つぶやき

海戦型
 
打ち切り、打ち切られ
例によってどうでもいい話です。


最近週刊少年マガジンで連載中だった「ベクターボール」が打ち切りになったと聞いて軽くヘコんでいます。マガジンは最近やたらデスゲーム的な作品が増えて好きな漫画が減ってたんですが、そんな中でも本気で笑わせに来るベクターボールは口直し的な意味でも好きでした。賛否両論あるようですが、私は雷句先生のギャグが好きだったんですね。
しかし確かにというか、ベクターボールは面白いけどマガジンでウケる話ではないなというのは感じてました。なんでもアンケートの結果も芳しくなかったようですし、仕方ないかなと。そもそもベクターボールの原案持ち出した時もフルボッコで連載諦めかけたらしいですし。

で、そんな雷句先生の釈明によると、編集側の出してきた展開を書ききれずに無理だーってなって思わず連載止めてしまったらしいです。私がちらっとみたネット板では「言われたことも書けないのか」とか「傲慢な態度に見える」とか「編集者に文句言ってるだけじゃん」みたいなコメントが散見されました。まぁ、言わんとすることは分かります。

でもこんなネットの隅っこでも一応作品を書いてる身としては、理解はできる話なんですよね。

要するに雷句先生の言葉を信じるならば、「自分の得意分野とまるで違う仕事を要求されて、頑張って書いてはみたものの無残な出来栄えにしかならなかった」ということなのですね。自分で酷いと思っているような作品を書き続け、発表し続けなければならないなんて作家的には地獄だと思います。

何度か言ったことがある気がしますが、私は登場人物が女の子ばかりの妙にエロい主人公ハーレムものはまるで書ける気がしません。そういうのを書くために必要な能力を持っていないからです。なのに無理してそんな物語を書けば、それはそれは酷いものが出来るでしょう。
でもその手の作品は安定してややウケくらいはします。場合によっては大分ウケるかもしれません。その辺の展開こそがラノベなんかのスタンダードですから、スタンダードを求める大衆側の存在への需要があるわけです。だからウケを狙うなら書くべきではある。

そういう葛藤を突き抜けられないとき、作者はウケを一切無視して自分勝手に書き進めるか、或いは筆を折って諦めの道を選ぶしかないのです。

日を追うごとに、小説を書く余裕はなくなっていく。
自分の小説を更新する力もほとんど失われた。
私も選ぶべきか?諦めの道というものを。 
黒猫大ちゃん
 
成るほど、人それぞれだからねぇ。
 私が文章らしき物を書き始めた理由は素直に怒りでした。
 とあるゲームに参加していて、色々とあって結果ブチ切れた。
 俺なら、俺たちならもうちっと真面な物を提供出来るぞ、ボケ! ……と言う感じでね。
 まぁ、こんな人間は早々居ないか。……と言うか、怒りを原動力に何年書いているのだ?

 書けない時は素直に放り出すのも手かな。別にプロじゃないのだし。
 今、私が書いている二次のプロットを最初に作ったのは07年ごろ。書き始めたのは13年。その間の6年間、何をしていたのよレベル。小学生でも卒業しちゃうよ、その時間があれば。
 もっとも、最初に作ったのは小説のプロットではなく、TRPG用のシナリオプロットなので厳密に言うと違う物なのだけど。

 他には……今、どう言う書き方をして居るのか分からないけど次に書く時はプロットを細かく作ってみる。
 長期の連載なら大ネタをEDに導くまでに小さいネタを繋いで行く事になると思うから、その間の流れを箇条書きにして置いて、それに従って書いて行く。
 その中に思い付いたネタや台詞を少しずつ書いて置けば、いざ書く時になって忘れる事もなくなるから一石二鳥。
 もっともソレに縛られ過ぎる事も問題があるけどね。
 実際、書いて居て、その台詞や行動に違和感を覚えてその流れを完全に変えた事だってあるから。

 後は音楽を聞いてみる。これはテンションを上げると言う意味で。まぁ、曲の内容に文章が引っ張られる事もあるけど、それは愛嬌と言うヤツで。
 その内に「たかが石ころひとつ」……この台詞は使うぞ(その為の撒き餌は終わっている)。因みに、今は若かった頃のウツの歌声が響いています。
 小説を読む。私の場合は10冊ほど買って来て一気に読む。その中に使いたい言葉や表現が出て来ればシメタ物。執筆意欲は上がる。
 私の場合、創作の中で失ったテンションは同じように創作の中でしか回復しないのでこう言う方法しかないですね。
 ダメなのは映像が入る事。映像があると其方に集中して仕舞って、頭が働いていない事が多々あるから。

 こんな感じかな。
 でも、リアルが忙しいと小説なんぞ書けませんよ。
 実際、プロットを作ってから放り出していた時期は家を新築する為に色々と忙しかった時期と重なる。
 公○員時代など、有給休暇を買い取ってくれないかな、などと言って、それは無理と素直に怒られた。
 ……二月三月なんて休み扱いなのに何故か仕事をしていたし。
 月のサー○ス○業百時間なんてザラだった。
 流石にコレは極端な例だけど(過労死レベル)、リアルが忙しかったら書く余裕などないでしょ。

 最後。書けない理由についてひとつ可能性があるのは……。
 以前はオッケーだったレベルの表現や描写がダメになった。それで違う言葉を探すのに時間が掛かっている可能性がある。
 これは素直に成長した証だと思うから……。

 人生長いから、執筆を生計の道と選んでいるのなら苦しくても書かなきゃいけないけど、そうでないのなら気楽に行きましょ。それが長続きさせる方法ですからねぇ。
 それでは、これにて失礼。 
海戦型
 
一番つらいのは
自分の作品を読み返し、続きを書こうと執筆をはじめ、そして「書けない」という端的な事実に気付いて愕然とする時です。ビックリする程に続きが書けなくなっていて……連載中の時から時間が空くと、読み返しても他人の文章のように思えてきます。

戻れるんでしょうか。甚だ疑問です。まだその時ではないということでしょうか……。 
黒猫大ちゃん
 
余裕がある時に書けば良いよ。
 仕事を始めたばかりの頃は色々と余裕がないからね。
 誰しもが通る道だよ。心配ない。
 オイラも公○員時代はそうだった。
 ここは何処のブ○ックで……と、これは関係ない。

 先ず、本気で作家を目指す心算なら今の流行は追うべきでしょう。それが早道だと思う。
 作家に成る心算がないのなら、自分の書きたいように書けば良い。それだけ。その方が書いて居てテンションが上がると思うから。
 それに、流行には流行り廃りがある。一か所に留まっているだけでも、その内に流行の方が一回転して来て、自分のトコロに戻って来る可能性だってあるからね。

 やりたいようにやって、書けなくなれば諦める。そして、また書けるようになれば続きを書けば良い。それで良いんじゃないのかな。
 これは流石に趣味人でなければ出来ない贅沢だと思うよ。
 流石に商業作家だと年単位で作品を放り出す訳には……いや、そうでもないか。

 最後。小説を書くテンションが下がったのなら、昔の自分が書いた文章を読み返すのも手かな。
 え、俺ってこんな表現を使っていたの? ……とか、これ誰が書いたのよ。まったく覚えがないのだけど、などと感じる事も出来るから。
 でも、不思議とその頃の自分の事が思い出されて、もう一度、書き始める気力を与えてくれる物だった。俺の場合はね。

 それじゃ、頑張ってね。
 あっと、無理して書いても意味がないよ。書きたいように。書ける時に書く。これが一番だと思う。
 それじゃあね。