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執務室の新人提督

作者:RTT
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56

 彼女自身は、自身をまったく普通の軽巡洋艦娘だと思っている。
 夏から秋、秋から冬へと装いと彩を変えだした窓から見える眼下の花壇を見ながら、彼女は様々な花の中にあって、未だ朽ちず自己を主張する金木犀の強い匂いに唇を歪めた。
 強い物は、例え埋没しようと自己をこうやって主張する物だ、と笑ったのである。
 
 彼女自身は、自身をまったく普通の軽巡洋艦娘だと思っている。
 少なくとも、彼女には姉の様な武功はないし、妹達の様な活躍の場も無い。出撃は稀であり、遠征で偶に旗艦を任される位だ。彼女と言う存在は、金木犀の匂いに消される他の花の様なものでしかない。
 それでも、彼女はまったく動じても焦ってもいなかった。

「あぁー……いい天気だにゃあ……」

 冬を前にした貴重な暖かい日の光を受けながら、軽巡洋艦球磨型2番艦多摩は、だらしなく頬を緩め目を細めていた。
 
 
 
 
 
 
 
 軽巡洋艦娘の層は厚い。出撃に適した川内型、球磨型、長良型、阿賀野型、遠征に適した天龍型、兵器の実験を担当する事も多い夕張、鎮守府における事実上の兵站、参謀、政務担当の大淀と、実に色とりどりだ。
 求められる役割に対してはっきりと色分けされた彼女達は、それぞれの分野で活躍の場を与えられる。しかし、その数の多さゆえにどうしても控えめになってしまう艦娘達がいるのも、また事実であった。
 その一人が、現在軽巡洋艦娘寮の球磨姉妹部屋の窓から日の光を浴びている多摩である。
 
 彼女の姉は軽巡四天王なる物に名を連ねる鎮守府を代表する猛者であり、妹の三人は特別海域で一騎当千の活躍を見せる、提督の切り札である。
 そしてそんな姉と妹達を持つ多摩は、いたって普通の軽巡であった。
 少なくとも、彼女には特別な何かはない。球磨の様な、軽巡を越えた戦闘能力も、北上大井木曾の様な特徴的火力もありはしない。
 姉や妹といった近しい者が優秀である場合、大抵劣等感に苛まれて曲がり、ねじれ、折れる者が多いが、ここで眠たげに目を細める多摩はそれらの感情には一切冒されていなかった。
 まったくの自然体である。
 
「あー……今夜は何食べようかにゃ……秋刀魚……いや、そろそろ他の魚にいくかにゃ……」
「また多摩にゃんは魚ばっかり食べてー」

 背後から掛けられた声に、多摩は眠たげな目のまま振り返って声の主を確かめた。多摩に声をかけたのは、ベッドの上で本を読む多摩の妹――北上である。
 
「多摩にゃんじゃねぇにゃ」
「えー、かわいいよ、多摩にゃん」
「なんかご当地マスコットみたいでいやだにゃ」
「わがままだにゃー」

 姉の言葉に、北上は真似つきで返した。北上の相も、姉に良く似て眠たげであったが、これは真似ではなく彼女の常の物である。
 
「あれだよー、多摩にゃんはしっかり猫草とかも食べないとぽんぽんこわすよー?」
「んなもん食べないにゃ。あと多摩にゃんじゃねぇにゃ」

 多摩は北上にそう言うと、開けていた窓を閉めて室内を見回した。
 今この部屋にいるのは、北上と多摩だけである。他の姉妹たちはそれぞれの用事で出払っているのだ。
 五人の部屋として用意された室内は思いのほか広く、二人だけしか居ないとどこか寂しげだ。が、そんな状況でも二人はマイペースであった。
 多摩は腕を天井へ伸ばして欠伸を零し、北上は読んでいる本を一定の間隔でめくるだけである。そこに寂しい、などといった感情はまったく見られない。
 
「んで、球磨ねーちゃんが出撃で、大井が?」
「ん、比叡と一緒に散歩だってー」
「んにゃ。で、木曾は?」

 ここに居ない姉妹達の確認をしながら、多摩と北上は互いにポーズをとりながら言葉を交わしている。ちなみに事の時の二人のポーズは、背伸びと寝転んだままのポーズだ。
 
「んあー……木曾は、今度こそ提督を口説くんだって、花壇に花を取りにいってた筈だよー」
「わが妹ながらちょっと間違ったイケメンだにゃー」
「だねー」

 妹の奇行をその程度で流せるのも、姉としても余裕なのだろう。或いはもう諦めているだけかもしれないが。
 恐らくその花を差し出して気障な台詞でも言うつもりなのだろうが、それは男女逆の行為であるしなんというか古臭い物である。それでも、そんな行為が似合うのもまた木曾というおっぱいがついたイケメンなのだ。
 
「んで、多摩にゃん」
「多摩にゃんじゃねぇにゃ。姉をちっとは敬うにゃ」
「いやー……とか言っても、多摩にゃんだって球磨ねーさんを敬ってないっしょー?」

 北上の言葉に、多摩はうんにゃ、と首を横に振って、ぴしっと指を一本立てた。
 
「多摩は球磨ねーちゃんをしっかりかっちりぽっきり敬ってるにゃ」
「えー……どんなところ?」

 多摩は立てていた人差し指をふりふりと振って、本から目を離して自身を見つめる北上を真っ直ぐ見返した。
 
「お弁当作る時とか、野菜の余る所まできっちり使い切るところとか、洗濯の時にはかっちりお風呂の余り水使うとか、無駄な買い物をしないところとか、多摩はすげーなねーちゃんって思ってるにゃ」
「お、おう」

 北上の予想に反して、多摩が球磨を敬うところは実に地味なところであった。少なくとも戦果や戦闘能力を仰ぎ見ている様な気配は、多摩には無い。妹である北上から見てもないのだから、これは誰が見ても同じだろう。
 実際、多摩の発言は本心からだ。裏も無ければ探っても無駄な物である。
 
「ちょっと前のスイカの漬物なんて、多摩は感動だったにゃー」
「あー……あれ美味しかったよねー」

 とろんとした相で天井を仰ぎ見る二人の脳裏をよぎるのは、夏の主役の一つであるスイカだ。食べ終えたあとの皮などは、それこそ捨てるかカブトムシの餌にしかならないと思っていた二人だが、球磨はそれを割烹着姿で綺麗に洗って漬物にしたのである。
 お茶漬けによし、添え物によし、と二人にとっては季節を感じさせる美味なる物であったのだ。

「んで北上にゃん、多摩になんか聞きたい事があるのかにゃ?」
「うんスーパー北上にゃんだよー」
「……畜生、こいつぶれねぇにゃー」

 反撃として繰り出した姉の攻撃にも、北上は平然としたままである。しかも態々片膝立ちの重雷装巡洋艦のポーズまでして、だ。とことんマイペースである。
 
「んでんで多摩にゃん」
「おうおうなんでいスーパー北上にゃん」

 何故かべらんめい調で返す姉に、北上は特に反応も示さず、再びベッドに仰向けで倒れこみ、足をぶらぶらとさせ始めた。
 
「北上さんは暇だよー」
「多摩も暇だにゃー」

 二人はそう言った後、互いに暫し視線を合わせて同時に欠伸を零した。
 その様は、まさに姉妹と言わんばかりにそっくりで、彼女達の中に流れる緩やかな時間を確かに感じさせる物であった。
 
 実際、球磨姉妹でよく似ているのは球磨と木曾、多摩と北上である。前者は海上での言動がそっくりで、後者は日常での言動がそっくりだ。
 ちなみに、大井はと言えば誰にも特に似ていない。彼女は実に独特な存在であるからだ。ただし、だからといって大井が姉妹の中で孤立している訳ではない。
 大井にしても、姉や妹達には一切猫を被る事が無いのだから、その姉妹間の信頼や愛情がどれほどの物か分かろうという物だ。
 まぁ、北上に対しての信頼や愛情が重すぎるのも、大井の独特さを際立たせている訳だが、それも個性と言えば個性だ。
 
「んー……おー……うぼぁあああああああああー」

 上半身を起こし、首をかしげ、腰をひねり、最後に両手を振り上げて北上は奇声を上げた。多摩はそれを黙って見ているだけだ。見慣れた物なのだろう。
 奇声をあげ終えた北上は、平然と佇む姉に顔を向けて口を開いた。
 
「おなかすいたねー」
「おなかすいたにゃー」

 多摩は絨毯に、北上は再びベッドに突っ伏して、へにょーんとした顔で同時に零した。突っ伏したそのままで、二人は顔だけ動かして互いの顔を見る。互いに、へにょーんとしたままだ。
 
「なんか食べに行くかにゃ?」
「でもあたし、多摩にゃんと違って猫草とか食べられないしさー」
「多摩だってんなもん食べねぇにゃ」

 ぐでーん、と二人は絨毯とベッドの上で、それぞれごろごろと転がりながら会話を続ける。ここに第三者が居ればいったい何事かと我が目を疑うような様だが、幸いとも言うべきかここには多摩と北上しかいない。
 ちなみに、この第三者が球磨、大井、木曾であった場合、あぁいつもの事か、と普通に流す。姉妹からすれば見慣れた物なのである。
 
「たしか、この前酒保で買ったお菓子があったはずだにゃー」
 むくり、と起き上がっていつもそれらを仕舞っている棚を多摩は見た。が、こちらもむくりと起き上がった北上が、自身のお下げを弄りながら首を横に振った。
 
「そんなものは、この前この北上さまが貪り食ってくれたわー、うははははははー」
「おうお前ちょっとこっち来るにゃ」
「えー……めんどくさい」
「多摩もそっち行くのめんどくさいにゃ」

 本当に良く似た姉妹である。片や窓際から動かず、片やベッドから動かない。ぱっと見、着ているいる制服も顔の造りも違うのに、この二人はそっくりだ。
 
「じゃあ、間をとってスーパー多摩にゃんさまがアルキメンデス買ってくる、でどう?」
「いや、そんなもの頼まれたら明石も泣き出すにゃ。というかどういう間なのかにゃ、それは」

 二人とも眠たげな相で交わす会話は、実に独特である。大井とはまた違った独特さであるが、二人が大井の姉であることが良く分かる内容であった。
 
 どうでもいいだろうが、アルキメンデスとは80年代に発売されたインスタントのあんかけかた焼きそばである。高価な割には余り味のよい物ではなく、2年ほどで市場から消えた不遇のインスタント食品であるが、その試みは十分に評価されてよい物であった。惜しむらくは200円という値段に対し、味を追求し切れなかったという事である。
 それさえクリアすれば、或いは今でもスーパーの棚に並んでいたかもしれない物であった。裕福な時代という物は様々な――本当に様々な意図が読み取れない摩訶不思議な物まで生み出すが、アルキメンデスもまた80年代という現代のカンブリア爆発の中で生まれ、そして悲しくも消えていった悲運の存在であるのだ。
 
「んあー……とーおー、っと」

 意味不明な掛け声で、北上はベッドから立ち上がって絨毯に降りた。そして何故か自分のお下げを振り回した後未だ絨毯に座ったままの多摩へと近づいて行く。足取りは重くも軽くも無く、まったくの普通だ。
 
「んにゃー……来たな馬鹿妹め。姉の怒りの鉄拳を食らうがよいにゃー」

 ほわた、と多摩が北上の額に繰り出したのは、手刀であった。当たった時に、ぺち、と音がする程度の物である。
 
「えー……鉄拳じゃないしさー」
「うむ、現実ははいつだって理想とは違うもんだにゃ」
「多摩にゃん的にはどんな現実だったのさ?」
「うむ、こう、当たったらどごーんって感じだったにゃ」

 おー、怖い怖い、と返して北上は肩をすくめて多摩へ手を伸ばした。多摩はそれを問うことも無く、躊躇無く差し出された手を掴んだ。
 引き起こされた多摩は、そのまま北上の背に回ってもたれ掛かる。おんぶの出来損ない様な姿であるが、多摩はそのまま扉を指差して声を上げた。
 
「よし、我が妹北上にゃんよ。このまま多摩を食堂まで運ぶがよいぞー」
「えー、すっごいめんどくさい」

 姉の奇行もなんのその、北上はいたって普通のテンションで返した。彼女自身の先ほどまでの奇行からも分かるように、その程度は普通に応じられる物なのだろう。
 が、外に出ようかと言うのなら流石に現状の姿では駄目である。駄目すぎて何が駄目か注意できないくらい駄目である。
 
「多摩にゃーん」
「多摩にゃーんじゃねぇにゃーん」

 首筋に掛かる多摩の息に、北上はくすぐったさを覚えつつもお下げで多摩の肩辺りをぺしぺし叩きつつ言葉を続ける。本当に、第三者が見れば目を疑うような異様な空間であった。ただし球磨達は普通に流せる程度の物であるが。
 
「こんな姿で他の子達に会ったら、どうするのさー?」
「アルキメンデス食べたらこうなったって言うにゃー」
 アルキメンデスにそんな効力は無い。あれはただ高くて不味かっただけのインスタントあんかけかた焼きそばであって、そんな呪術的な効力は一切無い。
 
「んじゃー、提督にあったらどうするのさー?」
「ん……提督かぁー」

 肩をぺちぺちを叩く北上のお下げを軽く握った拳の猫パンチでいなしつつ、多摩は暫し考え込んだ後、ゆっくりと北上の背から離れてドアへと歩いていった。背中から離れた姉を黙って見る北上に、多摩はドアノブを掴んだ姿勢で顔だけ振り返って声をかけた。
 
「さぁスーパー北上にゃん、途中で提督を拉致って食堂で一緒にあんかけかた焼きソバ食べるにゃ。提督だったらきっとご飯奢ってくれるにゃ」
「いやぁ……多摩にゃんすごいなぁーってあたし思うのよねー」

 キリっ、とした相で北上を促す多摩の姿に、北上は感心しきりといった様である。自分の欲望に素直というか、裏表が無いというか、無垢というか、兎に角姉のこういったところは北上にとって本心から驚嘆するところである。
 隠れたがりで、素直になれない大井を近くで見ているから尚更だ。
 
「よし、速く作戦を開始するにゃ。あと、多摩にゃんじゃねぇにゃ」

 ドアを開けて廊下に出る多摩は、この鎮守府にあって普通の軽巡洋艦娘である。
 彼女自身は、自身をまったく普通の軽巡洋艦娘だと思っている。それに間違いはない。ないのだがしかし、その私生活と個性までが普通であるかは……それぞれの判断に委ねるとしよう。 
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