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毒婦

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5部分:第五章


第五章

「ささ、もっとやれ」
「では御言葉に甘えまして」
 彼はそれを飲む。あれよあれよという間に飲み干してしまった。
「これで宜しいので」
「ふうむ」
 姫はその飲む姿を眺めて感心したように唸った。
「顔だけかと思うておったが。酒もいけるのか」
「ええ、こちらには自信があります」
「豪傑じゃのう、頼もしいわ」
「頼もしいといいますと」
「御主、名は何という」
 姫は源介の顔を見て問うてきた。
「何故ここで某の名を」
「そなたならよいと思うてな」
「それがしならばですか」
「いつもならここで。酔い潰して始末しておる」
 姫の声が急に冷たいものになった。見ればその手に持つ杯には姫の姿は映ってはいない。酒鏡に姿が映らない、これは姫の正体を物語っていた。
「また何故」
「弱い者は我等にはいらぬ」
 姫は冷淡な声のまま述べた。酒の熱でさえ瞬く間に冷えてしまうのかと思える程冷たい言葉であった。
「我等の世をここに作るのにはな」
「その世とは」
「人でない者達の世じゃ」
 姫は言った。源介が読んでいた通りであった。やはりこの姫は異形の者であり只ならぬものをその胸に秘めていたのであった。
「人でない、のですか」
「そうじゃ、まずは甲斐に信濃」
 姫は言う。
「この二つの国を押さえそこからじわりじわりと天下を併呑していく」
 語るその目が不気味に光っていた。赤く濁った光を放っていた。
「そしてな。この日本を我等が国とするのじゃ」
「人の国から妖かしの国へと」
「うむ」
 姫は頷く。
「人から妖かしになればそれでよい。じゃが人である限りはいらぬ」
 魔物達の完全な国にする為であった。その為には人は邪魔でしかないのである。
「我等の国の為には」
「では武田はどうされますか」
「武田か」
 その名を聞いた姫の顔が邪悪な感じに歪んだ。
「決まっておる。滅ぼすわ」
「左様ですか」
「まずは武田からじゃ。あの武田晴信を憑き殺し甲斐を奪ってくれるわ」
「成程、そういうことですか」
 それまでただ話を聞いていた源介の様子が徐々に変わりはじめていた。
「むっ!?」
「ならばこちらも名乗りましょう」
「ほう、さぞ名のある者と見るが」
「それはどうかわかりませぬが」
 そう前置きした上で述べる。
「名乗って宜しいですな」
「うむ」
 姫は妖しく笑ってそれに応えた。源介はそれを受けて名乗りはじめた。
「それがしは春日源介と申します」
「春日源介」
「はい、そして今は縁あって武田晴信様に侍従として御仕えしております」
「何っ、武田に」
 ここで姫の思惑が外れた。
「さらに申し上げますとこの村での怪異を収める為に晴信様より命じられここに参りました。すなわち」
「わらわを討つというのじゃな」
「左様で。御覚悟を」
「ふふふ、面白い」
 だが姫はそう言われても余裕のある態度を崩してはいなかった。
「面白いとは」
「今までは詰まらぬ男共を糧としてきた」
「ではやはり一連の怪異も」
「左様。わらわが力を得るには人の精が必要なのじゃ」
 それは明らかに魔物の言葉であった。
「それで糧としておった。じゃが所詮は詰まらぬ者達の精」
 姫は言う。
「さして力にはならんだ。じゃが御主は違うようじゃな」
 ゆっくりと立ち上がる。その周りに青白い火の玉が数個浮かび上がる。それによって現われる影は。人のものというよりは巨大な狐のものに近かった。
「管狐か」
 源介は杯を放り投げ座ったまま刀の柄に手をやった。そのゆらゆらとした影を見据えながら言う。
「左様、わらわは狐よ」
 姫もまたそれを認めた。
「それも管狐じゃ。千年生きたな」
「千年生きた狐は妖狐になるというが」
「わらわは他の狐とは少し違う。そもそもが管狐なのじゃからな」
 この管狐という狐は狐であって狐ではない。細長く、管に棲むことからこの名がついた。そして人に憑く。すなわち魔物であるのだ。
「そのわらわに。勝てると思うか」
「そうでなければここへは来ぬ」
 源介は全く臆してはいなかった。
「来るがいい、姫よ。ここで成敗してくれる」
「殊勝よの、よいのは顔だけではないようじゃ」
 姫は青白い狐火に照らされる源介の顔を見て述べた。
「そこまでの肝もあれば。ただ糧にするのは勿体ないのう」
「ではどうするつもりか」
「安心しやれ、心を奪わせてもらう」
「心を」
「してわらわの臣となってもらうぞ。わらわの国を作る為にな」
 そこまで言うとその豪奢な着物に覆われた右手を前に向けてきた。するとその着物の袖口から無数の細長い狐達が襲い掛かってきた。
「管狐っ」
「左様、管狐じゃ」
 姫はその管狐達を放ちながら言う。
「妖かしの力を持ちし狐じゃ。かわせるかな?」
「かわす必要はない」
 源介は姫にとっては意外なことに落ち着いた声であった。
「痩せ我慢を」
「痩せ我慢かどうかは今見せよう」
 それぞれ複雑な動きをして宙から襲い掛かる狐達。それが近付いたところで源介はその刃を煌かせた。
 それは一つではなかった。一瞬の間に無数のきらめきが瞬く。それが終わった後畳の上には赤い血が舞い降りる。
「伊達に御館様の御側にいるわけではない」
 源介はその刃を前に構えながら述べた。
 
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