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乱世の確率事象改変

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不明瞭な結末の後に




 少女兵士達を殺すことに恐れを抱いていた兵士達が大半ではあるが、少なくとも一つの部隊だけはそれほど大きな衝撃は受けて居なかった。
 劉備軍の中でも一番突撃に優れ、一番勇猛に長けた男くさい兵士達……即ち張飛隊である。

 初めこそ動揺したモノの、彼らの切り替えは早かった。何せ、掲げる将である張飛――鈴々がいつも通り真っ先に踊りだしたのだから。

 蛇矛一閃、跳躍にて放たれた一振りで迫りくる少女を吹き飛ばし、彼女はまず道を作った。
 なんともいえない表情をしていたが、その意味を知らずとも鈴々に着いて行くのが彼らの仕事。常の戦と同じく追随すればいい。
 関羽隊や趙雲隊とは別行動として、纏まって戦う事を避けた結果が張飛隊の孤立、そして単体突破であった。

 鈴々がする戦場での動きは誰にも読めない。軍師がいればその言に従うも、彼女独自で判断した動きは肩を並べる将でも読み切れない。
 今回はどうか。
 敵の最中を真っ先に切り拓いて、背中を見せて遠くに走る。ただそれだけの行動に出た。
 しかして、“狩り”と判断していた南蛮兵達は鈴々の動きを見逃すはずも無く、その背に追い縋るように多くを動かすしかない。当たり前だ、突破されたとしても逃げる背を追わずして狩りとはいえないのだから。
 動物にしても人間にしても、集団で何かを追い詰める時は弱い者から狙うのは定石である。
 見た目も相まって、同じくらいの年に見える鈴々と引き連れる舞台が一番弱く見えたのであろう。

 その単純な判断こそ南蛮兵にとって最大の失策であるとも知らずに。

 結果的に見れば、鈴々の行動は味方の軍全体の被害を一番に減らした。
 各個の部隊としての動きは劉備軍として当然あり、それぞれの部隊と並んで連携行動を取る演習も積み上げてはいる。しかしながら愛紗にしても星にしても、優れた将であるが故に森という限定された戦場では互いの連携が取り辛い。
 一つ所に纏まって戦えば蹂躙されるしかない。三人の将が狭い範囲で指揮をしても些細なズレが生じてしまう。それぞれ最善と判断した命令が異なった場合、兵士達の躊躇い一つで被害が甚大なモノとなってしまうこともあるのだ。
 阿吽の呼吸は開けているからこそ出来る。よく見通せる目と状況判断の思考が重ならなければ、こんな狭い森の中では彼女達とて十全の力を発揮しきれない。
 単純明快な各個撃破出来る戦場を作り上げたという点で鈴々の働きは大きい。仲間が負けないという信頼あってこそだが。
 まさか抜けられるとも思っていなかった南蛮兵達は動揺を隠せず、さらには、張飛隊の一直線さを止められないと本能的に理解したらしく受け止めることなく背を追うことを決めた。

 例えば野生の猪がいるとしよう。
 猪如きと侮ることなかれ、彼のケモノの突撃は人が真正面から受け止められるモノでは無い。狼でさえ横から食らいつくか知恵を使って狩るというのに、どうしてひ弱な人間が止められよう。
 例えを変えるのなら遠き大地に生息するバッファローにも等しい。獅子でさえバッファローの突撃には恐れを為し、群れで漸く一頭を仕留める。
 突撃突破力は劉備軍随一で、魏武の大剣の部隊と似たり寄ったりな精強さ。荒くれモノ共の巣窟な張飛隊は、前を向くことでこそ力を発揮するのだ。

 ただ……鈴々がそれ以上深いことを考えているわけでは無いと愛紗も星も思っていた。
 それこそが間違いだと知るモノは、やはり此処には居ない。






 小さくため息を吐いた鈴々が血だまりの地面の上、どちゃりと音を立てて腰を下ろす。汚れることすら気にしない彼女の所作は苛立たしげに過ぎた。
 未だ武器を向ける少女達を見やりながら。死体の山の後ろから幾多の部下の視線を受けながら。感情が豊かに出る彼女にしては珍しく、表情から読み取ることは出来ない。

「……お兄ちゃんは此れのことなんて言ってたっけ?」
「……“釣り野伏せ”かと、張飛様」
「あー……確かそんな名前だったのだ。まあ、鈴々達がぶち抜いた後に仕掛けたわけだからちょっと違うかも」

 子供同士が血みどろで殺し合っていた戦場と言い表せば、哀しい光景としか思えない。しかれども彼らの将は何も気にしていない。普段通りの声音と仕草……それが怖ろしい。
 如何に張飛隊であろうともその異質さに若干の怯えが見える。
 鈴々が気にしていないから恐れを見せないだけで、内心は震えていた。
 少女でありながら将という存在の恐ろしさを、張飛隊は初めて知ったのかもしれない。
 戦であれば人を殺すことに忌避は非ず、圧倒的な暴力で制圧するその姿は人外にさえ思えてくる程。

「まだやるのかー?」
「ぅ……ふぇ……」
「むぅ、黙ってちゃ分からないのだ」

 言の葉を投げかけてみても返ってくるのは躊躇いだけで、呆れた、というように彼女はため息を零した。
 一仕事終えたわけだが余り疲れても居ない。大量に積み上げられた死体の山はほぼ全てが少女兵士達である。
 戦を行っているのだ。命を賭けているのは皆同じ。自分と似たような背格好であろうと其処に同情を挟む余地などない。というよりも、自分と同じ背格好だからこそ鈴々は何も忌避しない。

 彼女が悲痛な面持ちで戦っていた理由はたった一つ。
 話し合いさえ行えずに戦いになってしまったその一点。本当は争わないでもいいのではないかという疑問から来る……言うならば行き違いに対する悲壮である。
 そして、こと戦が始まり時間が経てばそれも薄れる。目の前の事柄こそが彼女にとって最優先となるのだから当然と言えようか。

 鈴々達の用いた策は単純明快。真っ先に切り抜けた張飛隊に追い縋った敵達、その者達を前と横から挟み撃ちしただけ。
 突撃して抜けた先で兵を伏せ、反転逆撃で鈴々が迎え撃つ。しばらく時間を持たせて後に伏せた兵士で攻撃をした、ということ。

 反転逆撃の先頭を切った鈴々の凄まじさは言うまでも無く、森の中という敵に有利な環境であっても彼女を止められるものなどいやしなかった。
 燕だと謳われてきた彼女の動きは少女兵士達如きが追いつけるわけがない。戦場の最中を縦横無尽に駆け巡りその跳躍に逃げ場無しとすら恐れられる燕人は、この程度の相手ならどれだけでも戦える。

「お兄ちゃんと雛里は……やっぱり凄かったのだなぁ」

 ぽつりと一言。寂しい音が森に溶けた。

 用いた策が彼女の戦いに合っていたというのも大きい。
 雛里の考案した釣り野伏せと、秋斗の知っていた釣り野伏せ。どちらも鈴々は聞いていて、徐州で袁術軍を迎え撃った時にどうすればいいかを懇切丁寧に教えられている。
 如何に物覚えがあまり良くないと言われる鈴々であれど覚えている。否、忘れるわけが無い。鈴々にとってあの戦は大切な最後の戦。秋斗とや雛里と共に戦った、“彼女が好きだった劉備軍”として最後の……。

 あの時は使うことなく終わった釣り野伏せ。しかし今回は……使ってみて驚くほど上手く行った。感嘆が湧くのは抑え切れない。共に戦っていた二人は鈴々に出来ない思考の成果をいつも与えてくれたのだ。
 チクリと胸が痛むのは二人が居ないから。本当は自分の力では無い、なんて感じてしまうのも詮無きかな。遣り切る実力を持ち、実行しようと決断したのは鈴々であっても。

 そんな内心を知るよしもない敵の少女達は、寡兵で多勢を崩壊させた彼女に心底恐怖を覚えていた。
 自分達のホームグラウンドである森で勝てないとなれば気勢は削がれ、圧倒的な武力を前にすれば諦観に支配される。
 隙を突けば、油断を誘えば、一度逃げて立て直せば勝てる……そういった思考さえ入り込めない程に打ちのめされていた。
 本能的に生きてきた少女達が取る選択肢は何か。こんな時は決まって一つだ。

「お前達、もうやめるのだ。このままお前達が全滅するまで戦っても鈴々達に勝てない事は分かってるはずなのだ。
 鈴々達はむやみに殺したくなんてないし、お前達の住処をこれ以上荒らしたくもない。
 まだやるっていうなら……」

 座ったまま脇に蛇矛を構え、少女達に向けて突きつける。唇を少し尖らせたまま、視線には殺意を乗せて。

「燕人の跳躍に逃げ場は無いのだ」

 カラン……と武器を地に落とすモノが一人二人。
 狩られる側と狩る側は既に逆転した。
 ケモノえあれば、死にたくないと最後まで抵抗し暴れるが……南蛮の少女達はケモノでは無くただの人間。
 強者がかける情けに憤慨するのは武人だけだ。己の武に誇りを持って、己が存在証明を輝かせたい武人だけだ。
 少女達はあくまで兵士で、好きに生きていたい南蛮の民である。生存欲求の方が優先される。

 戦う意思を無くした少女達の前、鈴々は汚れるのも構わずに大地に寝ころんだ。
 木々の隙間から切り取られた空を見上げて、大きな、大きなため息を吐いた。

「……例えお兄ちゃんだって……逃がさないのだ」






 †






 その場は鮮烈という他無い。
 木々の隙間に出来上がる死体、屍、肉塊。
 孟獲との戦闘は愛紗にとっても激しいモノであった。
 嗅覚なのか何なのかは分からないが、新兵の被害だけが増え続ける。軍の弱所をかぎ分けるのが異様に上手く、本能的な動きを以って連携でさえ崩される。
 慣れない森での戦い、とは言い訳に過ぎない。愛紗としても劉備軍一の部隊を率いているという自負がある。しかしながらやはり……見た目に対する甘さが抜けていなかったのは彼女が一番であろう。

 侮りではない。無意識の内に本気を出せないでいるのだ。否、非情になり切れていないのだ。一つ一つの判断が最善と思っていてもいつもより甘い。戦場では絶対に持ってはいけない優しさが知らぬ内に彼女の決断を鈍らせる。
 鈴々が作り上げたのは五分の状況。決して有利というわけではない。あくまで一個部隊が集中できる戦場を作り上げたというだけであり、個々の実力を信頼してこそ出来るモノ。
 理解する頭は持っている。だからこそ、愛紗は歯痒さを抑え付けて目の前の敵と相対している。

 白虎のような毛皮の衣服、ふにふにの肉球、愛らしい見た目は彼女の天敵に思える。平時であれば愛でたくて仕方なくなるだろう。
 だが瞳に燃える憤怒と人間を一撃で肉塊に出来る膂力は恐ろしいという他ない。単純な力だけならば鈴々をも越えそうではあった。

 その少女、孟獲からの被害を減らす為に、愛紗は真ん前を陣取って対応していた。
 一振りの剛腕が大地を爆ぜさせ、一度の薙ぎ払いが木々を吹き飛ばす。そんな孟獲の攻撃の全てを受け流し、逸らす。
 さらには少女兵士達の奇襲がそこかしこから飛んでくるのに、である。

 舞い踊るかのような動きを以って刃を一太刀も受けず、流れる黒髪に麗しさも力強さも乗せて、見つめる劉備軍の兵士達を魅了してやまない。
 矢も、石も、剣も、槍も……そして南蛮大王の大型武器さえも、軍神と称される戦乙女には通じない。
 非情になり切れずとも本気の武力はそのまま、戦を行えばいつも通りに彼女の舞台が其処に現れる。
 何時の間にか救援に来ていた趙雲隊の兵士達も、愛紗の舞踊に目を奪われていた。

「ぐぬぬぬぬ……なぁんで当たらないにゃぁ!」

 そんな大振りで当たるはずなかろう、とは愛紗も言わない。
 三人がかりでも勝てなかった飛将軍との戦闘よりこちら、愛紗も武を磨きに磨いた。
 そして嘗ての仲間が自分達の元を離れた時より……無意識でその男を頼っていた心に気付き、それを捨てた。

 薄氷の上で舞踏を刻むように、自らの命を対価に乗せて、しかして投げ捨てることはせず、劉備軍一の将として戦うことを選んだ。

 現在の所属武将では、武力は鈴々の方が上、柔軟さは星の方が上、器の広さは白蓮の方が上。
 ならば愛紗は如何する……答えは始めから分かっている。

 いつでも変わらないこと。
 いつでも愚直に、確たる芯を以って折れないこと。
 最後に……一度たりとて敗北しないこと。

 愛紗は劉備軍の中核で、己自身も皆も言葉には出さずとも認識を置いている。彼女無くして劉備軍は有り得ない、と。
 例えば魏の夏候惇のように。例えば西涼の馬超のように。例えば袁家の二枚看板のように。例えば孫呉の孫策のように。
 支柱として存在する武将であるが故、彼女達は負けてはならない。彼女達の敗北即ち軍の死、そして王の死と捕らえてもなんら違和感はない。

 掛かるは想いの重責。主の代替であるという使命と責務。双肩に乗るモノはいわば国そのものに等しい。
 それが彼女の力となり、彼女の武力を高めていく。主の為に、ではなく世の為に。それが桃香の願いであり、愛紗の願いでもあるのだから。

――孟獲、そして南蛮の者達……謝罪はしないぞ。

 言い訳を挟むことなく彼女は思考を回す。
 嘗ては受け入れられなくて拒絶した。かの洛陽で、彼を悪だと否定した。
 この現状はあの時と同じだ。一方的に誰かを悪と断じて戦に参加したあの時とほぼ変わらない。言葉を交わしたとはいえ、真実は未だに闇の中なのだから。

――謝罪は侮辱と同義。謝るくらいなら……初めから関わらないでおくべきなのだ。

 傍観者と詰られようと、誰かを傷つけるくらいなら動かないでおくべき。
 人が死ぬからには、結果として自分達が間違っていたでは済まされない。
 今なら、きっとあの時の彼の気持ちが少しは理解出来る。些か遅すぎたと自嘲が込み上げ心が沈んだ。

 “自分が救わんとする人”の中に目の前の少女達は入っていない。それは罪深く、愚かしい矛盾の事柄。
 自分達が間違っていたなら悪であり、勘違いから攻めてしまいましたでは終わらせられない。

――ああ、簡単なことだった。
 自分達は曹操と変わらない。従えるか諦観させるかの違いでしかなく、刃を向けた時点で全く以って同じなのだ。

 自責か、はたまた罪悪感か。憂う心がギシリと軋む。
 動きに乱れはなくとも、寄せられた眉根の深さが彼女の心を表していた。

――しかし……っ

 ただ、愛紗としても譲れない線がある。内心で頭を振って思考を端に追い遣った。
 笑止、と彼なら呆れるかもしれない。酷く滑稽に見えることだろう。だからこそ、いつしか彼と彼女……いや、劉備軍と曹操軍は戦わなければならない。
 小さく、自分にだけ聞こえる声で呟いた。

「争わずにいられると信じることは浅はかですか……結局争ってしまう私達に信じる権利はないと、あなたならいうでしょうか。
 従えずとも貴賤の別なく手を取って並べると……あなたはいつも説いていたはずなのに」

 こんな所で足踏みしている暇はないのだ。
 語って聞いてみたいことが幾つもある。自分には話す権利などないかもしれないが、それでも、この乱世さえ終われば彼とまた前のように、平和を目指す仲間でいられると思いたかった。

 せめて矛盾の塊のようなこの戦を終わらせようと、愛紗は偃月刀に力を込めた。
 無自覚で手心を加えていた自分に気付く。これならもう、終わらせられる。

「孟獲……これ以上は無意味だ」
「何を言ってるにゃ! お前は避けるばっかりで攻撃一つ出来ないじゃにゃいか!」
「攻撃出来ないとしないは違う。もう分かった。お前では私には勝てない」
「にゃっ!? 美以の力を見くびるにゃぁ!」

 犬歯を見せて怒りをそのまま、孟獲の大型武器が渾身の力を以って振り下ろされる。
 跳躍によって高まった一撃は大地を抉り爆ぜさせるのは先ほどから何度も見てきた。

 ただ、愛紗は大振りの一撃を避けるでなく、逸らすでもなく……青竜偃月刀の下段からの切り上げによって、孟獲の武器を叩き斬った。

 弾かれる小さな体躯。呆気に取られる少女兵士達と劉備軍の兵士達。ただの一撃で終わるとは誰も思っておらず、大地に倒れ伏した孟獲と髪を棚引かせる愛紗を交互に見るのみ。
 幾瞬、身体を起こした孟獲が己の武器を見て目を見開く。

「……っ」
「砕けた武器でまだやるか?」
「にゃ、にゃぁ……美以の虎王独鈷がぁ……」

 まさか壊れされるとは思いもよらなかった孟獲は涙目で武器を握りしめていた。
 戦う気概はその時点で薄まり、憤慨よりも悲哀の方が勝っているらしい。

「大王さま……」
「大王さまが負けたらミケたちじゃ勝てないにゃ……」

 そこではたと気づいた少女は、周りを見渡して顔を蒼褪めさせていった。
 幾多モノ死体、幾多モノ仲間の傷ついた姿、戦闘中は周りに目が言っていなかったらしく、孟獲は瞳一杯に涙を溜めた。

「にゃんで……にゃんでお前らはこんな酷いことするにゃぁ!」

 自分達から襲いかかって来たのだろうに、とは愛紗も言わない。戦をしているのだから当然だろう、とも言わない。

「美以達は悪くないのに、縄張りに勝手に入ったおみゃーらが悪いのに!」

 その言葉は真実だと、無言で愛紗は肯定した。
 例えば国によって法が違うように、彼女達が守る秩序は彼女達自身が決めているモノだ。それを守らなかった時点で悪いモノがどちらなのかは言うまでもなく。

「南蛮王、孟獲殿。言い訳はしない。
 ただ、あなた方の手で殺された兵士達もこちらにはいるのだ」
「そんなの知らない――――」
「私が叩き斬ったその武器で!」
「っ!」

 声を荒げた。森の全てに響き渡ろうかという程の大声は孟獲の口を噤ませる。

「殺された人間はもう帰って来ない。私の偃月刀で、兵士の剣で、槍で、弓で……奪われた命はもう戻って来ない」

 寂しい声が森に響く。誰も一切の言葉を発せずに、愛紗に全ての視線が集まっていた。

「お願いだ、孟獲殿。家族を思うなら武器を置いてくれ。
 あなたが戦うのなら私達は武器を持たなければならない。私達はあなた方と争いたくはないが、関わらずにいられるほど安穏としていられないんだ。
 昔のこと、そして今回のことを白紙に戻せとは言わないから、どうか……話を聞いて欲しい」

 傲慢だな、と内心で嫌気が差した。こちらの言い分を押し付けているに過ぎないと頭で理解していても、これくらいしか言葉を選べない。
 きれいごとを吐くのも嫌で、嘘をつくのも御免だ。愛紗は其処まで器用にも、賢しくも在れない。

「……まだ美以達は負けてないにゃ」
「……なら次はどれくらいの家族が死ぬと思う? どれくらいの人間が死ぬと思う? 全滅するまで、あなたが死ぬまで繰り返すのか?」
「ぐ……」

 孟獲の周りの少女達は不安気な視線を浮かべていた。挫かれた心は戻らない。一騎打ちで遣り合って敗北し、有利なはずの森の中でも勝利を納められない。そんな相手と何度も戦いたくはない。
 身の丈にあった獲物以上を狙うのは狩りでは無い。それは無理無謀というモノだ。

「死にたくないなら従えって……? 話し合いの余地もないじゃにゃーか。おみゃーらは言ってることとやってることががめちゃくちゃだじょ」
「……」

 言葉に詰まる。瞑目した愛紗はまた眉根を寄せた。
 しばしの沈黙の後、ゆっくりと瞼を開いた。

「従え、とは言わない。戦う前にあなたが言っていたように、私達はあなた達とおいしい食べ物を分け合うような関係になりたいんだ」
「美以達は家族だからおいしいモノを分け合うのにゃ。お前らは家族じゃにゃい。だから却下にゃ」
「ほう……そなた等の知らぬ未知の美味があるとしても、ですかな?」

 背後から掛かった突然の声。愛紗がくるりと振り向くと、其処には悪戯っぽい笑みを浮かべた星の姿。

「未知の美味?」
「ああ、知らぬのも無理はない。こんな森の中で暮らしているのだ。ほら、例えばこのようなモノをそなたは知っているかな?」

 腰に下げた小さなポーチを漁り、取り出したるは乾燥された兵士用の食糧。
 劉備軍なら、否、“あの店”を知っているモノなら誰でも分かるであろう非常食。

 パキリ、と二つに折った。次いで孟獲に投げ渡す。

「食べてみるがいい。安心してくれ、毒は入っていない。その証拠に私が半分食べてみせよう」

 受け取った孟獲は訝しげに星を見るも、警戒心を露わに匂いを嗅ぐのみ。
 ゆっくりと、サクサクと音を立てておいしそうに頬張る星は、腰に付けた水筒からお茶を一口。愛紗を横目で見てウインクを一つ。

「“かろりぃめいと”はやはり美味いな、愛紗よ」
「なんのつもりだ、星?」
「なに、助け舟を出してやったのだ。相も変わらず不器用だから見てられなかった」
「……お前はいつも一言多い」
「許せ、性分だ。それより見ろ、孟獲殿は食べてくれるようだ」

 正直な話、これ以上進展させることは望めなかった愛紗にとって、星の介入は頼もしかった。
 言われて視線を戻した先、ずっと匂いを嗅いでいただけだった孟獲がギリギリと歯を噛みしめた。
 食べたい、というのが透けて見えるような表情。しかしいろいろと発言した手前、素直に食べるのも癪らしく。

「おや、食べないのか。なら返して貰おう」
「ちょ、ちょっと待つにゃ!」

 ぐぬぬ……と不満ありありで唸る。チラチラと興味ありげに見やる少女兵士達は、折ったことにより溢れてきた甘い匂いによだれを垂らすモノが数名。
 戦の後では腹も減る。其処に美味しそうな匂いと食べてもいい許可を突き付けられれば……我慢する方が愚かしい。

「お前達、持ってる“かろりぃめいと”を半分に折って渡してやれ」

 当然、劉備軍の兵士達には行き渡っている。だから、と愛紗は少女達にも行き渡るように指示を出した。
 若干の兵士達が不足気に唸った。大切なおやつを渡すとなれば渋るのも詮無きこと。ただ、命令とあれば聞くしかないので、一人、また一人と少女達に渡していく。
 おずおずと疑いながらも受け取った少女達も孟獲と同じように匂いを嗅ぐが……孟獲が食べていないので我慢するしかない。
 食べないの、とでも言いたげな視線が孟獲に向けられる。そんな目で見るなというように孟獲が少女達を見回していた。

――先程まで戦ってコロシアイをしていたはずが、なんとも可笑しなことよ。なぁ、愛紗。

 口には出さないが、星は不思議と此れが劉備軍らしいと感じた。
 桃香や秋斗が此処に居たらどうするかと考えていた星であったが、食事の話を愛紗が持ち出してくれたからいい案が浮かんだ。

――食事とは和、か。あなたの言った通りのようですな、秋斗殿。それに愛紗もなかなか、やはり劉備殿の義妹と言うべきか。

 懐かしい思い出を振り返り、星の頬が僅かに緩む。
 そして兵士達にも分け与えろという辺り、愛紗と桃香の共通性を垣間見た気がした。

「し、仕方ないから食べてやるにゃ」

 ゴクリと生唾を呑み込み、覚悟を決めた面持ちでじっと見やる孟獲。周りの者達も言葉さえ忘れて見入っていた。
 あーん、と愛らしく開いた口にカロリーメイトが放り込まれた。

「……っ」

 咀嚼して直ぐに蕩けた。今まで食したことのない甘いお菓子に堕ちないわけがなく。少女達もそれを見て急ぎ口に運び、堪らず蕩けてもはやお菓子の虜だった。
 もはや戦う気力など完全に失せた。曖昧でグダグダにぼかされた空気は真剣な話をするには不十分。星も愛紗もそれを感じ取っていた。

「あ! なんでみんなしてお菓子食べてるのだ!? ずるいのだ!」
「おかえり、南蛮のモノ達に持分の半分を分けて食べているだけだぞ?」
「え……そ、それじゃぁ鈴々の分が減っちゃうのだ」
「なんだ、鈴々は自分だけで美味しいモノを独占する酷い奴だったとは……店長も秋斗殿も悲しむな」
「そんなこと……むぅ、一個しかないのに」

 時機がいいのか悪いのか、鈴々まで帰ってくれば余計にうやむやになるだけ。
 他愛ないやり取りの後、鈴々も戦っていた南蛮の少女達に不満そうにしながらも分け与え、とりあえずの所はひと段落といった様子。 

――これでいいのか? 何も解決していないが……。

 疑問が頭に浮かぶも愛紗は首を振って追い払った。
 幸せそうにお菓子を頬張る孟獲や鈴々を見ていたらどうでもよくなった。

 鬱屈に支配された思考も、血生臭いコロシアイの跡も……。
 憎しみの感情が薄いのか、はたまた家族の死よりも優先されるモノがあったのかは分からない。それでも、南蛮との関係には少しばかりの希望が見えた気がした。

 中途半端だが、それでもこれ以上血を流すよりは断然いい。
 其処にだけ安心を感じて、愛紗は透き通るような青空を見上げた。

――きっとあなたと戦えば……こういう終わり方は出来ないのでしょうね……秋斗殿。


























 †







 凱旋というには仰々しくない帰還を終え、三人は益州の本拠地に戻った。
 戦後報告と処理の事務仕事を買って出た愛紗と、兵達のまとめを引き受けた鈴々とは別に、星は街へと繰り出した。
 星の後ろには四人の少女がついて来ていた。といっても、桃髪の少女だけは星が背中に背負っていたが。
 猫耳やふにふにの肉球を付けた少女達は愛らしく、人の目を惹いてやまない。

「本当に美味しいモノはあるんだろうにゃぁ?」
「ああ、まだ建設途中ではあるがそろそろ厨房は出来ているだろうし料理くらいは出してくれる。なに、出来ておらずとも城に行けば食べ物はあるさ。なんならそこいらの出店で買い食いしてもいい」
「お菓子もあるー?」
「ミケはお肉が食べたいっ」
「むにゃ……シャムはぁ……何を食べようかなぁ……」

 南蛮との友好を結ぶ上で最低限必要だったのが食の問題。美味しいモノを分け与えると示した以上は、彼女達が満足できるほどのモノを用意せねばならない。
 鈴々と愛紗の二人に戦後の処理は任せて、星は南蛮のご機嫌取りを選んだということ。
 まだ疑心半分の孟獲とは違い、他の三人は既に星に打ち解けていた。
 少女故に単純だったのだ、彼女達は。同じ顔の者達が死んだというのに憎しみ等の負の感情を引き摺らないのは不思議ではあったが、そういうモノと納得するしかないのが現状である。

 孟獲が打ち解けないのはきっとそのせい。彼女だけが違うからこそ、家族と呼んだモノの死に対して思う所があるのだろう。
 初めて見る街に目を光らせている三人の少女を相手しながら、星はゆったりと孟獲の隣を進んで行く。

「どうかな、孟獲殿」
「人がいっぱいで鬱陶しい。木や草がないのも落ち着かないにゃ」
「それは致し方なしと呑んでくれ。別にそなた等に此処で暮らせとは言わんよ。我らには我らの、そなた等にはそなた等の生活があるのだから」
「ふん……まあ……思ったよりも楽しそうに生きてる人間が多いのには驚いたにゃ」

 唇を尖らせてそわそわと身体を揺らしている孟獲は一つの店に視線を固定させたまま。つれないな、と思いながらも星はその店に近付き、お代を払って五つの団子を買った。

「ほれ」
「む……別に欲しいなんて言ってないじょ」
「ありがとう!」
「食べていいの?」
「いただきまぁす」
「こ、こらっ! お前達! 美以が先に食べるのにゃ!」

 きゃいきゃいとはしゃぐ少女達に気が緩む。
 いいものだ。ゆっくりでいいから、一歩ずつ関係を進めて行こう……とても穏やかな心でそう思った。

 だからだろう……“遠くの喧騒”に苛立ちを覚えたのは。
 だからだろう……優先事項がある今の状況なら警備隊に任せてもいいはずなのに、自分で止めに行こうなどと思ってしまったのは。

「うみゅ? なんかあっちの方が騒がしいにゃぁ」
「喧嘩の空気がするー」
「やっぱり街の人間はダメダメなのにゃ」

 いいモノを見せたくても、人には悪い部分も必ずある。
 だから彼女達に見せてしまう確率も存在したはず。
 自分に言い聞かせるように、星は彼女達に向けて不敵に笑った。

「そうさ。人が集まれば悪いことも起きる。それを止めるのが私達の役目。平穏な日常での諍いなど誰だって見たくないから……済まないが少し行って来る。警備隊のモノに城への案内は任せるから、先に向かっていてくれ。直ぐに追いつく」

 言うが早く、近くを見回っていた警備隊の一人に声を掛け、星は孟獲達を置いて現場へと駆けた。

 近づくに連れて多くなっていく人、人、人。
 野次馬が圧倒的に多いその場所の中心には、益州に来てから知り合った将である魏延――――真名を焔耶が武器を手に、刃物を持って子供を人質にしている男と相対していた。

「ち、近づくんじゃねぇよ!」
「貴様ぁ……人質を取るとは卑怯な!」

 自分も出よう、と思った矢先……別の場所から声が上がり星は声を呑み込む。

「あー……知ってるか? 追い詰められた先で取る手段の内、人質ってのは悪手中の悪手なんだぜ」

 質素な七分丈のズボンと草鞋、如何にも民の様相をした背のひょろ高い男が一人。ゆるい足取りで人波の輪から歩み出てくる男から目が放せなくなった。
 色眼鏡を掛けているので顔の造形はよく分からない。ただ、口元に張り付けている薄ら笑いに何故か懐かしさが込み上げる。

 何処かで聞いたことのある声。街のモノにあんなモノはいただろうか。自分達の兵士の部隊長に、あんな男は居ただろうか。
 休暇中の兵士のうち誰かかもしれない、と星は思った。しかし……早鐘を打つ心臓が焦燥感を欹てる。

「誰だてめぇ!」
「おい! 危ないから近寄るな! ってお前! 聞いているのか!」

 刃を持った暴漢と焔耶から同時に声があがる。武器すら持っていない男は意にも返さずゆったりと歩みを進めた。
 一丈半程の距離を取っていた焔耶と暴漢に対して、その男は三竦みのような位置でピタリと足を止める。
 焔耶の言葉も怒気も、暴漢の言葉も視線も、全てを無視してその男は……泣き出しそうでも涙を堪えている人質の少女に向けて色眼鏡をずらしてから、綺麗に笑った。

「お前さんは強いな。もうちょっとだけ我慢してくれな。目ぇ瞑っとけばいい。大丈夫、直ぐに終わる」

 瞳を合わせた少女は、言われた通りに目を瞑った。その男を信じるというように。

 嗚呼、と星は嘆息を零した。
 身体が震えた。
 心が震えた。
 他の声は何も耳に入らなくなった。

「な、何してやがる! こいつがどうなってもいいのか!」
「何をするつもりだ! 下手なことをするな!」

 未だに喚く二人を置いてけぼりにして、その男の口元から不敵さが溢れた。

「クク、任せておけないんでね。俺の方が上手く救えるのなら俺が動けばいい、そんだけだよ」

 ゆるりと右手を頭の横に、左手を前に着き出して何かを守るように空間に添え、腰を低く落としたその男の構えを、星は知っている。
 握られた拳には何かを持っていたはずで、口元に浮かべた緩い笑みは自分にも向けられたことがあったはずで。
 見間違えるはずが無い。ずっとずっと、その男のことを見てきたのだから。

 次に何をするかも、どう動くかも、彼女は全て知っていた。


 一重、二重と刻が重なる。誰も声を発することのない空間に、一陣の風が吹き抜けた――

「ぐぁっ!」

――瞬間、暴漢が斜め上に吹き飛んだ。
 刃は少女の肌を掠りもせず、男の腕は急な衝撃によって弾き飛ばされ、見事に脅威だけが去った。
 やはり、と思う前には終わっていた。動きを目で捕えられたのは星しかおらず、街のモノ達も焔耶もポカンと呆けたままであった。

「おっと」

 いつの間にか移動していた男は人質の少女のすぐ側、反動で一緒に吹き飛ばされないようにと肩に手を置いて。
 目一杯に涙を溜めた少女の頭をグシグシと撫でた後、

「うん、もう泣いていい。よく頑張った。助けようとしてくれた姉ちゃんに抱きついて泣いちまえ。
 さて……後は任せたぜ」
「……はっ! ま、待てっ!」

 焔耶の肩をポンと叩いたその男は何も言わずに人ごみの中に溶けて行った。
 振り向いた時にはもうおらず、影もカタチも見当たらない。

 そのモノの跡を終えたモノは、ただ一人。
 人ごみを抜けた先、人通りも少なくなった場所でその背を追う。
 ただ走った。ただ駆けた。ずっと会いたくて仕方なかったから、ずっと心配でならなかったから。

 余りに少なかった言の葉。余りに多かったすれ違い。その全ては遠い過去。

 今、此処に居るという事実が……星の心を突き動かした。

 振り向いた瞳の色は、色眼鏡に隠されて見えることは無い。
 驚きだけが浮かぶ表情に、僅かばかりの嬉しさと懐かしさを感じて。

 思うまま、心のままに……星は“彼”の胸に飛び込んだ。

「うぉっ」

 このままでは倒れる。構うモノか。誰が見てようがもう知らない。
 敵になった。知った事か。目の前に現れる方が悪いのだ。

 堰を切った感情の渦が、いつでも冷静であろうとする星の心を押し流した。
 こけた拍子に外れた色眼鏡、その下にあったのは、やはり黒瞳。優しさが奥に感じられる輝きに、彼女の胸が締め付けられる。
 間違えるはずがない。誰有ろう、ずっと慕っていた彼のことを。

 聞こうと思っていたことも、言おうと思っていた事も全て吹き飛んでしまった。

 だから彼女は……いつもは浮かべない優しい笑顔で、たった一つずっと言いたかった言の葉を彼に送った。

「……おかえり……“秋斗殿”」




 一寸、目を見開いた彼の困惑に星は気付かない。嬉しくて嬉しくて気付かなかった。

 泣きそうになった意味も、星は気付かない。敵だから仕方ない、と思っていた。

 いつもなら返してくれるはずの言の葉は、返って来なかった。 
 

 
後書き
読んで頂きありがとうございます。

南蛮終わりです。
中途半端ですが蜀√らしさを出せていたら幸い。
かなりのご都合主義ですが、原作での設定である、「美味しいモノをたくさん食べたい」という美以ちゃんの野望を最優先して考えるとこんな結末にしかならないと思いました。
あくまで恋姫の二次なのでご容赦ください。


正直メインは最後の方です。


次はこのまま続きですが、主人公側の視点です。

ではまた 
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