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メフィストの杖~願叶師・鈴野夜雄弥

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第三話
  Ⅴ


「今回も上々…と言ったところか。」
「理事長。今日入院手続きをされたあの方も…きっと…。」
「そうだな。どうせ金の有り余っている奴等だ。そいつらからたんまり貰わんと割に合わんからなぁ。」
「ええ。庶民なんて片手間に見てやれば充分。私達は…ねぇ。」
 ここは金久総合病院の理事長室。そこで今、二人の人物が話をしていた。
 一人は理事長の金久源三郎、もう一人は院長の水中典夫だ。
 二人の前にある理事長の机には、中程の茶封筒が幾つか置かれ、そこから多額の紙幣が顔を覗かせている。
「何はともあれ、良い薬はその価値に合った人物に投与すべきだな。何、権力にしがみつく奴ほど、他言することなどない。我々は安泰だ。」
「そうですな。ですが理事、地下の施設をもう少しばかり良くすれば、もっと…」
「分かっている。いつまた新型のインフルエンザが流行しても対処出来るよう、私が私費でやってやる。ま、あっという間に帰ってくるだろうがな。」
「インフルエンザ様々…ですなぁ。」
 そう水中が言うや、二人は嫌な笑みを見せた。
 ふと、そこにドアをノックする音がしたため、金久は「入れ。」と短く言った。すると、そこから一人の女性が入ってきた。
「理事長、森下議員からこれをお預りして来ました。」
 彼女が持ってきたものは、机に置かれていた茶封筒と同じものだった。
 金久はそれを受けとると、直ぐ様中を確認し、持ってきた女性にこう言った。
「山瀬看護師長、彼の息子に新薬を。」
「はい。この間、臨床試験を終えたあれで…宜しいんですね?」
「そうだ。一応は有栖川君にも伝えてくれ。」
「畏まりました。」
 そう答えるや、その女性…看護師長の山瀬は出ていったのだった。

 この金久総合病院では、常時「金」が全てだった。人間の命は尊い…などということは微塵もない。むしろ、そんな考えは負け犬のすることだと考えている場所なのだ。
 そのためか、この病院の地下には研究施設が作られていた。新薬やワクチンの研究を主とした施設だが、そこで開発された薬の臨床試験は彼らが“庶民"と呼ぶ一般的な患者を検体にして行い、成功すれば権力者や資産家などに法外な値で投与している。無論、その全てが違法だが、彼らはそう考えはしない。見付からなければ全て合法…それが彼らの考えなのだ。
 勿論そんな筈はないが、金久が病院を立ち上げてから四十年余り…未だに見付かっていない分、彼らは巧く遣っていると言えた。
 この病院の主要な四人、理事長の金久、院長の水中、看護師長の山瀬、外科医の有栖川は、金への執着で集まった。
 金久と水中は病院設立当初からだが、山瀬と有栖川は十年ほど前からだ。この二人は未だ三十代前半で、有栖川は金久がその力で引き抜いた実力者だった。
 有栖川は外科医としては天賦の才を謳われ、この病院の要と言っても過言ではない。しかし、金の汚さだけはどこの病院でも眉を顰められていた。そのためか、金払いの良いこの病院では、彼は始終機嫌が良かった。
 山瀬も看護師としては一流で、有栖川と同じ頃に引き抜かれた。金のためなら老いた権力者と寝ることも厭わず、一時期は働き先で懲戒免職になりかけたこともある。入院中の権力者の息子と関係していたことが明るみに出たのだ。
 そんな二人だが、その有能さはこの病院で遺憾無く発揮されており、そのため、この病院へ来る患者は後を絶たない。
 現在はこの四人がこのシステムを動かしているが、いずれか一人でも捕まれば、他の三人も芋づる式に捕まる訳で、この四人の連帯感たるや強固だった。
 さて、この病院で一番初めに気付くことは、驚く程の清潔感と親切丁寧な対応だ。
 どこの病院でも同じ…とは言えない程、ここは患者を「お客様」として扱っている。無論、それは表向きではあるが、そうしてこそ“裏"を隠せると言うもの。懸命さをアピールする程、医療ミスさえ覆い隠せてしまう。いや、患者の家族が「まさか…そんな筈はない。」と思わされてしまうのだ。他の真面目な医師や病院に迷惑この上ない。
「有栖川さん。」
「これは看護師長。どうしたんですか?」
 ここは地下の施設にある薬剤室。そこにかなり顔立ちの良い男がいた。外科医の有栖川だ。
「例の新薬、森下議員の息子に投与するそうよ。」
「へぇ。あれはまだ早いと思うけどなぁ…ま、大丈夫か。でも、一回3グラム迄にしといた方が無難だよ。」
「分かってるわよ。」
 そう言うや、二人はニッと笑みを溢した。
 二人のいる地下の施設に行くには三つのセキュリティを通らなくてはならず、関係者以外がうっかり入り込むことはない。
 この施設で働いているのは、主に六人の研究者だ。無論、この六人にも多額の給与が支払われている。いや…<口止め料>と言った方が良いかも知れないが…。そして、裏切ればどの様な末路が待っているかも良く知っていた。
 数年前までは、ここには八人の研究者がいた。その内の二人が、この病院を告発しようとしたことがあった。だが、それが水中に発覚するや、二人は消え去った。いや…消されたのだ。消えた数ヵ月後、研究者の一人が関係者から「火葬場へ運ばれた」ことを聞きつけ、他の五人にもそれを話した。
 逃げることは出来ない。告発も失敗する可能性が大…。それ故、六人は沈黙を守ることにしたのだ。沈黙しているうちは、金払いの良い職場だ。沈黙は金…一言でも漏らせば死…。
「そう言えば、看護師長。先月はどうだったんだい?」
「八百ってとこよ。あなたは一桁上なんでしょ?」
「まぁね。けど、ここにいる奴らだって大差ないだろ?」
「嫌な言い方。さて、私は仕事に戻るわ。あなたもここで油売ってないで、早く上に行って愛想振り撒いてきてよ。御婦人方のウケが良いんだから。」
「分かってるさ。ついでに何人か目をつけとかないとな。」
「ヤラシイわね。夜もそこそこにしといてよ?寝不足で失敗…なんて洒落にならないし。」
「はいよ。」
 にへらと笑う有栖川に、山瀬は溜め息を吐いてそこを出た。
 この二人の会話は、ガラス一枚隔てた研究室にいた六人には丸聞こえだった。が、彼らは見ざる言わざる聞かざるに徹していた。些細なうっかりが自分の命さえ吹き消しかねないからだ。
 そんな彼らに、有栖川は笑いながら言った。
「君らさ、最近良いセックスしてる?」
 嫌がらせにも程がある。だが、そんな有栖川を無視し、ただ黙々と仕事に集中していた。
「詰まんない奴らだなぁ…。ま、いいや。」
 黙々と働く研究者達を後に、有栖川はそこを出ていったのだった。

 時は夕を過ぎ、もう藍の濃くなる時刻となっていた。
「理事長、そろそろ…。」
「ん?…おぉ、もうこんな時間か。今日はここまでだな。そう言えば有栖川君は?」
「彼でしたら…いつものことです。」
「ふん…相変わらず性欲の塊だな。ま、分からんではないが。」
 そう言って金久はニタリと笑う。そんな彼に、水中は薄ら笑いを浮かべて言った。
「どうですか?今日はあそこに行かれては。」
「そうだな…たまには他の女を抱くのも一興か。」
 そう金久が水中に言った時、不意に山瀬が入って来て、さも忌々しげに二人へと言った。
「お二人もですか?全く…男は皆そうなんですね。」
 そんな山瀬に、水中が苦笑いしつつ返した。
「山瀬君。君だってこの間、リネン室で患者の青年と良いことをしていたと聞くが?」
「あれはストレス発散させてあげてたのよ。一ヶ月も入院で出来なかったんだから、お二人と一緒にしないで下さいますか?」
 山瀬はそう言って一端話を切ると、直ぐに別の話しに切り替えた。
「それであの新薬ですが、かなり好調です。今日は二回投与しましたが、このまま様子見で宜しいかと。」
「そうか。では、副作用の心配は少ないのだな?」
 山瀬の報告に、金久は満足げに頷いてそう返した。
「今のところは。この間5グラムで一日三回投与してショック死したホームレスは、解剖した結果、肝臓がかなり弱っていたためと判明しています。他の薬も常用していたためにショック死したものと考えられます。」
「なら、それに近い薬とでは副作用が出る…と言うことか。何にせよ、今回で成功すれば新しいデータが採れる。そうして完成に近付ければ、もっと金が入るというものだ。」
 そう金久が言うや、三人は顔を見合わせてほくそ笑んだ。
 だがその時、ドアが開いて三人の前に一人の男が姿を見せた。
「あ…間違えました。」
 男は目の前で唖然としている三人を余所に、そう言ってドアを閉めようとした。だが、その男を金久は「待て。」と言って引き留めたため、男は何事かと金久を見た。
「何ですか?」
 男は不思議げにそう問うと、金久は厳しい表情で男に言った。
「お前、今の話を聞いていたな?」
「ええ。エロ満載の話と違法万歳な話。」
 そう平然と男が返してきたため、三人の顔は見る間に青くなった。そして、水中は慌てて男を室内へと入れてドアを閉めるや、男は非常に不機嫌な表情を見せて言った。
「何すんですか?」
 そんな男に、今度は金久がニタリと笑って言う。
「お前、金は欲しくないか?」
 そうして懐から札束を取り出した。
 男はどういう意味か覚り、さも汚いものでも見るかの様に返した。
「そんな紙切れ要りませんよ。どうせ貰ったって死ねば使えないしね。」
 男のその言葉に、三人は顔を見合わせた。今までにこんな人間に会ったことはなかったのだ。
 こうした場合、普通は金を受け取る。そうして後は知り合いのやくざに後始末させていたのだ。自分達の手を汚すことなどなかった。
 しかし、今の状況は自分達でどうにかする他なく、その手段を悠長に選んでいる間もない。そのため、水中は意を決して男の首へと飛び付いて締め上げた。
「聞かなければ良かったんだ…聞いたお前が悪いんだよ!」
 水中は的確に男が窒息するように首を締め上げる。初老とは言え彼の握力は強く、男は見る間に青くなって行く。と、思った。
「へぇ。確かに、これだと死ぬかな。」
 そんな状況で男はしれっとそう言ったため、水中は驚愕して男から飛び退いた。それには流石の金久も山瀬も目を丸くしたが、その中でふと明かりが消えた。
 三人は狼狽した。殺そうとした男は死ぬどころか平然としており、その上で視界が奪われたのだから。
「お前達、人の命を何だと思ってるんだい?」
 その暗闇の中から声が響く。それは三人の目の前にある男から発せられた筈だが、それは部屋全体から響き、三人はその異様さに震え上がった。
「問いに答えて欲しいんだが。」
 尚も響く声に、金久は恐れの中に怒りを感じ始めて返した。
「人間の命なぞ道具と同じだ!」
「ほぅ。それじゃ、君達の命も単なる道具と言うことだな?」
 その問いに金久は益々怒りをつのらせ、それに対して大声で返した。
「馬鹿を言え!我々は選ばれた者なのだ!命を道具として扱って良い至高の人間としてな!」
 金久がそう言い切るや、その声は盛大に笑い声を上げた。
「何が可笑しい!」
 その笑い声に金久の怒りは最大にまで膨れ上がった。だが、目の前にいたはずの男の気配が消えていたことに気付き、金久は用心深く闇の中を見回した。
 側には水中と山瀬がいることは分かる。しかし、どれだけ見回しても男の影どころか気配さえ掴めない。
「己、どこに隠れた!」
 またしても怒鳴る金久に、男はさも可笑しいと言った風に答えた。
「これは失敬。」
 すると、部屋の中に蒼白い焔が広がり、その男の姿をはっきりと浮かび上がらせた。
 それは先程の男とは違い、金の髪にシックなスーツ、そして頭にはシルクハットと言う出で立ちだった。それは三人を困惑させ、そして再び震え上がらせるには充分な演出だった。
「…ぉ、お前…何者だ…。」
 水中は怯えながらも、どうにか男へと問った。
 すると男は笑みを見せ、シルクハットを取って三人へと言った。
「私はミヒャエル・クリストフ・ロレ。“メフィストの杖"って言った方が分かるかな?」
 その答えに三人はまさかと言わんばかりの表情を浮かばせた。
 ロレはそれに反応することなく、再び言葉を紡いだ。
「ちょっと君達に聞きたいことがあってね。でも、聞くまでもなく分かったよ。君達、ちょっと遣り過ぎたようだね。」
 ロレはそう言って三人へと近付くと、恐怖に耐えかねた山瀬が慌ててふためいてドアへと走った。すると、今まであった筈のドアは壁へと変わり、山瀬は余りのことに失禁してしまった。
「駄目だなぁ。今まで散々甘い汁を吸ってきた者同士、仲良くしなくちゃ。」
 そう言って微笑するロレに、三人は心底ゾッした。

- こいつは…この世の者じゃない…。 -

 三人は改めてそう確信した。いや、そうせざるを得なかった。
 三人が恐怖に喘ぐ中、その周囲から何やら影らしきものが立ち上がり、それらは三人を取り囲む様に次々に現れた。
「な…!?」
 目の前の男一人どうすることも出来ないというのに、今度は得体の知れない多くの影…。三人は気が狂うかと思えたが、そうはならなかった。正直、気が狂ってしまえば良かったと言える。
「こ…これは…。」
 金久が後退りしながらそう呟くや、影達は一斉に喋り始めた。

- 実験台にしやがったのか…! -
- なぜ…私は死んじゃったの? -
- 娘に…娘にもう一度会いたい! -
- 死ぬのは嫌だ!死ぬのは嫌だ!死ぬのは嫌だ! -
- 俺の内臓…どこやったんだよ…なぁ…! -

 その影は…ここで実験台にされて死んだ者達の声だった。
 金久には判らないまでも、その中の幾つかの声に山瀬と水中は覚えがあった。
「いや…違うの!屋田さん、あれは私の指示じゃないのよ!!」
「許してくれ!私だけでは最早止めようもなかったんだ!!」
 山瀬と水中は涙を流して床へ頽れたが、影は容赦なく責め立てる。
 しかし、金久はそれに憤慨して言い放った。
「死んだ奴らに何の価値がある!お前らは死んで当然!データとして残されてるのだから有り難く思え!!」
 その声に影達はピタッと動きを止めた。だが、今度は憤慨している金久へと無言で集まって行き、その体へと折り重なる様に纏わり付いていった。
「…なっ!止めろ!己れ…!」
 金久は影達をどうにか引き剥がそうとしたが、手は影に触れるどころか空を切る様にすり抜ける。だが、重さだけは確かに感じている。
「や…止めろ!!」
 だが叫べども、影達は尚も金久を覆うようにのし掛かり、到頭金久は堪えきれずに床へと倒れ込んだ。
 そうして、彼は今まで体験したことのない根本的な恐怖を味わわされた。それは影達…実験台にされた人達が体験した“死の瞬間"を体験させられたのだ。
「あ…ああ…ぐあぁぁぁ!」
 怒り…哀しみ…憎悪…淋しさ…そして、未練…。その多くの死の刹那は、金久を絶望させるには充分だった。
「どうだい?人間の命は道具かい?」
 影達が消え去った後、ロレは三人前に立って再び問った。三人はガタガタと震えてながら「いいえ…。」と、か細い声で答えるのがやっとになっていた。
「人はいずれ死ぬ。お前達も例外じゃあない。奪う者は奪われる。だが、私は命を奪うことはない。だから、お前達のこれからの“時間"を奪うことにする。」
 ロレがそう言うと途端に三人の体から感覚が無くなり、その場に倒れたまま動けなくなった。
「見ることも出来、聞くことも出来、思考することも出来る。だが、語ることと体を動かすことは出来ない。お前達が心から反省し天の君から許されたなら、その体は元へと戻るだろう。だが、自身と天の君を騙すことは出来ない。私はこれでも足りないと思うが、人の一生なぞ百年足らずだからな…。」
 ロレがそう言った時、彼の隣にフッと赤毛の男が現れた。メフィストだ。
「ロレ、向こうは片付いた。本当にこれで良かったのかい?」
「良いさ。兼行法師も徒然草に書いてるだろ?“友にするにわろき者、病せぬ者"ってね。自らが実験される立場になってこそ、自分がどれだけ重い罪を犯したかが理解出来るだろう。」
 そう言うロレの言葉に、メフィストは半眼になって問った。
「だけどさ…改心しなかったら?」
「まぁ…しないだろうね。そうだとしたらこのままだ。別に憐れみは感じないよ。」
「あの外科医もそうだろうな。」
 メフィストがそう言うや、ロレは苦笑した。そうして夜空に浮かぶ月を眺めて言った。
「後はあの御方が決めるだろう…。」
 そうロレが呟く様に言うと、二人は蒼白い焔と共にフッと消え去り、そこには物言えぬ三人が深い闇の中へと取り残されただけだった…。




 
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