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ボリス=ゴドゥノフ
第一幕その一
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全ての者が納得したわけではなかった。全ての者を納得させられるにはあまりにも立場が悪かった。何故なら皇帝の弟であり第一の帝位継承者が死んで得をするであろう、すなわち皇帝への道が開かれる人物であったのだから。こうした意味で彼は運のない男であったと言えた。
 その病弱な皇帝が死んだ。こうなっては疑惑の声はさらに高まる。また彼を信じる者達は彼を皇帝にしようとする。彼はこの時板挟みに遭っていた。そして同時にロシアもまた板挟みになっていたのであった。
 その寒い冬の時であった。モスクワの街に民衆が集まっていた。
 モスクワはリューリク朝の都であった。巨大であり大きな壁に囲まれている。その中にあるノヴォーヴィチィ修道院に民衆達はいた。彼等はこのモスクワを代表する小さな塔がある修道院に集まっていた。だがその動きは緩慢で覇気が感じられなかった。一言で言うと無気力であった。みすぼらしい服を着てただ歩いているようにしか見えなかった。
「どうしたんだ、そなた達は」
 毛皮を着て長い髭を生やした警吏が彼等に声をかける。彼の服は民衆に比べると豪勢であった。
 その長い髭はロシアの髭であった。ロシアは寒い。従って髭を生やして寒さを少しでも和らげる。長い間ロシアでは髭は男の誇りとされこれを切ることは最大の侮辱とされていた。見れば民衆達も長い髭を生やしていた。女でも髭が生えている者がいる程である。
「そんなにぼんやりとして」
 警吏はそんな民衆達に対してまた言った。
「早く座れ」
「はあ」
 民衆達は言われるがまま跪く。
「ではいいな」
「わかりました」
 言われるがままであった。警吏は彼等に命じ続ける。
「言え」
「ボリス様」
 民衆達は言った。無気力な声で。
「私達のことを忘れないで下さい」
 その声は大きさこそあったが空虚であった。
「私達は貴方が必要なのです」
「まだだ」
 警吏は彼等になおも言う。
「まだ言うのだ」
「はい」
 彼等はそれに従いまた声を出した。
「どうか私達の声を御聞き下さい、どうか」
「なあ」
 その中にいる農民の一人が仲間に囁いた。
「どうして俺達は大声を出しているんだ?」
「さあ」
 仲間の一人がそれに首を傾げさせた。
「何でだろうね」
「何だよ、わかっていないのか」
「御前だってわかってねえだろ」
「へへへ、まあな」
「それはそうと喉が渇いてきたよ」
 中年の農婦の一人が声を止めてこう言った。
「水はないかえ」
「水はないけれど酒ならあるぜ」
 夫らしき濃い髭の農夫がそれに応えた。
「それおくれ」
「飲み過ぎるなよ、俺も飲むんだからな」
「わかってるよ」
 農婦は夫から酒が入った水筒を受け取るとゴクゴクと飲みはじめた。飲んでふう、と一息ついた。
「寒いしねえ。やっぱりこ
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