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弱者の足掻き
十三話 「依月」
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 紅い。
 どうしようもなく紅い日のことだった。
 夕焼けが窓から差し込む部屋の中で小さな子供は何をするでもなく、ぼぉっと、虚空を見上げていた。
 本棚にある届かない高さの本を見上げていたのかもしれない。薄暗い部屋の中、紅い夕日が差し込む窓を見ていたのかもしれない。はたまた何か考え事をしていたのかもしれない。

 子供は早熟だった。一月を越えるよりも早く拙いながらも言葉を発した。一年を越えるよりずっと早く歩き始めた。
 子供は早熟だった。夜泣きは本当にたまにしかなく静かだった。自由に動ける頃になっても我が儘は少なく、親の言葉をよく聞いた。
 
 夫婦喧嘩の元になると言われる乳児期のストレスも少なく、両親たちは仲睦まじいまま子育ては進んだ。手のかからない子で羨ましいと言われたこともあった。その度に夫婦は曖昧な笑顔で場を濁した。
 確かに手がかからないのは嬉しかった。日々愚痴をこぼし、中には夫婦仲がこじれていく友人知人を見るのは辛く、自分たちがそうならないのは嬉しかった。けれど苦労を、子供を育てるというその行為を語る友人たちを見て、その辛さを羨ましく思いもした。育てているのだという実感が乏しかったのだ。
 
 子供のいる暗い部屋に一人の女性が入ってきた。子供の母親だ。女性はいつの間にかいなくなっていた子供を探しに来ていた。子供の姿を見つけると呆れたように小さく一息つき、子供の名前を読んだ。けれど子供はぼぉっとしたまま何の反応も示さなかった。
 まるで、その声が届いていないかのように。
 まるで、呼ばれたのが自分だと気づかないように。

 夫婦には一つの悩みがあった。早熟なはずの子供はたまに自分の名を理解していない時があるのだ。呼んでから一拍起き、ああ自分のことか、と反応することがあった。
 その知性からすれば理解していないのはおかしいはずだった。そこだけは普通の子供と同じなのか、或いはなにか問題があるのか。
 そのほんの些細な悩み。けれど夫婦にとってそれは嬉しくもあった。悩みがあるというその自体が嬉しかったのだ。だからどうすればいいのかと相談はすれど危機感など皆無だった。いずれ理解するだろう。そう思っていたから。
 
 母親は子供に近づきもう一度名前を呼んだ。そこで初めて子供は振り返った。
 さほど気にしていないといえば、名前を呼んで反応がないのは悲しいことだ。母親はやっと反応した子供に少し、ほんの少しだけ悲しい顔をしながらもう一度名前を呼び、夕飯が出来たよ、と告げ子供の手を取った。
 子供の浮かべた、気づいてはならない差異に気づいた、呆けた表情に気づかずに。


 子供は気づいた。自分が名前呼ばれても反応できなかったことに。
 子供は気づいた。そんな自分に母親が悲しげな表情を浮かべたことに。
 子供は気づ
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