第二章
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「けれどサンルームにいるだろ」
「そこで飼ってるわね」
「雨露凌げて夏は涼しく出来て」
窓を開けて網戸だけにしてだ。
「冬は風を凌げるだろ」
「犬用のベッドもあるし」
「だからな」
「身体も労わっていて」
「無理をさせてないからな、蚊も防いでるし」
「それでお爺さんでもなのね」
「身体はな」
これはというのだ。
「しっかりしているのかもな」
「そうなのね」
「やっぱり人間も犬も運動不足だったり不摂生だったり身体を酷使していると」
それならとだ、母も言った。
「その分ね」
「歳取るのも早いのね」
「そうでしょうね」
「適度に食べて適度に運動して」
「それでいつもお外にいないから」
雨露や蚊や寒さを凌げてというのだ。
「それでね」
「茶々丸はいつも元気なのね」
「そうでしょうね」
「そういうことね」
「確かにお爺さんだけれど」
それは事実でもというのだ。
「若くてね」
「今もよく動けてるのね」
「そうだと思うわ、確かに何時どうなってもおかしくない年齢だけれど」
高齢なのは事実だというのだ、生きているのなら必ず死ぬ。このことは例え誰であろうとも逃れられないことだ。
「それでもね」
「元気でいてるのね」
「やっぱりいなくなるまでね」
「その時までね」
「元気でいてくれたらいいわね」
「そうよね、それが茶々丸に一番いいわね」
「病気とかで長く苦しむより」
それよりもというのだ。
「やっぱりね」
「いなくなるならね」
「もう苦しまずにね」
「すぐがいいわね」
「誰だってそうだし」
人間も犬もというのだ。
「茶々丸もね」
「そういうことね、じゃあこれからも」
「茶々丸と一緒にいましょう」
一家で笑顔で茶々丸を見ながら話した、茶々丸は確かに犬としてはかなりの高齢だがそうした生活の為実に健康だった、だが。
由美はふと思った、そうした暮らしだけで茶々丸はここまで元気かとだ。それこそ人間だと八十代でも若い時それも五歳位の時の様に快適に動き勿論頭も衰えていない。そこまでなるのかと思っていたが。
ある日動物病院に連れて行った時に獣医にこう言われた。
「茶々丸君は温厚な性格だから長生きしてますね」
「性格が関係あります?」
「ありますよ、怒ったり悲しんだりはストレスになりますね」
「ええ」
それはとだ、由美も自覚があるので答えた。
「落ち込んだりも」
「犬も感情がありますね」
「心がありますね」
「命がありますから、ですから」
「犬もストレスを感じて」
「それでストレスがないなら」
それならというのだ。
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