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ドリトル先生と幸せになる犬
第五幕その四
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「ふわりの前の飼い主の人達は」
「お金の大事さもわかってないんじゃないの?」
「百万近くって相当だよ」
 このことはジップが言いました。
「それだけで買った娘を平気で殺処分になってもいいとか」
「本当に自分達だけの人?」
「他のものに何の価値も感じていない」
 オシツオサレツも思いました。
「命についてもものについても」
「お金についても」
「そうだね、命どころかね」
 それこそと言う先生でした。
「もう自分達以外はね」
「価値がない」
「可愛がってる、愛情を持っている様に見えても」
「大事にしている様に見えても」
「それはおもちゃで遊んでるだけ」
「それもおもちゃも粗末にする」
「そんな人達だとね」
 先生はペットショップに向けて歩きながら言いました。
「やっぱりね」
「思うよね」
「どうしても」
「そんな人達だとね」
「もう何でもするね」
「自分達の赤ちゃんにも」
「正直に言ってそうした人達が反省するか」
 先生が願っていることです。
「それはね」
「どうもだよね」
「望み薄よね」
「現実は」
「そうだよね」
「うん、可能性は殆どないだろうね」
 ふわりの前の飼い主達が反省するそれはというのです。
「やっぱりね、けれどね」
「望みは捨てないんだね」
「その可能性が僅かでも」
「それでも」
「そうだよ、可能性が零でないなら」
 それならというのです。
「絶対にだよ」
「捨てないことだね」
「僅かでもやってみる」
「それも学問だね」
「僅かな可能性があるならその可能性を実現しようと努力する」
 そうしたことがというのです。
「やっぱりね」
「学問だよね」
「むしろ不可能と言われていることを本当に不可能か確かめる」
「そして可能ならやってみる」
「そうして進歩するのも学問だね」
「そうしたものだからね」
 それでというのです。
「今回もだよ」
「やってみるんだね」
「僅かな可能性があるなら」
「それなら」
「そうしてみるから」
 これも先生の信念だからです。
「やってみるよ」
「それじゃあね」
「やってみようね」
「ふわりの前の飼い主の人達についても」
「そうしていこうね」
「是非ね」
 こう言う先生でした、そしてです。
 先生は皆と一緒にふわりがいたペットショップに行って店長さんにふわりのことをお話しました、すると。
 店長さんは暗いお顔になって言いました。
「そうしたこともあると思っていました」
「そうでしたか」
「こうした仕事をしていますと」
 ペットショップを経営していると、というのです。
「当店はチェーン店でして」
「八条グループの管轄ですね」
「そうです、八条グループはペット業界にも進出していて」

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