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FAIRY TAIL 星と影と……(凍結)

作者:天根
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幽鬼の支配者編
  EP.20 ワタル迷走

 
前書き
マガジンの方で、FAIRY TAILが400回目を迎えましたね。
原作者の真島ヒロ先生は、前連載のRAVEを一週も休載することがなかったそうで、それはFAIRY TAILにも引き継がれています。
その上、一挙複数話掲載とか読み切りとか……凄まじいの一言ですね。

それと、今回のお話は人を選んでしまうかもしれませんのでご了承ください。
それでは、第20話、どうぞ! 

 
 妖精の尻尾(フェアリーテイル)のギルドの地下1階。
 そこは、普段は物置ぐらいにしか使われていないのだが、今は所属魔導士のほとんどがそこに集まり、騒いでいた。
 もっとも、普段のように明るく陽気に喧嘩や酒盛りに興じているものではなく、暗い怒りに満ちた陰気な雰囲気に包まれていたが。

「……重い空気だな」
「仕方ないだろう」

 思わずといった風に漏らしたワタルの呟きをエルザが諫める。

 ガルナ島から帰還した彼らは、半壊したギルドの前でミラジェーンに遭遇した。彼女によれば、ギルドの半壊は幽鬼の支配者(ファントムロード)の魔導士の犯行とのことだ。
 フィオーレを代表する魔導士ギルド・幽鬼の支配者(ファントムロード)妖精の尻尾(フェアリーテイル)は犬猿の仲で、仕事先で両者の魔導士がかち合えば小競り合いが起きるのが常である。
 少し周りを見ただけでも、ファントムに対する怒りの声を上げる者や報復を提案する者、それを宥める者で溢れており、ギルド中を覆いつくすような負の感情に、ワタルが辟易するのも無理はなかった。

 今、ガルナからの帰還組はミラジェーンの後を付いて行く形でギルドの地下を歩き、マスターたるマカロフの元へ報告に向かっていたのだが……

「よっ、おかえり」

 ギルド全体が陰気な雰囲気の中で、彼らを迎えたマカロフはいつものように酒を飲みながら片手を上げて軽く声を掛けただけだった。

「じっちゃん!! 酒なんか飲んでる場合じゃねえだろ!!」

 周りが荒れた雰囲気に包まれている中、不自然なほどにラフな挨拶をする彼にナツが噛みつく。家も同然のギルドを壊されたのだから、ただでさえ直情的なナツが怒るのも無理もないのだが、マカロフが取り合う事は無かった。

「おー、そうじゃ……おまえたち! 勝手にS級クエストなんぞに行きおってからに!! 今から罰を与えるから覚悟せい!!」
「え!?」
「はぁ!?」
「それどころじゃねえだろ!!」

 ギルド半壊という異常事態によって罰の存在が脳内から吹き飛んでいた3人が驚くも、罰の内容はマカロフのチョップ一発と言う軽いものだった。ルーシィだけはお尻を叩かれるという半分セクハラのようなものだったが。
 今まで黙っていたエルザだったが、彼に態度がふざけているようにしか思えず、声を荒げた。

「マスター!! 今がどんな事態か分かっているんですか!!」
「ギルドが壊されたんだぞ!!」

 彼女に続いたナツの怒りの声にも、マカロフはいつもの調子を崩そうとせず、頬杖をついて宥める。

「まあまあ、落ち着きなさいよ。騒ぐほどの事でも無かろうに。ファントムだぁ? 人のいないギルドなんか狙って何が嬉しいのやら」
「人のいない……?」
「ええ。やられたのは夜中らしいの」
「ふーん。見た感じ、怪我人が出てないのはそういう事か……」
「不幸中の幸いだったな」
「不意打ちしかできんような奴らに目くじら立てる事はねえ。放っておけ」

 ミラジェーンの言葉にワタルが安堵し、エルザもそれに相槌を打つ。酒を呷っていたマカロフも、アルコールに顔を赤くしながら鼻で笑っていたのが……怒りを抑えられない者が一人。

「納得できねえ!! 俺はアイツら潰さなきゃ気が済まねえ!!!」

 ナツだ。青筋を浮かべ、マカロフが座っているテーブルに手を叩きつけて抗議するその姿は怒りに満ちていたが、なおもマカロフは取り合わない。

「この話はおしまいじゃ。仕事の受注は上が直るまでここでするぞ」
「仕事なんてしてる場合じゃ――」
「ナツゥ!! いい加減にせんか!!」

 痺れを切らしたマカロフだが、その矛先はまたもやルーシィ。

「……だからなんであたしのお尻?」
「マスター……怒りますよ」
「……いかん、漏れそうじゃ。ワタル、報告は明日でいいぞ」
「なんで平気なんだよ、じっちゃん……」

 寸劇の後、ワタルの返事を待たずにトイレに消えるマカロフ。
 その後ろ姿に悔しげに声を漏らすナツに、ミラジェーンが答えた。

「悔しいのはマスターも一緒なのよ、ナツ。でもギルド間の抗争は評議会で禁止されてるのよ」
「先に手ェ出したのはあっちだろ!!」
「そういう問題じゃないのよ」

 尚も怒りを収めないナツをミラジェーンが宥める。

「マスターがそう言うなら……仕方ないな」

 そう言ったエルザも感情では納得できていないみたいで、俯いて悔しそうにしている。ギルドの面々もそれで一応は落ち着いたのか、不満を抱えながらも、それを表に出そうとする者は無くなった。

「……」

 そんな中でワタルはただ一人……怒りでも悲しみでもない、ギルド内の誰とも一致しない表情で溜息を吐くと、ギルドから出て行くのだった。


    =  =  =


 その日の夕方……ルーシィは自宅にて、頭痛を堪えるかのように額に手を当てていた。

「だからなんでいるのよ!? しかも多いっての!!」

 頭痛の種は不法侵入者。しかも今回はナツ、ハッピー、グレイ、エルザのそろい踏みだ。
 幸いながら、毎度のように散らかしてはいないみたいだが、年頃のルーシィにとっては慰めにもならない。ガルナ島に持ち込んだ荷物が入ったスーツケースをナツの顔面目掛けて投げつけてぶつける事で、せめてもの鬱憤晴らしとした。

 お約束が済んだところで、エルザが説明のために口を開く。

「ファントムの件だが、奴らがこの街まで来たという事は、我々の住所も調べられているかもしれないんだ」
「え?」
「まさかとは思うが、一人の時を狙ってくるかもしれねえだろ?」
「だからしばらくは用心のためにも、みんなでいた方がいいって……ミラが」

 顔を青ざめるルーシィに、グレイとハッピーも口を開く。

「そうなの!?」
「うん。だからみんな今日はお泊り会やってるよ」
「その通りだ。だから――――」

 ハッピーに続いたエルザはそこで口の端を上げ、笑うのだった。




「――――で、なんで俺の家?」
「まあいいじゃないか。部屋は余っているのだから」
「そういう問題じゃねえよ……」

 場所は変わってワタルの家、玄関。
 家の中で筋トレをしていたため、Tシャツにハーフパンツという格好にタオルを首にかけているワタル。普段のジャケット姿しか見たことのなかったルーシィ達は彼のラフな姿が珍しかったのと、エルザとの言い合いに口をはさむ事ができず、彼女の後ろで黙っていた。
 なんだかんだいってワタルの家に興味があるのか、扉の隙間から家の中を覗こうとはしているが。

「お前女子寮のはずだろうが」
「ルーシィも年頃だ。彼女だけをナツやグレイと一緒にお前のところに泊まらせるわけにもいかないだろう」
「俺のところにルーシィ達を泊まらせるのは決定なのね……寮でお前のところに泊まらせるというのは?」
「まあ……いいじゃないか、知らない仲ではないのだし。お前のところなら間違いは起きないだろうしな」
「だから勝手に決めるなっつーに……あーもう、分かった分かりましたよ! シャワー浴びてくるから、それまで待ってろ」

 エルザの後ろに控えている3人と1匹を見る。ナツやグレイは軽装だったが、ルーシィは17歳の女性らしく、荷物も嵩張っている。
 それをこのまま追い返すのも気が引けたため、ワタルはエルザに押し切られる形で彼らの宿泊を投げやり気味に認め、汗を流すために奥に消えるのだった。

「許可は取ったぞ」
「取ったというか、もぎ取った……」
「あい、それがエルザです」
「つーか、ワタルがエルザに口で勝ったことって、あったか?」
「俺の記憶には無いな」

 本人が聞いたら、落ち込むか怒ること間違いなしの会話をしていること十数分。

「……またせた。ほら、どうぞ」
「邪魔するぞ……おい、しっかり髪を乾かせよ」
「もう子供じゃねーんだけど……」
「えっと……お、お邪魔しまーす」
「邪魔するぜ」
「おじゃましまーす。ほら、ナツも」
「おお。おじゃましまーっす!」

 不服ながらも急いで準備したのか、髪を濡らしたワタルが出て、彼らを家の中に招けば、エルザ、グレイ、ハッピーはいつもの調子で、ルーシィは緊張しながら、ナツは不機嫌から一変して興味ありげに、リビングに入る。

「こ、これは……」
「なんというか……」
「意外と可愛いもの好きなんだね、ワタル」

 中は一言では言い表せなかった。
 ベッドやクローゼット、テーブルやイス……と、家具は整理されているし、部屋も清潔に保ってある。華美とは言えず、むしろ質素と言えるだろう。
 だが、所々にちりばめられた小物が、質素な部屋で異彩を放っていた。ソファに置いてあるクッションはハートマークで装飾されており、普段のワタルからは想像できない程可愛いもので、壁に掛かっている時計や食器棚の皿やマグカップなども同じことが言えたのだ。

「ああ、それエルザの私物――というか殆どそうだろ、確か」
「そのままじゃ殺風景すぎるしな」
「いいんだよ、最低限衣食住が整ってれば。ったく――」
「あ、何これ?」

 エルザに苦言を呈そうとしたワタルだったが、ハッピーの声で中断した。否、その手に抱えた物を見れば、せざるを得なかった。

「洒落たノートだな」
「日記帳かしら?」
「おお! 見てみよーぜ!」
「……おいこら」
「「「「げ」」」」

 本人の前で私物をあさり、堂々と日記を広げようとする不届き者たちに拳骨で制裁を加えると、彼らに食事の準備を始めさせたワタル。だが、もう一人残っていた。
 その残った一人……エルザはワタルを、いや、彼の持っているノートを見つめていた。

「……なんだよ」
「……」
「幾らお前とはいえ、流石にこれは駄目だからな」
「ああ、分かっているよ……チッ」
「今舌打ちしたよな? 日記なんて、他人に見せるような物じゃないだろうが」
「分かってるって……ほら」

 納得してくれた事に安堵しながら、ワタルが日記帳を元の場所において元の椅子に座ると、エルザは手を差し出した。

「なんだよ?」
「タオルを貸せ。まだ濡れてるぞ」
「自分でやるよ。子供じゃないんだから」
「いいから」
「……ん」

 難色を示したワタルだったが、有無を言わせないエルザに折れて首にかけていたタオルを渡す。
 すると彼女はワタルの後ろに回り、強くだが丁寧に頭にタオルを当てていく。

「……」
「…………なあ」
「ん?」

 始めは不服そうだったワタルだが、タオル越しに感じられる華奢な指の感触と丁寧な手つきに、しばらく彼女に為されるがままにしていた。
 そのままワタルは食事の準備にてんやわんやになっている3人と1匹の様子をなんとなく見ていたのだが、エルザは不意に手を止めると声を掛けた。

「私の今の目標はな、ワタル……お前と対等になる事なんだ」

 魔導士としても、もう一つの意味でも……声には出していないが、エルザは胸中でそう付け加えた。
 ワタルからすれば突然の告白……いや、宣言だ。藪から棒にもほどがあったため、驚いて振り向こうとしたのだが、結構な力で頭を押さえられているため視線を動かすのみにとどまった。それだけでは彼女の顔色など見えるはずもないため、何を考えての宣言なのか、分かるはずもない。
 だが、それでも声色から彼女が真剣である事は分かったため、こちらも少し考えてから返す。

「……今は対等じゃないのか?」
「私にとっては、な。だから、今の私がこんな事を言うのは分不相応で傲慢なのかもしれない。だがな……」
「……」

 そこでエルザは口を一度閉じる。ワタルが黙って続きを促すと、一呼吸おいてからまた開けた。

「もっと私の事を頼って欲しいしんだ」
「……そんなにお前を頼ってないか、俺は?」
「気付いてないなら重症だな。ガルナ島で何があったのか話そうとしないだろう?」
「それは……」

 ガルナ島で思い当たる事と言えばウルティア関連だろう。
 彼女の事を誰にも言っていないのは、個人的な事情だからだ。エルザに限って言えば、異性として意識している女性に他の女性と会っていたとは言いたくないという、傍から見ればどうしようもなくちっぽけな、ワタル個人の子供じみた理由もあったのだが。
 言い淀んでしまったワタルに、エルザは慌てて弁解するように続けた。

「い、いや、責めている訳じゃないんだ。ただ、私は……」
「……そう言うつもりでお前が言ってるんじゃない、って事ぐらい分かってるよ」

 正義感が強くて嘘の下手なエルザの事だ、責めていないというのは本当だろう。ただ、それが分かってしまえば、今度は自分の不誠実さを情けなく感じてしまう。

 なるべく穏やかな声音で言うと、惨めさが荒い声色となって表に出てしまう前に、ワタルは立ち上がりナツ達の方へ向かおうとする。
 エルザは思わず、タオルを持っていない方の手で彼の手を掴んだ。

「……まだ何かあるのか?」
「そういう事じゃないんだ、ワタル……気分を害してしまったなら謝る。ただ、私は……」

 お前の力になりたい。後に続く言葉はこんなところだろうが……ワタルにとってはその正否はどちらでもよかった。

 ワタルは掴まれた手を逆に引き寄せ、エルザを抱きしめた。

「ああ、分かってる……分かってるよ」

 ああ、確かに分かってはいる。彼女がガルナ島で無様を晒した自分を案じて言ってくれているのは分かっている。彼女は何も間違っていない、悪いのは自分だけだ。

 それが分かっているだけに、彼女の謝罪はそんな申し訳なさや劣等感を増幅させるばかりだった。
 抱きしめたのは、惨めさで歪んでしまう表情を気取らせまいと、『男の意地』という本能が取らせた防衛行動。

「ワタル……?」

 腕の中で戸惑いの声を漏らすエルザに応える事なく、ワタルは抱きしめる力を強める。いつもの鎧姿ではなく、長袖のブラウス越しに感じられるエルザの温もりと、女性らしい柔らかな身体と長い髪の匂いが鼻孔をくすぐった。

「(女の汗は甘い匂いなんだな……)」

 あまりにも場違いな感慨がワタルの脳裏にかすめると、ある考えが唐突に浮かんだ。


 彼女を自分に溺れさせて、自分も彼女に溺れてしまおうか。


 お互いがお互いの存在なしには生きられない……そんな依存の関係になってしまえば、これ以上不快な思いをする事は無い。
 鎌首をもたげた凶暴な思考は、ワタルの脳にそう甘くささやいた。
 惨めさと不安定ゆえに暗くなっていく思考はその行動を是としようとして、ワタルは更に腕の力を強める。
 だが……

「ワタル……痛い」
「ッ! わ、悪い……」

 痛みに呻くエルザの声が、彼の思考を現実に立ち返らせた。

「ワタル!」
「ごめん……今は一人にしてくれ」

 なにかを伝えようとしたが、それが頭の中で纏まりきらない。
 それでも、そのなにかを伝えようしたエルザの声にばつが悪くなったワタルは形式だけといった風に彼女に謝ると、目も合わせずに早足で歩きだした。

「ちょっと、もう少しでご飯よ!?」
「少し走って来るだけだよ!」
「走って来るって、シャワー浴びたばっかりじゃ……ちょ、ワタル!?」

 食事の準備が終わりに入ったのか、鉢合わせしたルーシィがワタルを制止するが聞かず、彼はそのまま外へ出ていく。彼女は尚も止めようとしたが、それをエルザが遮った。

「いや、いい。今は、一人にしてやれ」
「でも……」
「いいから! ……私が、浅慮だったのだ……すまない」
「エルザ……」

 自分の身体をかき抱き、絞り出されたエルザの声は震えており、何があったのか分からないルーシィにできる事といえば、そんな彼女に声を掛ける事だけだった。




 こんなはずではなかったと、エルザは悔やむ。
 半壊したギルドから家に帰っていくワタルになにか……自分たちが抱いている怒りや無力感とは違うなにかを感じ取り、弱みを見せない彼があまり溜め込んでしまう前に……と、良かれと思ってやった事だった。
 愚痴でもなんでも、捌け口にはなれると思っていた。自分が強くなったと、そんなつもりは毛頭無い。ただ、自分にできる事があるなら……そう考えての事だった。

「(何が強くなって共に重荷を背負う、だ。空回りした挙句、逆に追い詰めてしまっただけじゃないか)……無様だな、私は」

 抱きしめられた時に抱いた感情は高揚ではなく困惑。
 物理的な距離は触れるほどに近かったのに、彼の心はまるで遠く感じ、ままならないものだなと、砕けんばかりにきつく結ばれた歯の間から自嘲じみた言葉が零れた。




 外に出たワタルもまた、エルザと同じように自責の念に駆られていた。

「(クソッタレが……)」

 トップスピードを保ち続けてどのくらい経ったのか……思考に余裕のなかったワタルには分からなかったが、息が切れ、喉が焼け付くように痛むことから、それなりに時間が経っている事はかろうじて理解できた。

「(クソッタレが、クソッタレが、クソッタレが……)クソッタレがぁあああああ!!」

 いつのまにか、人気のない裏通りに来ていたワタルは立ち止まると、それまで胸の内だけに留めていた罵倒の言葉を、人がいない事をいいことに喉が破れんばかりに叫び、右の拳を思いっきり石壁に打ち付ける。

「いっつぅぅぅ…………!」

 刺すような激痛に顔を顰めながらも、その痛みと手の皮が破けて流れ出した血が、皮肉にも頭に上っていた血を下げて思考を冷静にさせた。
 見れば、壁の方は僅かにひびが入っただけ。ただの石の壁なら、やろうとも思えば魔力なしでも砕く事が出来るのにも関わらず、だ。
 砕けたのは己の拳の方。それを自覚すると、それまでより大きな自責と自嘲の念がワタルの胸を覆い尽くした。

 痺れていない左手で顔を覆うと、壁に寄りかかるようにしてズルズルと座り込んだ彼は深い溜息を吐く。

「なにが黒き閃光(ブラック・グリント)だ……いくら持て囃されようが、こんなもんかよ、ワタル……ヤツボシ。精神が、弱すぎる……!」

 左手を掌の皮が破けんばかりに握りしめ、怨嗟の声を上げるとワタルは唇を噛んだ。

 大切な仲間としてエルザを見ていた時は、こんな思いに駆られる事は無かった。
 彼女を……そう、好きな女として見ると、心が落ち着いたり暖かくなることはある。だが同時に、彼女を『女』として意識すると、自分は『男』なのだと意識して、あるがままの自分ではいられないこともある。
 傍から見ればくだらない意地だろう。だが、彼の心はそのくだらない意地を捨てられず、心は不安定になってしまう。

 もちろん、いつもそんな精神不安定でいるのではない。
 柔らかな肢体や、長い髪、甘い体臭など、エルザに『女』を感じる時、自分が制御できなくなってしまうのだ。
 理性の知らないところで、劣等感が征服欲に、嫉妬心が殺意にすら変貌を遂げるなど、20年生きてきたワタルには初めての経験で、戸惑い、恐怖し、自己嫌悪するしかなかった。
 今回だってそうだ。

「(エルザを縛るだと? ふざけんな、そんなの一番やっちゃいけない事じゃねえか……)」

 自分をこれまでに無いほどに嫌悪した。
 エルザの事を対等だと思っているはずの自分が、彼女が自分を気にかけてくれた優しさに嫉妬や劣等感を抱き、彼女の意思すら無視して彼女を自分だけのものにしようとした事を、だ。

「……無様だな、俺は」

 自分の思考の醜悪さに、奇しくもエルザと同じことを吐き捨てると、ワタルは重い息を吐く。頭では帰らなくてはいけないと分かってはいたが、今は彼女の……エルザの顔を見たくなかった。
 そのため、左手で顔を覆ったまま、壁を背もたれに座り込んでいるのだった。




 そのままどのくらい経ったのか……何も考えず、足元の石床の模様をなんとなく眺めていると、ワタルの視界に影が差し、至近に誰かの気配を感じ取った。

「――――い……おいってば!」

 どうやら何度か呼び掛けていたようで、肩をゆすられる。顔を上げると、黒髪の買い物袋を持った中年と少年……マカオとロメオのコンボルト親子が心配そうな表情で立っていた。

 父親の帰りが遅くなる時は一人で帰っているロメオだが、今は時期が時期。警戒のためにと、父親のマカオと一緒に帰路についていた時に、偶然裏路地で座り込んで動かないワタルを発見し、声を掛けたのだ。

 経ったのは10分くらいか……と、視界の暗さがあまり変わっていない事からぼんやりと考えていると、心配そうな表情を少し緩めたマカオが口を開く。

「起きたか……まったく、こんな時にこんなところで寝てるなんて、不用心にもほどがあるぞ、ワタル。お前らしくない」
「……別に寝てたわけじゃ……」
「あ! その手どうしたんだ、ワタル兄!?」

 反論を遮ったロメオの目は、ワタルの右手に向いていた。皮が破れて血が滲んで流れ出ている手を見たマカオは只事ではないと判断し、少し考える。

「……とりあえず、うちに来い。ひでぇ顔だぞ」
「いや、俺は……」
「いいから来い。たまには年長者の言う事を聞けって」

 それは俺ではなくナツやグレイに言ったらどうだ、と思ったが、反論する気力も無かったワタルは少し躊躇した後に立ち上がり、コンボルト親子の後について歩き出すのだった。




「……着いたぞ。あんまりきれいなところじゃねえが……まあ、とりあえず上がれや」
「ほら、ワタル兄」
「…………ああ」
「ロメオ、救急箱用意しろ」
「分かったよ、父ちゃん」

 数分後、彼らの家に着いたワタルはまず右手の治療を受ける。
 治療の傍ら、父と子の男二人で暮らしているという部屋を見回す。意外にも整理されており、汚いという印象は抱かなかった。

「(確か、奥さんとは離婚してたんだっけ……)」
「よし、これでいいだろう」

 そんな事をワタルが考えていると、これまた意外な事に手際よく応急手当を終わらせたマカオがポンと軽く手当を終えたワタルの右手を叩いた。

「痛った!? おい、なにしやがるマカオ!」
「はっはっは、軽いスキンシップだよスキンシップ」
「オッサンとスキンシップ取る趣味はねえよ!」

 ズキリと走った鋭い痛みに呻くワタル。当然の抗議を笑いながら躱したマカオだが、ふと表情を真剣なものに変えると口を開いた。

「……で、エルザと何があったんだ?」

 何も言っていないはずなのに、言い当てられたワタルは目を見開く。

「お前があんなに落ち込むなんて、エルザ関連以外にねえだろうが」

 したり顔でそう言うマカオだが、その表情は真剣そのもの。エルザに関する事でワタルに言うとすれば、冷やかしや煽りと言ったからかいしかなかったため、ワタルは戸惑ったが……意を決して話し出した。

「……誰かに言った方が楽になるかもな……そうだよ」
「喧嘩か?」
「いや。ただ……俺が先走って、勝手に傷ついて勝手に塞ぎ込んでたんだよ」

 自嘲しながら、ワタルは包帯が巻かれた右手を眺めると、掻い摘んで説明し始めた。




「――――で、逃げ出してきたってわけか」
「逃げ出すって……まあ、そうなるか。そうだよ」

 数分後、あらかた話し終えてそう締めくくったワタルは溜息を吐くと、話が少し長くなってしまったので、気を利かせたロメオが用意した水を飲んでのどを潤す。ちなみに、ロメオが食事の用意を始めた瞬間、マカオはジョッキに酒を用意した。

 マカオを肯定すると、ワタルはそのまま続ける。

「無様なもんだろ? エルザの好意に仇で返そうとして、そのまま逃げだしたんだ。自分がこんな屑なんて、正直思いもしなかったよ」

 自嘲の笑みを浮かべて自分を嗤うワタルに、マカオは口を開いた。

「……まだ自分に酔う余裕があるなら、大丈夫そうだな」
「なに?」

 『自分に酔う』
 それは自分が悲劇のヒーローぶっていると言われたのだろうか……そう感じたワタルは心にチリチリと燻るもの――怒りに眉を顰めてマカオを睨んだ。

「だってそうだろうが。自責っつーのは、自分に余裕があるからできるもので、言い換えれば独善みたいなもんだ。お前の独り善がりなんて聞かされたって、こっちは胸糞悪いだけなんだよ」
「独り善がりだと? 俺は……」
「なら、なんであんなところで一人で落ち込んでた? 独り善がりじゃないっつーなら、エルザの傍にいて、誠意を込めて謝れば済む話じゃねーか」
「それは……」

 怒りを抱いたワタルだが、マカオの指摘に言い返せず、唇を噛んで俯いてしまう。黙り込んでしまったワタルに、マカオは表情を緩めると、今度は柔らかい口調で言った。

「まあ、そうだな……お前がそう言う感情を持っちまうのも仕方ないさ。初恋、なんだろ?」
「…………」

 沈黙は肯定と同意だった。
 耳を赤くして顔を背けるワタルに、マカオが酒を飲みながらのにやけ顔にカチンと来たのか、ワタルも言い返す。

「じゃ、じゃあ、マカオはどうだったんだよ?」
「どう、って?」
「初恋だよ、初恋。苦い思い出の一つや二つ、あるんじゃないの?」

 ワタルの質問に、マカオは目を瞬かせると、台所の方を見た。ワタルもその視線を追うと、当番制なのか、夕食の準備をしているロメオの姿が。
 なんとなく事情を察したワタルは視線を伏せると謝り、マカオはロメオに聞こえないように声のボリュームを下げて話し出した。

「……ごめん」
「いや……まあ、お前の予想通りだよ。俺の初恋はロメオ(あいつ)の母親さ。ずっと一緒だったんだが、仕事に夢中になってた俺に愛想尽かして出て行っちまったが」
「……その……やっぱ、今でも好きなのか?」
「ああ。初恋っつーのは、誰にとっても特別なもんだ。男でも女でも……多分な」

 そう言ったマカオの顔には少し陰りがあったが、それでも笑みがあった。
 幸せそうな笑みを浮かべる彼に、ワタルは疑問を覚えた……フラれたのにまだ好きなのか、と。それが顔に出ていたのか、マカオはジョッキを傾けると続けた。

「あのな……アイツがいたから、ロメオ・コンボルトが生まれたんだ。アイツを忘れるっていうのは、ロメオに対する最悪の裏切りなんだよ」
「裏切り……」
「ああ。ただでさえ、母親がいないってだけで不自由な思いさせちまってるんだ。ロメオにとって誇れる父親として、アイツを忘れるのだけはしちゃいけないんだよ」

 愛する息子のために。未練にも聞こえるようだが、ワタルにはそれが恥ずかしいものには思えなかった。

「色々と戸惑ったりするのは仕方ないさ。ただ素直になって、まっすぐぶつかればいいんだよ。どんな結果に終わろうが、それは間違いなくお前の財産になる。それだけは確かだ」

 経験に基づいて話すマカオ。今のワタルには、どうやっても真似できないことだ。無理してやっても白々しく聞こえるだけだろう。

「素直になって、か……」
「ああ、そうだ。……それから……」

 にこやかに大きく頷いたマカオだが、もう一度台所を見た。
 ロメオが夕食の準備に没頭しているのを確かめた彼は、さらに声を潜める。
 ワタルはそれに疑問を覚えたものの、グラスの水で喉を潤していると……

「あー……あとはあれだ。お前がどうしてもエルザの事で辛かったりするんだったら……その時は我慢する必要はない。エルザを抱いちまえ」

 マカオがとんでもない事を言ったため、気管に水が入って思いっきりむせてしまった。

「!? ゴホッゴホッ……い、いきなり何を……」
「どうしたの、ワタル兄?」
「い、いや、何でもないぞ、ロメオ。ちょっとむせただけだ」
「そ、そうだぞロメオ。あ、飯はまだか?」
「まだかかるよ、父ちゃん」
「そ、そうか……ゴホン」
「(声小さくしたのはそういう事かよ……)」

 ロメオに感付かれそうになったが誤魔化しに成功した二人は安堵の息を漏らす。

 だが、咳払いと共に真剣な表情になったマカオに、先ほどのがからかいの類ではなかった事を知ったワタルは真剣に聞くことにした。

「いいか……男ってのは案外単純にできてるんだ。一回吹っ切れれば、大抵の悩みは解決できるような余裕も生まれるものさ。それに、あんないい女とそういう関係になりたくないって方が、男として終わってるしな」
「……それって偏見のような……うーん……いや、でもなあ……」

 分かるような、分からないような、分かりたくないような……複雑だったが、マカオが言おうとしている事は分かったワタル。それでも釈然としないものはあったが。

「あー……勘違いするなよ? 別に無理にそうしろって言ってるんじゃない。お互いのためにも、そうならない方が良いんだから」
「そりゃそうだけど……まあ、頭の片隅くらいには置いておくよ」

 頭を掻いてきまり悪そうに言うマカオに、一応は納得の形を見せたワタル。
 酒が入るとぶっちゃけた話が多くなるとは思っていたが、それがこう来るとは……と、感慨深く思っていると、マカオが話を変えた。

「それで……どうするんだ、結局?」
「……とりあえず、エルザに謝らなきゃな。……それとお礼も」
「ああ、それがいいだろう……なんだよ?」

 返答に満足そうにうなずくマカオだが、ワタルがじーっとこちらを見ているのに気が付き、怪訝そうに聞いた。
 それに対してワタルは……

「いやあ、普段エロトークしてる姿しか見てないから……」

 マカオはずっこけそうになった。

「おいおい、お前も大概失礼な奴だな。こう見えても俺は昔なぁ……」
「よし、そうと決まれば『善は急げ』だ! じゃあ、俺は行くよ」

 武勇伝を流そうとするマカオを無視してそう言うと、ワタルはグラスの水を飲み干して、席を立った。
 遮られたマカオは不満そうに口を開く。

「おい、今からかよ?」
「今からだ。……サンキューな、マカオ。治療の事とか、話聞いてくれた事とか……色々楽になったよ」
「ま、気にすんなよ。迷える若者に助言を与えるのは年長者の役目だ」

 礼を言って頭を下げると、ワタルは出て行く。
 入った時より数段軽い足取りで出て行った彼を見送るマカオは、意外なせっかちさに辟易としながらも、笑みを見せるのだった。

「あれ、ワタル兄、飯食べてかないの?」
「悪いな、ロメオ。……親父さんを大事にな」
「え? あ、うん……」
「じゃあな」

 玄関でロメオに会ったワタルはマカオに聞こえないように小声で付け加えると、コンボルト宅から出て行く。

「ああ、また明日な! ……父ちゃん、ワタル兄と何話して……ってか、飯前にお酒飲むなよ!!」
「いやー、若いっていいねえ」

 リビングに入ってきた息子の6歳とは思えないほどしっかりした小言を聞き流しながら……若者の未来に希望あれと、ジョッキに残った酒を呷るマカオだった。
 
 

 
後書き
今回の話で、人を選んでしまうかもと前書きに書きましたが、それについて感想がある人(居たらですが)で、他の方に自分の意見を見られたくないという方は、暁様の個人メッセージ機能で私の方に送ってください。
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