| 携帯サイト  | 感想  | レビュー  | 縦書きで読む [PDF/明朝]版 / [PDF/ゴシック]版 | 全話表示 | 挿絵表示しない | 誤字脱字報告する | 誤字脱字報告一覧 | 

乱世の確率事象改変

しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。 ページ下へ移動
 

絆固めて想いを胸に

 バカ笑い。抱腹絶倒。紫髪の美女の様子を見ればそんな言葉が頭に浮かぶ。
 身体をくの次に曲げ、腹を抑え、片膝に手を打ちつける霞は、椅子から落ちてしまうのではないかと心配になるほど。
 対して、屈辱からか顔を真っ赤に茹で上げて、プルプルと震える少女が、一人。
 帽子から覗く深緑の髪は手入れが為されているからか艶やか、知性の証である眼鏡は掛けていない。ただ衣服だけは、本来ならば智者の証明と言ってよいモノであった。
 詠が居た。この戦場に、袁家との重要な戦にわざわざ出てきていた。
 ヒィヒィと霞が苦しげに声を上げる様を、苦々しげに睨みつける彼女は、普段なら跳ねるように食って掛かるのだがそれをしない。
 “この服”を着ている時だけは、それをしてはならない。

「くく……っ! あ、あかんて……そんなん、は、反則やん? ひ、雛里の服着て……華琳の喋り方……くっ……あははははっ!」

 漸く落ち着くかと思えば、また盛大に笑い出した。
 詠はギリと歯を噛みしめて耐えるだけ。似合ってないと素直に言えばいいのに……心の内で毒づきながら。
 彼女が着ている服は、嘗て徐州で孫権軍を追い返した時に着ていた雛里の衣服。胸については前のような即席では無く、詠の大きさに合わせて繕われており、何処からどう見ても水鏡塾の学生にしか見えない。
 帽子と腰のリボンも変えていた。三角帽子の代わりに小さめの文官帽子、リボンは……月が『可愛いからこの色にしよう』と言った為に侍女服のモノを脱色した薄ピンク。
 今回は雛里の代わりでは無く、新規に登用された軍師に見せかける算段であった。
 いつのなら霞も此処まで笑ったりしないのだが、今回は詠の後ろで佇む一人の男の思いつきによって、抑え切れなかった。

「そんな笑わなくてもいいじゃないか。なぁ、えーりん?」
「……“あなたのせいではないかしら?”」

 尋ねれば、キッと後ろを振り向いて睨まれる。殺気をふんだんに込められた視線、後で覚えてなさいよこのバカと言わんばかりの。
 秋斗はブルリと震えて一歩退いた。
 くだらない思いつきである。普段から眼鏡を掛けているから外して服装を変えれば誰か分からないのではないか、それならいっそ口調も変えてみよう……などと彼が言い出したのが原因であった。
 彼の隣では、真っ黒の衣服でフードも被って正体を隠す月がグッと拳を握って、

――“彼女”の真似してる詠ちゃん可愛い。

 何処かズレた思考で、詠に優しげな眼差しを送っていた。
 駐屯地の天幕の中、ひとしきり笑った霞が、目尻に涙を浮かべながら口を開く。

「はー……よう笑ろた。秋斗、あんたぁ中々やりよるな。ってか詠、ウチの隊の細作は劉表の謁見終わってから殺しきったし、普通に喋ってもええねんで? 天幕の外にも人居らんっぽいし、な?」
「ん? ああ、外は誰もいない。警備の二人は入る前に下がらせたからな。霞が笑ってる間に近付いてくる足音も気配も無かったぞ?」
「なっ! それを早く言いなさいよ!」

 途端にいつもの口調に戻った詠が噛みつく。
 性質の悪いからかいはしない二人である為に、素で忘れていたのだ。だから睨みつけるだけに留める。

「ふふっ、可愛かったよ、詠ちゃん」

 微笑みを携えた月からの純真無垢な一言。途端に、詠の顔はまた真っ赤に染まる。
 あわあわと口を動かすも、言葉を紡ごうとしても出て来ない。雛里の服を着ているからか、それが自然に見えてしまい、またもや霞が噴き出した。
 直ぐにジトリと睨んだ詠は、

「こんの……いい加減にしなさいっ!」
「……っいったぁ!」

 霞の足を思いっ切り踏ん付けた。片足を持って跳ねる霞に、秋斗も笑いそうになるがまた詠に睨まれてどうにか抑えた。
 どうしようもなく緩い空気の天幕での喧騒が再び落ち着いた所で、本分を間違えてはいけないと話し始めたのは詠であった。

「とりあえずよ? 行くかどうかの判断は風と稟の二人から任されてたけど……いい……かな?」

 弱々しく、尻すぼみになっていく声。不安が一杯に溢れた詠の瞳は気の強い彼女にしては珍しい。
 神速の張遼率いる遊撃隊五千。無論、これまでそれ以上の部隊をも一人で率いてきたのだから、軍師が必要かと問われれば否と答えられる。
 それでも、正式に曹操軍に所属する軍師二人が、侍女として働いている詠の身を戦場に押し上げる事を求めた。その意味はなんであるか、その理由は……話されていない。
 官渡に到着後、遊撃隊を率いて出て行く霞には事前に伝えられていなかったのだ。各部隊の連携が最重要とされる戦で。
 袁家や他諸侯の耳を気にしてはあるだろう。しかし、何処か違う理由も感じられた。
 霞が考えても、答えは出ない。ただ……彼女の心には、湧き上がる嬉しさと安心感があった。ジクジクと胸にあったはずの傷が癒された気がした。
 ねねが向けた敵意は詠にも月にも伝えている。湧き立つ悲哀から涙零れそうになりながら話しておいた。
 秋斗と出立前に酒を酌み交わし、澱みを流した……つもりになっていた。
 それだけでは足りない。彼女が心の底から渇望していたのは、嘗て共に戦った友達が隣に居てくれる事であったのだから。
 ふっと微笑んだ霞は、そっと詠の頬に手を寄せた。

「なぁんも問題あらへん。詠の力はウチがよう知っとる」

 親指で優しく撫でる。ぎゅうと眉を寄せた詠を、安心させられるように。
 すぐにやめて、気恥ずかしそうに立ち上がってから背を向け、くつくつと喉を鳴らした霞は歓喜から弾む声を続けた。

「ま、鈍っとらんかったら、やけどな。あれから磨いて来たウチらの神速に、頭が付いてこれへんやったら素直に秋斗んとこ戻りや」

 負けん気の強い詠の気質を知っているからこそ、信頼を含ませて発破を掛ける。
 ポス、と霞の背に拳を一つ。詠は小さく鼻を鳴らした。

「ふん、ボクが居て良かったって、絶対に言わせてあげるんだから。今回、霞の背中を押すのはボクの役目よ。誰にだって譲ってあげない」

 その優しい光景に、秋斗と月の頬が自然と緩む。
 いつまでも此処に居たいような気になっていたが、直ぐに戻らなければならない為に、月が表情を引き締めて、秋斗の服の裾をクイと引いた。
 彼女を見ずに小さく頷いた彼は、ゆるりと片手を上げて声を掛けた。

「じゃあ霞。えーりんの事は任せた」
「任しときぃ……ってなんや? 手ぇなんか上げて」

 振り返り首を傾げる霞。秋斗は涼しげな笑みを浮かべる。

「二人で手を叩けばバトンタッチ。ま、役割交代の合図って感じだ。他にもいろんな意味があるけど、それは次会った時にでも聞いてくれ」
「ふーん、ばとんたっち、なぁ……よっしゃ、なら秋斗の役割、確かに貰い受けた。月の事は任せとくでー」

 パン、と乾いた音が鳴った。猫っぽくにやける霞と目を合わせて、秋斗も悪戯が好きな子供のように喉を鳴らす。
 月はそれを眺めていた。二人のやり取りに心が弾む。絆が結ばれていく様子は、近くで見ているだけで爽やかな風を心に送り込んでくれる。

「ふみゅ」

 むにっ……そんな音が聴こえるかのよう。月のもちもちした頬を詠が不意に摘まんだ。
 任すだの任せろだのと本人が置いてけぼりなまま言われているが、守られる事に不満は無いし、悪い気もしていない。
 ただ、月が穏やかな表情で彼らを見ていて、自分だって、という気持ちが湧いてきた。

「え、詠ひゃん?」
「ボクだって、守られるだけでなんか、居てあげないんだから」

 ふにふにと動かす指は不満からか。合わされる瞳には負けん気が轟々と燃えていた。
 自分も何かしたい、一つでも多く守りたい、もっともっと……それは彼らと共有出来たモノ。
 何もするななどとは命じられていない。大人しく待っていろなんて、彼女にはもう無理であった。泣きそうになっていた霞や、戦いたいのに戦うなと言われた秋斗。その二人を支えたいという心は当然ある。
 しかし、侍女として兵士達を励まして、支えて、元気づけて、盛り上げて……彼らの笑顔を見てきたら、どの部隊の兵士であろうと一つたりとて命を失わせたくなんか無かった。
 全てを救うなんて事は到底無理な話。出来る訳が無い。それが戦争。
 冷徹に戦を運ばなければならない軍師としては持つべきでは無い想い。それでも、彼の隣で雛里と同じ位置に立とうとしていく内に、芽生えてしまったしまった強い想いであった。
 風と稟は、そんな彼女の想いを読み取り、外部勢力から差された一手から安全性を考慮し、詠に出るかどうか自分で決めて出て来たらいいと示している。ならばもうやる事は一つ。
 そっと詠の両手を取って、月はきゅっと包み込む。彼女の柔らかな微笑みは、いつでも詠を癒す何よりの光。

「詠ちゃんはやっぱり凄いなぁ」
「バカ達の想いはボクと月の胸にも残ってるでしょ? 想いを繋ぐのは皆で一緒に、ね?」
「うんっ」

 二人の少女がクスクスと笑い合う。秋斗は霞に頷いた後で背を向けて天幕の入り口に向かい、

「じゃ、官渡で待ってるから」
「あ……霞さん、詠ちゃん、私も待ってますから」

 背を向けたままでひらひらと手を振った。月が急いでそれに続く。
 名残惜しそうに何度も振り返る月であったが、遠くで二人に苦笑しながら手を振りかえされ、恥ずかしげに前を向く。
 何も話さずに幾分、簡易で設置された陣の外、月光の前に来る。お願い……と声を掛けてから、膝を降ろした月光に跨り、秋斗もそれに続いた。
 走り出した月光の速度は兵達の乗る馬とは一線を画す。流れる風が耳を騒がせる中で、月は彼の腕の中で彼に語りかけた。

「あなたも戦いたいですか?」

 聞くべきでは無いと分かっていても、聞かずにはいられない。
 官渡を出立していく将達、兵達を見送る彼の目が、哀しげに揺れていたのを知っているから。二人にその目を向けない為に、天幕を出る時も振り向かずにいたと、分かっていたから。

「……誰が帰ってくるか分からんってのはさ、こんなに怖いもんなんだな」

 質問に対して真っ直ぐ答えない彼は、黒麒麟と全く同じだった。
 その言葉は、詠を送り出したから発されたモノ……では無い。組まれている計画から、将達や軍師達に向けてでは無かった。
 黒麒麟と同じように、秋斗は兵達にも想いを向けていた。人が死ぬ、それが嫌で仕方ない。わがままだと、叶わぬ願いだと分かっていても、一人でも多くに生きて欲しい。

――始まりは皆一緒。“彼女”も、桃香さんも、私も……だから今の彼も“彼女”や私と同じになっていく。でもそれって……

 そうか、と月は気付いた。ふるふると身体が震えた。気付いてしまった事実に、涙が落ちそうになった。
 記憶の戻し方は手探りだ。同じ事をしていけばその可能性が上がるのではないかと、彼と月は追い掛けてきた。
 しかし……ここに来てその大前提が狂っている事にやっと気付いた。

――始めの一歩が違いすぎる。この人はこうして傷つく事に慣れて行くから、瘡蓋を自分で捲りながら進んで来た彼とは、まったく違う。

 心の予防線を張らせて、華琳や月のような王の強さを身に着けさせればいい。駒を動かすように戦を見せて、軍師のように兵の生き死にを頭に植え付け、より強固に心の強さを持たせて。
 雛里の思惑は彼の土台を先に作り上げる事だった。彼が前のように、傷つきながら進む人にならないで済むように、と。
 嗚呼……と悲哀が込み上げる。雛里の想いは、自分の抱くモノよりも尚大きいと感じたから。背を包み込んでくれる暖かさを受けるのは、やはり彼女であって欲しいと思った。そして、彼女が心の底で願い続けているはずの幸せを与えてあげたかった。

――だから今は思惑に乗ろう。戻らない賽の目はそのままでいい。私は新しい賽を振りなおす。彼が戻るまで、何度でも、何度でも。黒き大徳を成長させた上で、黒麒麟に戻って貰おう。

 深く息を吐いた。心に芯を通す為に。
 彼に王の理を教えるのは月の役目である。華琳や月と同じ高みに上らせるには、彼に言っておかなければならない事がある。

「一つ一つの命に拘ってはいけません。それを人は恐れるでしょう。憎み、蔑み、責めるモノがいる事でしょう。
 ですが、個々の死を受け入れ、背負って尚、真っ直ぐに目指す目的を見据えて歩みを進める……それが王です。嘗てのあなたはその重圧に耐えていましたが……」

 続けずとも、彼には伝わる。

 あなたにそれが出来ますか? 将も兵も軍師も、人の命全ての責が覇王の双肩に乗っている今であっても。

 桃香に全ての責があったはずの劉備軍で、秋斗もその責を背負っていた。曹操軍では出来るはずも無いが、それを出来るかと問いかける月は矛盾している。
 されども、二人だけに分かるモノ。

「出来るか出来ないかじゃない。やるかやらないか……だから俺はやりきるよ。俺は徐公明だが、“徐晃”じゃないからな」

 張りのある重苦しい声が耳に届く。
 謎かけのような返答に問い返す事はしない。真意は、月には分からなかった。

――黒麒麟だったけど今は違うってことだろうか。

 不満を伝えるように月光が嘶く。それでは不足だとでも言わんばかりに荒々しく地を蹴った。
 喉を鳴らして、秋斗はため息を吐いた。

「ありがと、ゆえゆえ。完全に拘るなってのは無理だけど、絶対に遣り遂げるって誓うよ。でも、ごめんな、お前さんをこれから先、利用する事になる」

 器用に手綱を片手で持って、彼は月を緩く抱きしめた。そうされて初めて、自分が震えている事に月は気付いた。
 心の内を見つめると、哀しみと嬉しさがあった。
 初めて抱きしめられて幸せは湧いた。別の嬉しさも湧いてきた。申し訳なさも多分に湧いた。
 回された腕に手を添える。もう大丈夫ですからと……軽く叩くはずが握ってしまった。まるで、放さないでと伝えてしまうように。育つ恋心は、こんなにも抑えがたく愚かしい。

「あなたは黒です」
「ああ、俺は黒だろう」
「“彼女”と私の為の黒です」
「天に輝く光があったら黒も出来るわなぁ」
「思い出したら……きっと苦しみますよ?」
「それでもさ、黒麒麟ならこうするだろ。どうせ俺の事だから、誰かを傷つけても進むんだ」
「やっぱりあなたは……」

――秋斗さんです。

 今まで一度も呼ばなかった真名を心の中でだけ呼んだ。
 戻ってきた時にだけ呼ぼうと決めているから、呼ばない。その一つの決心が、どれだけ今の彼を否定しているかも分かっていながら。

 必要とされる事が嬉しい自分と

 自身は必要ないと思っている彼。

 どちらも度し難く、救えない。

 月の身体の震えが強くなった。
 雛里を一番傷つけて、一番安らぎを与えられる方法は一つだけ。固く閉ざされた心の殻をはぎ取るには、一度だけ、彼女の事を彼が泣かせなければならない。
 締め付けられるような声音で、彼が言葉を零した。ずっと支えてくれた月と二人だけだから、苦しくてもカタチとして誰かに示した。

「俺に鳳凰は必要ない」

 その言葉がどれだけ雛里を絶望の底に落とすのか。明確に理解している月は涙を流した。
 自分を見てと願った少女に突き刺す刃は鋭く残酷に思える。それでも、殻だけを割いて、幸せを探す羽をもう一度広げられる……大空から、黒麒麟を探して欲しいと願った。

 そして黒き大徳は鳳凰を求めず、雛里という少女の幸せだけを求めていた。




 †




「張コウとだけは戦うな」

 普段は蒼い髪で隠れがちな片方の眼から厳しさを宿して向けられた視線。反抗する事も、疑問を返す事も許されない神妙な面持ちで語られる。
 その真剣さに、息を呑んだのは二人。

「どれだけ兵士を殺されようと、一騎打ちの誘いを投げ掛けて来ようと、彼奴が自ら向かって来ようと、お前達二人はあいつと相対しそうになったら直ぐに逃げろ。何があってもだ」

 重ねられた言は注意の域を超えていた。警告ですらない。強要、とも違う。それは必ず従わなければならない、絶対遵守の命令に等しい。
 灰色の髪が揺れる。眉間に刻まれた皺は深く、噛みしめた唇は尚も力強く。
 凪にとって、逃げろと言われてはいそうですかと引き下がる事は出来ない。
 身の内に宿す誇り故、否。
 共に戦う兵士達、友達、上司……皆を守らずに逃げるなど、彼女の信念に反するモノだ。何より、兵を率いる将が敵将に背を向けて、臆病さを見せてどうするのか。
 秋蘭の視線を真っ向から受け止めて、凪は重く、苦しい声を発した。

「従います。ですが……」

 其処まで紡ぐのが限界であった。
 上司に意見を投げるのはあまりいい事では無い。個人の不満をカタチにして表す事も、戦前では部下の取るべき姿でもない。
 それでも、彼女が彼女として戦う為に、暗に示してでも、聞いておかなければならないのだ。

――せめて一騎打ちはせずとも、部隊で抑え込む事くらいはさせて欲しい。

 どの部隊と戦うかは陣容にもよる。一騎打ちをしないという武人としての在り方に反する事は認められても、戦人として逃げ出す事は出来ない。
 ぶつかる視線は緊迫感を軍議場に広げていく。

「アレは……“紅揚羽”は武人では無い。戦人でも無い。将ですら無い。率いる部隊は死兵の群れ。あいつ自身も生ける屍のような奴だ。目的の為には手段を選ばん。得たい結果の為なら、命も誇りもゴミクズのように捨て去るだろう。
 さらに言えば、今のあいつには強い羽がある。田豊が戦略的な軍師として据えられ、主だった戦場に出ずにいた徐州の時とは違うのだ。共に居られる今回は比べものにならん力を発揮するだろう。
 まあ、単純に言い表すのならば……鳳統が率いる徐晃隊の先頭で、徐晃が戦いながら戦況を操っているようなモノだ。ソレが来た場合、私、姉者、霞の誰かが本気で当たらなければ……」

 秋蘭はチラと稟に顔を向け、コクリと頷いた彼女を見て凪に視線を戻す。

「お前達二人程度では死ぬ」

 はっきりと、きっぱりと言い切った。相対するには戦力外だと。
 二人で掛かれなどとは言うはずも無い。それが通用する相手であるなら、こんな話を秋蘭はわざわざ出さない。

「しかしっ」
「兵の命よりもあなた達将の命が優先される戦、この延津では、誰一人としてあなた達のような将を死なせてはダメなんですよ。
 一人の勝利よりも部隊の勝利を、部隊の勝利よりも軍の勝利を、一つの戦場の勝利よりも“戦”の勝利を。あなた達が敵わない事も、既に幾多の道筋の一つに組み込まれています。失われる兵の命は……勝利でしか報われない」

 稟の冷たい言葉は鋭利な刃のよう。グッと詰まった凪に対して、沙和は哀しげに眉を寄せた。
 重苦しい空気の中、季衣は首を捻る。

「……あの人、そんなに怖いんですか?」

 場に空白が挟まれる。その無邪気な声が、何よりも異質に思えた。

「ああ、怖いよ。アレは異端者の類だ。お前や凪、沙和には分からんだろう。
 武人に成れたモノが土台を積まずに、狂おしい程に身を焦がす想いを先に持ってしまった末路がアレだ。その点で言えば……いや、なんでもない」

 言い含んだ秋蘭はそれ以上話すつもりは無いようで、自嘲のような微笑みを浮かべて黙り込んだ。
 凪も沙和も季衣も、一様に訝しげに眉を顰めるだけで、続きを聞こうとはしなかった。
 コホン、と咳払いを一つ。稟が眼鏡を指で押し上げ、引き締まった表情で口を開く。

「とりあえず、部隊同士がかちあった場合、張コウの相手は予定通りあなたに任せます」
「ふふ、任されよう」

 どうか無理はしないように、とでも言いたげな眼差しに、秋蘭はにやりと口角を吊り上げた。

「季衣が私を守ってくれるなら、あいつの手足を磔にする事も容易い」

 前々からの戦場とは違う雰囲気の秋蘭に、凪と沙和はゴクリと生唾を呑んだ。
 春蘭に隠れがちだが、秋蘭も一介の武人である。それも笑みの理由の一つ。
 突撃思考の強い姉を支える為にと自然に選んだ武器が弓、そして後方支援の部隊……そう思うモノがほとんどであろう。
 半分は正解で、半分は間違い。
 何が華琳の為に必要かを研鑽し続ける彼女は、天より与えられた自分の弓の才と頭脳を正しく理解し、何より感謝していた。
 秋蘭の仕事は姉を助ける事……では無い。華琳の為に戦う事だ。
 気付いてるモノは少ない。曹操軍の者達で秋蘭の本質に気付いているのは、華琳と雛里だけ。

――これほど……これほど楽しみな戦場が何処にあろうか。私が華琳様の為にあいつを捧げられる。姉者は霞を捧げた。だから次は、私が捧げてみせる。

 彼女は負けず嫌いでありながら、誰にも零さず内に溜め込むタイプである。さらには、春蘭と同じく華琳を絶対と置く狂信者でもあるのだ。
 裏切りなど有り得ない忠臣にして、華琳の為ならば命すら惜しまない。主の為になる事を分析した上で判断できる明晰な頭脳を持っているが故に、春蘭よりも秋蘭の方が恐ろしい。
 自分でもそれが狂気の類だと理解している秋蘭は、静かに、蒼い炎のような闘志を心の内にいつでも燃やしている。
 姉妹という絆は支えるだけでは収まらない時も多々ある。
 どちらの方が成績が良いかで競い合うように。
 劣等感や嫉妬では無い。そんな安っぽいモノでは無いのだ。相手に対して許せない心では無く、力が足りない自分に対して憤りを感じるという、華琳好みの在り方。
 片方が大きな手柄を立てたのに、片方は表立っては手柄を立てていない。そんな事が許されようか。
 徐州の戦の最中に留守を守り切った……その程度で秋蘭の渇きは満たされない。
 彼女は渇望している。主の為に、愛しい姉と同じモノを捧げるのだ、と。実力主義の曹操軍に於いて、そして華琳の部下であるならば、並び立つには結果を示してこそ……そう、心をずっと燻らせていた。

 今回の戦、季衣が秋蘭に着いた事には理由があった。
 本来なら、季衣は官渡で留めて置く算段であったのだが、部隊を引き連れずに季衣単体だけ、秋蘭の護衛として連れてきている。
 敵の本質を見抜いている秋蘭が軍師達に進言したのだ。確実に張コウを捕える為に、である。
 野性味の強い季衣は勘が鋭い。流琉も森などで獣を獲ったりしていたが、季衣はそれよりも上だった。
 精神力と集中力を要する弓術。それを主体に戦う秋蘭を、手段を選ばない部隊から“確実に守る”には護衛が必須。
 ましてや陣から離れての野戦を行うのだから、一度に複数本の矢を放てる秋蘭であろうと武器には限りがある。無駄を無くし、効率的に欲しいモノを得る為にはどうすればいいかを常に考えている。

 雛里は徐州で華琳に話していた。
 徐晃隊と同じモノを作るなら、春蘭か秋蘭を副将に据えなければならない、と。
 曹操軍で狂信の頂点になり得るのはこの二人、と言っていたわけだ。軍内に於いて誰よりも効率と協調性を重視する彼女は、ある意味で黒麒麟と相似でありながら、今は居ない副長とも似ているのだろう。

 楽しげな秋蘭の笑みに寒気が少し来るも、稟は息を付いて落ち着かせた。
 今回、全てを操るのは、華琳では無く稟一人なのだ。
 徐晃隊を扱えなかった時のような失態はもうしない。人の生き死にに左右はされない。戦でだけはより冷たく、より冷酷に……と。

「顔良はお二人に任せます。私は真桜の開発した一段櫓で戦場を俯瞰し、敵軍師の思惑を読み切る事に全力を注ぎましょう」
「了解なの。でも秋蘭様、無理はしないで欲しいなって……」

 うるうると眉を寄せて、沙和は秋蘭を真っ直ぐに見据えた。
 優しい沙和からすれば、武人の心は分からない。ただ、近しい人の身を案じるのは人として当然の事。だから声を掛けた、
 ふっと一息。秋蘭の表情が緩む。暖かく気遣ってくれる部下を持てて、自分は幸せだと。

「ありがとう。なに、心配はいらんさ。私はあまり突っ込んで切り拓くのは得意では無いのでな。凪も沙和も無理はするなよ。我らが命を賭けるのはまだ此処じゃない」

 兵には悪いが、とは言わない。それを言わないのが、彼女達の仕事でもある。
 静かに、凪は目を瞑って深呼吸を一つ。後に気合の入った眼を秋蘭に向けて頷いた。
 兵達の命を想う優しい彼女達だからこそ、兵が想いを宿せるような調練が出来て、軍が強くなってきているのだろう……そう考えて、秋蘭は嬉しくなった。

「季衣もこれを機に、私の指揮の仕方を学んでくれ」

 二つに括られた桃色の髪を撫でる秋蘭は母親のようにも見える。心地よさそうに目を細めながら、季衣はコクコクと頷いた。
 重苦しい空気は払拭され、穏やかな雰囲気が滲み出始める……その前に、また、稟がコホンと咳払いを一つ。しかし口元は少しだけ緩んでいた。

「では、布陣の説明に入ります」

 机に広げられた戦場の見取り図に、皆は食い入るように見入って説明を頭に叩き込んで行く。
 彼女達の力が試される戦は、もうすぐそこまで迫っていた。




















 回顧録 ~イノリシネガイハ~



 目が覚めた時は蒼天だった。

 “あの時”と同じく、突き抜けるような青空が広がっていた。

 雲は一つとして無く、日差しが優しく暖かく包み込んでくれる。

 だから、誰かの悪戯だろうと微笑ましく思っていたんだ。

 身体を起こせば、麗しい声が響いて、高らかな笑いが迎えてくれると、そう思っていたんだ。

 だというのに

 見渡す限りの荒野が広がっていて、周りには誰一人としていなかった。

 吹き抜ける風は涼しく、心の中にまで入り込んでくるような

 そんな寂しさを宿していたんだ。

 頭が痛かった。

 ナニカガオカシイ

 警告のような痛みは、ズキズキと現実を受け入れろと理解を促した。

 シッテイルハズダロウ

 思い出せというように、この見た事のある風景が、胸を打つ鼓動の度に震えていた。

 コノアトニダレトデアッタ

 もう、失われた大切を思い出したくなかったから、蓋をするように瞼を瞑った。

 ホラ、マダセカイヲカエテナカッタ

 受け止める事の出来ない現実が、無情にも自分の耳から入り込んできた。



 タイセツナモノヲスクワナイト

 世界は、変わらない。




 優しい声が耳を打った。

 溢れる涙は、止まらなかった。

 もう一度会えるなんて、思わなかったから。

 もう二度と会えないと、分かっていたから。

 だから……その胸に抱きついて


 “自分を知らない彼女だとしても”

 今度こそ生かしてみせようと

 あの時、心に決めたんだ。



 
 

 
後書き
読んで頂きありがとうございます。

場面転換が多すぎる為に切りました。一万と短めですがご容赦を。

秋蘭さんの本質。姉妹でも、負けたくないモノはあるって感じで。
それが華琳様に対してのモノなら尚更かなと。

次こそは延津の戦いです。


ではまた 
ページ上へ戻る
ツイートする
 

感想を書く

この話の感想を書きましょう!




 
 
全て感想を見る:感想一覧