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ドリトル先生と和歌山の海と山
第八幕その九

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「気分がすっきりするね」
「そうよね、お茶を飲むとね」
「日本のお茶もね」
「気分がすっきりしてね」
「元気も出るよね」
「だから毎日飲まないとね」 
 それこそというのです。
「僕は駄目なんだよ」
「日本のお茶でもだよね」
「お抹茶でもね」
「すっきりしてね」
「美味しいしね」
「元気が出てね」
「動けるしね」
「学問にも励めるんだよね」
 動物の皆も飲んで食べて楽しんでいます、そしてです。
 先生はお抹茶を飲んでこうも言いました。
「空海さんが山を開いた頃はお茶はね」
「あっ、とても高価だったね」
「日本でもどの国でもね」
「とても高いもので」
「今みたいに誰でも飲めるものじゃなくて」
「空海さんでもね」
「そうそう飲まれていなかった筈だよ」
 平安時代のはじめの頃はというのです。
「そもそも禅宗から広まったしね」
「お茶を飲むことは」
「仏教の修行の為でも」
「それでもだね」
「平安時代の頃にはまだ」
「ここは真言宗だしね」
「そんなに読んでいなかったみたいだよ」
 空海さんが開いた時はというのです。
「そうみたいだよ、けれど今はね」
「こうしてだね」
「皆お茶を飲んでるね」
「それも楽しく」
「そうしてるね」
「うん、修行の為でもなくてね」
 これとも違ってというのです。
「飲んでるよね」
「そうだよね」
「先生は趣味だしね、完全に」
「元気を出す為だけれど」
「生きがいの一つだからね、先生にとっては」
「僕が昔に生まれていたらどうだったかな」
 お茶が高くてとても飲めない時代にです。
「本当に」
「ううん、想像出来ないね」
「学問をしない先生も考えられないけれど」
「お茶を飲まない先生もね」
「考えられないわ」
「僕自身もだよ」
 羊羹を食べつつ応える先生でした。
「お茶がないとね」
「どうなるやら」
「その時の先生は」
「毎日飲んでるしね」
「ティータイムでなくてもね」
「一体何杯飲んでるかな」 
 一日にです。
「僕は」
「お酒を飲まない日はあるけれどね」
「お茶を飲まない日ないわね、先生」
「特に紅茶は」
「日本に来てから色々なお茶を飲む様になったけれど」
「お茶自体がないと」
 それこそです。
「どんなことになってたか」
「一切わからないわ、私達も」
「その時の先生は」
「学問とお茶がない先生なんて」
「それこそ」
 動物の皆もそうでした。
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