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IF物語 ベルセルク編 銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)

作者:azuraiiru
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最終話 ワルキューレの審判



帝国暦 489年  1月 21日   ヴァルハラ星域  帝国軍総旗艦 ブリュンヒルト  ヘルマン・フォン・リューネブルク



軍服を脱ぎ捨てた。腰の左右に何かが付いている、ナイフケースのようだ。ヴァレンシュタインが片方のナイフケースをベルトから外しローエングラム侯に下手投げで放った。ケースが侯の足元に鈍い音を立てて転がると侯が腰をかがめて拾い中から諸刃の短剣を取り出した。短剣をじっくりと眺める、そしてケースを無造作に捨てた。

「ドルヒか、随分と古風だな」
「ブラスターでは一瞬で終わってしまう、味気ない」
「なるほど、楽しめそうだ。卿の顔を見るまでは死ねないと思っていたが……。殺す機会を用意して貰えるとは……。礼を言うぞ、ヴァレンシュタイン」
ローエングラム侯が笑いながら鞘を捨てた。ドルヒの刃が鈍く光る。
「それには及ばない、本当は射撃に自信が無いからドルヒを選んだ」
ローエングラム侯の笑い声が更に大きくなった。ヴァレンシュタインも笑みを浮かべている。

「お二人とも何を考えておられる。馬鹿な真似は止められよ、ローエングラム侯! ヴァレンシュタイン提督!」
ミッターマイヤー大将が窘めたが二人とも何の反応もしなかった。無駄だ、もう止められない。オフレッサーが大きく息を吐いた、この男も俺も二人を止めない。何故ならヴァレンシュタインの言う通りこの内乱は二人の戦いだったからだ。二人にとってこれはけじめなのだ。

オペレーターが躊躇いがちに幾つか通信が入ってきていると報告してきた。オペレーターはヴァレンシュタインを見ている。おそらくはフェルナー少将、クレメンツ、ファーレンハイト提督だろう。ブラウンシュバイク公も居るかもしれない。ヴァレンシュタインが首を横に振った。

「オペレーター、通信を繋いで……」
「無用だ、その必要は無い」
「しかし」
「ロイエンタール提督、ビッテンフェルト提督、余計な事はしないで貰おう。卿らはローエングラム侯を宇宙の晒し者にしたいのか?」
「……」
「ここで殺してやるのがせめてもの情けだろう」
宇宙の晒し者か、確かにその通りだ。殺してやるのが情けというのも事実……。二人の提督も、そしてミッターマイヤー大将も口を閉じた。

「殺せるのか、卿に私が」
ヴァレンシュタインとローエングラム侯が見詰め合った。
「……私に殺されるか、私を殺すか、どちらでも良い。侯が無様に引き立てられる姿を見ずに済む」
思いがけない言葉だったのだろう、ローエングラム侯が“卿”と呟いた。そしてロイエンタール提督達は顔を見合わせている。やはりそうか、憎しみから殺すのではない。ヴァレンシュタインの心に有るのはローエングラム侯への想いと憐れみだろう。或いは償いか。

「……私が勝った場合は如何する?」
「自分でケリをつければ良い。私を殺せばもうこの世に思い残す事は有るまい、違うかな?」
ローエングラム侯が微かに苦笑を浮かべた。侯の眼には先程まで有った憎しみの色は無かった。穏やかな眼をしている。

「そうだな。……ヤン・ウェンリーと決着を付けたいと思ったが……」
「残念だが侯ではあの男には勝てない。私が保証する」
にべもない言葉だ、侯の苦笑が大きくなった。
「そうか、では心置きなく卿と戦う事が出来るな」
ローエングラム侯が片手にドルヒを持ったまま器用に上着を脱いだ。白のマントと黒の上着が床に落ちた、金の肩章が煌めく。白と黒と金、不思議なほど華やかに見えた。

「ヴァレンシュタイン」
エルウィン・ヨーゼフ二世が声をかけるとヴァレンシュタインが少し困ったような表情を見せた。
「予が頼んでも戦うのを止めぬのか?」
ヴァレンシュタインが一礼した。
「陛下の御働きで戦闘は回避されました。その事には感謝します。ですが内乱が終ったわけでは有りません。内乱は我らの戦いをもって終結するでしょう。この上は皇帝として結末を見届けて頂きたいと思います」
「……」

エルウィン・ヨーゼフ二世が俺を見た。止めて欲しい、眼が訴えている。
「陛下、止める事は出来ません。あの二人にとっては未だ内乱は終わっていないのです。そしてローエングラム侯の名誉を守るにはこれしかありません」
「……予は無力だな」
寂しそうな声だった。胸を衝かれた。
「だからこそ見届けなければなりません。それが陛下に出来る唯一の事です。ここから逃げる事は許されません」
無力さを噛み締める事が強さへの第一歩になる。ここから逃げたらエルウィン・ヨーゼフ二世は弱いままだ。それが分かったのだろう、エルウィン・ヨーゼフ二世が頷いた。

“ヴァレンシュタイン”とオフレッサーが声をかけた。
「ブラウンシュバイク公、フェルナー少将達に伝える事は有るか?」
遺言か。
「御好意には感謝しますが自分の口で伝えます」
ほう、勝つと言うか。オフレッサーがニヤリと笑った。
「……その言葉、確と聞いた。待っているぞ、戻って来る事を」
ヴァレンシュタインが腰のナイフケースからドルヒを抜き逆手に構えた。ローエングラム侯も構えた。構えは順手だ。

「ヴァレンシュタインが逆手でローエングラム侯が順手か、受けと攻め、二人の性格が出ているな」
「そうですな、閣下なら如何します?」
「俺は順手だ。卿は?」
「小官は逆手を」
「なるほど」
オフレッサーが妙な眼で俺を見た。なるほど、俺を計ったか。どうやら考える事は同じらしい。この戦いを通して互いを計ろうとしている。何時かは戦うかもしれないという事だな、ヴァレンシュタインが居なくなればその可能性は高まる……。

二人がゆっくりと距離を詰めた。俺から見るとヴァレンシュタインは左、ローエングラム侯は右に位置している。四メートル、三メートル半、三メートル、ヴァレンシュタインが僅かに腰を落とすとローエングラム侯も腰を落とした。艦橋の空気が痛い程に硬くなった。ヴァレンシュタインは顔の前に右手を置いている。ローエングラム侯も同様だが右手の位置は僅かにヴァレンシュタインより前方だろう。順手と逆手の差だ。左手は二人とも心臓を守る位置に構えている。

「刃渡りは十センチといったところか、短いな、かなりの接近戦になる」
「……切り結ぶというのは難しいでしょう。間合いの取り方の勝負になります」
「そうだな、ローエングラム侯の方が背が高い、となると……」
「多少ですが間合いは侯の方が長い。おそらくは三センチから四センチ、五センチには届かないと思います」
オフレッサーが腕組みをして“うむ”と頷いた。エルウィン・ヨーゼフ二世はじっとヴァレンシュタインを見ている。

「だが構えの差が有るぞ。その分を入れれば……」
「ええ」
ローエングラム侯は前に刃を出す事が出来るがヴァレンシュタインには出来ない。刃渡りの分だけローエングラム侯が有利だ。腕の長さもいれれば十三センチから十四センチ……。
「足長の半分だな。ヴァレンシュタインが踏み込めるかどうか、それが勝負を分けるだろう」

足長の半分か。ほんの僅かな距離では有る。だが近接格闘ではその僅かな距離が生死を分ける。詰めるか、詰められるか……。訓練では詰められるだろう、だが白刃を前に詰められるのか。訓練では強くても実戦では弱いという人間は少なからずいる。ヴァレンシュタインは詰められるのか、ローエングラム侯は……。二人とも近接格闘の経験が多いとは思えない、果たして……。

距離が縮まった、二メートル半。ローエングラム侯が右手を軽く上下前後に動かし始めた。相手への威嚇、そしてリズムを取る事で動きを軽くしようとしているのだろう。だが右手に気を取られるのは危険だ。近接格闘では左手、足、膝、肘、肩、頭、身体の全てが武器になる。肩で相手を押し崩すだけで勝機が生まれるのだ。

ヴァレンシュタインは近付くのを止めた。腰を落としじっとローエングラム侯を見ている。構えは逆手のまま、そして踵が僅かに浮いているのが分かった。良い姿勢だ、前後左右、相手の動きにいつでも反応出来るだろう。踵が地に着いていては反応出来ない。基本は出来ている様だ。

じりじりとローエングラム侯が近づく。距離二メートル、未だだ。未だ踏み込んでもドルヒの刃は届かない。最低でもあと五十センチは距離を詰めなければならない。詰めればヴァレンシュタインを間合いに捉えることが出来る。飛び込んで一撃、可能だがその時はヴァレンシュタインの間合いに入る事にもなる。

ダン! とローエングラム侯が床を音を立てて踏んだ。脅し、あるいは誘い、フェイントか。ヴァレンシュタインの身体が微かに動いたように見えたが……。
「小細工をするな」
「しかし身体が僅かに動きました。ローエングラム侯が如何見たか」
「うむ。二人とも思案のしどころだ」

上手く行けばヴァレンシュタインを動かす事で攻撃しようとしたのだろう。だがヴァレンシュタインは僅かに動くだけで踏み止まった。問題はその動きをローエングラム侯が如何見たか、そしてヴァレンシュタインは動いてしまった事を如何思っているかだ。二人とも次の動きを必死に考えているだろう。

ローエングラム侯がまた距離を詰めた。艦橋の空気が更に硬くなった。間合いに入った、そう思ったのだろう。突然艦橋のドアが開いた、慌ただしい物音を立てて三人の軍人が入って来た。
「エーリッヒ!」
「ヴァレンシュタイン!」

一瞬注意が逸れた。無声の気合いが迸った! 気が付けば二人が接触する程に接近している、そして離れた。ローエングラム侯が逃げる、ヴァレンシュタインが追う、“ちぃぃー”と苛立つような声を上げて更にローエングラム侯が逃げた。もう届かない、二人が距離を取って対峙した。艦橋の空気が緩み彼方此方で息を吐く音が聞こえた。オフレッサーも唸り声を上げている。

「見たか?」
「いえ、あの三人に気を取られました」
艦橋にはクレメンツ提督、ファーレンハイト提督、フェルナー少将の三人が居た。
「……そうか」
「見たのですか?」
オフレッサーが頷いて話し始めた。不覚を取ったか……。

フェルナー少将達が艦橋に入って来るのと同時にローエングラム侯が動いた。おそらくヴァレンシュタインの注意が一瞬だが逸れたのだろう、その隙を突いたのだ。右から薙ぐ様に腕を動かしたらしい。狙いはヴァレンシュタインの左側の頸動脈、喉。ヴァレンシュタインはドルヒでそれを防ごうとした。

しかしローエングラム侯の動きはフェイントだった。侯は薙ぐと見せかけて腕を戻し突きに変えた。当初狙った頸動脈とは反対側の頸動脈を狙う、決まれば瞬時に勝負は付いただろう。だがヴァレンシュタインは僅かに斜め左に身体をずらすと左手でローエングラム侯の右上腕を押さえた。そして右手のドルヒでローエングラム侯を攻撃しようとした。

俺が見たのはそこからだ。ローエングラム侯は攻撃を避けるために後ろに跳ぼうとしたがヴァレンシュタインが腕を掴んだため十分に距離を取れなかった。声を上げたのはこの時だ。ヴァレンシュタインが距離を詰める、ローエングラム侯が右腕を押さえるヴァレンシュタインの左手を振り払うようにして斜め後方に跳んだ……。

フェルナー少将達がヴァレンシュタインに馬鹿な事は止めろと言っている。無視するかと思ったがヴァレンシュタインは楽しみを奪うなと言った。笑みを浮かべながらだ。三人が絶句している。
「楽しいな、ローエングラム侯」
「ああ、楽しい。なかなかやるな、ヴァレンシュタイン」
「喜んで貰えて幸いだ。練習した甲斐が有った。続けようか」
二人がまた腰を下ろし艦橋に緊張が戻った。練習か、一人自室でドルヒを振るったか。止める等論外だ、あの三人も分かっただろう……。

「狙いは良かった。フェイントでヴァレンシュタインの右腕は完全に左に振られていた。単純に頸動脈を狙うのではなく右上腕部を切り裂きつつ頸動脈を断とうとしたようだ。或いは偶然腕を切ったか……」
なるほど、ヴァレンシュタインの右上腕はワイシャツが切り裂かれている様だ。先程の攻防で切られたか。もっとも血痕は見えないから傷は無いか有っても掠り傷だろう。偶然かもしれんな。

「だが躱された、間一髪だった。腕を切られた痛みから自然と身体が左にずれたのかもしれん。だとすればあとほんの数ミリ刃がずれていれば勝負は決まった可能性も有る、惜しい事だ」
それが事実なら血も出ない様な掠り傷がヴァレンシュタインを助けた事になる。
「……運が無いと思いますか」
「さて……」
オフレッサーが俺を見たが直ぐ視線を二人に戻した。

「ローエングラム侯はそのまま腕を戻しながら頸動脈を薙ごうとしたのだがヴァレンシュタインが侯の上腕を押さえるのが僅かに早かった。左にずれたのが良かったな。そうでなければそこで勝負はついていたはずだ。だがヴァレンシュタインが侯の腕を押さえた事でローエングラム侯の右腕が死んだ」
「……」

「惜しかった。あそこは腕を押さえるのではなく後方へ押し上げるべきだった。そうすればローエングラム侯はバランスを崩した筈だ、そのまま足を掛ければ倒す事も出来た、勝負はそこで付いただろう。ヴァレンシュタインの方が背は低い、押し上げるのはそれほど難しくなかったはずだが……」

「侯が逃げるのが早かったという可能性は?」
オフレッサーが僅かに眉を顰めた。
「……かもしれんな。しかし俺には押さえただけのように見えた」
背が低いというのも欠点とは一概に言えない。場合によっては利点になる。ローエングラム侯だけではない、ヴァレンシュタインもミスを犯したか。

ローエングラム侯が時計回りに動く、ヴァレンシュタインも同じ動きをする。二人の位置が丁度逆転し止まった。今度はヴァレンシュタインが右手を前後に動かしてフェイントを入れ始めた。一つ、二つと入れながら距離を詰める。そしてローエングラム侯がじっと待つ。

攻守が入れ替わった、そう思った時だった。ローエングラム侯が動いた。予備動作無しの突き! 踏み込みが鋭い! 狙いは顔面! ヴァレンシュタインが仰け反りながらドルヒで防ぐ、硬い金属音が響いた。良く防いだ! だが未だ後が有る。ローエングラム侯が弾かれたドルヒで頸動脈を狙う! ヴァレンシュタインの上体は起き上がっている、重心は踵! 素早い動きは出来ない、如何する?

ヴァレンシュタインの身体が沈んだ! 頭上をローエングラム侯のドルヒが走り抜ける、髪の毛が何本か切られ巻き上がった。ヴァレンシュタインが足を飛ばす! ローエングラム侯の前足を蹴った! 重心を崩されローエングラム侯が倒れ込む! 二人の身体が重なって床に、そして大量の血が噴き出す、“ヴァレンシュタイン!”、エルウィン・ヨーゼフ二世の悲鳴が、そして倒れ込んだ二人から咳き込む音と呻き声が上がった……。

「終わったようだな」
「ええ」
あの出血では助からない……。
「行くか」
オフレッサーが歩き出した、俺とエルウィン・ヨーゼフ二世が後に続く。他の人間、フェルナー、クレメンツ、ファーレンハイト、ロイエンタール、ミッターマイヤー、ビッテンフェルトも倒れ込む二人に近付いて来た。

重心を崩され倒れ込んだローエングラム侯はドルヒでヴァレンシュタインの左胸、心臓を刺そうとした。ヴァレンシュタインは倒れ込んでくるローエングラム侯の頸を狙った。普通、相手の足を蹴る時は重心の乗った前足を払う様に蹴る。相手を横に倒すのだ。そして倒れた相手の上に圧し掛かって攻撃する。だがヴァレンシュタインは前に踏み込むように倒れ向う脛を押す様に蹴った。あれでは自分の正面に倒れ込んでくる。確実に斃す為に相打ちを狙ったのだろう。

二人の周りに皆が集まった。出血が酷い、二人を中心に血が滾々と流れ出ている。オフレッサーがローエングラム侯の身体を引き離してヴァレンシュタインの横に並べた。ローエングラム侯の眼は開いているが生気は無い、頸動脈が切り裂かれていた。動かした所為だろう、血が溢れだした。ロイエンタール提督が一つ息を吐く。ミッターマイヤー大将、ビッテンフェルト提督も痛ましそうな表情をしている。

「生きていたか」
オフレッサーの問いにヴァレンシュタインが頷いた。顔面はローエングラム侯の血で真っ赤だ。
「声は出せるか」
「……ええ」
細い声だった、少し掠れている。フェルナー達がホッとした様な表情を見せた。
「立てるか?」
首を横に振った。

「右膝を痛めました、ローエングラム侯が倒れ掛かって来た時に痛めたようです」
「無茶をするからだ、ドルヒを離したら如何だ」
ヴァレンシュタインが困ったような表情を見せた。
「離れないんです。指が動かない」
フェルナー少将が屈むとドルヒから指を一本ずつ離していく。随分と力を入れている、余程に強張っているらしい。

「軍医を呼ぼう、膝とその腕の手当てをしなければならん。胸にも刺さっているか?」
「ええ、少し刺さりましたが掠り傷です、手当はスクルドでします。このままで」
ローエングラム侯のドルヒはヴァレンシュタインの心臓を狙ったがヴァレンシュタインの左腕がそれを防いだ。上腕が胸に縫い付けられるようにドルヒで刺されている。僅かに心臓に届かなかった。ドルヒがようやく指から取れた。フェルナー少将がヴァレンシュタインの上体を起こした。

「ローエングラム侯に上着とマントをかけて下さい」
ミッターマイヤー大将が足早に動いた。
「遺体は如何しますか?」
ロイエンタール提督が問い掛けた。何処か懇願する様な口調だった。敗者ではある、だがそれなりの礼節を、そう思ったのだろう。

「このままブリュンヒルトに」
「このまま?」
「総員、退艦させてください。ブリュンヒルトは砲撃で爆破します」
「艦と共に葬ると」
ロイエンタール提督の言葉にヴァレンシュタインが頷いた。

「ブリュンヒルドはワルキューレの一人でしたが、オーディンの命に逆らって処罰されたそうです。罰は彼女の神性を奪い恐れる事を知らない男と結婚させる事。ローエングラム侯に相応しい艦でしょう。最後まで一緒に、侯も喜ぶと思います」
ブリュンヒルトと共に葬るか。貴族達に遺体を汚されたくない、その想いはヴァレンシュタインにも有るのだ。

ロイエンタール、ビッテンフェルト提督が顔を見合わせ頷いた。ミッターマイヤー大将が上着とマントを持って戻って来た。丁寧に遺体を包むように上着とマントをかける。ロイエンタール提督がミッターマイヤー大将に遺体をブリュンヒルトごと爆破すると伝えると一瞬驚いた表情を見せたが直ぐに頷いた。



帝国暦 489年  1月 21日   ヴァルハラ星域  ヴァレンシュタイン旗艦 スクルド  アントン・フェルナー



「ブリュンヒルトはオーベルシュタイン中将を除いて総員退艦したそうだ」
「彼は残ったのか」
「ああ、自分なりにけじめを付けたいと言ったそうだ」
俺が答えると指揮官席のエーリッヒが頷いた。オーベルシュタインは艦橋には居なかった、自室に籠っていたらしい。自裁するつもりだったのだろう。

エーリッヒは退艦させろと言わない、俺も勧めない。皇帝フリードリヒ四世暗殺の首謀者なのだ、エルウィン・ヨーゼフ二世が誰の罪も問わないとは言ってもそれで済む事ではない。だが罰すればエルウィン・ヨーゼフ二世の権威に傷が付く。彼が自裁してくれればむしろ有難いのだ。

負傷の手当ては終了している。膝は膝蓋骨、膝の皿が骨折したためギプスで固定、左腕も傷を縫った後提肘固定三角巾で上腕部を固定した。今は局所麻酔が効いているから問題ないが麻酔が切れれば発熱するだろう。今のエーリッヒは一人で指揮官席から動く事は出来ない。可哀想とは思うが無茶が出来ないと思えばホッとする。ブリュンヒルトでの決闘沙汰には本当に胆を潰した。ブラウンシュバイク公も蒼白になって止めろと命じてきた。

「艦隊も全て移動を完了したようだな」
「ああ、準備は出来たよ」
スクリーンにはブリュンヒルトが一隻だけぽつんと浮かんでいる。
「全艦に命令、主砲斉射準備」
「全艦に命令、主砲斉射準備」
エーリッヒの命令を俺が復唱するとオペレーター達が艦隊に命令を伝えだした。

エーリッヒが右手を軽く上げる、手が微かに震えていた。そして振り下ろした。
「ファイエル!」
命令と共に数万の光球がブリュンヒルトに向かう、ブリュンヒルトは瞬時に消滅した。何の残骸も無い、綺麗に全てが消え去っていた。多分ブリュンヒルトはヴァルハラに帰ったのだろう。確かにローエングラム侯に相応しい艦だ。

「アントン、肩を貸してくれ」
「ああ」
エーリッヒは立ち上がると何も無い宇宙に敬礼した。オフレッサーが、リューネブルク中将が、艦橋に居る皆がそれに続いた、俺も。エーリッヒが何かを呟いた。眼から一筋の涙が零れていた……。



 
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