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奇策
第六章
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第六章

「左ピッチャーだから左打者でも意味はない。うちで左に強いのは田淵だが」
「それでも過度の期待はできませんね」
「ああ」
 江夏の武器はそれだけではなかったのだ。
 江夏は頭もよかった。相手バッターを見て何を考えているか、何を狙っているか考える。そしてそれを抑えるボールを投げるのだ。
 バッターだけではない。彼は球場全体を見る。ランナーも、自軍の守備も。彼は球場全体を見ることができた。それは彼ならばこその視野と洞察力もあった。
「ピッチャーはただ投げるだけではない」
 彼の投球はまさにそれであった。
 球場全体を見ることができなければ駄目である、彼の投球はそう言っていた。
「精神力も強い、ここぞという時には無類の強さを発揮する」
 これもまた江夏であった。
 ピッチャーは気が弱いとそれだけでかなりのマイナスになる。ピンチに顔面蒼白になるような男では心もとないのである。これは幾ら実力があっても同じだ。
 江夏の打たれ強さ、勝負強さは阪神時代からであった。彼は言った。
「甲子園の土よファンの歓声がわしを育ててくれたんや」
 阪神ファンの声は熱い。甲子園は他の球場とは何かが違う。よく魔物が棲んでいると言われる。
 その甲子園のマウンドに立つ。かって若林忠志や小山正明、村山実がいたこのマウンドに。
 背にはファンの熱狂的な歓声を受ける。打たれるわけにはいかないのだ。
 そうした状況で江夏は投げてきた。そして幾多の死闘をかいくぐり彼はここまできたのだ。
 その彼の精神力は実に強靭なものであった。日本シリーズでもそうであった。
「ここまで穴のない男もそういないな」
「はい」
 二人は流石に頭を抱えた。だがあることに気付いた。
「だが守備はどうだ」
「守備ですか」
 ピッチャーは投げた直後五人目の内野手になる。その存在は極めて重要なのだ。
 だが江夏の守備はどうか。
「あの体格では満足に動けないでしょう」
「だろうな」 
 江夏の太った身体に気付いた。
「それに歳です。足の動きはいいとは到底思えません」
「だろうな。特にダッシュは苦手だろう」
 彼等はここであることを考え付いた。
「バントだ」
「はい、それで奇襲を仕掛けましょう」
 江夏は動きが遅い。バントの処理は満足にできそうもない。遂に突破口を見つけた。
「しかし」
 広岡はそれでも警戒していた。
「悟られては駄目だ」
「ですね。奴は頭がいい。気付いたらファーストとサードを前に出して対処してくるでしょう」
「あえてバントが困難なコースに投げてな」
 そして広岡が江夏に対して最も警戒することがあった。
「少しでも変な素振りを見せたら駄目だ。あの男の勘は常識外れだ」
 江夏の最大の武器、それは勘であった。
 とにかく抜群に
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