考が停止した。あんな光景は、今まで一度も見たことがない。そもそも緑という色もミランダの市街地に攻め込んだ際に初めて知った色でしかなく、それが10平方メートルを超えた広大なスペースを埋め尽くす。
 中には見たこともない色の丸いパーツを突き出した、全く意図不明の生物が群生するエリアもある。

「あれは、なんだ。まさかあれは……ミランダの擁していた『植物』の一種か……!?」

 クレデンダの有しない非汚染土壌の上で自生している、何の生産性もないただの植物。
 かつては自然界と呼ばれる人間の介在しない空間で生息し、地球の大部分を覆っていたと聞いている。環境の変化や地球全体の汚染でその存在は瞬く間に減少していき、最終的には種子やDNAデータを除いてすべてが絶滅したそうだ。それが、目の前で確かに生命活動を行っている。
 データと照らし合わせると、確かに植物と合致する部分が数多く存在した。見覚えのある樹木タイプの植物もある。

「こんな環境、向こうじゃミランダの最上流層でもないと所持できないぞ……!!」

 ミランダには身分性はないが、自由を重んじる分貧富の差は大きい。
 そのため、土壌管理と植物の管理は、ミランダの文化で言うならば『金持ちの道楽』に当たる光景だった。そもそも植物とて種子かDNAを基に再生させなければいけない代物だ。それともこの世界では、これはさほど珍しい光景ではないのだろうか。

 植物の成長に必要な光源はどこから得ているのだろうか。常に空が曇っている地球では、常に人工光源を用意する必要がある。ベランダから身を乗り出して上を見上げた。

「………………???」

 見たことのない、どこか透明感を感じる未知の色が、そこにはただひたすらに広がっている。
 継ぎ目が見えない。光源が何なのかもよく分からない。恐らくは生活圏ドーム内だと思うが、この窓からでは建物が邪魔で上手く見通せない。とにかく、地球では見たこともない規模の広さだ。

 かつて月に建造が計画されたテラフォーミング計画、「ムーンスフィア」が設計通りに完成すればこれだけの規模になったのではないだろうか。あれは結局、テロリストが月を物理的に破壊してしまったことで実現不可能になった。

 確か6000年前にミランダ地球派とミランダ宇宙派の党争があり、宇宙戦争状態に突入。宇宙派は太陽系内の移住可能惑星を次々に破壊して太陽系そのものを居住不可能な状況にしようとしたそうだが、太陽防衛圏での最終決戦で宇宙派の殲滅に成功したそうだ。
 おかげで太陽系は地球と太陽しか残らず、引力変動を抑えるために重力偏差調整筐体を多数打ちだし、これへの干渉を防ぐために宇宙軍の創立禁止を徹底することになった。結局は禁は破られるし、廃棄しようとした宇宙技術を保持し続けたミランダの一派がクレデンダとして独立する内部分裂のきっかけになったのだが。

 そういえばクレデンダは元々ミランダの一派から派生した存在だったが、ミランダが誕生する以前は地球外移民派というのが存在して地球圏外へと旅立ったらしい。
 以降彼等とは完全に決別したらしいが、彼らは新天地を発見できたのだろうか。太陽系に留まること決めた結果ミランダもクレデンダも滅んだが、彼らがその後無事に第二母星を発見できたかは不明である。

 しかし、それにしても不思議な光彩だ。見ていると、意識が吸い込まれていくような形容しがたい錯覚を覚える。なのに、その色を見た時、異様なまでに惹かれた。
 発汗と、心臓の鼓動の加速。視界がクリアになっていくような快感と、論理的な思考の薄れ。

 ただ、それをもっと見たいと思った。

「………まさか」

 シャッターからベランダに出て、建物側面の炭化水素で構成された空のパイプを伝って建物を上る。
 この階層は意外と高い場所にあったらしく10メートルほど上るとあっさりと建物の屋上へたどり着いた。表面が劣化したコンクリートに手をついてよじ登り、非効率な電波データの送受信を行っている古代のアンテナらしきものが設置された、更に3メートルほど高い構造物へ跳躍する。

「……やっぱりOTの補助で本格的に弄らなければ、跳躍は最大で6メートル程度が限界か……クレデンダの身体とは本当に性能が良かったのだな」 

 足の筋肉の一部に想像以上の負荷がかかり、軽度の痛覚が膝を襲う。
 だが、そんな話は今は後回しだ。そんな事より確認したいことがある。

 空を見上げ、よく目を凝らした。

 空から降り注ぐ光を分析。
 極々僅かなエックス線、紫外線と若干の可視光線、赤外光が検出される。
 上空には地球とほぼ同じ大気層が存在し、上方にはオゾン層らしき断層が確認できる。地球ではオゾン層は数度破壊されたのち、オゾン層と同じ機能を持つ代価ガスを大量散布することで害を防いでいたが、あれは天然のオゾンらしい。

 そして、光源は――間違いなく、太陽型恒星だ。
 地球からは粉塵の雲でぼやけて見えない筈の太陽が、あんなにもはっきりと確認できる。
 空をもっと見渡すと、純粋な水分によって構築された雲がまばらに広がっている。若干の塵は含まれているが、有害性は低くあの世界のそれと比べればないに等しい。

 上にオゾン層があり、太陽型恒星があり、大気が存在し、雲がある。

 つまり、この上空にひたすら広がる空間は天井などではなく、ここはドームでもない。
 環境維持装置など無く……いいや、それは正確ではない。
 正しくは、この星には現状で環境維持装置を持つ必要性がない。
 なぜなら、汚染されていないからだ。

 雲に覆われて見えなかった筈の、『蒼穹』と呼ばれる――

「青……空……これが、青空!!」

 何故空が青いのか。その理由は、あの世界では青という色と共に失われてしまった。

 でも今、目の前に青がある。限りなく広がる無限の青がある。

 これが、青空なんだ。そんな生産性のない言葉を何度も何度も繰り返す。

 抑えきれない正体不明の衝動が、自分の表情を変動させていく。

 笑顔。確か、ミランダがそのように呼んでいた、正と生の感情。

 これが、この全身の震えが「美しい」と感じた証ならば。

 この『興奮』よりもさらに高ぶり、なのに安らかなまでの感情は?


「1000号………見てるか?」


 ――そちらの目を通して、見えている。


「美しいという言葉の意味は判然としないが、きっとあれを美しいと言うに違いない」


 ――当機も同じ感想を抱く。


「一緒に、見れたな」


 ――そちらの望んだことである。


「もう、動いてもいいのか」


 ――当機の補助なしにそちらが円滑な行動を取れる可能性は0%である。


「そうか………」


 そのあんまりな回答を、否定できなかった。
 同時に、クレデンダとして生きてきた「人生」がやっと返ってきた気がした。
 俺とお前は一心同体。どちらが欠けても適切でない。
 胸に、何か美しいとは違う暖かさがこみ上げてきた。
 それを聞いてみようかと思っていると、1000号から話しかけてきた。


 ――提案がある。


「なんだ?」

 
 ――この世界には、地球で言う統合情報群(アンダーネット)が「インターネット」と呼ばれる形式でほぼ無制限のアクセスを許している。


「情報制限がないのか。クレデンダでは考えられないな。11階級個体である俺には統合情報群など飾りに等しかった」


 ――11階級固体「であった」が正確である。話を戻す。そのインター・ネットで情報を収集した結果、この世界には機械類に「ペットネーム」と呼ばれる正式な名前以外をつける文化が存在する事が判明した。人間の名前の場合は「ニックネーム」である。


「ペット?ニック?なんだそれは。古代語か?」


 ――それはこの際は関係ない。ともかく、この世界では「V2004y担当第3373号男性型」という名前も「1000号」という名前も、平均的な名前として相応しくない。当機は機械であるが、同時に知性体である。現在の呼称番号は相応しくない。


「つまり、俺がそのニックネームとペットネームを考えるべきだと?」


 ――どちらも他の個体が対象固体に名前を付けるのが習わしである。当機はニックネームをそちらにつける。そちらは当機にペットネームをつけることを提案する。


 1000号のペットネーム。こちらもインターネットを介在してペットの意味を調べるが、愛玩動物なる聞いた事のない文化を発見して余計に混乱する。地球に生物種として認められた動物は人間のみであり、他は全部絶滅した古代生物である。遺伝情報を利用して大型生物兵器を作る実験もあったが、コストがかさむとして計画そのものが却下された。
 ただ、ペットとは通常あまり複雑な名前を付けないそうだ。


「お前のペット-ネームは(せん)だ」


 ――却下する。


「却下だと?何か問題があったか……ならばポチだ」


 ――論外である。


「……おかしいな。ペットの名前の付け方として方向性は合っている筈だが……よし1000号はこの世界の英語という言語ではmillionと書くらしい。ここからとってミルとはどうだ」


 ――もう少し。


「も、もう少し?意味が分からん。ええと、ではiを足してミリィ?……発音方法がいまいち分からん」


 ――ミリィをペットネームとして認める。


「そ、そうか」


 よく分からないが、1000号改めミリィの人工知能が今までのロジックと思考を変えたらしい。
 ミリィは機械知性体だ。当然学習もするし、学習に応じてロジックパターンも変化する。
 これもインター・ネットの影響か、それとも俺の脳から物理的に切り離されたことでそれまでと違ったパーソナリティを構築しつつあるのだろうか。
 考えていると、ミリィから応答。


 ――こちらも、そちらのニックネームを決定した。


「そうなのか。聞かせてくれ」


 ――日本語という言語を参考にした。「太陽」の陽と、空の青さの元になる太陽の「明かり」から取って、「陽明(ようめい)」にした。


 陽明。よくは分からないが、ミランダ的な名前だ。だが、陽明の方が今までの名前より圧倒的に短い。やはりクレデンダの文化は部分的に破綻していたようだ。その名前を拒否する理由はなかった。


「では、俺は今日から陽明だ。よろしく、ミリィ」


 ――よろしく、陽明。


 これからどうするか。それを決める前に――もう少し空を眺めていよう。

 青空は美しい。

 全身にやさしい風を浴びながら、陽明とミリィはそのような共通認識を抱いた。
  
 

 
後書き
陽明とミリィは、これから人としてこの世界を生きていく、そんなお話でした。
ちなみにこの二人はシリアスキャラではなく天然キャラです。

ここからは余談。
一応、この『現実だってファンタジー』の話は全部が全部同一世界観で発生していることになっています。つまり陽明とミリィはいりこたちに次ぐ第二の『侵入者』ということになりますね。実は陽明たちの『高次元干渉』といりこたちの行使する『神秘術』はアプローチの仕方と得意分野が違うだけで、本質的には同じものだったりします。 
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