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乱世の確率事象改変

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相似で相違な鏡合わせ


 帰還した秋斗に待っていたのは忙しい山積みの仕事……ではあるが、何よりもまず迎えてくれたのは民の声であった。
 戦の勝利と、街をゆるりと練り歩いていた隣人のような英雄が無事に帰ってきたことへの歓び。
 親しみを込めて民達は言う。一人が言えばまた一人……おかえりなさい、と迎えの言葉を。

 月光に跨る彼は皆に謳われる黒麒麟に違わず、少年達はその堂々たる姿に憧憬を描き、男達は代わりに守ってくれた事に心熱く滾らせる。
 ただ、新顔の幼女を侍らせている彼に呆れと苦笑を漏らすモノも少なくない。もはや幼女を傍に置いていることは日常茶飯事と化していたのだから、ああやっぱり、と何処か生暖かい視線を送るのも詮無きこと。
 しかして知っている者は知っているモノで、その少女がかの元劉備軍の鳳雛……否、鳳凰であると噂すれば、黒馬に跨る二人の姿に更なる納得を重ねて行き、期待が膨らんでいった。

 曰く……四霊である麒麟と鳳凰の仲睦まじきはこの上なき吉事。あの二人が主を変えてでも仕える覇王こそ、この大陸を統べる王に相応しい。

 お伽噺の幻獣の名を冠する二人が揃えば、そんな話も街を走ってしまう。
 手を振って応えて、心よりの笑顔を向けて、皆が平穏に歓喜を刻む。華琳達の凱旋の時と相違ない程に、彼の帰還は民を湧き立たせた。

 警備隊は大忙しであったが、其処は華琳と桂花である。すぐさまこういう行事ごとへの対応に慣れている徐晃隊を動かして民の安全を図った。
 事前に戻らなかったと聞いていた彼ら徐晃隊の中で澱みは膨らむ。涙する者さえ居た。
 昔のように月光に乗っているというのに、雛里や月光と彼の間に絶対の距離が見て取れたのだ。
 それでも仕事優先で、悲哀にばかり沈むわけにはいかない。ぐ、と堪えて自分の為すべきことに意識を向けて行く。

 あと、徐晃隊の中には少しだけ羨望を向けるモノも居た。
 今の彼であろうと共に戦える兵士達が羨ましい。彼が欲して使うと決めた猪々子以下文醜隊……九番隊が羨ましいのだ。
 副長のように凡人達の指標ではないが、猪々子がどんな人物か話は聞いている。
 そもそもが徐晃隊向きの性格で、副長達最精鋭が最期に戦い、捨て奸を選ぶ程の気概を持ち、秋斗とのバカのような一騎打ちは彼らも認めるに足りる。
 嫉妬はしない。ただ羨ましい。戦えることが……そして認められている事が。
 しかしそれでも折れぬが彼らの力。特に第三の部隊長等は、後で猪々子と戦おうと心に決めている。毎日毎日、飽きることなく戦えばいい。血みどろになろうと、傷だらけになろうと、黒麒麟という化け物に挑み続けた男が居たのだから。
 強くあれと願う彼らはそれでいいのだ。副長を超えるには、猪々子を倒せばいい。彼らが黒麒麟の身体を名乗るなら、この九番隊にだけは負けてはならない。明確な目標が出来た事でより一層渇望が燃え上がり、彼らを強く育て上げる。

 そうして、得てして妙ではあるが、彼が狙ったわけでは無い事柄でも、何故か彼らの心を高めさせる。
 雛里は思った。

――記憶を失ったことすら彼らが乗り越えるべき試練に等しい。まるで彼と彼らが世界に嫌われてるみたい。それでも……

 あくなき向上心は子供のようでバカらしい。世界を変えるのはいつだって変わらず曲がらないモノ達だ。
 足掻く者、と華琳は黒麒麟を評価した。彼と彼らが同じであるなら、やはり彼らも足掻く者。

――誰の別なく、彼らは英雄として理不尽な世界に抗うんだ。秋斗さんや華琳様、皆と同じように。

 足掻く者は、いつの時代でも英雄に育って行くから。影響を受けた月も詠も、分野は違えどそうあれかしと心高めて上り行く。
 自分も……と心の火を燃やし、雛里は彼と共に月光の上、民の笑顔を受けながらまた羽を大きく育てはじめた。





 昼下がり。そうこうしている内に辿り着いた城で、雛里と猪々子は湯浴みに向かい、秋斗は報告等の為に華琳の執務室に来ていた。
 書簡竹簡木簡の山を並べて筆を動かしている華琳と、その横には秋斗の話を耳半分に聞きながら仕事を黙々と熟す桂花。まあ、所々で彼を睨んでいるが。
 ふう、と華琳は話の区切り辺りで筆を置く。

「――――って感じで文醜隊の掌握と練兵も並行して来た。益州への旅には鳳統隊の二百人くらいを貸してくれ。互いに譲れないもんがあるらしいからいい刺激にもなるだろ」
「時間を有意義に使えるようで何よりね。手間が省けて助かるわ。鳳統隊については小隊毎の個別練兵が確立されてるから構わないけど。そちらで交渉後にして貰う行動予定は後で話す」
「交渉後の予定?」
「今は話してあげない。頑張って予想しなさい」
「……相変わらずなこって」

 ほっと肩を落とした。にやりと笑った華琳の顔を見て何処か安堵を感じたから。
 所詮長い思考時間が無ければ天才達の足元にも及ばない。切片を与える側の多い彼ではあるが、こうして直接的に話を組み立てるのは苦手であった。
 華琳もそれを分かった上で彼を試し、成長するか否かを見ていたりする。友達になる為に追い駆けているとは言っても、会社の上司と部下のようなこの関係が何よりも秋斗には居心地が良かった。彼にとって社畜根性が染みついた現代人の性はどうやら拭えきれないモノらしい。

「ん、りょーかい。そっちから他に主だったことは?」
「そうね……詠の荀家所属が決まったくらいかしら。挨拶に行くのは五日後。あなたと雛里以外には戦功の褒賞も与えたけど……何か望みはあるかしら?」
「俺からは無いかな。ああ、徐晃隊と飲む酒と夜に練兵場を貸してくれたら嬉しい。安いやつで構わん。潰れた奴ら用の毛布と水は自分達で各自持参でいいから……」
「お酒を飲むならつまみも必要じゃない。あの者達の働きへの特別褒賞も必要だから用意しましょう」
「嬉しいんだが……無しで。大鍋使ってカレー作るんだ。材料は持ち寄りでな。なんでも黒麒麟とは休日にそんな感じのことしてたらしい」
「へぇ……兵士達と料理をねぇ……というか、かれぇって何?」
「荒っぽい味付けの料理は得意なんだと。あー……カレーってのは大陸から南の方の料理でな、店長にスパイスの組み合わせを考えて貰ってたんだ。スパイスってのは……なんだろ、イロイロな香辛料を混ぜたモノって感じ。辛い系とか」

 辛い、と聞いて華琳の雰囲気が少しだけ不思議なモノになった。
 桂花は新しい料理の名に僅かに反応するも、顔を上げずに耳だけそばだてる。

「そう、辛い料理なの。店長の店では滅多に辛いモノは出て来ないから知らなかったわ」
「……まだ出して無いぞ。なんでもスパイスの組み合わせで納得するもんが無かったらしい。ほら、店長って拘り出すと止まんねぇし」
「ふぅん、泰山の麻婆よりマシだといいけど」

 言い方に違和感があった。ほんの僅かだが。棘、と言えるかもしれない。
 ああそうか、と気付いた彼は納得というように手を叩く。そういえば華琳はいつも甘いモノを好んで食べていたのだ。

「なんだ、お前さん辛いの苦手――――」
「秋斗? 私に、苦手な、モノは、無いわよ」

 鋭い視線。区切られる言葉、突き刺さる威圧。
 静かであるのに強い言葉に、彼は圧されて顔を引き攣らせた。

「お、おう」
「いい? 苦手というのは弱点があるということ。私にそんなモノは無い。
 辛いモノは舌を麻痺させ味を曖昧にしてしまう事が多いから余り食べないだけよ。あなたも料理が好きならそれは分かっているでしょう?」
「……そりゃあ、まあ……でも――――」
「皿の上に並べられた料理の彩、胸の内まで湧き立たせるような香り、そして舌に乗せられた時に広がる食材と味付けの織りなす調和……こと料理に至っては最後の一つは欠かせない。だから調和を乱す確率の高い辛いモノはなるべく一品だけで食べるようにして、その時の食事を万弁なく有意義に楽しむ。私はそう決めてる」

 これ以上言えば、きっと華琳は怒るだろう。
 普段なら軽く流すはずなのに、何処か子供っぽく言葉を並べ立てることから見ても明らかに苦手なのだ……と分かっても、さすがに口には出せなかった。

「……まあいいや。でもカレーはな、お前さんが想像してるような辛さじゃないぞ。味を潰すってのは言い得て妙だが、多くの料理に新しい道を広げる材料にもなり得るような……すまん、表現しにくい。彩りはある意味でそんなに綺麗じゃない。あー、でも香りは申し分ない」
「……ふむ、見た目が全てでは無い未知の料理か、面白い。店長があなたと出会ってからも試行錯誤をしていたというのなら本気にならざるを得ないわね。この私の舌を満足させられるようなモノかどうか……楽しみだわ」
「いや、そんな気合を入れなくてもいいんだが」

 彼の言い分に興味が湧いた華琳の瞳が輝く。
 これまで食べたことも無いのだ、いつも店長の店では新しい料理との出会いで感動を覚えているが、今回向ける期待は相応だった。

「何を言っているの? 店長との勝負は継続中よ。あなたが私に新しい料理を教えないから、客として味を確かめ、私の方がより良く出来る改善案を出すくらいしか勝つ方法が無いの。あの負けず嫌いに口出しできる程度には私も料理の心得があるけれど、ことあなたが教える料理に関しては、同じ土俵に立てなければどうしても先手は取れない。特に……洋食」

 ジトリ、と彼を睨んだ。
 多岐に渡る才能を持つ華琳であれど、料理の天才で努力家な店長を凌駕するには足りない。そも、味と知識を知っている秋斗が店長についている時点で負けはほぼ確定。
 自身を唸らされる料理を食べるのは幸せだ。しかし一度くらいは店長をぎゃふんと言わせてやりたい。そんな負けん気の強さを持っている。

「美味いもん食えたらいいだろに」
「い、や、よ。だからせめて新しい料理を思い出した時は私にも同時に教えなさい」
「ははっ、すまんが却下だ。食べ比べしてみるのも楽しそうだけど、先にした約束を破るわけにはいかんからな」

 また華琳の目が細まった。今度は不機嫌さを前面に押し出して。
 そんな彼女の視線を受けた秋斗は、くるりと反転して入り口に向かった。

「ま、まあ仕事に戻るよ。街の長老達とも顔合わせしときたいし、俺が介入した案件の経過も知っておきたい。何より風呂入った後に会わないとダメな――――」
「待ちなさい」

 一声。それだけで秋斗はピタリと止まる。何か言われるんだろうか、と恐る恐る振り返った。
 そんな緩い彼に対して、華琳は厳しい面持ちを崩さずに一つの命令を下した。

「あなたは今日も明日も休みよ。今日は此れから風呂に行って、夕時から鳳統隊と食事。『かれぇ』とやらを作るのに集められないモノは店長に言って集めなさい。夜はそのまま雛里達と過ごして貰う。そして、明日は雛里、月、詠と一緒に四人でゆっくり過ごすこと、いいわね?」
「……マジ?」
「これは拒否権の無い命令よ。わがままの対価なのだから」

 言いながら微笑む。

――此処で繋いでおかないとあなたは逃げるでしょう? 戻った時に必要なのは帰るべき場所。それを知っておくことは重要なのよ、秋斗。それにあの三人も喜ぶ。

 戦では自分が役に立たずとも街では何か出来るからと待っていた月にも、忙しいのが分かっているのに詠や雛里といった頭脳明晰な子に休日を与えたことも、民の平穏に包まれるのが好きな彼に街を歩かせるのも、誰にとってもいい褒美と言えるだろう。

――また何か企んでやがる……

 ただ、嬉しいは嬉しいし、月の事も思うと受けるべきだが、やはり認められないのが秋斗だった。

「俺が真っ先に会うべき人がいるだろ?」
「許可は貰ってる。それにね、忙しなく仕事仕事と動くのはあなたの悪いクセよ、秋斗」
「おい、ソレお前さんが言うのか」
「夜遅くまで店長の店に入り浸ってるあなたに言われてくないのだけれど? 仕事を与える立場の私、仕事を命じられる立場のあなた……此処で正しいのはどちらでしょうね?」
「……正しい正しくないの問題じゃない。俺に休めって言うならお前さんも休め。それなら受ける」
「決定事項よ。今日だって詠と月は昼から休みで、雛里は元から休日だもの。そんなに仕事がしたいならこうしましょう。明日の夜まで月と詠、雛里と一緒にゆっくり過ごすのが仕事、分かった?」

 秋斗が言っても華琳は引かない。
 帝がこの街に居るのだから顔合わせは先にしておくべきと思うのだが、それでも、と。

――考えがあってのことだ。どれを優先するかは彼女が判断する。それは分かっるし間違ってないだろうけど……楽しんでもいやがるな、こいつ。

 相も変わらず秋斗で遊ぶのが好きなようで、華琳は何処か満足気だった。

――何よりも今日の夜とか明日とか、休日のお父さんじゃあるまいし……。

 心の中で突っ込むが、さすがに口には出さない。
 そんな事を口に出せば、華琳の隣で仕事をしながら、所々で犬歯を見せて睨んでいる桂花がどんな悪態を突くか直ぐに理解出来る。まあ、拒否しても頷いても、華琳が秋斗と話して上機嫌である限り桂花は苛立っているわけだが。

――口を挟んで来ない辺り、荀彧のやつ事前に止められてんのか。いんや……聞いてた“アレ”か。

 嫉妬を見せる桂花を華琳は気に入っているが、今回は秋斗との会話に介入させないという“おあずけ”で遊んでいるらしい。お遊びで熟成させた果実……愛しい王佐を、華琳は夜に食べるのだ。
 百合の園を読み取った秋斗は呆れのため息を吐いた。これ以上引き摺ると爆弾を踏んでしまいそうで。

「りょーかい。なら謁見については任せた。それとありがと、華琳」
「どういたしまして。その代わり『かれぇ』、私達の分も準備なさい。あなた達の時間は邪魔しないけれど料理は頂くわ」
「ん、流琉に材料を渡しとくよ」
「ふふ、よろしい」

 そういうと思った、とばかりに肩を竦めた秋斗。ゆっくりと入り口に歩み寄る。

「それじゃあ――――」
「そういえばまだ言ってなかったわね」

 また、華琳が彼の言葉を区切った。今度はなんだと思った秋斗の眉が寄る。
 華琳は真っ直ぐに秋斗の黒瞳を見据えて、笑った。

「おかえり、秋斗」

 茫然と一寸だけ止まった後に、彼も真っ直ぐにアイスブルーを見たまま、笑った。

「ただいま、華琳」

 その時彼の心に浮かんだのは……安らぎと懐古の心地よさだった。







 彼が去った後、不満をありありと浮かべてまだ扉を睨みつけている桂花。
 静かに仕事を始める華琳は機嫌がいい。自身の主が親しみと充足を感じさせた男に、嫉妬の心燃ゆるのも詮無きかな。
 桂花にとっては大嫌いな男だ。そこらへんでのたれ死んで欲しいくらいに嫌っている。口を開けば悪態しか出て来ないだろう。本質的に嫌いで、受け付けられない。
 曖昧にぼかしつくすやり口も、誰かが向ける淡い想いを今の自分に向けられていると認識しない鈍感さも、華琳には敵わないと知っていながら並び立とうと追いかける無謀さも、ゆるゆると人の心情を読み解いて裏や表で動く鋭さも、自分の命を軽く扱って無理を通すわがままさも……そして一番は、他人の笑顔の為に誰にも頼ろうとせずに舞台で笑って踊る道化師の在り方。それらが嫌いだった。

 才能も知識も認めている。仕事では秋蘭と同じ程度使い易くて、戦では春蘭や霞に並べる程。自己判断のきらいが強いが、駒の使い勝手としてはこの上無い。不可測の独自行動も華琳が予測出来ることで、必ず報告をする辺りある程度は間に合うレベルのモノ。
 将達との亀裂も不和もなく、どの部隊の兵士であろうと多くから慕われている。その時点で外せない緩衝材の役割を担っているといえよう。
 本来なら嫌う輩が出てもおかしくないはずであるが、彼はあまり悪感情を向けられることが無い。その点を見ても、桂花としては何故と、疑問や苛立ちが募っている。

「不思議? 私が……いえ、皆があの男を嫌わないこと」

 心の内側を読まれて、桂花はビクリと肩を跳ねさせた。

「……はい」

 小さなため息を落とした華琳は、そのまま机の上に腕を組んでゆったりと背筋を伸ばす。
 流し目で見つめられて跳ねる心臓は、彼女が全てを見透かすような鋭い視線を放っていることから。

「アレについては、多かれ少なかれ納得出来ない部分や苛立ち、そして恐怖を持っているはずよ。関わったモノなら兵士であろうと誰でもね。妬みや嫉み、自分勝手さやガキっぽさに向ける呆れ、自分を救ってくれないことに対する利己の憎悪、儒と既成概念に反逆したことへの恐怖と畏怖、色んな感情を少なくとも持っているでしょう。ただ、あのバカがこと人間関係に於いて程よい距離を築くに長けている……というわけでは無い」

 人の感情はどれだけの存在に対してでも悪感情を向けるモノ。幽州のように狂気の如き信仰に堕ちていない限りは、である。人間はそれほど頭が悪くないのだ。誰かしら気付くモノは出よう。
 人との距離感を保つのが上手いなら、そういった感情を表だって向けられないはずだが……華琳の判断では否、其処に桂花は驚いた。

「確かに秋斗が他人に置く距離は居心地がいい。深入りせず、人を立てて、その上で自分を出すところとか……日常では、女関係以外は場の空気を読むし、自分を話の種にすることで他人の自尊心を満たす道化になったり、どの程度が線引きかを見極めるのが異常に早かったりと、通常の生き方をしていれば持てない人心操作と掌握の経験を持ってる」

 華琳も桂花も知らないことだが、彼は競争社会で人の波に揉まれて生きてきた。現代で普通に働くということがどれほど他者に気を遣い場の流れを読まなければならないか、そして利の見極めを磨かなければならないか……この時代に生きるモノには分かり得ないことだ。
 特に彼の生まれた国はその傾向が強く、幼い時から学校でそのスキルを身に付けるモノがほとんど。三年やそこら働いただけの彼であっても現時点でもこの世界に生きるモノ達とは比べものにならない程の経験を積んでいると言えよう。
 だが、華琳はそれでも違うと言う。

「どうして兵が悪感情を向けないか。どうして民が帰還に対して私達の時と同じほどの歓待を示したのか。あんなにイカレているのに、どうして恐れず普通に接することが出来るのか……ふふ、やっぱり分からない?」

 自分であれば、きっと恐れを向けられている。華琳はそう思う。
 しかし秋斗は兵士達と普通に笑いあうし敬われない。そこらに居ても不思議ではないように扱われて、バカにされて、バカにし返して、それが見慣れた光景なのだ。
 今回の戦で華琳と秋斗の行いに差異はほぼ無い。どちらも恐ろしくて、どちらも怖いはず。嫌悪されるはずで、戦がどのようにして行われていたか囁かれれば不安が芽生えるはずなのだ。

「そうね……徐晃隊を思い出してみなさい。そうすれば答えが出るわよ」

 言われて思考を回す。
 黒麒麟の代名詞とも言えるその部隊。桂花は徐州で部隊長と話もした。その想いを聞いてもみた。だから、きっと分かるはずなのだ。

――徐晃隊は……どうしてあいつを恐れないのか。どうしてあいつと戦うのか。どうしてあいつにだけ従うのか……。憎めるわけないって部隊長は言った。徐晃隊の始まりと、狂気に落とし始めるその指標は……あ……

 彼が作る部隊の在り方と、涙ながらに語られた言葉の数々を思い出して、桂花は気付いた。

「……あいつが、本当に他人のことを想っているから、そして兵士達と同じく命を賭けているから、ですか……?」
「ふふ……正解」

 満足そうに、華琳は机の上のお茶に口を付けた。ほう、と吐き出した仕草は艶っぽく、見た目以上に色香を放つ。

「あのバカはね、他のどの将とも違って、兵士と同じ土俵で分かり易く命を賭けてるのよ。一騎打ちはありふれているけどね、たった一人だけ、裏切られるかもしれないのに誰かを救いに向かうなんて誰が選ぶ? 黒麒麟は洛陽の戦でボロボロの命を賭けたでしょう? 等しく、投げ捨てるように命を賭けているから、あいつは兵士と同じ“英雄”に成れる」

 例えそこに打算や計算が含まれていようとも、そう付け足して華琳は苦笑を零した。

「春蘭も秋蘭も桂花も、他の誰だって私と私の願いの為に命を賭けてくれてるのは知ってるわ。それが私の力と血肉になり、この乱世を越えて行ける。だけど……民や兵士からすればどうかしら」

 じ……と見つめられた桂花はまた頭を巡らせる。末端までの巨大な想いの浸透は狂気に堕ちなければ不可能だ。それが出来るのは、コツコツと深い関係を積み上げて築く王に土台があった時だけ。その王は、命を賭けていたから絆を繋げたのだ。
 その点を鑑みれば納得がいく。恐怖を抑える理由が、其処にあるのだ。世に平穏をと願う想いが、行動によって浸透させられるのだ。

「分かり易く命を賭けていることが誰の為なのか理解出来るから、あいつは大きな悪感情を向けられない……」
「ええ、言い方は悪いけれど、民は理不尽よ。自分達の為に命を賭けてくれるからその行いに魅せられる。兵士達もそう。あいつが命を賭けるから信頼出来て、恐怖と同程度の親しみが生まれるの。将としては落第だけれど、ただの兵士としては超一流……それが秋斗と黒麒麟の戦い方で、そうあるから味方の兵を綺麗な狂気へと落として行く。武人や将の理はあのバカには通用しない。軍師でもない将でもない王でもないアレは……ふふっ、なんなのかしらね?」

 楽しそうに語った。
 自己犠牲など犬も食わない……捻くれたモノならそう思う。ただし自分達と同じ心持ちで戦うのなら、それが指標となり、力となる。
 怖ろしい策を行おうとも、武力が高くとも、血に塗れて泥臭く進む男だから、兵士達は肩を並べて戦い、その在り方に信頼を持てる。

「兵士達と同じ“英雄”……そう華琳様はおっしゃいましたが……」

 桂花はこれまで聞いたことの無い例えに疑問を浮かべた。
 いい質問ね、というように華琳は微笑んだ。

「私が兵士達を鼓舞する時にどうして英雄達と鼓舞するのか。それは彼らが命を賭けているからよ。私の描く世の平穏の為に使う命、いわば生贄。世界の平穏の為に死ぬ彼らを英雄と呼ばずしてなんと呼ぶ?」

 歴史上の有能な者達を言うわけでは無く、華琳は彼らこそ讃えられるべきだと、そう言っていた。その考え方を聞いて、桂花の目が憧憬の色を浮かべた。

「何かを為したモノも英雄と呼ばれる。搦め手で風聞を得たモノでも英雄と呼ばれる。けれどね、私は彼らのように命を賭けている兵士達を一番に英雄と呼びたいの。生きることは人の本能だけれど、生きたい欲求に矛盾して命を賭け、何かを為したい自身の生き様を示す誇り高さは本当に美しい。その想いを理解出来ない輩は興味を惹くに値しない」

 彼女の嫌うモノは誇り無いモノ。命を賭けて戦った者達が居るから華琳は戦える。誇りは自身が天に向かって示す存在理由、彼女の言う誇りは、徐晃隊の掲げる意地とほぼ変わらない。

――だから華琳様は徐晃隊とあの男を認めていて、似ているからこそ苛立っていらっしゃるのか。

 さすがに口に出しては言えない。桂花にもやはり苛立ちはあったが、華琳にされた説明である程度呑み込めた。

――まあ、黒麒麟は私に近かったのに、今の秋斗は劉備に少しだけ近くなってしまっているのだけど……言わないでおきましょう。

 それは華琳と雛里、そして徐晃隊だけが気付いていること。
 一人だけで狂っていた黒麒麟は敵味方全てを背負い、一人の為にと狂いはじめている今の彼は味方だけしか背負えない。先の世の為にと計算して生かすくらいで、今の彼が黒麒麟と同じく敵を狂気に沈ませることは無い。

――多分黒麒麟なら……白馬義従や袁家の兵士のもっと多くを狂信させていたでしょう。やはり状況が……悪かったわね。

 少し寂しいと感じていた。同じ結果を求めれども、良き好敵手として存在しない。そして本物の理解者としても存在しない。

「ねぇ、桂花。私は人が好きよ? 汗水流して働く姿も、苦渋の中で精一杯抗うその様も、誰かに蹴落とされても這い上がろうとする強き心も、欲に堕落してケモノに身を変えてまで生き足掻く汚さも、例え今回の袁家であっても、同じには見られたくないし嫌悪するけど人としては好きなのよ。好きの反対は無関心。嫌いと好きは同居する。善悪の別なく人の生であり、きっとそれと似ているわ。
 私は賊徒であろうと才あれば用いる。自分の力で、自分の周りの世界を変えたいと望む人々こそ評価されるべき……世の崩壊を願わず、自分の欲望を飼い慣らし、この私の引くケモノと人との線の内側に入れるなら……ね」

 華琳にはクセがあった。
 秋斗と同じ、話を変えて思考を回すクセが。

――私が黒麒麟を欲しいと思った本当の理由は……きっと全く同じ想いを持っていたから。

 聞きこんでいる桂花とは別に、華琳の思考は止まらない。
 そして彼女は気付かなかった。本心と被せてしまっていることすら。
 それほど華琳は、未だに黒麒麟を求めていた。まるで壊れる前の秋斗が覇王と共に戦うことを求めていたかのように。

「……命を輝かせ、命を賭け、自分の意思で世界を変えたいと望む英雄達の乱世。これほどに楽しく愛おしいモノはない。その点で言えば、私は英雄にはなれないわね」
「そ、そんなことありません! 華琳様がなれないというのならあの男など――――」
「勘違いしたらダメよ。私は彼らのような英雄にはなれないだけ。ふふ、だって私が為るのは、大陸に平穏を齎す覇王だものね」

 ただ、此処で気付けるのも華琳で、ギリギリの所で桂花に気付かせないのも彼女。
 示すのは、彼らのように命を賭けないというわけではなく、必ず己が描く世界を作り出すということ。
 自分の為で、自分の為ではない。矛盾した事柄は彼と同じ。裏側を覗けば華琳の本心を覗けるが、桂花には読み取る事は出来なかった。

――満たされない。秋斗は面白いけど、やはり私はあなたも欲しいのよ、黒麒麟。

 内心で舌打ちをしつつ、桂花とまた少しだけ会話をしながら仕事の手を進めて行く。店長の店に遣いを指示したり、街の改善案件を勧めたりと並列思考で事案を処理しながら。

 窓から差し込む日輪の光に、自分が照らせない男と、照らせなかった男を思い浮かべる。
 桂花にこんな“弱さ”を見せそうになったのは、きっと秋斗と黒麒麟に……子供のような憧憬と自己投影を向けていたからだと理解した。
 孤独なのに孤独ではないその居場所。間違いを叱ってくれる人に囲まれた暖かい居場所。なのにその男は一人になろうとする……まるで今の自分を見ているかのよう。

 大きな部分が似ていた。だから余計に彼女は黒麒麟を欲した。その在り方が、自身と彼の二人共が正しいと証明する為に。

 だからだろう。桂花に自分の本心を言ってしまいそうになった。
 これまでなら抑え込めたはずなのに、華琳は秋斗がするように周りに自分を出したくなった。
 もやもやとやぼったいモノが胸に湧く。この感情は何か……華琳はチクリと胸が痛んで眉を顰めた。

――ねぇ、黒麒麟。お前は本当に、其処だけは私と全く同じだった。だって……

 それは寂寥……誰も並ぶことのないこの場所で、誰かが同じだという事実が欲しいのかもしれない。
 誰も知らない華琳の本質。彼女が何故、この世を変えたいと願うのか……理解者はたった一人。

――お前はこの世界の全てを愛していた。だから救えないと知って、多くの愛しいモノを無駄にしたと知って壊れた、そうでしょう?

 
 生きる全てを愛している華琳は、彼が壊れた理由に辿り着く。それなら壊れるはずなのだ、と。
 敵味方の区別なく想って、強いる理不尽は後の世の為に。誰にも理解されない異質で巨大な想いのカタチ。大陸を包み込む程の想いは、特別な誰かに向ける感情よりも優しく大きいモノ。

 理解者のいない彼女は、長き時をそうあれかしと過ごして来たから壊れない。

 ただやはり孤独に高みにある彼女は、自分と鏡合わせのような存在を求めていた。 
 

 
後書き
読んで頂きありがとうございます。

頂点故に命を易々と賭けるわけにはいかないジレンマ。
恋姫でも鼓舞する時に「英雄たちよ」と言ってますが、こんな意味があったらいいなと思うのです。
愛深き故に愛などいらぬ……なんてどこぞの世紀末のような気がしてならない。

次は分けたいので短めに。間に合えば今日か明日にでも。

ではまた 
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