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八条学園騒動記
第五百十一話 図書館で学ぶことその七

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「いきなり書いている人の造語が出てな」
「そんなのだとね」
「本当に読んでも意味がないな」
「何か昔の日本だとね」
 今自分達がいる国ではというと。
「二十世紀位のその哲学の人達は」
「特にわからない言葉を使っていたんだな」
「妙に外国語を文章に入れて」
 英語などの単語を片仮名にして入れていたのだ。
「それもやたらとね」
「そうした文章だったのか」
「それが当時の日本の知識人の文章らしくて」
「わかりにくかったか」
「そうみたいだったのよ」
「わかる人間は頭がいい、か」
「そして文章を書いている人もね」
 その本人もというのだ。
「そうした風にね」
「思わせている文章か」
「だから妙に小難しくね」
「そっちにばかりいったか」
「そしてそれがね」
「今の哲学書もか」
「そうじゃないの?何を書いてるのかわからない文章書いて」
 そうしてというのだ。
「わかったと思う人は高尚で」
「わからないと低俗か」
「そんな風潮があるのかもね」
「わからない世界だな」
 ここまで聞いてだ、洪童は述べた。
「俺にはな」
「それも心からよね」
「だからわかりやすい文章でないとだ」
「意味ないわよね」
「まさにな」
「そこ私と同じ考えね、まさに訳のわかない文章はね」
 そうしたものはというのだ。
「無理に理解しようとはしないで」
「読まないことだな」
「それよりもわかりやすい」 
「そうした本読んだ方がいいわよ」
「心からそう思う」
「そうよね」
「じゃあシェークスピアだな」
 洪童は結論を述べた。
「そちらを読むか」
「本当に面白いしね」
「ただな、あと書きでな」
 作品の後にあるそれはというのだ。
「やたら変な文章書く奴いるな」
「ああ、物々しいのとかね」
「それでどうしたというな」
「あるわね、確かなあと書きもあれば」
 シェークスピアだと福田恒存がこの時代でも高評価だ。
「何を書いているのかね」
「今話した哲学書みたいにな」
「何言いたいのかわからない文章のがあるわよね」
「一回漫画のあと書きであったんだよ」
「そうした文章が」
「何かやけに小難しくて物々しいな」
「そうしたあと書きだったのね」
 ナンシーも聞いただけで大体わかって頷いた。
「それでもう」
「二度と読まなかった」
「それでも記憶には残ったのね」
「正直漫画の雰囲気をぶち壊していたからな」
「それじゃああと書きの意味ないわよ」
 作品の雰囲気を壊してはというのだ。
「本当に」
「俺もそう思った」
「というか変な知識人ってそんなことするわよね」
「変な知識人はな」
「そうでしょ」
「その哲学とかな」
 それこそというのだった、ここでも。
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