| 携帯サイト  | 感想  | レビュー  | 縦書きで読む [PDF/明朝]版 / [PDF/ゴシック]版 | 全話表示 | 挿絵表示しない | 誤字脱字報告する | 誤字脱字報告一覧 | 

至誠一貫

しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。 ページ下へ移動
 

第一部
第六章 ~交州牧篇~
  六十六 ~冀州にて~

「……霞、来た」
「ほう。流石に早いな」
 ギョウへ向かう最中、恋が霞の気配に気付いた。
 私は馬を止め、隣にいた斗誌に声をかける。
「斗誌。済まぬが先へ行ってくれ」
「どうかしましたか、歳三さん?」
「一人、此処で合流する事になっているのだ。恋と二人、後から追う故」
「わかりました」
 そのまま一人で待っていても問題はないのだが、
「……兄ぃ、一人にしちゃ駄目って、愛紗から言われてる」
 その言葉通り、恋はずっと、私から離れようとせぬ。
 警護役としてはこれ以上心強い存在はいないのは確かだが……それにしても、天下の飛将軍を警護にするとは、何とも贅沢な事だ。
 程なく、彼方で砂塵が巻き上がる。
 確かめるまでもない、霞が駆けてきた。
「おーい。歳っちー!」
 私も、手を挙げてそれに応える。
 ぶんぶんと手を振りながら、迫ってくる霞。
「歳っち! 待っててくれたんか?」
「約定を破るのは私の主義ではないからな」
「へへー、嬉しい事言うなあ、ホンマ。恋もありがとな」
「……恋は、ただ兄ぃを守っているだけ。気にしなくていい」
「せやったな。ほな、行こか」
 笑いながら話す霞だが、その額には汗が滲んでいる。
 そして、馬は明らかに苦しげである。
 よほど、駆けさせてきたのであろうな。
「霞。まずは、その汗を拭うが良い」
「え? こないなもん、汗かいたうちに入らへんよ?」
「馬鹿を申せ。馬の息も上がっている、そのままでは馬も潰れてしまうぞ」
 恋は黙って霞に近づき、彼女を馬上から下ろした。
「ちょ、恋? 何すんねん」
「……恋も、兄ぃに賛成。そのままじゃ、霞も馬も、かわいそう」
 一緒に残っていた兵に、霞の馬を見るように伝え、当人は最寄りの小川に連れて行く。
 上手い具合に小さな林になっていて、周囲からは見えぬ場所だ。
「風呂と言う訳にはいかぬが、ここで汗を流せ。私は、離れた場所に居る」
「済まん。けどな、歳っち。出来たら……そこに居て欲しいねん」
「……しかし」
「頼む。今更、歳っちにウチの裸見せるんは構わへん。せやけど、他の男に万が一見られたら嫌や」
「……私に見張りをせよ、と申すか」
「まぁ、そうなってまうか。ほな、一緒に入らへんか?」
「いや、止めておこう」
 流石に、兵らも近くに居る手前、そのような真似は出来ぬ。
 尤も、人目がなくともそこまでするつもりはないが、な。
「いけずやな~、歳っちは」
「何とでも申すが良い。恋、向こうを頼む」
「……ん」
 本人はああ申しているが、だからと言ってうら若き女子の裸を白昼堂々と見るつもりはない。
 私は背を向け、衣擦れの音だけを耳にした。
 ……これでも出歯亀に及ぶ輩がいるとすれば、相当な命知らずであろう。
 むしろ、そこまでする奴ならば、顔を見てみたいものだがな。
 無論、無事どころか、ほぼ確実に命を落とす羽目になるが。

「あ~、さっぱりしたわ」
 上機嫌の霞と共に、軍に追いついた。
「おー、無事に着いたのですな」
「ねね、ウチがそないな下手打つ訳ないやろ? な、歳っち?」
 体力を消耗しているであろうに、霞は快活に笑う。
「霞。連れて行った兵は問題なしか?」
「……まぁ、全員ちゅう訳にはいかへんかったな。一部の連中は、ぶつくさ文句言いおったわ」
「ふむ。境遇への不満という事か?」
「それもある。洛陽の、ぱっと見華やかなところにおったせいもあるんやろな」
 それはそうであろう。
 謂わば、都落ちという奴である。
 ……尤も、陳留やギョウを見れば、洛陽が如何に斜陽の街か、それを痛感する事になるのだが。
「涼州に連れてく連中は、どのみち全員鍛え直しや。それでもガタガタ抜かす阿呆は、軍には必要ない」
「そうだな。……我が軍とて、他人事ではない」
「せやろうな。ウチかて、星や稟から教えて貰わへんかったら、ただの僻地っちゅう印象しかあらへんかったぐらいや」
 月が引き連れていたのは、元々が正規の兵士ばかり。
 それに引き替え、我が軍は大半が元は黄巾党や庶人の出。
 ……果たして、どの程度の脱落者が出るであろうか。
 出自を考えると、あまり離脱はさせられぬのだが。
 そんな事を思っていると、恋が不意に馬を返す。
「どないしたんや?」
「……セキト達、ごはんの時間」
「おお、然様でしたな。ねねもお手伝いしますぞ!」
 麗羽に頼んで用意した、荷駄用の車に乗せている、恋の家族達。
 仮の住居や世話については、斗誌の方で手配してくれる事となった。
 だが、ギョウに着くまでは、世話を他人に譲るつもりはないようだ。
「相変わらずやな、恋も」
「そうだな。恋、麗羽に挨拶をしておけ。一応、話は通してあるが」
「ああ、わかっとる。……ウチ、歳っちと一緒におってええんやな?」
「無論だ。だが、気取られぬようにせよ。何処に監視の目があるか知れぬからな」
 霞は、しっかりと頷いた。


 翌朝。
 疲労困憊、と思っていたが……霞は思いの外、元気であった。
「歳っち、おっはよー♪」
「……うむ。おはよう」
「なんや。朝から辛気くさいなぁ。もっと元気出さなあかんやろ?」
 全く、誰のせいだと思っているのか。
 まだぼんやりと、靄がかかっているような気分だ。
 そんな私を尻目に、霞は手早く着替えを済ませた。
「あ、歳っち」
「何だ?」
 顔を上げると、霞の顔が目の前にあった。
 そして、唇を柔らかい物が塞いだ。
「好きやで、歳っち」
「ふっ、臆面もなく申す事だ」
「ええやんか、好きなもんはしゃあないやん」
 屈託のない霞に、苦笑するしかない私だった。

 軍は、粛々と東へと向かう。
 特に行く手を妨げる者もないが、念の為、斥候は放ってある。
「麗羽。戦いとは情報の如何で決まる。常日頃より収集を怠るでないぞ」
「はい、お師様。このような平時でも、お師様はそれを欠かさないのですね」
「……麗羽。平時とは、そもそもがこのようにものものしい真似をせずともすむ時世の事。仮初めの姿を真に受けると、いずれお前の命取りになりかねぬ。心しておけ」
「……わかりましたわ」
 そう答える麗羽を見ながら、私は思う。
 麗羽自身は変わった、そして変わろうとしている。
 ……だが、経験は積み重ねでしか得られぬもの、一朝一夕とはいかぬ。
 それを補うのが麾下の役目だが、主立った者と言えば斗誌と猪々子のみ。
 しかも、猪々子は武一辺倒、斗誌が多少は政務を見られるが、それとて止むに止まれぬだけの事だ。
 私は幸い、そういった人材も得られたが、麗羽の場合はそれが皆無。
 ……荀彧では才があっても道を誤りかねぬ故、追いやった事は間違いとは思わぬが。
 む、いかんいかん。
 麗羽に師事は許したが、自ら学ぶように仕向けなければ意味がないではないか。
 やはり、師などと柄でもないのであろうな、私には。
「土方様」
 斥候の声で、物思いの世界から引き戻された。
「何か?」
「はっ。この先の村から使者が参りまして。土方様に是非、お立ち寄りをと」
「我らはギョウへと向かう、謂わば公用中の身。それを承知での事か?」
「そのようです。如何致しましょう?」
 何らかの直訴であろうか。
 だが、困り事や訴訟の類は、まず県令に申し出るように伝えている。
 それでも拉致があかぬ場合は、ギョウにて担当官を経て、愛里(徐庶)らが受けている筈。
 ……よもや、愛里や元皓(田豊)らがそれを怠っているとは思わぬが。
「麗羽。斗誌を借りたいのだが、良いか?」
「ええ」
「済まぬ。斗誌、この者と同行し、用件を確かめてきて欲しいのだ」
「私が、ですか?」
「そうだ。私は既に魏郡太守ではない、濫りに冀州の民と接触するのは拙かろう」
「お師様。それならば、わたくしが許可すれば宜しいのでは?」
「……いや、申し出ている者の素性が定かでない以上、それを確かめねばなるまい。斗誌が適任と思うが」
「……わかりました。麗羽様、歳三さん、お任せ下さい」
 斗誌は頷き、駆けていく。


 半刻後。
 私は麗羽、斗誌、恋、若干の兵と共に、その村を訪れていた。
 どうしても私と直接話したいとの事、既に任を解かれた私にそこまでする義務はない……そう突っぱねる事も出来よう。
 だが、その事で麗羽が不利益を被る可能性もあり得る。
 仮に、何らかの企みを持っているのであれば、それを見抜かねばなるまい。
 そう考え、請いを受け入れる事とした。
 無論、村の様子を念入りに確かめさせ、罠の可能性がない、との報告を受けた上での事だ。
 疾風が鍛えた斥候だけあり、その点、抜かりはないと見て良いだろう。
「土方様。御用の最中、ご足労をおかけ致します」
 村の長と思しき老人が、慇懃に頭を下げる。
「こちらの袁紹殿にお許しをいただいたまで。詫びるならば袁紹殿に」
「はい。袁紹様、お時間を割いて戴き、恐縮でございます」
「い、いえ。これも、州牧たる務めですわ」
 ……流石に、以前のような高笑いはせぬな。
 老人は頷き、
「さ、どうぞこちらへ」
 そのまま、村の大きな一軒家に案内された。
 庭も建物も手入れが行き届き、なかなかの佇まいだ。
「ご老人」
「何でございましょうか」
「まだ、名を聞かされていなかったと思うが」
「ほっほっほ、名乗る程の爺ではありませんぞ。形ばかり、この村にて郷三老を務めておりますがな」
 何気なく話す老爺。
 ……やはり、ただ者ではなかったか。
 私は、黙って恋を見る。
「……大丈夫。怪しい奴、いない」
 まだ、気は許せぬが、ひとまず、老爺の話を聞くとするか。

 茶菓が供され、皆が席に着いた。
 ……恋は、早速菓子に手を伸ばしている。
 よもや毒など盛られてはおらぬであろうが。
「……? 兄ぃ、食べない?」
「食べたければ、好きにするがいい」
「……ん」
 小動物のように、黙々と菓子を平らげていく。
 鈴々や猪々子らのように、もの凄い勢いで、という訳ではない。
 不思議と、見ているだけで癒やされるような気がする。
 ……と、皆がその様子に見とれている事に気付いた。
「な、なんて……」
「ほわ~ん、となりますね。麗羽様」
「そ、そんな事はありませんわ!……いえ、あ、あろう筈が……」
 麗羽と斗誌など、完全に顔が惚けている。
 ……老爺に至っては、孫娘でも見ているかの如くだが。
「ご老人。恋に見とれるのも良いが、話を聞かせて貰えぬか?」
「お、おお、そうでしたな。いやいや、こちらのお嬢さんについつい見入ってしまいました、はっはっは」
 老爺は居住まいを正す。
 ……麗羽と斗誌は、暫し戻ってきそうにもない。
 とりあえず、放っておくとするか。
「まずは土方様。これまでの事に、お礼を申し上げますぞ」
「礼だと?」
「そうです。あなた様ご自身がよくご存じかとは思いますが、土方様がこの魏郡に赴任されるまでは、何もかもが酷い有様でした」
「そうであったな。前の太守といい、官吏らといい。ご老人もさぞ、苦労された事であろう」
「はい。希望も何もない日々でございましたな。女子供は攫われ、男は殺され。残った者は搾られ続けでは」
「……今の暮らし向きはどうか?」
「お陰様で、別世界でございますよ。御覧の通り、働き手も戻り、飢えに苦しむ事も減りましてな」
 事実、そうなのであろう。
 老爺もそうだが、村人達の血色は見たところ悪くない。
 そして、眼には絶望や諦めといった物は感じられぬ。
 ……洛陽の有様を目の当たりにしてきた事も大きいのであろうな。
「それは何より。だが、決して私一人で成し遂げた事ではないぞ」
「然様ですな。土方様の許におられる、文武に優れた方々。そして、若手の文官、それに兵士の皆様。皆様の頑張りがあってこそ、でしょう」
「それだけではない。ギョウを中心に、庶人も皆、力添えをしてくれた。それなくば、今の魏郡はあるまい」
「ですが、土方様が道を示し、行動した事がきっかけなのは確かですぞ。謙遜は結構ですが、行き過ぎはいけませぬぞ」
「……ならばご老人の言葉、庶人を代表しての礼。そう思い、受け取らせて貰おう」
「はい。そして今一つ、お願いがございましてな」
 その言葉に、私は麗羽を見る。
「これ、麗羽。いい加減、戻って参れ」
「……はっ。お、お師様? わたくし、一体……」
 全く、此処が戦場であったなら如何するつもりか。
「ご老人。私は既に、この地とは関われぬ身だ。願いの儀は、袁紹殿に申されよ」
「いえ、袁紹様ではなく、土方様に聞いていただきたいのです」
「……ふむ。麗羽、良いか?」
「はい。お師様のお心のままに」
「ご老人、聞くだけ聞くが、内容如何では聞き届けられぬ。それはおわかりであろうな?」
 老爺は頷いて、
「土方様は、此度交州牧に任ぜられたとの事。まずは、お祝い申し上げますぞ」
「うむ」
「ですが、土方様の治政を、お人柄を慕う者も多うございます。遠くに去られる事は皆、惜しんでおります」
「…………」
「中には、交州に参りたいと申す者もおります」
 この時代、戸籍制度が存在し、形式上はそれを朝廷が管理している事になっている。
 だが、中央ですら統制し切れていない今の朝廷に、正確に戸籍を把握出来ている筈もない。
 ましてや近年、黄巾党の乱や飢饉、天災が続き、多くの庶人が逃散していると聞く。
 無論、徴兵や租税の取り立てに支障を来す為、発覚すれば罪に問われる。
 とは申せ、そこまで戸籍の管理を徹底出来ている地は、殆どあるまい。
 あの華琳ですら、自身の支配が十分に及ばぬ郡や県では、把握に苦労しているらしい。
「ご老人。それは、この村の総意。そう受け取って良いか?」
「いえ。この辺りの村や里は無論、県ぐるみでもそのような動きがあると聞き及んでいますな」
 ……つまり、かなりの規模、という事か。
 そうなれば、十人や百人という訳にはいくまい。
「州牧の袁紹殿を前にそこまで話すとは、覚悟の上なのだな?」
「はい。この皺首一つ、いつでも差し上げましょうぞ。ですが、皆の願いは、どうかお聞き届け下さりませ」
 さて、どうするべきか。
 その気持ちは汲んでやりたいところだが、それは即ち、麗羽の冀州経営にも少なからぬ影響を与えてしまう事になる。
 それに、鍛えられた軍と違い、庶人の歩みでは交州は遠過ぎよう。
「ご老人。志は有難い……だが、聞き届ける訳にはいかぬ」
「足手まとい、という事ですかな?」
「それは否定すまい。だが、お主らがそれを望むのは、私への敬慕だけではなかろう?」
 私の指摘に、老爺の顔から、笑みが消えた。
「……無理もなかろう。勃海郡を治める事にしくじりを見せた袁紹殿が、今度は州牧としてお主達の上に立つのだからな」
「……やはり、お見通しでしたかな。ですが」
「わかっておる。お主らとて、熟慮の末に出した結論なのであろう?」
 頷く老人。
「麗羽、聞いたな?」
「……はい、お師様」
 私は、老人を見据えて、
「ご老人。袁紹殿、いや麗羽に対する、民草の不信感や不安、わからぬではない。だがな、麗羽は以前とは違うのだ」
「と、申されますと?」
 麗羽に、眼で促す。
「わたくしから申しますわ。……確かに、勃海郡でのわたくしは、庶人の皆さんから信頼を得るどころか、恨まれても仕方のない治政しか出来ませんでしたわ」
「如何にも。ご無礼は承知の上で申し上げますが、同じ冀州の民として、勃海郡に住み暮らす者達には、同情を禁じ得ませんでしたからな」
「……わかっておりますわ。あの頃のわたくしは、何もわかっていませんでしたわ。それどころか、お師様にも大変な失礼を……」
「それも、我らには風聞として伝わっていましてな。今でも、魏郡の者は、袁紹様に絶大な不信感を抱いております」
「……自業自得、ですわね」
「土方様。確かに袁紹様は、ご自身の過ちに向き合おうとなされておいでのようです。ですが、言葉にするのは容易く、行動で示すのは難しい事。それでも、袁紹様を信じよと仰せになりますかな?」
 ……やはり、麗羽の悪印象を払拭するには、かなりの難題、か。
「ご老人。人が変わるとは一朝一夕にはいかぬもの。それは、齢を重ねたご老人には、良くおわかりの筈だ」
「勿論ですな。ただ、私一人が信じたとて、若い者達は収まりますまい」
 老爺は、決して無理難題を申している訳ではない。
 これが少なからず民草の想いであるならば、受け止めねばなるまい。
 受け止めた上で、為政者として、正しい道を示す必要がある。
「ご老人。ともかく、我らはギョウへ参らねばならん。後日、この事は責任を持って答えよう。暫し、時をくれぬか?」
「……そうですな。即答をいただくには、ちと難しき話。土方様、皆にもそのように伝えておきますぞ」
「うむ」


 村を後に、再びギョウへと歩みを進める。
「お師様。……わたくしは、本当に務まりますでしょうか?」
 青菜に塩、という風情の麗羽。
 老爺の言葉が、よほど堪えたのであろう。
「過去は消せぬものだ。それに向き合い、やり直す覚悟もぐらついたか?」
「……正直に言えば、不安ばかりですの。お師様が今でも慕われているこの地で、わたくしが州牧として務まるのか、と」
 何か、良き手立てはないものか。
 行く手を睨み付けつつ、思案に明け暮れる私であった。 
ページ上へ戻る
ツイートする
 

感想を書く

この話の感想を書きましょう!




 
 
全て感想を見る:感想一覧