つぶやき

海戦型
 
妄想物語23
 
(俺は狼の群れに混じった羊………周囲とは、そもそもまるで違う生き物――)

 トレックは頭を振って、思考を無理やり頭から追い出した。

 死のリスクは最初からあった。それが今になって浮き彫りになっているだけだ。ならば自分がすべきはこの場を生き延びて、ギルティーネと共に試験をクリアすることだけ。余計な恐怖も思考も全てオオカミの毛皮の奥に仕舞い込んで、精一杯に狼のふりを続けろ。生き残ることが出来れば、周囲が何だろうと構わないのだから。

 

 ゆっくり、ゆっくり、全員で歩幅を合わせて前進する。いくら相性の悪い呪法師と一緒であろうと、集団で歩幅を合わせて移動する訓練だけはうんざりするほどやってきた。それこそ目をつぶったままでも、同じサンテリア機関で実技を習った学徒なら歩幅を合わせる事が出来る。

 少し進むと、道の端に柱のようなものが見えた。木ではなく金属製だ。どうやら6メートル以上はあるそれは、先端が折れ曲がってコの字になったアーチのようだ。それも一つ二つではなく、等間隔にいくつも連なっている。上部をよく見ればそれぞれのアーチは鉄骨で繋がっているようだった。
 カンテラの照らすアーチの中央部分には、一般的なランプと同じく逆さ皿のように光を下に集中させる構造が取り付けられていた。

「これ、灯薪の類は取り付けられていないが……外灯か?あの仮設砦までの道を照らす為の……?」
「ターニングポイントの仮設砦に残された物資といいこれといい、本当に建設途中で頓挫しているのだな。元老院からの締め付けは予想以上に厳しいようだ。これでは『大地奪還』など当分先になりそうだ」

 やれ、と呆れたような顔をするドレッドだが、今は頼りにならない外灯などよりも目の前の危機を察知しなければ話にならない。ここから先に――恐らく、自分と同じ時期に入学して、同じ文武を修め、そして自分より早く大地へと還ったであろう誰かがいる。……まだ死体が残っていれば、だが。

 それを直接見たとき、自分はそれでも平静でいられるだろうか。
 足を止め、吐瀉物を大地にばらまく自分の姿だけがやけに鮮明に想像できる。できるが、今はそんな想像をする余裕がない。金属製の柱が周期的に並んでいるというのは、遮蔽物で若干ながら視界が狭まる可能性があることを示している。
 ペトロ・カンテラの光量と角度では、木のように高さのある遮蔽物の後ろまでは照らせない。つまり、それだけ呪獣の隠れる隙間が大きくなり、接近を許すリスクが高まる。

 それほど時間を置かず、全員が悲鳴の上がった付近まで到着した。

 悲鳴の主の死体は見当たらない。代わりに学徒用に貸し出されたペトロ・カンテラだけが転がっている。内部に溜めこんだであろう呪力は術者が死亡しても光りつづける筈だが、既に灯は消えている。原因は二つ考えられ、ひとつは単純に火種が何らかの原因で消えたこと。そしてもう一つは込めた呪力が尽きてしまったことだ。地を這う呪獣がペトロ・カンテラに手を届かせたとは考えにくいので、後者なのだろう。
 しかしそうすると疑問も残る。ペトロ・カンテラは現代の呪法具としても破格の燃費を誇る上に、呪法師の必須アイテムだ。折り返し地点で呪力を再充填したのなら、いくら遅く進んでいたとしても効果が切れるのが早すぎる。それこそこの場に1,2時間ずっと座り込みでもしない限りは、だ。

 念のため、生存の可能性を考えてドレッドが声を張る。

「誰かいるか?俺達は試験の参加者だ!生存しているのなら直ぐにカンテラの光の中に来るか、何か合図を送れ!」

 彼のよく通る声が荒野の闇に響き渡るが、返ってくる反応は一切感じられない。まるで光に照らされた外には世界そのものが存在しないかのようで不気味だ。たっぷり時間を置き、隣のステディは淡々と事実を告げる。

「……………返答、ありませんね。ドレッド様、残念ですがやはり死亡したと考えた方がいいでしょう」
「ああ……名も知らぬ相手だが、志半ばでこの結果はさぞかし無念だったろう」

 呪獣は基本的に殺害した人間の死体に手は出さないが、人知を超えた馬鹿力で吹き飛ばされて崖の下に転落したのなら誰もいない説明はつく。この高さから呪獣に攻撃を受けての転落となると生存は絶望的だろうし、どちらにしろ捜索に向かう暇もない。
 死体のないことに、ほんのわずかにだがほっとする。心を覆う暗雲は晴れる気配がないが、少なくとももう少し平静を保っていられそうだ。しかし、トレックはふとある疑問を思い浮かべた。

「返答がないということは……カンテラの持ち主のパートナーは?」

 呪法師は複数人での行動が原則だ。カンテラの持ち主にも当然パートナーがいた筈だ。その疑問に、周囲を観察していたガルドが返答した。

「これを見ろ、光源杖(ライトスタッフ)だ。未使用だが血痕が付着している」
「カンテラの持ち主は光源杖を装備しない場合が多い。それにカンテラからは随分離れた場所にそれはあった……すなわち、杖の持ち主がパートナーだったと考えるべきか?」
「だが、血痕が少ないのが気になる。致死量どころか鼻血程度しか散らばっていない。殺されたのならもっと血液が落ちていて然るべきだ」
「攻撃を受けてパニックになり光のサークルの外へ逃げ出したのではないか?それなら周囲に死体が転がっているかもしれない」
「かもしれないが、そうではないのかもしれない。どちらにしろ、長居すべきではないと考える」
「ドレッド、遺留品がてらそれを回収して早く進もう。ガルドの意見には俺も賛成だ。ここに長居してもいい事はない」

 ガルドの提案にはトレックも乗る。何が起きたのか全く分からないのは不気味だが、少なくとも事はここで起きたのだ。あるかもしれない危険が潜んでいる場所からは早急に離れた方が身の為だ。何より、一刻も早く濃厚な死の香りがするこの空間を抜け出したかった。

「………敵は、もうすでにこの場を移動したのかもしれないな。どちらにせよ警戒しつつ『境の砦』まで移動するしかあるまい。砦までもうそれほど距離はないが、全員警戒を怠るなよ」
「ああ。………ギルティーネさんも聞いたね?」

 トレックは、一応の確認のためにギルティーネの方を振り向いて――疑問を抱いた。

「……ギルティーネさん?」
「………………」

 ギルティーネが、剣を引き抜いたまま上を向いている。
 今、上にあるのは外灯とさらにその上に広がる星空だけだ。
 おかしいことなど何一つない――そう思った刹那。

 からん、と、何かの落ちる乾いた音がした。

 音のあった場所を見ると、そこにはガルドの持っていた光源杖が転がっていた。
 そして、持っていた筈のガルドの姿が――そこにはなかった。

「え――」

 杖に付着していた血液は、気のせいでなければ先ほどより少し広く朱を広めていた。