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八条学園騒動記
第五百十九話 中華ファンタジーのゲームをその三
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「仕方ないよ」
「どのジャンルも人が作るから」
「人が作るとね」
「色々な要因が重なって」
「それでね」
「クソゲーはどんなジャンルでも出来る」
「それも偏らず」
 クソゲーが出やすいジャンル、出にくいジャンルもないというのだ。
「出て来て」
「それで残っていく」
「人の記憶に」
 二人でいささか物語的に話した、しかし。
 ここでパレアナはジミーにあらためて言った。
「クソゲーって黒歴史じゃないの?」
「それはそれで面白い歴史っていうのがね」
「あんたの考えね」
「うん、黒歴史じゃなくてね」
 忌まわしい思い出ではないというのだ。
「本当にね」
「面白い記憶ね」
「そうだよ、だからクソゲーはクソゲーでね」
「楽しめるのね」
「どういったゲームか、どんなクソゲーかね」
「それを見てなのね」
「楽しむことも」
 それもというのだ。
「面白いから」
「ううん、あたしはどうしても」
「楽しめないんだ」
「そうなの、純粋で面白いゲームじゃないと」
 それこそというのだ。
「あたしは駄目ね」
「そうなんだね」
「あくまであたしの感覚でね」
 他ならぬパレアナ自身のというのだ。
「面白いゲームでないと駄目よ、特にRPGね」
「RPGも結構当たり外れあるね」
「難しいゲームはいいのよ」
 そうした風なゲームはというのだ。
「別にね」
「そうなんだ」
「鬼みたいに難しいゲームはいいの」
「やりがいがあるから」
「そう、どんなに難しいゲームもね」
「それはいいんだ」
「何か二十世紀の日本のゲームは」
 家庭用ゲーム及びアーケードゲームの黎明期である、この時のことは娯楽の歴史において重要なページとなっている。
「鬼みたいに難しいゲームばかりで」
「ああ、それでだね」
「今当時の難しさをそのまま再現してるゲームがあるけれど」
「そっちはだね」
「やってて楽しいわ、アイテムを手に入れる方法がわかりにくくても」
「ヒントないとか」
「ないのよ」
 これがというのだ。
「一切ね」
「それでもクリア出来るんだね」
「昔の人達は苦労して」
 その苦労の中身もだ、パレアナは話した。
「ゲームセンターの中の情報交換や月に一回出る雑誌の特集を頼りにして、あと読者の質問とスタッフの回答とか」
「月に一回の雑誌って」
 そう聞いてだ、ジミーは思った。
「それって凄く遅いね」
「そうよね、今じゃネットですぐわかるじゃない」
「それこそ分単位で皆がゲームして書き込んでいくから」
 そのゲームの情報をだ。
「攻略サイト見ればね」
「わかっていくね」
「今じゃそうだけれど」
 ネットの時代になってからのことだ。
「それでもね」
「当時はだね」
「そんな風で」
 それ
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