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ダンジョンに出会いを求めるのは間違っていた。

作者:デュースL
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第四話

 かつて、祖父は僕に言った。

『オラリオには何でもある。行きたきゃ行け』

 と。
 続けて祖父はたくさん蓄えた顎鬚を撫でながら言った。

『オラリオには金も、名声も、力も、可愛い女子(おなご)との出会いも、何だって埋まってる。何だったら女神のファミリアに入って眷族になっちまうのもありだ』

 傍から聞いたら「何言ってんだ?」と思われる内容でも、僕の祖父は冗談めかしに言いながらも、どこか懐かしむように、そして名残惜しそうに、夢を託すように語った。
 祖父の隠れた意思を感じ取れたからこそ、僕はその話に夢を抱き、追いかける勇気を手に入れたのかもしれない。

『英雄にだってなれる』

 祖父が与えてくれた本に載っていた、僕の憧れてやまない存在。僕には夢のまた夢、届くはずの無い高嶺の花に等しいと解っていながらも、どうしても手を伸ばしてしまう、どうしても背伸びをしてしまう、そんな存在に、僕がなれる。
 英雄譚で活躍する英雄は十人十色だ。一騎当千の強者もいれば、仲間との絆を深め合い強敵を倒す英雄だっている。なら、僕みたいな弱そうな人でも、英雄にだってなれるかもしれない。
 
 そして、祖父は重ねて語った。

『そうじゃな、ワシが知っとる一人の英雄の話をしてやろう。その英雄はただの女子だった。本当に何の才能もセンスの欠片も無い、凡才の中の凡才じゃった。色々あってオラリオを彷徨ってな。最初は誰も相手にせんかった。そんな中でたった一人の女神が、その女子を拾った。女子は自分の命を助けてくれた恩を胸に冒険者になった……。まあさっきも言ったように、まるで才能が無いからな、後から冒険者になった奴らの方が早く精進した。でもな、その女子は決して諦めなかった。己の身の程を呪うことはあれど、ダンジョンに潜り続けたんじゃ』

 どうして? だって、ダンジョンって凄く危ない場所なんでしょ? なのに何で? そう僕が問うと、祖父はわずかに目を細めて言った。

『覚悟だ。自分を助けてくれた女神のためだけに尽くしたいと、心の底から望んでいたからだ。その女子が冒険者になって大体三十年くらいかの、色々あって当時で最もレベルが高かった者を追い抜いたんじゃ。それでも飽き足らずひたすら挑み続けること更に三十年、遂に誰も辿り着けないと信じて疑わなかった領域に片足を突っ込んだ……』

 しみじみと呟き語調は空気に溶け込んだ。僕の大好きな英雄譚を聞いているはずなのに、なぜか心の高揚は無かった。何でだろうと首を捻ってみればすぐに解った。
 地味すぎ。それに、活躍するのに長すぎ。
 確かに前人未到の領域に辿り着いたのは冒険者になってから六十歳。祖父みたいな見た目になってやっと英雄になれた。でも、それはあまりにも気が遠い話じゃないか。どの英雄譚も一年以内に完結するものが多いのに、その英雄は六十年も掛けて完結させた。それじゃあ途中から飽きちゃうよ。
 僕がそう言うと、祖父はいいかと諭すように前置きを置いて言った。

『確かに長い。普通のヒューマンが人生のほぼ全てを擲ってようやく完結した。でもなベル、その女子は世界中に知らしめたんじゃ。誰にでも英雄になれることを。まあ、あやつは死ぬその直前まで納得いってなさそうじゃったがな』

 何の才能も無い女の子が、世界中に称えられるほどの大英雄に。その言葉の響きは、僕の心に途轍もない衝撃を与えた。確かに長かったのかもしれない。確かに辛かったのかもしれない。でもその女の子は諦めずに進み続けたんだ。そして、誰もが憧れる英雄になったんだ。
 
 僕は無自覚に興奮しながら僕にもなれるかなと訊ねた。祖父は淡々と告げた。

『言ったろう。誰にでもなれると。だがベル、勘違いしてはならん。誰よりも英雄になることを望んだ奴が、英雄になるんじゃ。誰もが誰よりも英雄になりたいと願うから、誰もが英雄になれるんじゃ。ベル、お前にはその覚悟があるか』

 是非も無かった。大きく頷いて、その女の子の名前を聞いた。祖父はその時初めて、豪胆に笑って教えた。まるで自分の憧れる英雄を誰かに紹介するように、無邪気な笑みで。

『クレア・パールス。全くバカな奴じゃったよ』



 唐突に蘇ったその記憶はきっと、走馬灯と言うやつだろう。

「ほあああああああああああああああああああああああっ!?!?」

 脇目も振らず恥ずかしがることなくなりふり構わず絶叫しながら(ベル)はダンジョン第五階層のどこかを走り回っていた。
 訂正、逃げ回っていた。

『ウヴォオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!』

 並みの冒険者ならばはだしで逃げ出す迫力を有しながら、そのモンスターは荒縄のように筋張った方と腕を隆起させ、踏み出された一歩によって蹄型に地面が陥没した。筋肉質な巨大な体に赤銅色の体皮。モンスターの代表格にも数えられる牛頭人体のモンスター《ミノタウロス》だ。

「な、なななななんでえええええ!? なんでこいつがこんなところにいいいいいい!?」

 前述の通り、ミノタウロスはモンスターの代表格を誇る強さを有している。その程はLv.2。下級冒険者と上級冒険者の境を別つ鬼門。
 そんなミノタウロスが何故か下級冒険者たち御用達の第五階層に現れ、僕のことを見つけた瞬間猛烈な勢いで追いかけてきた。気のせいかもしれないけど、このミノタウロスも物凄い必死のように見えた。きっと僕の目があまりの自体に幻覚を見たんだ。そうに違いない。

 僕はミノタウロスと運命的な出会いを果たすためにダンジョンに潜り込んだ訳じゃないんだぞ! 僕は可愛い女の子と運命的な出会いを果たすために潜ったのに、もう僕の運命はお先真っ暗だ!

 僕のブーツが荒々しく床に砂埃を舞わせて忙しく動くけど、すぐ後ろから迫ってくる赤鬼(ミノタウロス)が踏み抜くたびに五階層全体を揺らしてると思わせるほどの振動と悪魔の足音のハーモニーを奏でて僕を誘っている。
 ばっと振り返ると猛々しい二本の角の付け根あたりにある双眸がこんなことを語りかけてきた気がした。

 さあベルよ、俺と一緒にあんなことやこんなことをしようじゃないか。

「ふざけるなああああああああああああああああああ!!!!!!! 」

 ダメだ、もうおしまいだ! 僕の人生運命とか以外にも思考回路そのものがおしまいしちゃってる!! Lv.1の下級冒険者たる僕が歯も立つわけないじゃないか! 
 自分の命の危機なのに、こんな理不尽な状態に対して何だか腹が立ってきた。もう思考が滅茶苦茶なせいで、僕は第五階層のどこにいるのかすらも把握できていない。というか今日は調子が良くて、この調子ならと魔が差して足を伸ばしたばかりの地形だ。解るはずも無かった。

 でも、そんな僕にも僥倖が訪れた。階段だ! 上り階段が僕の目の先にあるぞ! しかも上り階段! ミノタウロスに遭遇しておいて何だけど運が良い! 第四階層より浅い階層なら僕は慣れ親しんでる、体で覚えた道順でこのまま逃げ切るぞ!!
 わずかな希望が見えた瞬間にみるみる体から体力があふれ出てきて、エネルギー全開で猛ダッシュする。
 あと五秒もあれば階段に着く! そんな瞬間だった。

 その階段から女の子が駆け下りてきたのは。
 
 流麗な黒髪を背中の中ほどまで伸ばしていて、急いで駆け下りてきたから髪がなびいている。くりっとした大きな目に小さな鼻、薄い桜の唇と細いラインを描く体。女性の象徴はまだなりを潜めているけど、それは女の子の外見年齢的に考えてまだ成長していないからだろう。
 将来大人になった姿を楽しみにしてしまうほどの美少女だ。それも、超可愛い系の黒髪美少女。

 やった! 僕にも素敵な出会いがあったんだ! いやちょっと待て僕の今の状況忘れて何冷静に女の子を観察してるの!? 

「キミ────」

 ミノタウロスに追い掛け回されている事態に巻き込みたくない。非常に口惜しいが、その可憐な顔は完璧に覚えた。ダンジョンを無事に抜け出したら是非一声を……じゃなくて! 早く逃げてくれ!! と叫ぼうとしたが、僕の喉がひくりと痙攣して声を発せ無かった。

 なぜなら、その少女の後ろから赤銅色の猛々しい二本足が見えたから。
 階段から駆け下りてきた女の子とばっちり目が合い、そして叫びそこなった僕の代わりに鈴が転がるような声で叫んだ。

「私と同類だ!! 一緒に逃げよう!!」

 ばっと翻って向かって左に方向転換してあっという間に駆けていく女の子の背を追うように階段から姿を現したのは、僕の真後ろにいる奴と全く同じ姿をしたモンスター。

 またお前かあああああああああああああああ!! ミノタウロスゥウウウウウウ!!

 全力で心の中で絶叫を上げ、同時に思った。

 嗚呼、おじいちゃん、女の子とこんな出会いを果たすなんて、ダンジョンに出会いを求めるのは間違っていたよ。



 アイエエエエ!? ナンデ!? ウシサンナンデ!?
 心の中で大絶叫を迸らせながらすたこらさっさと逃げる私は、真後ろから地響きをさせて獰猛に咆哮を上げながら迫ってくるミノタウロスに一瞥くれてやる。

 何、いまどきの冒険者ってミノタウロスをLv.1で倒しちゃうような時代なの!? それってあまりにも標準高くない!? コボルドとか出番無くなっちゃうよ!? 十三歳のクレアがこの環境に突入してたら間違いなく死んでたね。まあセレーネ様に命じられない限り意地で生き延び続けるんだろうけど。
 ずいぶん前の話だから不明瞭だけど、確かミノタウロスはLv.2にするにはステイタスが高すぎて、Lv.3にするにはステイタスが少し足りないって感じで、結局なんだかんだでLv.3として知られていたはず。出現する階層は二十〜十五階層あたりだった気がする。何にせよミノタウロスが駆け出したちの聖域たる第一階層に出現するのは絶対間違ってる。

 考えられる可能性としてはミノタウロスを押し付けられたぐらいか。でも最低でも第十五階層から一度も狙いを外されずに逃げ続けてこないといけないし、そもそもミノタウロスと邂逅する十分前まで誰ともすれ違わなかったし……。

 おいおいダンジョンさん大丈夫ですか? 私、前世の記憶を持ってるから緊急事態でもこんな態度を保ってられるけど、駆け出し新品の人だったら間違いなく死んでるんだよ? ダンジョンさん、俗説通り生きているならこのミノタウロスを早急に駆除していただけませんかねぇ……。

 無いものねだりをしたところで、私の未熟な敏捷ステイタスが災いして徐々にだが、確実にミノタウロスの巨体が迫り来ている。うっわ、ミノタウロスってこんなに怖かったっけ? おぼろげな記憶にあるミノタウロスと少し違うんだけど。

 仕方ない、まだ勘を取り戻せてないけど、やるしかない!

『ウヴォオオオオオオ!!』

 ダッシュしていたところを急激にUターンしてミノタウロスと対峙する。どしどしと迫るミノタウロスはようやくちょろまかする獲物が観念したかと思ったのか、一際猛々しい雄たけびを上げて姿勢を低くし勢いのまま突進してきた。

 猛スピードで迫りくる強靭な角と筋肉を前に、私は呼吸とタイミングを合わせて、記憶にある感覚のまま右手をミノタウロスの額に叩きつけた。
 
 普通の駆け出しLv.1冒険者だったらここで腕の骨が木っ端微塵に粉砕されて千切り飛ばされ、もれなく二つ角で仲良く串刺しにされるところだろうが、前世の人生ほぼ全てを捧げて研磨した私の技術は一味違う。
 
 まず、掌に鎧と間違えるくらい硬い筋肉の感触と火傷をしそうなほど発熱した感覚を覚えた。そして次に襲い来る衝撃が私を粉砕せんと掌に殺到してくる。このままでは本当に砕けてしまう。
 だからその瞬間にくっと手を僅かに引く。そうすると受けた衝撃が掌を通って腕に伝わる。そのままではまずいので更に筋肉と骨を連動させて肩、腹、腰、脚にウェーブ状に伝わらせて、最後の足先を躊躇わず地面に叩きつけた。

 瞬間、私を中心に巨大なクレーターが発生した。ばぐん! と轟音を響かせ辺り一面の地面に地割れが走り陥没する。
 そして、完璧に獲物を捕らえたと有頂天になっているであろうミノタウロスは、絶賛私の頭上で宙返りになって、虚空に脚をばたつかせている。私が勢いのまま走ってくるミノタウロスの脚を引っ掛けたのだ。もちろん襲ってくる衝撃を地面に逃がして、だ。

 クレア時代で大体七十歳前後のときに体得した体術、名づけて【水連】
 内容は至ってシンプル。貰った衝撃をどこかに受け流すだけ。言うは易し行うは難し。完璧に成功させないと体内で衝撃を炸裂させる羽目になるからかなり咄嗟のときにしかやらなかったけど、めちゃくちゃ便利な技だ。まあ、こんなことが出来ちゃうのもめちゃくちゃなんだろうけども。
 でも才能がからっきしと言われたクレアでも出来たのだ。才能ある武人や冒険者なら、やろうと思えば五年とかで体得できそうな気もする。ただ誰もこんなヤバイことしようと思わないだけで。

 この技を習得するきっかけになったのが、私が単独で各階層の完全なマッピングをしていたときだ。前に私が最後に切り開いたのは五十階層と言ったはずだけど、それは私がマッピングを完了させた階層の話で、実際はもっと深くまで潜ってる。マッピング度外視するなら六十階層まで潜った覚えがある。少しうろ覚えだけど。
 まあLv.10になってから控えようという話になったけど、やっぱり日々の稼ぎが無いと色々辛い面もあったし、それに私の後に続く冒険者のためにダンジョンの詳細な情報を集めてギルドに提供しようと思いついた私が取った行動が、完全なマッピングとモンスターリストの製作である。
 ここでは詳細を省くけど、そんな自分が全く得もしないことに付き合ってくれる人はいなかったからソロで続けていれば、当然多対一の場面も多く訪れるわけで、その戦局を覆すために今までの経験と感覚を元に編み出した技だ。本来はモンスターから貰った衝撃を違うモンスターに叩きつけるのが正規法だけど、今みたいに強引な護身法にも使える。

 勢いと衝撃を全て地面に逃がされたミノタウロス君を持ち上げるのは造作も無いことで、もう一度おでこを下向きに押してやると簡単に空に舞わせることが出来る。それが今のミノタウロスお空散歩事件の正体だ。

 でも誰も見て無くてよかった……。言っちゃアレだけど、見た目十三歳の女の子が使えるような技じゃないからね……。変な噂とか流されたら色々と厄介だ。ばれないことに越したことは無い。

 よし、ミノタウロス君も背中からどしんと綺麗に着地したことだし、私はその隙にさっさと逃げよっと!

『ウウウウウウヴォオオオオオ!!!』
「ちょ、立ち直るの早!?」

 忘れてた、前世の私は化け物ステイタスがあったから素手の攻撃でもモンスターに有効だったけど、今の私にはそのステイタスはからっきし無い。ミノタウロスにとっては地表2mから落ちただけだ。そりゃダメージ無いわ。
 
 ていうか、それじゃあ私はいつまでコイツと追いかけっこしないといけないの!? 【自然治癒】があるとは言え、そこまでハイペースに回復するわけじゃないから今の【水連】だけで怠惰感が凄いんだけど……。めっちゃ集中したから余計に疲れてるし……ペース配分間違えてるよ、絶対。
 さすがに十五階層まで連れて行ける余力は無いぞ……せいぜい五階層か六階層、その辺りでたまたま帰投中の上級か中級冒険者に助けてもらうっていう選択肢くらいしかない。私とミノタウロスの足の速さの比はさっきの通り、向こうに部があるせいで撒くことすらできない。このときばかりは前世のステイタスが欲しくなる……。

 とにかく諦める訳にはいかない! 私はセレーネ様に会うまで死ぬわけにはいかないんだ! うおおお! それだけで活力が漲ってきたぞ! 全力逃避行だ!



 なんか、階段下りた目の前から真っ白な髪に真っ赤な目をした兎のような印象を受ける少年が、私の鏡写しみたいな感じで必死の形相で逃げてきてるんだけど。

「私と同類だ!! 一緒に逃げよう!!」
「ほげええええええええええええええええええ!!??」
『『ウヴォオオオオオオオオ!!』』

 絶叫咆哮大合唱。私を先頭に兎の少年、肩を並べて仲良く追いかけてくるミノタウロス二頭。何だこのカオスな絵面は。ちょっと傍観者になって見てみたい。
 アホなことを考えてないとやってられない状況で、少年は物凄いスピードで追い上げてきて私の隣に並んだ。

「キ、キミ!! 危ないから早く逃げて!!」
「現在進行形で逃げてる!!」
「違う! 僕があいつらを引き受けるから、キミは逃げて!」

 ちょ、本気で言ってるのかい少年!? 言っちゃ悪いが少年、キミも私と同じLv.1の冒険者だろ、それは自殺にも等しい行為だよ!? というか、私がキミにミノタウロスを押し付けるためにこの階層に踏み込んだみたいになるじゃん! 絶対嫌だ!

「嫌だ! 私も一緒に逃げる!!」
「ええ!? 普通逃げ出すでしょ!?」

 何で提案するキミがそこに驚くんだ!? 普通一緒に逃げてくれてありがとう的な返しが来ると思うでしょ!? いやそのお礼の内容が頓珍漢なのは置いといて。
 とにかく断固としてこの少年を見殺しに生き延びようだなんて考えない。私は押し付けられる辛さを知っているんだ。あの重圧感と言ったら無い。私のレベルが高かったから良かったけど、Lv.4とかLv.5とかだったら間違いなく死ぬだろっていう押し付けされたことあるからね。具体的に迷宮の弧王(モンスターレックス)を擦り付けられた時。

 しっかし、このままだとマジで二人揃って死んじゃうぞ……。いくら私に発展アビリティが備わってるからといって、それは前世の私のようにオールSではなく、オールIだ。効果はほとんど見込めない。あればマシっていうレベル。
 あと得物の質が悪いせいで、そもそもミノタウロスに攻撃が通用しないのも痛い。鏃が食い込むくらいだったらミノタウロスの胸に埋め込まれてる魔石をぶっ壊して無効化できるけど、鏃が筋肉に弾かれてしまうとなす術が無い。
 そして私が持っている唯一の攻撃魔法【アルテマ】もダメ。体に溜まってる精神力(マインド)を全部解放して発動させるあの魔法は最大で二階層を残らず全部吹っ飛ばせる威力を誇る。尤もそれは全盛期の頃の話で、基礎アビリティが振り出しに戻った今の私にそんなバカ火力は出せないだろうけど、最低でも半径50mを()()()()魔法だから無闇に撃つと、着弾地点の上下の階層にいる冒険者も巻き込みかねない。それに【アルテマ】自体私自身嫌いな魔法だから使いたくない。

 私の中でぐるぐるあれやこれやと意見が飛び交うが、ことごとくと一蹴される。結局辿りつくのは下の階層に下がれるだけ下がって、強い冒険者に助けを求めるくらいだけだ。

「少年! まだ走れる!?」
「しょ、少年!? う、うん、何とか!」

 しまった、また私が小さい女の子というの忘れてた。それは驚く。今度から口調も直していかないと……。
 妙なところで鬱になりかけてる私に渇を入れるように、真後ろまで迫る二頭の猛牛に吼えられ背中を押される。

「そしてキミ、私より足が速いんだから、構わず逃げて! わざわざ私に合わせなくていいから!」

 さっきの脱兎の如しスピードは収まり、私の隣よりやや後ろでキープするように走る少年の気遣いは凄い嬉しいけど、まずはキミ自身の身の安全が優先だ。
 私がそう言うと、今にも涙が滲んでしまいそうな深紅の瞳が急に表情を変えて、決意と憤慨の色を湛えた。

「ダメだ!! 女の子を見捨てるくらいなら僕は死ぬ!!」
「ええ!? 普通逃げ出すでしょ!?」

 何でさっきの意趣返しみたいになってるの!? ていうか、冗談じゃなくて本気でそれを言ってるのかキミは……。さっきまでの弱弱しい雰囲気はガラリと変わり、確固たる決意に満ち満ちた少年の白亜の髪が僅かに逆立っているようにさえ見える。

 くそぅ、キミみたいな人ほど支えたくなる人はいないよ!

「解った、私もキミも逃げない、なら下の階層に一緒に逃げるよ!」
「し、下!? 強いモンスターと遭遇しちゃうかもしれない!!」
「バカ言え! キミの後ろにヤバイくらい強い奴が二頭もいるんだ!! そこらのモンスターなんて怯えて通りがかりやしないよ!」
「ぎゃあああああ!!!?? 忘れてた!! 早く!! 早く逃げよう!!」

 ガシっと私の腕を掴んだ少年は己の全開を足に込め脱兎の如く駆ける。彼より劣る足の私は少し浮くように走る羽目になるが、自分ひとりよりも断然早い。
 私を掴む手に頼りがいのある意気を感じられ、こんな状況なのに自然と笑みが零れた。

 そして、その笑顔は絶望の色に変わろうとしていた。

 ヤバイ……正方形のルームの角に追い詰められた……。というか少年、あんなに率先して走ってるから場所知ってるもんだと思って走ることだけに集中してたけど、何にも考えずに走ってたんだなキミ!! いや私もどこにあるのかとかすっかり忘れてるから強く言えないけどさ!

『『フーっ、フー……ッッ!』』

 さしものミノタウロスもここまでの逃走劇に付き合わされて疲れを感じているのか、若干肩の上がり下がりが激しい。それ以上に私たち二人の方が激しいけどね。
 私の隣の少年は悪夢のミノタウロスの巨体二つを見上げ、笑みと呼ぶにはあまりにも濃い負の色を口元に滲ませていた。埃まみれの白亜の髪、涙腺決壊寸前の赤い瞳、死の鉄槌を受けるのを待つだけの哀れな兎のような姿だ。
 どしん、と一つ地鳴ればビクンと痙攣にも見た振るえが少年の体に走る。私も他人事じゃないけど、生憎前世ではこういう状況に軽く一万を超えるくらい追い詰められたことのある人として慣れっこだ。打つ手無いけど。

 でも、だからといって諦める訳にはいかない。少年を助けるために、何よりもセレーネ様と再会するために。

「諦めるな、無理だと思っているうちはまだ無理じゃない、だから諦めるな!」

 駆け出し時代からの口癖だ。あの頃のほうがもっとひどい環境で、もっと頑張っていた。駆け出しよりも断然利がある今の私が根を上げてどうする! 何かあるはずだ、きっと何か……ッ!

 極々圧縮された時間の中で、私の視界はふと捉えた。

 ミノタウロスの背後になびいた、眩しい限りに輝く金髪を。

 何か、来るッ!! 戻りつつある昔の勘が、鋭く警告した。それに素直に従った私は、ほぼ反射的に体を壁に張り付かせた。

 瞬間、二頭の猛牛の体に剣閃、瞬く。

『『ヴ、ウ……? ウヴ────!!??』』

 原型を留めていた巨体が、思い出したように斬撃の軌跡を沿っていき、ずり落ちる。断絶魔を上げるはずだった首すらも絶たれ、上げることすら叶わず血飛沫を上げて何ブロックもの肉片と化した。

 そして、巨体に隠れていたその姿があらわになる。

 少女だった。蒼色の軽装に身を包まれた細身の体に、鎧から伸びる四肢は眩しいくらい美しい。自己主張する胸を押さえ込むエンブレム入りの銀色の胸当てに、うっすらと金色の髪が掛かっている。腰までまっすぐ伸びる髪は黄金財宝に勝るくらいの輝きを湛えていた。冒険者とは思えないくらい華奢な体にちょこんと童顔が乗っており、少し困惑したような表情を浮かべていた。

「……大丈夫ですか?」

 たぶん、大丈夫です。ミノタウロスの返り血をモロに浴びた少年以外は。
 
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