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乱世の確率事象改変

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秋桜に月、朔に詠む想い

 朝露が草の葉を流れ、極小の円を枯葉に広げた。
 優しげな静寂が支配するその場で、キリ……と反抗を示すかのように軋みを上げるは力強くしなった弓。
 一点を見つめる紫水晶は揺るがず、薄い桜色の唇から僅かな呼気が吐き出され、ある一時を以って、ピタリ、と止まる。
 一重、二重……それは僅かに切り取られた間であった。
 幾重に重ねたかも分からぬ時分に、漸く、弦が歓喜を上げる。
 固い乾いた音を立てて突き刺さった矢は木に描かれた的の内側を射抜き、ほう……とその少女は吐息を漏らした。

「……見事」

 感嘆の息を漏らした黒衣の男は笑顔で呟く。矢を放った少女はふにゃりと笑った。

「ありがとうございます」

 銀糸のように光る髪を一つに纏めて揺らし、嬉しそうにお辞儀をした少女は月。普段の侍女服とは違い、動きやすい格好であった……と言っても、霞の衣服に似た道着のようなモノを着ている。
 横倒された木に座ったまま、秋斗はまた弓に矢を番えはじめた月を微笑ましげに見ていた。
 森の中、内密に行っているのは早朝の訓練。
 明けの空が白み始める前に出て、完全な日の出と共に朝の訓練を終了するのは、華琳が整備しなおした戦拠点専用の城、官渡に来て数日経ってから、秋斗の日課である。
 練兵場でも確かに出来る。しかし朝は森で訓練していた。戦では開けた平地での戦闘がほとんどではあるが、追撃や撤退の時に森や林に逃げ込むかもしれない、そう考えて、地形把握と自身の感覚研鑽がてらである。
 そんな彼に、月が頼み込んだのだ。

『弓を……一緒に練習させてください』と。

 嘗ては涼州の王であった彼女。
 王とは優秀な血を引いている事に他ならない。それをよく理解していた華琳は、妹になるのだから武器の一つも扱えなくては困ると、秋斗達が街に居る間、秋蘭に内密の指示を出し、人目に付かない日と時間帯を選ばせて弓術を教え込ませていた。
 詠にすら内緒の武の鍛錬に、月はイケナイ事をしている気分に苛まれるも、持って生まれた武の才覚がやはりあったのか、目に見えて上達していく自分に嬉しさを覚え、そのうち自分の腕前を見せて驚いてくれたらな、と悪戯心の方が大きくなっていた。
 ただ、月には華琳から固く諭されている事がある。

 戦場で戦わせない。
 直接的には人を殺させない。

 その二つ。例え妹になろうと、月にそれらをさせる気は無い、と。
 武官の心を理解させる為と些細な自衛能力の獲得、そして精神を鍛え上げさせる為。
 広がる波紋の如く、狙いは多岐に渡るも、先立ってあげられる大きなモノがその三つであった。
 王としての再教育、とでも言おうか。元より文官的な能力を磨いてきた月ではあっても、武の心得はほぼ無し。華琳は本気で自身を妹にする気なのだと、月はその指示を聞いて理解を深めていた。

 また一つ、矢が飛んだ。
 今度は的を逸れて後ろの木に突き刺さる。しゅん、と肩を落ち込ませた月は、秋斗から声が上がらない事に、落ち込みを色濃く浮かべる。
 次こそは……と勇んだ所で、落ち葉が乾いた音を上げた。

「そろそろ終わろうか」

 日が昇る前に剣の鍛錬を終えていた秋斗から為された立ち上がりながらの言葉に、あと一つだけ、と矢を番えた。
 僅かに乱れた心は弓術を行うには最大の敵。乱れを纏めようと息を静かに紡いでいった。
 深く、深く、沈めた心は例えるなら水の底か、それとも真黒い夜天の芯に向けてか。
 ピタリと呼気を止め、普段では見られないような、真剣な引き締まった表情で放たれた一筋の矢は……乾いた音を生み出した。

「うん、見事」

 残心の動作の最中に聞いた優しい声音に、ほっと安堵を一つ。
 柔らかく笑みを浮かべた月は、

「ありがとうございます」

 また、彼にそう返した。

 ふわりと、黒い外套を広げて羽織る。フードを頭に被せ、きゅっと首の前で紐を一結び。誰にも正体を知られぬようにと街で買っていたモノ。すっぽりと身体を覆う黒に僅かに見える白銀の髪は漆黒の夜天と銀月を映しだしているかのよう。
 手を繋いだ。か細くて白い手が、大きくて力強い手と結ばれる。黒と黒の二人が歩く道は朝もやのなか少しばかり寒かった。
 サクリサクリ、と音を鳴らして二人は進み、一頭の黒い馬の前に辿り着く。
 艶やかな黒い毛並みに大きな体躯。額には三日月の紋様を浮かべた……嘗て秋斗と共に戦場を駆けた一番の相棒、名を月光。
 するりと手を放した月は、さらに近付きその頬を優しく撫でた。

「ただいま、月光」

 小さく細い嘶きが紡がれ、すりすりと甘える様はその大きな体躯でも愛らしいらしく、月は嬉しそうに笑みを返した。
 対して秋斗は、月光には近づかない。じ……っと白銀の少女と月光のやり取りを見つめ、寂しげな眼差しを向けるだけ。

「じゃあ、お願い」

 さらりと鼻筋を一つ撫でやって月が言うと、月光は脚を折った。まるで頭を垂れるかのように。
 そうして漸く、秋斗は近づく。ジトリ……と月光から鋭い眼差しと怒気を向けられながら。
 まず月が跨った。次に月光が立ち上がる。そうしてやっと、秋斗は乗る事が出来る。
 ほっと一息。月と一緒に手綱を握り、嘗ての相棒であり、自分を主と認めない馬を走らせた。

 月光は気位が高かった。
 絶望の日まで、秋斗以外の人間を乗せようとはしなかった。主の命が危機に瀕した時だけ、徐晃隊の副隊長以下隊長格に跨る事を許す程度。
 月光は彼しか乗せたくなかった。彼だけを主としていた。
 聡い月光は今の秋斗を見抜いていたのだ。
 街の厩で再会した時、月光は怒った。今の秋斗を乗せようとはせず、あまつさえ、後ろ蹴りを喰らわせようとする始末。
 馬の扱いに長けた霞でさえも乗せようとはせず、魏のモノたちの中でも乗る事が出来たのはただ一人……覇王のみ。その時は彼女にだけ、頭を垂れた。
 華琳は月光を気に入ったが、さすがに絶影という名馬を相方としている為に自分のモノにはしなかった。
 今回の戦の途中で記憶が戻るやもしれない、ならば月光を連れて行くべき……そう華琳が言って、華琳の命令は聞くようで、月光は大人しく此処まで連れて来られた。
 それからも幾度となく乗せて貰おうと試した秋斗であったが……暴れる事は無いが乗せる事はしない。
 黒麒麟の二つ名の由来である名馬に乗れないとあっては兵達が訝しむ。よって秋斗は、乗せて貰えるように、いつも暗くなってから月光に話しかけた。
 そんな折だった。皆にも内緒にしていた月光との対話の場に、月が様子を見に来たのは。元々が馬の名産地で育った彼女ならばどうなのか。
 月光は何故か華琳と同じく、月にも頭を垂れた。
 そうして月のお願いだけは聞くようになり、彼は月と一緒に森で秘密の鍛錬を行うようになっている。

 優しく首を撫でる月は、此処に乗せて貰うのは億劫であるのか、いつも哀しい表情を浮かべている。

「なぁ、ゆえゆえ」
「なんでしょうか?」

 心地いい風が頬を撫でる中、秋斗に返す声は透き通っていた。

「こいつは黒麒麟に何を見てたんだろうな?」

 背に跨り、問うてみた秋斗の声は暗い。自分では足りないと元相棒から跳ね除けられると、やはり心に来るモノがあった。動物からの拒絶は人からの拒絶よりも真っ直ぐに現実を教える。
 自分で考えるべきだと分かっていても、少し、彼は誰かの答えも聞いてみたかった。

「……はっきりとは分かりません。でも、もしかしたらこの子は……」

――この子なりにあなたに教えているのかもしれません。“彼”がどういった人だったのか。

 風と共に耳を打った言葉に、秋斗は思考を巡らせる。自分がどういった人だったか、華琳と月だけを乗せる理由にも。
 月の答えを肯定するかのような嘶きが小さく上がる。

「……どうしても必要な時が来たら、すまんが例え今の俺でも乗せてくれな」

 静かに流れた秋斗のお願い。
 呆れたように鼻息が鳴った。人であれば、は……と息を付いているかのよう。乗せるかどうかは自分が決めると言わんばかり。
 きっと乗せるんだろうな、と月は胸の内で呟いてクスリと苦笑を一つ。優しく首を撫でやった。
 月光は誤魔化す為か、地を蹴る脚に力を込めた。





 †




 その場に居る工作兵の誰もが顔を蒼褪めさせていた。場を取り仕切る真桜でさえ、冷や汗を流して感嘆とは全く別種の吐息を、自分が行った実験の後に吐き出す。

「り、李典様……これを俺達に使え……と?」

 尋ねる兵士は僅かに声が上ずっている。実験の効果は上々……否、真桜にとっては計算以上である。
 秋斗には口を酸っぱくして言われていた。この兵器を使う以上は、工作兵の部隊長達にだけ試行を見せておけ、と。
 その意味を、真桜は漸く理解した。
 目を細め、集まっている部隊長達に対して真桜は睨みを利かせた。

「いつも言うとるやろ? ウチと自分らは工作兵や。人殺すもん作っとる。人殺す為の罠もたっくさん仕掛ける。正々堂々真正面から行くわけちゃうから、ほとんど自分の手ぇ汚れもせぇへん。構築と設置、計算やら何やらに手と頭は使うとるけど、姐さんや春蘭様の部隊みたいに血みどろの鍛錬してるわけともちゃう。他の兵士達とは畑違いやから、気負うやろうし罪悪感もあるやろ。コレで敵殺すんも、な。それでも、ぜぇんぶ重々承知の上で覚悟決めぇや」

 グッと言葉に詰まり苦い顔をした兵士達。何か言いたそうにしているが、それでも言葉を呑み込んで行く。
 真桜は……悪戯っぽく微笑んだ。

「にししっ、あんたらは優しい。やっぱりウチの目ぇに狂いはあらへんかった」

 此処に居るのは真桜自らが選んで部隊長に任命した者達。工作兵という特殊な部隊を用いる以上、武力知力の高さよりもその行いに溺れないような者達を選んでいた。
 褒められて照れくさそうにしている彼らは、唇を引き結んでコクリと頷いた。
 そして真桜は、新兵器を扱う以上、もう一度心構えを説明しておくべきと判断して口を開いた。

「強い武器やら兵器っちゅうもんは普通の人の心を鈍らせる。ウチら工作兵はその心が分かるはずや。殺意なんか無くても人は殺せるからな。遠くで人が死ぬ姿を見たり、罠に嵌まったて報告を聞くだけやったり、そんなん繰り返しとったら命を軽く感じてしまうやろ。当たり前やわな、自分の手で殺してへんねんから」

 ある意味で軍師と同じような心境かもしれない。そんな事を考えながら、尚も真桜は真剣な眼差しの兵士達に語って行った。

「あんたらは兵士や。街の職人とはちゃう。こうしてウチと一緒に、人を殺す道具を作って、人を殺す道具を使って、自分の意思で人を殺しとる。罪も罰も、あるんはウチら、それを扱う人間にこそ、その責任も罪も罰もあるんや。ほんの小さな、たった一回の……指先一つの指示だけで人が何人も傷つけられる。自分の力やない、道具の力で、な」

 部隊長達はゴクリと生唾を呑み込んだ。まだ、新しい兵器達は使われていない。まだ自分達はそうして人を殺していない。武器を振るった事はあっても、兵器という強大な力を使った事は無かったから。工作をして敵を倒したのとは違う、と相違点を心に留めて行く。

「ただの武器と同じなんて思いなや。あんたらもウチも、コレを使うたらきっとちょっとだけ普通の人としての感覚がズレてまうやろう。それでも、ウチらにはもう戦が起こらへん平穏な世界っちゅう欲しいもんがある。そんで守りたいと思うもんがある。やからコレを使う。使うて人を殺し、同時に人を守る。
 こないな物騒なもん使うからには強くならなあかんのはウチらの心。ウチらの主、曹孟徳様はコレを使って悪させぇへんって信じる事、そして、ウチら事態が他の奴等に対する優越感や楽な戦争に引き摺られへん事や。戦中、末端の奴等でコレの強さに楽しんどるバカが居ったら殴ってかまへんからな。あと、今の事はまだ誰にもいいなや。漏れてた時点で全員の首飛ぶで」

 頷く者達は、御意、と力強い返答を上げた。
 これ以上は何も言わない。後は自分達で考えるべきだと、真桜は主から学んでいる。
 うんうんと笑みを零して頷き返す真桜。じゃあばらして片付けて解散や、との声を以って、作り上げられた一つの兵器を皆が挙って解体していった。

 部品の各種に問題は無いかと一人で確認をしていた真桜の元に、ふと、近づいてくる影が一つ。

「お、詠やんか。おはよう。こんな朝早うにどないしたん?」
「おはよう。月の寝台が空だったんだけど、何処に行ったか知らない? 秋斗が『めも』も残さずにいなくなってるって事は護衛をしてくれてるだろうからあんまり心配してないけど」
「兄やんも居らんの? ウチも見てへんなぁ」

 そう、と一つ声を零して、詠は顎に手を当てた。
 仲間外れにされた、とでも言いたげな不機嫌な顔で思考に潜る彼女に、真桜はにやにやと頬を持ち上げる。

「早朝からいつも一緒に居るはずの男と女がいやへん……これは事件やな」

 詠に思考を任せるように言うと、じとっとした批難の目が飛んできた。
 秋斗と月、二人共がどういった人物であるかもう分かっているだろう、と。だが敢えて、詠は真桜のからかいに乗る。

「……そうね。兵達の間で最近噂が立ち始めてるけど……幼女趣味の黒い化け物が出たのかもしれないわ」
「ウチの奴等がやたら言うとったもんなぁ。三人の幼い少女を侍らせてきゃっきゃうふふしよる鬼が居るて。はっ! まさか、月はそいつに連れ去られたんちゃうやろかっ!」

 からかっているのは分かり切っているのに本気で焦ったような表情を見せた真桜。その様子に吹き出しそうになるも、詠はどうにか抑えてまた乗る。

「っ! か、かもしれないっ! 秋斗もきっと、『めも』を残す暇が無かったから助けにいったんだと思う! ああ月っ、ボクはどうすればいいのよっ!」
「任しとき。それやったらウチの隊の出番や。月と詠の為やったら、幼女趣味の黒いバケモンと戦う気概も出るやろう」
「月は可愛いから、きっと秋斗でも抑えられないわ! お願い! 必ず月を助け出して!」
「よっしゃあ! そんかわし、『えーりん派』の阿呆の背中踏んづけたってな!」

 最後ににやにやと笑いながら言われて、詠はもう下らない芝居を辞め、素で反論せざるを得なかった。

「なんでボクが人の背中踏んづけないとダメなのよっ!」
「えーりん派はそういうんが多いねんて。なっ? 頼むわ♪」

 ウインクを一つ。その発言は本気なのか冗談なのか、詠には分からなかった。

「なんで曹操軍まであのバカ達みたいな事になり始めてるのよ。それもこれも秋斗が報酬効果とか言い出したから――――」

 答えを言うでも無く、ぶつぶつと苦い表情で文句を零す詠の頬は、恥ずかしさからか淡い朱に染まっていた。
 またいじわる気に笑うも、真桜はそれ以上のからかいはしなかった。

「まあ、兄やんなら大丈夫やろ。兵達の間に流れとる話も三人が作るお菓子試食出来たりする兄やんが羨ましゅうて零れる冗談でしかあらへんし。いや……傍目からは幼女趣味にしか見えへんのは間違いないかぁ」
「……秋斗が報酬効果を思いついたのって、あんたがこれまで行ってきた練兵の仕方も原因の一つなんだけど」
「えー、結構ええやり方やと思うけどなぁ。春蘭様とか秋蘭様とか、凪やら沙和やらに目移りばっかしよるし、何よりウチの胸にくぎ付けになる男がぎょうさんおるからやってみてんで? モテたい! 可愛い女の子にかっこええ姿見せたい! きゃーきゃー騒がれたい! なんてあいつらの心を刺激しただけや」
「別に変えろとは言わないわよ……でも、ある意味秋斗のやり方に一番近いのよね、真桜って。どっちも変な方向に兵の心を誘導してバカばっかり出来上がっちゃう」
「ちょ、変な方向て……」

 秋斗の事でこれ以上からかわれるのが嫌で話題を変え、どちらも変だと言われてがっくりと肩を落とした。
 自分の隊のモノ達を思い返せば、バカだなぁと思ってしまう。悪い意味では無く、可愛らしいと思う方のバカ。

「やる気出て言う事聞くんが一番やで。新兵達を春蘭様や姐さんの部隊に送るための下準備もせなあかんから、このくらいでええねん。どっちみち三人の誰でも基礎練兵は地獄やし軍規も厳しい。異色な三つの部隊でそれぞれ新兵鍛えれば他には負けとうないって心も出る。兄やんと違うて、ウチのはただ気を抜かせる為の発言やから部隊の色とは関係あらへんしな」

 ほう、と詠は感嘆の吐息を漏らした。
 やはり華琳の見立て通りに、真桜も一角の人物に成長しているのだ。
 上と下に挟まれながらも間で取り持てる協調性。同格の二人との仲を崩さずに高め合えるのも納得が行く。
 この戦が終われば詠は彼女達を扱う立場になる。先の戦で手伝いをした為に仲は良くなっているが、将としての新たな一面も見れた事が軍師としても嬉しくなった。

「三人共が将の素質はあるけど……こうまで違うと面白いわね」
「ははっ、ええもんやろ? 兵を鍛え上げるんはどっか絡繰り作りと似てる気ぃするわ。試行錯誤を繰り返して、何かの為になるもんを作り出す。一つの目的を達成出来るもんを作って行くんや。でも……」

 言いながら、真桜は手元にあった一つの部品を手にとった。そうして小さな部品を愛おしげに指で一つ撫でる。

「人は部品とちゃう。心があんねん。でもウチら上のもんは人を部品として扱わなあかん。嫌なもんやな、ホンマに。戦ってやつは」

 その言葉に自分達への疑問は無く、ただ哀しい。
 自分も同じ気持ちだと、詠は言葉を掛ける事はせず、真桜が撫でる部品の一つを見ていた。
 ふと、こんな落ち込んだ空気を変えたくて、詠は話題を変える事にした。

「そういえば真桜はこんな朝から何してたの?」
「ん? あー、新兵器の試行を部隊長と一緒にやっててん。早い内に末端まで教えるんは情報が漏れるかもしれへんからしたらあかんって言うてたやろ?」

 確かにそうしろと指示は出ているが、難しい顔で首を捻る詠は真桜の狙いを読めず。
 苦笑を一つ。真桜は真剣な表情になって口を開いた。

「なぁ、詠。強い兵器ってのは毒や。強い人ってのも毒や。飛将軍をよう知っとる詠なら……それが分かるんちゃうか?」

 硬直。
 詠は思考も、身体も、その一言によって固まってしまった。

「兵は弱い……ちゃうか、人は弱いで。皆が強いわけとちゃう。そいつらにとっちゃあ、なんの為にたった一つの命を危険に晒してまで戦っとるか、分からんくなってまうやん?」

 哀しげな色を浮かべた瞳に見据えられて、詠は眉根をぎゅうと寄せた。

「ウチな、絡繰り好きやから分かんねん。結果を求めて作るんが絡繰りや。だから、ウチが作った投石器も、兄やんが改良を加えたコレも、どんな結果を生み出すか最初っから分かってんねん。兵器は所詮人を殺す為にあるって言うても、味方を守る為って言うても、そんな簡単に人殺せてええわけ無い。やから……兄やんはやらせておけって言いよっただけやけど、まずは指示を出す部隊長達に、作り出したウチ自らが心構えを教える必要があったんや」
「そう……ね」
「結局は人が使う道具や。扱う人の心によってええようにも悪いようにもなる。こいつらは飛将軍とか春蘭様みたいな“武将”と一緒やねん。やから、ウチらは華琳様みたいに心を強く持たなあかん」

 覇王のように……詠の唇から漏れた小さな声は空に溶ける。
 初めからそういった心持ちを持っていた真桜に、また詠は評価を改めた。
 新しいモノを作っているという時点で、真桜は人を幸せにする術も、人を不幸にする術も理解していたのだ。沙和や凪の仕事を少なくしたくて始めた絡繰り作りが始まりであったのだから。
 結果と失敗、そこから派生して何が生まれるか、悪用される可能性については……華琳に仕えられたからこそ、そういった思考を持てたのかもしれないが。
 小さく、嬉しそうな吐息を漏らした真桜は、手の中の部品をくるくると愛おしげに回しだした。

「兄やんは始めっから色々分かっとったみたいやで。やから投石器の改良案も新兵器の開発も進んで受けたみたいやし、華琳様も分かっててそれをせぇって言うたんやと思う」
「秋斗が?」
「せや。所詮兵器はヒトゴロシの道具って言うとった。案だけ出た新しい兵器も、ぜぇんぶ人をより沢山殺す為の道具って言い切りよった。でも……」

 かちゃ、と部品を元の場所に戻して、真桜は悩ましく顔を顰めた。

「それでも使うって言うた兄やんは、心の底から嫌そうやった。『他の転用方法もあるし、応用すれば人の暮らしが便利になるモノばかりなんだけどな』って後に付け足して」
「そんな事言ってたの? 石飛ばすだけの道具なのに」
「あかんで詠。ウチも兄やんに同じ事突っ込んだけど、楽しそうに返されたわ。投石器の技術は改良して船に乗せたり、浜で使うだけでも漁業の幅が広がったりしないか、って。他にたくさん教えてもろたもんも、なんでもちょっといじるだけで人の暮らしを助けるもんに早変わりや」
「……朔夜が聞いたらまた膝の上で甘えそうな話だわ。どうやって『箱の中から欲しいモノを手に入れるか』だし。そっか……人を救うために全部利用したがるあいつらしい」
「にしし、ウチもびっくりしたで。兄やんが言うには全部繋がっとるんやと。人を殺す道具も人を生かすモノに出来る。人には創意工夫を凝らす頭があるから、心さえ暴力的にならなければいい方向に進めるんだ……なんて言いながら、それでも暴力的に使っちまうのが人だけどな、って言う。どんなモノでも、人を生かすモノが人を殺すモノに早変わりも出来るって。やから、兄やんは戦が起こらへん世の中にしたい華琳様と同じなんやなぁってよう分かるわ」

 相変わらずあのバカは……と悪態を尽きながらも、詠は満足そうであった。のんびりと、真桜はまた部品の点検を進めて行く。

 そんな二人の元に、ゆっくりと近付く影が二つ。
 兵器の部品が積み上げられている為に、詠からは二人は見えず。歩いてくるのを確認出来た真桜は、

「くく、来たで、攫われたお姫様と少女に魅了されたバケモンが。いや……お姫様が黒に染められとるから逆か」

 にやにやと先程のからかいを蒸し返した。
 ため息を一つ落として部品の陰から出て、詠はじとっと秋斗と月の二人を見据えた。
 対して二人は、いきなり現れた詠に驚愕し、月はその厳しい視線を受けてへぅっと口癖を漏らした。

「……何処行ってたのよ。ってか月、何その服?」

 拙い、と思った時にはもう遅い。真桜くらいならバレてもいいかと多寡を括って近づいたのが悪かった。弓は騎射用のモノを厩から拝借したから良かったが、着替えるのは練兵場の給湯部屋等でいつもしていた。
 今の二人の姿を現代で言えば……ペアルックでデートしているようにしか見えない。
 秋蘭との内密の鍛錬は夜であったから、人目に付かないようにと選んでいた服が尚、詠の不機嫌を煽っているようだ。

「あ、その……詠ちゃ――――」
「何処、行ってたの?」
「ちょ、ちょっと理由があって――――」
「月……?」
「へぅっ!」

 朝帰りした娘を問い詰める母親のようだ……と秋斗は居た堪れない気持ちが湧いてきた。
 固まってしまった月に、もうバラすしかないだろう、と言おうとして……詠に冷たい視線を投げられる。

「秋斗は黙ってなさい」
「あ、はい」

 ぴしゃりと黒いオーラを纏って放たれた言葉に秋斗の身体も竦む。
 詠の後ろでは、秋斗のそんな弱気な仕草が可笑しくて、必死で笑いを堪えている真桜が居た。

「……その……彼と一緒に森で……ゆ、弓の鍛錬を……」
「はぁ!? 月はそんな事しなくていいじゃない!」
「違うの! 戦場に出るわけじゃない! “彼女”も私をそうやって使うつもりじゃないの!」
「……じゃあなんで?」
「詠ちゃんは……武官の人に文官仕事なんか机に座ってやるだけなんだから簡単だろうって言われて、納得出来る?」

 グッと言葉に詰まった。
 国を動かすのがどれだけ大変かも分からないモノにそんな事言わせない、と言いかけた。
 誰かから自分に対して、やってみろ、などと思わせない気なのだ。月は。
 当然自分達はそれを言うつもりも、言うはずも無い。そんな誇り無き事を王足り得る者達はしない。
 しかし……文官が武官を見下し、武官が文官を見下すような、そんな光景は何処にでもある。
 努力を分からないモノは他者から簡単に貶められる。その逃げ道を塞ぐ為に、月は武の努力を是としたという事。
 別段、取り合わなくとも良いモノではある。下らないと断じて一笑の元に伏せばいい。自分がしている事をやってみろ等と見下しながら頭の中に留めるモノ達は、一つの凝り固まった視点でしか物事が見えていないのだ。高い視点を以って、臣下達を公平に見なければならない王からすれば、そんな輩に取り合う事こそ無駄である。
 勿論、正式な武官のように毎日鍛錬が出来るわけが無いのだが……人の努力の一端に触れる事でその言を封じる事は出来る。建築、農業、漁業……あらゆる分野に手を伸ばそう、などとは出来はしないが、武というモノは古くから王達の教育として奨励されているモノでもある。
 言うなれば、王足るに相応しいと誰しもに認められるように、認めさせるように。
 真桜と話していた事にも若干関連してもいる。
 権力という力を持つ事は為政者にとって絶対。武を学ぶとは、心を鍛えるには最適である。例え直接的に人を殺さずとも、武の心得を持つ事で強大な力を律しきれる心力があると、少なくとも己の武を拠り所にしている者達には示せる。

「いつから?」
「街に居る時から。内緒で秋蘭さんに教えて貰ってたんだ……」
「何よ。ボクにくらい言ってくれたらいいじゃない」
「ご、ごめんね詠ちゃんっ! もうちょっと上達してから見せて……驚かせたくて」

 次第に消え入る声音。
 詠は、呆れた、と言わんばかりの盛大なため息を零した。

「秋斗、あんたがボクに言わなかった理由は?」
「……月光に乗れるのが月と一緒の時だけだからだ。さすがに月を乗せて兵達の前に出るわけにはいかないし、月光に乗れなければ黒麒麟としての姿を見せられない。どうにか“黒麒麟の相棒”と親交を深めようとした結果、月と一緒に鍛錬に行く事が最善だと思った。まだ、月光には認めて貰ってないけど。内緒にしてたのは……ごめん」

 月に内緒にしておいてと頼まれれば、秋斗はそれを裏切るはずも無い。互いの利も一致していればより確実に。だが……

――月は一人で武を学ぶ事を決めて、あんたも一人で黒麒麟になれない事を悩んでた。ボクだって……皆を支えたいのに……

「……っ……ふん、バカ」

 下らない事だと思う。でも、仲間外れにされたようで、詠は哀しかった。
 いつもそうだ。秋斗は誰にも話さない。月が偶然、月光に乗ろうと苦悩している秋斗を見つけたからこうなった事は予想に容易い。
 月にしても、変わろうと足掻いてどんどん前に進んで行く。

「ごめん。詠ちゃん」

 そんな詠の気持ちを読み取ってか、月はもう一度ペコリと頭を下げた。

「ううん、いいの。でもあれよ? ボクに手伝える事があったらなんでも言ってよ、二人とも」
「ウチもやで。隠し事すんなーなんて言わへんけど、頼って欲しいのも確かや。兄やんは特にな」
「……ああ、分かった。黙っててごめんな、二人共」

 秋斗の謝罪を受けて、詠は内心で呆れを零した。

――月は頼ってくれるかもしれない。けどきっとあんたは、それでも誰にも頼ろうとしないんでしょ? そういう奴だもん。

 ジトリ、と秋斗の目を見やる。敵わないなぁ、といつもの言葉で受け流す秋斗はそれ以上何も言わない。
 自分が我慢するか、どうしても駄目な時は前のように無理矢理聞き出して押し付けるしかないのだと再確認して、詠はため息を溶かした。





 †




 ぶすっとむくれているメイド服姿の少女が一人、秋斗の膝の上を陣取って背をもたれ掛けていた。まるでここは自分の場所だと言わんばかり。
 月が行っていた武の鍛錬を知らされていなかった朔夜は拗ねていた。
 秋斗に対しての罰として、膝の上で今日一日は話をさせる、というのが今の現状。
 月と詠は侍女仕事の為に居ない。兵達の練兵士気を上げる為に、二人は食事作りの手伝いや洗濯、報酬効果を齎すお菓子作りなどで昼間は忙しい。
 まあ、そのおかげで、兵達には嘗ての徐晃隊と同じように誰のファンか、と言った娯楽を与えたりも出来ている。朔夜も公平な立場で見て貰う為に娘娘の侍女服を纏い偶に二人の手伝いをして、侍女三人娘のファンには派閥が出来た。男だらけの職場に咲く華は思いの外人気が高く、元より黄巾三姉妹という娯楽要因も華琳の領内で活動していた為にそういった楽しみは根付いていたのだ。
 ちなみに此処に先だって駐屯している工作兵達には『えーりん派』が圧倒的に多い。徐州での戦の最中に絆が深まったというのが大きいのだろう。……月と朔夜の二人には身体的な部分で少ない場所があるから、真桜の兵達にとっては物足りないのも一つかもしれない。

「そろそろ機嫌直せ、朔夜」
「知りません。秋兄様は、ズルい人です」
「どうしたら許してくれる?」
「豊胸の、方法を教えてくれるなら許します」

 兵達の噂は官渡で暮らしている以上は当然耳に入る。人気がどうすれば高まるのかいろいろ試す秋斗に進められて、月と朔夜の二人はフレームだけのダテ眼鏡も掛けてみた。それでも変わらなかった練兵場でのアンケート結果から、胸の大きさが原因だと行き着くのは必至である。
 朔夜は秋斗さえ見てくれたらそれでいいが、やはり女性的な魅力も持ちたいらしい。男は母性に弱く、その象徴たる大きな胸が好きなモノ、などと本で読んだだけの知識を持っているのも原因の一つ。

「大きい小さいとかに拘らなくても朔夜は可愛いと思うけどなぁ。兵の奴等の好みの問題だから、そんなに気にしなくていいのに」
「ぁう……」

 顔を真っ赤にして俯いた。
 計算してでは無く素で言われた方が、朔夜には厳しい。さらには、頭も撫でるのだから、想いを向けている側としては堪ったモノでは無い。
 コホン、と咳払いが室内に響く。二人の目の前に座る真桜は、甘ったるい空気を朔夜が発する前にと考えて。

「すまん真桜。試行の報告書、よく出来てた」

 本来なら真桜が上司であるのだが、風聞が大きすぎて、官渡での準備中は華琳の名代という立場に秋斗は収まっている。
 朔夜と詠は彼の軍師として頭脳を使い、月は王としての二人の献策を聞き、自身での採決を考えた上で秋斗に提示する。
 秋斗も月と同じく二人の軍師から献策を行われて独自の答えを確立するが、全ての決定権を持つのは彼一人。
 軍の一つのカタチとして成り立っている。

「敵に与えられる、損害はこれで問題は無いようですね」
「ん、兄やんの改善案で出来たのは点じゃなくて面やから、精度の調整さえしっかりしたら行けるで。でも兄やん。せっかく『移動投石器』も出来そうやのに、なんでこの戦では使わへんの?」

 真桜と煮詰めた投石器の改良案の一つ。移動砲台の役割を果たすその兵器は、徐州での戦で袁家が用いた移動櫓の対抗策としては申し分ない。
 秋斗はすっと目を細めるだけで何も言わず。代わりに朔夜が、凍えるような眼差しを浮かべて真桜を見据えた。

「強力な、兵器ではありますが、それだけで戦が動くわけではありません。この戦での、華琳様と秋兄様の目的と最終結果の絵図は多分一致しています。白馬でも延津でも無く、官渡に大多数の兵を集め、広く陣をも敷く意味は其処にあります」
「白馬も延津もウチらの領内の城やで? 取られたら拠点にされてまうやん」
「それでいいんです。白馬と延津では一度か二度、防衛を行って牽制しつつ引きます。官渡に本営を構える以上、二つに縛り付けてしまえば堅実な攻めを好むらしい袁家の軍師は長期戦略を取ろうとするでしょう。真正面から押し返すだけが戦ではありません。こちらは外部戦略によって兵の総数を少なくせざるを得ませんから、それを利用して敵の思考の枠を狭めに行きます」

 むむむ、と首を傾げる真桜は狙いに気付かない。
 この戦で欲しいモノが何か……それを口にした秋斗に、朔夜が道筋を提示していくのがここ最近の二人。華琳と描いている絵図が同じであるとまで言われて、過大評価だ、と感じる秋斗だが口にはしない。
 二人で空想の盤上に描いた戦場はある。思い通りにいかないのが戦という生き物であるが、秋斗は『捻じ曲げたい断片』を持っている。
 それを為せるように戦の組み立てを行うのが朔夜の役目。
 数学の証明の如く、秋斗はポンポンと途中に切片を与えて行き、朔夜がソレを繋げる。以前……雛里がしていたように。
 此処に詠が加わると、外部の政略的な動きにまで視点が広がり、より正確な時機の計算と未来予想が描ける。

――軍師って奴等は化け物ばっかりだな……

 切片から道筋を立てる秋斗の思考能力は日々研鑽されている。
 元よりこの時代の人間とは違う思考訓練を重ねてきている上に、間違いが許されないという重圧が彼の脳髄に拍車を掛けていたから。
 それでも、と思う。朔夜や詠のように、広い視点や素早く的確な証明は導き出せない。地頭の差というモノは此処に出る。
 誰かが言った言葉がある。
 この世の理は即ち速さだと思いませんか、と。物事を早く終わらせればその分時間が有効に使えます、とも。遅い事なら誰でもできる二十年かければ馬鹿でも傑作小説が書ける、なんて事も聞いた事がある。
 文化の基本法則ぅっ! と速さに全てを賭けるどこぞのアニキの声が最後に聞こえた気がして、なるほど速さが力ってのも真理だ、と秋斗は一人で納得していた。

「秋兄様?」
「ん? ああ、お前さんの立てる道筋で構わん。でも、不可測だけは気を付けろよ?」

 ズレてしまった思考を戻し、話半分であろうと既に聞いていた道筋を肯定。最後に付け足すのはどんな状況でも起こり得る予想外の出来事への注意喚起。

「不可測……全て捻じ曲げてしまえばどうと言う事は無いと思いますが……」
「まあな。盤上を引っ繰り返すのはきっと鳳統ちゃんがやってくれるだろうし」
「です。目の前で、起こる事は秋兄様と華琳様で捻じ曲げてしまえますから問題は無いかと」
「でもなぁ……曹操殿がアレを欲しがるかも分からん」
「必ず欲しがります。私では、分かり得ませんでした。でも秋兄様は気付けました。なら華琳様は、必ず気付いていますし手に入れるように動きます」
「なんでそうまで褒めるかね……お前さんならその内気付いたさ」

 ぐしぐしと頭を撫でられて、朔夜は顔を真っ赤に染めた。
 真桜は話に着いて行けない。何故、雛里の名が此処で出るのかも分からない。この二人に何が見えているのか、影も形も分からなかった。
 話の内容も飛び飛びで、何処がどう繋がっているのかすら曖昧であった。自分達が使う新兵器が、そこに繋がっているとも思えなかった。

「な、なぁ……二人はなんの話をしとるんや?」

 疑問が出るは当然。されども……

「官渡の戦の話ですが……?」

 キョトンとした目を朔夜に向けられて首を捻った。
 秋斗は苦笑を一つ落とし、これ以上は真桜の範囲外の話だと、いつものように誤魔化しにかかる。

「新兵器は官渡でこそ役に立つ……ってとこだ。何も人を殺すだけが兵器の使い方じゃない。いや、兵器の真骨頂はな、“畏れ”にある」
「畏れ……?」
「そうだ。聞いた話だけだが、虎牢関を無傷で抜け出す飛将軍となんか誰だって戦いたくないだろ? クク、それと一緒なんだ」

 自分も詠に説明していた事柄であるからどういう効果があるかは理解出来た。
 だが、二人が描いている戦絵図を、真桜には思い浮かべる事は出来ない。

「ま、あれだ。大きく考えるのは王と軍師達の役目だ。詳しく知りたいと願うのはいい事でも悪い事でもあるんだが、自分が頭を使う部分をそんなもんにばっかり使っちゃいけない」

 ゆっくりと目の前の机で湯気を上げる湯飲みを手に取った秋斗。
 朔夜は膝の上で、秋斗のマネをして湯飲みを手に取った。彼女は秋斗が何を言いたいかを分かっているから、口を挟む事は無く、微笑みを浮かべて、秋斗と同じタイミングでお茶を啜る。
 二人してほう、と一息。続きを待つ真桜はそわそわと身を揺らしていた。

「ゆえゆえやえーりん、朔夜のおかげで娯楽が生まれたと言っても、兵も些か飽きて来る頃合いだろう。新兵器の試行も問題無く終わったから、練兵の休憩時間を長くしてその分は夜戦用訓練に繰り越し、休憩の時間は楽しい絡繰り作りとかモノ作りでもしたらいいと思う」

 全く意味が分からない、といった表情で固まった真桜に、尚も秋斗は続けて行く。

「新しい事をするのは楽しいだろ? 真桜は職人畑の人間だ。昏い兵器なんかを作ってるだけじゃお前さんも兵士達も心が歪む。人を楽しませて、人を笑顔にする道具をこれまでも作って来たんだから、部隊の奴等と一緒に、戦まで例え瞬刻だろうとその楽しい時間を教えてやったらいい。お前さんには店長と同じで、人を幸せにして笑顔にする力があるんだからさ。曹操殿に言われている基準値以外……戦に関しての戦略や戦術なんかは俺達に任せてくれ」

 先程詠に頼ってくれと頼まれ、真桜からも諭されたというのに、彼は先手を打って真桜の心の負担を減らしに行く。

――ホンマ、よう分からん人やで。

 心の中で零した。悪い気はしなかった。頼って欲しい、とは思わなかった。
 詠ならばそう思うであろう。しかし真桜が出来る領分を越えているが故に、素直に受け止められる。
 兵器の使い方で文句は無く、将として気遣ってもくれる。職人としての自分を認めた上で楽しみをくれて自分が見ていた道を照らし、悪戯などの楽しい事にも付き合ってくれる。尊敬できるかと言われれば眉根を寄せる部分もあるが、信頼できるかと問われれば間違いなく頷けた。
 戦の事を話す冷たい秋斗は苦手だった。でも、幸せな時間を作る優しい秋斗は共に時間を過ごしたいと思える。
 真桜にとって、やはり秋斗は不思議な男だった。

「……ん、了解や。材料はどうするん?」
「竹でもなんでも。別に休息日扱いでいいから森の視察にでも行って必要な分を拾って来たらいい。木の上に秘密基地とか作ってもいいぞ? 森って結構楽しいからさ」
「ははっ、なんやそりゃ……ホンマ、兄やんは子供やなぁ」
「クク、秘密基地は男のロマンだからな。今度俺も兵達を連れて作りに行くかね」
「そりゃあ、兄やんにも休みは必要やろしな。阿呆共も兄やんとはっちゃけるん好きな奴多いし、そうしいや」
「ありがとよ。じゃあ、練兵に戻ってくれ」
「あいよー。ほな、朔にゃんもまたなー」

 ふりふりとにこやかに手を振る朔夜の姿を扉の陰に切り取り、パタリ、と静かに閉めた。
 廊下を進む真桜は、ふと、此処に来る前に秋斗が苦しんで蹲った時を思い出す。
 なんでもないの一点張りで、何も話そうとしない彼は身勝手だ。
 記憶が戻る戻らないとは関係なく、誰にも頼ろうとしない在り方は見ていて痛々しい。

「やっぱりそういうとこも、華琳様と一緒なんよなぁ。ウチの事にしても、天和達にどうすればいいか示したんと似とるし」

 春蘭の負傷報告の時、その場に居たのは真桜だった。人和から、人を戦場に扇動する理由を聞いた事もあった。
 うんうんと腕を組みながら考えて、ぐるぐると回る思考に陥り始める。

「あぁ、なんやよう分からん。ホンマ、兄やんは意味わからん。うん……めんどいわっ」

 苦笑を零した。
 詠のように支えようとは思わない。華琳に向ける尊敬とも全く違う。
 この居心地のいい関係にとりあえずは浸って過ごせば何か分かるのではないかと、真桜は思考を放棄して、

「とりあえずや、兄やんがびっくりするような絡繰り作ってみよか。くくく……細かいのやったら絡繰りえーりん、とかもええんちゃうかな」

 秋斗の言う通り、乱世の間であろうと、自分の好きな楽しい事もしようと、心に決めたのだった。


















~狼と道化師~



「秋兄様は、やっぱりズルい人です」

 見上げる賢狼の瞳は宵闇色が渦巻き、昏い暗い色に吸い込まれそうな程。
 声音は冷たくとも責めているでなく、秋斗の思惑を見抜いた知性の色が隠れていた。

「……」
「思いつきで、最後の一手を強化するつもりですね? 真桜さんには気付かせずに……私や詠姉さん、軍師達と華琳様が気付く程度の些細なモノで」

 答える必要は無い、とばかりに無言でお茶を啜る。朔夜はむぅっと口を尖らせて、答えを言ってもいいものかと悩んだ。

「戦だし、使えるモノはなんでも使うさ。曹操殿の名を汚さない範囲でな。朔夜もえーりんも、ある程度の狙いは他の軍師から聞いてるわけだし」
「秘密基地……敵の斥候に警戒を促し、森への警戒を最大限に高めさせ、行動制限を強いる為のお遊び、ですか」

 秋斗の言葉に答えてもいいととった朔夜はつらつらと説明を重ねた。
 大きく漏れ出るため息は呆れから。うんざりだ、というように秋斗は首を振った。

「こんなお遊びの思いつきが戦に役立っちまう」
「逆もまた然り、です」

 そうだな、と零された秋斗の声は寂しげだった。

「真桜さんのこと、秋兄様は高く評価しているんですね」

 急に跳んだ話に着いて行く事はもう慣れていた。
 秋斗はお茶を一口啜って、穏やかな表情で言葉を紡いでいく。

「あいつは人に兵器の怖さを教えられる。元から……自分の為であれ、誰かの為であれ、人の為になるモノを作っていたあいつは、他者を傷つけるモノがどれだけ怖いかを分かってる。だから……安心して俺が持っている知識を吐き出せる」
「盗まれたら悪用されますが」
「そんなもんは世の常だ。そういった技術を悪用出来ない世の中にするのがこれからの権力者達の責だ。それにどっちみち……いつか来る大陸の、五胡のさらに外からの侵略を守る為には、もっと上位の兵器は必要な力だしな」

 息を呑む。
 天下統一を為して、五胡からの侵攻を跳ね返し続ければ安定を図れる、と考えていたのに……秋斗はその上を容易く行く。
 気付けば早い。秋斗が知識を持っているという事は、それは実在する力であり、自分達のこれから作る国に向けられるかもしれない脅威でもあるのだ。
 震えた。心の芯まで。歓喜と恐怖に。
 高鳴る胸は敬愛からか、それとも自分を受け止めてくれる異質なモノへの狂信からか、どちらもだろうと朔夜は思う。

「一歩間違えば……私達が侵略者になり果てますが……」
「大きくなれば大きくなる程に内部崩壊もあるし、勝ち続ける事なんざ出来ないよ。後に続く世代達が、同じ、もしくは似通った文化圏で満足出来なければ、俺達が足りなかったってこった。それにな、そういった強欲に対する返しの刃を、曹操殿も俺達も作ろうとしてるだろう?」
「愚問でした。申し訳ありません」
「クク、謝るな。お前は正しい。俺達が目指してるのは馬鹿げた理想だ。曹操殿も黒麒麟も俺も、でかすぎる夢に捉われちまったのさ」

 否定しながらもそれを目指す彼は、朔夜の目に眩しく映る。

「……大陸内に於いては、あくまで同盟で終わらせるつもりは無い、と」
「元々一つに纏まってたもんを三つに分ける必要が何処にある? 権力者の分化は争いしか生み出さない。どうせいつかは一つになるんだ。遅いか早いかの違いでしかない」
「目に分かる崩壊と絶対的な新生……もし、華琳様が連合前に月姉さまの本質を知っていたらどうしていたでしょうか?」

 優しい月を見てきたから出てきた言葉。華琳の思考に近しいであろう秋斗に、朔夜は聞いてみたかった。そんな“もしも”の可能性を。

「……踏み潰すだろうな。アレは覇王だ。手は繋がんよ。踏み台にして高みに上る。何より……ゆえゆえと曹操殿が勝っちまったら、他の勢力の頂点達は帝に刃を向けた反逆者として死ぬしかない。それだけは避けるだろうよ。ま、俺が曹操殿の立場なら、だが」

 ああ、やっぱり……朔夜の心は震えた。
 華琳も秋斗も、求めているモノが他とは違い過ぎた。だから誰にも理解されない。
 記憶を失っていても、秋斗に仕えたいと思ったのは、決して間違いではなかったのだと確信した。
 背中を預けていた身体を正対させる。じ……っと秋斗の黒い瞳を見つめた。
 抱きついて自分の気持ちを言ってしまおうか、と一寸考えるも、朔夜は軍師としての思考を吐き出そうと、きゅむきゅむと己が手を握った。

「月姉さまは、あなたの記憶が戻らなくても侍女を辞めますよ、きっと」
「そっか……なら……袁家の次は馬家がいいな。この戦で、連合総大将の軍に力を貸すと思うか?」
「いえ、きっと貸さないでしょう。どちらに手を貸しても危うい。漢の忠臣という立場を、貫く以上は帝か二つの劉が動かない限り動けません。華琳様は帝の力には、絶対に頼りませんのでこの戦は私達と袁家のみの舞台となるのは確定です」
「……さすがは朔夜」

 くしゃくしゃと頭を撫でられるのがどうしようもなく嬉しくて、しかし抑えなければならないから、彼女はまた、掌を握る。

「えーりんとはどれくらい話してるんだ?」
「秋兄様の、最後の狙いまではお伝えしていません」

 すっと目を細めた秋斗は思考に潜る。彼の冷たい瞳に宿る知性を磨くのは、今は自分の仕事だ、と朔夜は頬が緩まった。

「……えーりんにも言わない理由は……霞とゆえゆえか」

 正解です。そう笑顔で告げて、朔夜は正対していた身体を表に向けた。
 お茶が少し冷めていた。それでもおいしさは変わらない。秋斗も倣って、お茶で唇を潤した。

「曹孟徳に、その部下達に、ゆえゆえとえーりんにも、“俺”がどんなモノかを……示すってことか」
「客将という、立場を貫く以上は大切です。あなたは……記憶が戻らずとも華琳様には仕えない、単純に仕えるよりも有用な道が多々あります。だから、仕えない」

 今度は秋斗が震える番。頭の中を覗かれた気がした。心臓に冷たい手を這わされるような感覚が襲う。
 この少女は、やはり司馬仲達なのだと思い知らされた。

「……クク、敵わないなぁ」
「お互い様、です」

 静かな午後の一室。二人は二人だけの未来を机上に広げていた。
 彼の思考を縛る鎖はもはや無い。覇王を信じ、覇王の為になる事だけを積み上げていく。
 朔夜は彼の狂信者として、彼の願いを叶える為にだけ、彼の思考を読み取って、全てを固めて行く。

「鳳統ちゃんはちゃんと動いてくれるかな?」
「必ず。内政に聡い荀彧が見逃すはずありませんし、鳳凰は“嘗ての秋兄様”がしたかった事をなぞって来るはずですから」
「なら、いいか」

 黒瞳は哀しげに揺れ動く。自身が傷つけるのは誰になるのだろうかと怯えを含んで。
 朔夜は何も言わない。優しい彼だと知っているから。彼が求めて仕方ないのが、彼女の幸福だと知っているから。

 どうか……と、彼女が救われる事をも願った。

 彼が彼女に出来る事は少ない。出来るのはせめて……


――あの子を黒麒麟のマガイモノの……“嘘つき”にさせない事くらいだ。

 
 

 
後書き
読んで頂きありがとうございます。

官渡準備回。兵器の扱い方のお話。
投石器が初めての強力な遠距離兵器な恋姫ですから、使うのも怖いかなと思いまして。

主人公と朔夜の思惑。雛里ちゃんすら予想に組み込むお二人。
結果を投げるのは主人公、組み立てるのは朔夜ちゃんのお役目です。
どんな戦を描いているのか、予想して楽しんで頂けたら幸いです。

次は劉表さんと華琳様の会見、です。

ではまた 
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