つぶやき

海戦型
 
妄想物語25
 
「真上かぁっ!!」

 ほとんど反射的に、トレックは『炎の矢』で外灯の合間に三発の炎弾を放つ。
 そのうちの一発が――黒と紫の斑模様をした何かに掠った。

『ギア゛グッ!?』

 人ならざる存在の悲鳴が、トレックに事実を告げる。
 敵は――皮肉にも、人間の作った外灯の上というカンテラの照らせない安全領域から、下の人間を攻撃していたのだ。
 斑模様の全てが完全に見えない場所へと逃げ込み、大きさも姿も碌に確認できない。しかしあの耳元を虫が這うような不快な鳴き声と自然に存在する生物のそれとは思えないぞっとする黒と紫のコントラストは、相手が呪獣であることを裏付けている。
 あの呪獣はずっと上方にいたのだろう。そして上から何らかの方法でガルドや悲鳴を上げた学徒を殺したのだ。方法も姿も不明だが、極めて危険な存在であることは疑いようもなかった。

(だけど、それなら外灯から離れた方が得策なんじゃないのか!?高所に陣取られたらどう考えても不利だろっ!!)

 ギルティーネは外灯の真ん中を突っ切るように走り続けているが、本来ならそれは自分が不利な場所に居座っているのと同じことだ。多少遠回りになっても外灯から離れた方が攻撃されるリスクが低い。それを問い質したいのに、ギルティーネは問いに答える事が出来ない存在だ。

 トレックはただひたすら混乱しながらギルティーネの疾走に揺さぶられ続ける他なかった。
 今、止まれば的になる状況が完成している。もし無理をしてトレックがギルティーネから離れれば、恐らく死ぬのはトレックだ。何も出来ない。上に銃を撃つぐらいは辛うじて出来るが、疾走する彼女の背中で激しく揺さぶられながらでは手元がぶれて狙いなど到底絞れない。雨の粒を拳銃で狙うようなものである。

(せめて、あれが俺達を追いかけている間は残りの二人に矛先は向かないと考えるしかないか……?くそっ、俺の力はギルティーネさん以下だから何をされても逆らえないっていうのかよ……!!だから俺に鍵を渡したっていうのか――!!)

 だとしたら、荷物の中に仕舞い込んだ鍵束を持て余すトレックは、どこかで間違えたのかもしれない。今になっては後悔しても詮無きことだ。

 沈み込む気分と共に、トレックは次第に息を切らせていく。碌に抵抗できず揺さぶられ続けることは、確実に人体にダメージと疲労を蓄積させる。ギルティーネの際限ない疾走に抵抗することも許されなかったトレックは、次第に考え事をする余裕さえ失せて行った。

 やがて、トレックとギルティーネは出発点である『境の砦』に到着した。
 呪獣の正体も、ガルドが本当に死んだのかも、それどころか置いてくる形になったドレッドとステディの安否さえ確認できない。ただ、ゴールと同時にギルティーネはトレックを離し、長時間揺さぶられ続けて疲労困憊のトレックはそのまま受け身も取れずに地面に叩きつけられた。

「かはっ……!……ぜぇ、ぜぇ……」

 砦には、教導師と数名の衛兵らしき呪法師が待っていた。トレックがフラフラの身体で起き上がろうとすると、教導師はトレックに目もくれずに法衣の懐をまさぐり、仮設砦で貰った紙を摘まみ上げて「合格だ、休んでいいぞ」とただ一言告げた。未だに立ち上がれずにいるトレックのことは、既にどうでもいいらしい。

「………ひどい有様だな。おい、ドーラット準法師。焦っていたのは分かるが、次はもう少し丁寧に運んでやれ」
「…………………」

 薄れていく視線の先にいたのは、虫けらを何の感慨もなく見つめるような表情のない美貌。

 そこから砦の一室で目を覚ますまで、トレックは自分がどうやって移動したのかを覚えていない。



 = =



 目を覚ましてしばしの間が空いた。

(あれ………俺、なんでここにいるんだっけ)

 寝ていたのは、どうやら客室のようだった。4つのベッドにテーブルや椅子が並び、少なくとも自分の住んでいた宿舎の一部屋よりは創意を感じられる。そのベッドの一つの上に、トレックはいた。この部屋には他に誰もいない。ギルティーネも、いないようだった。

 窓の外は既に朱月が空を上り、暖かな光で白月の齎した闇を浄化するように照らし上げていた。天井からは簡素なシャンデリアの光が降り注ぎ、気温も低すぎず高すぎない。とても過ごしやすい環境のようだ。

(寝る前に、何してたんだっけ。駄目だ、頭がいまいち働いてない……)

 トレックはしばらくそこでぼうっとしながら頭を触って寝癖がないかを確認し、ふと部屋のテーブルに見覚えのある物体が置いてあることに気付く。自分が試験に持ち込んだ小さなウエストバッグに、レンタルのペトロ・カンテラ、愛用の拳銃(タスラム)やそれらを固定する金具のついたベルト。法衣は見当たらない。そして拳銃の下には一枚の紙が敷いてあった。

 のそりと起き上がると、全身に強い疲労感が押し寄せる。もう一度寝たくなる衝動を抑えてしっかりと立ち上がったトレックは、ベッドの下にあった自分のブーツを履いてテーブルまで歩み寄り、ベルトに手早く自分の装備を固定していく。最早呪法師としての習慣だろう、その行動をとることに疑問は感じなかった。
 そして拳銃をホルスターに収めたトレックは、やっと拳銃の下に敷いてあった紙を手に取った。そこには教導師からの伝言が認(したた)めてあった。


『  トレック・レトリック準法師へ

 試験合格おめでとう。彼女と共に試験を突破できたのは君が初めてである。
 知ってのこととは思うが、これは君が彼女を御しきれるのかを試した試験でもあった。
 君は見事とは言い難いが、五体満足に生き延びた。それが一つの答えだと私は思う。
 君は選ばれた存在だ。特別だ。そう自信を持ってもいい。

 さて、君の今後の事について話そう。
 実はサンテリア機関内で新たな学科を増設する計画がある事を知っているか。
 君に、その計画のさきがけとなる特別学徒として参加してもらいたいと思っている。
 もちろん今度は罪人ではなく、新たなパートナーを付けようと思う。

 今の環境より過ごしやすい環境と、呪法師として大成する道を用意することを約束する。
 そちらにとってもこちらにとっても、互いに益のある話だ。
 今すぐにではないが、今月中には快い返事を期待している。              』


「試験、合格………」

 霞のかかっていた頭が少しずつ回転を再開し、記憶が鮮明になっていく。
 馬車に揺られての移動。罪人との邂逅。初めての戦闘。そして出会いと誓い。

 無意識に、トレックは自分のズボンのポケットに手を入れ、中をまさぐった。

 一本の、綺麗に編みこまれた紐が出てきた。よく見つめると、中ほどの部分だけが微かにくすんでいる。これは確か、ガルドの武器を真似て――。

「ガルド………そうだ、ガルド!!ステディさんとドレッド!!それに外灯の上の呪獣は!?ギルティーネさんはどこだ!?ここは――!?」

「――ここは、試験合格者に割り当てられた休憩室だ」

 静かに、部屋のドアが開いて女性の声が聞こえる。
 トレックがそちらに振り向くのと、その少女が光源杖を振りかぶるのはほぼ同時だった。

 顔面に強い衝撃。目の前がチカチカと転倒し、唯でさえ調子の芳しくなかった体が後ろに崩れ落ちてテーブルごと床に崩れ落ちる。遅れて、じわじわと顔に痛みが奔る。殴られて、転倒したのだと理解した。

 一体どうして、と考える間もなく、誰かがトレックの身体の上に馬乗りになってシャツの襟首をあらん限りの力で締め上げる。トレックは呼吸に詰まりながら反射的にそれに抵抗して、次第に回復する視界を必死に圧し掛かる相手に向ける。
 そこにいたのは、自分の知っている顔だった。

「ステディ、さん」
「貴様が………何でっ、貴様がっ!!何故私たちを捨てて真っ先に逃げ出した貴様が特別な待遇を受け、私は全てを喪ってこんなにも惨めな思いをせねばならん!!貴様と関わらなければ――ドレッド様が貴様のような半端で気味の悪い異端者と関わらなければっ!!」

 こちらが言葉を発するより早く、ステディの拳がトレックの顔面を打った。女性の細手であっても戦闘訓練を受けた準法師のそれとなると軽くはない。しかも体調が戻りきっていないトレックには、頭では殴られていると分かっていても体の反応が追い付かない。そのまま碌に抵抗できず、10回近く殴られ続けた。

「ぐあっ……!う、ぐっ……!」
「痛いか!痛いなら悲鳴を上げて苦しめ!!お前が犯した罪を一つ一つ思い浮かべて懺悔しろッ!!」
 
 最後とばかりに彼女が大きく振る被った拳。

 その時、トレックはやっとステディの瞳から涙が零れ落ちている事に気付いた。

「――お前らが逃げたせいで!お前らの所為でドレッド様も死んだッ!!ガルドだってお前の横の女は助けられたはずなのに、助けなかった!!お前らは呪法師の誓いをコケにして身の保身に走り、私の大切な者を全て奪ったんだぁぁぁぁぁーーーーッ!!」

 拳は、真っ直ぐトレックに叩き込まれた。
 骨と肉を叩く鈍い音。凄まじい衝撃が頭を突き抜け、トレックは再び意識が遠のきそうになった。
 しかし、理不尽な暴力に晒される中で、トレックはステディの発言のことばかり考えていた。

「ドレッドが――死んだ?」
「貴様がその名前を口にするなッ!!!もう一度殴られたいのかッ!?…………クソッ!クソクソクソクソッ!!こんな腐抜けた顔など思う存分殴ってやりたいと思っていたのに、顔を見返すほどに苛立ちが募るばかり……!!もういいッ!!貴様などの面を拝みに来た私が間違っていた!!貴様はそうやって自分の不幸を他人になすりつけながら勝手に戦って勝手に呪獣の餌になってしまうがいいッ!!」

 一方的に感情を爆発させたステディは最後に涙を流す目でトレックを見下ろし、そのまま足音荒く部屋を後にしていった。その背中を見送ってから、トレックはオウム返しのように自分の言葉を繰り返した。

「ドレッドが――死んだ?」

 目を覚ましてから何一つ実感の沸かなかった状況の中で、その言葉とステディの涙だけが異様に鮮明に頭の中に残り、胸の奥がずぐり、と痛む。痛みは血が滲むかのようにじわじわと体を蝕み、トレックは時間を置いてやっとその事実の意味を理解した。


 = =

人が異世界にトリップしたがるのは、きっと閉塞して希望が見えない現実から永遠に逃れたいからなんだと最近は思う。しかし、逃げ出した先に果たして楽園などあるんだろうか。もし行き先がこんな呪われた大陸でも、行きたいと思うのか。そして、生きたいと心の底から思えるんだろうか。