つぶやき

海戦型
 
それじゃ意味ない話
ストーリーや設定に関して読者から質問が出ると言うのはよくある話だと思います。しかしこの疑問というのは大別して2種類あると私は思います。

一つは期待や純粋な好奇心の質問。感情としてはポジティブに属するもので、作品をもっと深く知りたいという意思が込められています。或いはこれまでの情報や推論を繋ぎ合わせて作り上げた仮説を披露して作者が困ったりもするのですが、ともかくそれは作品に対して肯定的に働きます。

対して、もう一つは作品に対して否定的な意味合いを持った質問。つまり設定の辻褄や心理描写などに対して疑問や苦言を呈したり、まるでエンターテインメント的な意図が分からない描写や展開に対する純粋な疑問を込めた質問です。同じ質問なのに二者はまるで異なります。ちなみに今回触れるのは主に後者。

話は逸れて、ネット小説界を良く知らない人達は「ネットで何かを公開=叩かれやすい」という漠然としたイメージがあるらしいです。だからネット小説に趣味で文章を投稿している事を知った時、大人たちは「批判されたりしなかったの?」と私によく質問しました。
しかし、ネット小説なんてよっぽどひどい内容でもない限り叩かれるどころか感想すら貰えないのが世の常。回答はノーでした。逆を言えば、私は今まで大きく叩かれるほどの派手な間違いは冒してこなかったということなのかもしれません。

で、話を戻しますが……「叩かれる」という言葉には多分に「否定的質問」が含まれています。何故かと言えば、内容的に面白くない場合はコメントすら残されませんが、面白さを台無しにする要素がはっきりしていたら人はそれに触れるからです。つまり元凶と思われる部分をピンポイントで叩いてきます。

叩かれる原因というのは大半が作者のせいです。これは疑いようのない事実ですね。知識不足、描写不足、設定不足、説明不足、エンターテインメント性を余りにも軽視した強引で独り善がりな物語展開。内容に不足や無理があるのなら、それは全て書いた作者に起因する問題です。
しかし、こういう時に往生際の悪い作者というのがいます。「次に説明する」とか「今度書く」と言い出したり、自分なりに作品に潜ませていた想いを説明して納得してもらおうとする人です。

はいそこ、「それで解決すればそれでいいんじゃないの?」とか思ったでしょう。
でも駄目なんです。では何が駄目なのか。
それは、本文を通して作者の意図や描写が分かりやすく説明されていないことが駄目なのです。

仮に無理のある展開や設定に意図があったとします。仮にキャラクターの言動に作者なりの理由があったとします。仮に……仮に……なにか論議に上がった時に自分の主張を正当化する準備があったとします(反論できなくて問題を先延ばしにした人は言うまでもなくアウトですよ)。
でも、作品内には伏線や次回の展開、キャラが何かを考えるそぶりを見せるなどの「何かに繋がりそうな描写」を潜ませる隙はいくらでもある訳です。そして大抵の読者さんたちはそれを目ざとく感じとり、「何かあるんだな」と考える余地が生まれます。何かあるのなら作者さんがいつか語る筈。だから今は態々聞かなくともいいか、と読者は思えるのです。

じゃあそれがなかったら?当然読者は置いてけぼりをくらいます。言ってしまえばルールを破って不意打ちをするようなものです。後になって説明されても納得しがたい場合が多いです。ここで素直に反省できればそれでいいのでしょうが、大抵の場合は反省できてないから何度も叩かれるケースが多いです。

理由や展開というのは、作者の頭の中にあるだけでは意味がないのです。相手に、読者に伝わらなければどんなに設定を練ってもどんな理由付けをしても何の意味もないのです。全てを明かさなくともいいから、ほんの少しの「手がかり」か、或いは読者を納得させるだけの「本文内での説明」をきちんと用意すれば、ネガティブな質問は激減するか消滅するでしょう。

文字は相手にこちらの意志を伝えるためのツール。だから有効活用しないのでは「意味がない」。……という初歩的な話でした。 
海戦型
 
私としては
それは、ほんの少しの「手がかり」、に該当するものだと考えてます。話の流れの中にある小さなずれというのは、隠してるつもりであっても読み込んでいる読者の心には必ず引っかかります。その引っかかりを覚えても、その時は引っかかりの意味が分からないし重要だとも思えないので流してしまうのです。そして後になって、「ああ、そういうことか!!」と。

これ、私は得意じゃないのでやれる人が羨ましいですね。
そして断言します。隠しても分かる読者にはバレます。でも、読んだその時点で「小さな手がかり」にはまだ意味を持っていないから「気のせいかな」とあっさり流れてしまう訳です。

ちなみにこれは後で回収すること前提の話ですよね。
意図がありますし、何より「後で納得できるようにする文章努力」が不可欠です。この要素が欠けたら成立しません。というか、後で意味を持たせる為のものを配置するなんてことを考える人は、読者の納得できないような露骨に不自然な隙は作らないものです。つまり「読者置いてけぼり」という事態が発生しないので、説明云々とは別の話です。全然苦しむ必要はないと思います。
 
Cor Leonis
 
反論のようで反論になっていないただの言い訳
 叩かれるような面白みのない作品はそもそも感想なんてもらえない、というのはまさに真理ですよね。感想を書く側がお金を貰っているならともかく、わざわざ面白くもない作品に時間を費やして感想を書こうとは中々思えませんから。
 また、書く側としても批判ばかりじゃまずいかな、という思いが働くので何とかして褒めるポイントを探そうとするんだけど、テンプレみたいな言葉しか浮かばずに結局感想自体諦める、みたいなことってよくあります。



 で、本題の方。仰っていることは概ね同意なんですが、反論……というか、「こういうこともあるんだよ!」みたいな苦しい駄作者の言い訳を一つ。

 伏線を張る場合に、必ずしも海戦型さんが言うところの「何かに繋がりそうな描写」を潜ませる必要はないと思うんです。これは私がたまにやる方法なんですが、物語の流れの中に、読者が気付くか気付かないか程度のほんのちょっとズレた言動を入れて、それをそのまま流すんですね。で、最後まで読み終わってからよく見ると、それが伏線だったと気づいてもらえるような感じです。

 この場合、大事なのは読者に気付かれない微妙なズレ加減と物語のテンポを落とさないことなので、それを補完するために何か意味ありげな描写を挟んでしまうのは完全な悪手なんです。……まあ、これはこれで、読者に見つかって白日の下に晒されてしまった時点でアウトなんですが。

 ともかく、海戦型さんの仰るとおり、文章は相手に情景や感情、意思を伝えるツールです。ただ、それをあえて「伝えない」ことで、ちょっとした謎を物語に仕込んでみるのも面白いテクニックで、時にはそういうこともなきにしもあらずなんだよ……という、まさしく往生際の悪いCor Leonisの言い訳でした。