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ドリトル先生と和歌山の海と山
第六幕その七
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「お亡くなりになって幸村さんだけでね」
「大坂に入ってだね」
「あの活躍をしたのね」
「他の国でもあそこまで戦った人は滅多にいないっていう位」
「物凄く戦ったのね」
「そうなんだ、このお父さんも凄い人でね」
 幸村さんのお父さんもというのです。
「若しこの人が大坂に入っていれば」
「ひょっとしたら勝っていたんだね」
「大坂の方が」
「豊臣家が」
「そうかも知れないね、けれどそのお父さんは亡くなっていて」 
 そうしてというのです。
「幸村さんだけで戦ったんだよ」
「何か残念だね」
「若し幸村さんのお父さんがいたら」
「大坂で戦っていたら」
「そう思うとね」
「そうだね、幸村さんは最後の最後で歴史に残る活躍をしたけれど」
 それでもというのです。
「もう一人その人がいてくれたら」
「ひょっとしたら」
「勝っていたかも知れない」
「それで幸村さんも死ななかったかも」
「若しかしたら」
「僕は歴史に若しも、とも考えるしね」
 よく歴史に若しも、はないと言われますが先生はそうなのです。ここから色々なことを考えたりもするのです。
「幸村さんのことも」
「そうだよね、先生は」
「そうした風にも考えるよね」
「それで幸村さんのこともだね」
「そう考えるんだね」
「そうなんだ、僕としては大坂で死んでいないで」
 それでというのです。
「生きていて欲しいね」
「全くだね」
「何処かで生きていてね」
「十勇士の人達とずっと楽しく生きていて欲しいよ」
「戦う時は凄かったけれど」
 日本の表現ではまさに鬼神の如くでした。
「それでも普段は穏やかでとてもいい人だったらしいよ」
「だから十勇士の人達もついてきていたんだね」
「この九度山でも」
「もう出られるかわからないのに」
「そんな中でも」
「そうだよ、ずっとね」
 それこそというのです。
「幸村さんについていっていたんだ」
「ううん、いい人だからだね」
「人もついていっていたんだ」
「十勇士の人達も」
「流罪になっていてもう負けるって時でも」
「幸村さんと一緒に戦ったんだ」
「そうだよ、モデルになった人達もね」
 そうした意味で実在していた十勇士の人達もというのです。
「最後の最後まで戦ったよ」
「凄いお話ね、ただね」
「十勇士ってどんな人達だったかしら」
 ふとチープサイドの家族がこんなお話をしました。
「ええと、まずは猿飛佐助?」
「この人が一番有名よね」
「次は霧隠才蔵だね」
 ジップはこの人の名前を挙げました。
「恰好いい名前だね」
「そして三好清海入道」
「怪力のね」 
 オシツオサレツはお坊さんでもあるこの人を挙げました。
「それでいて愛嬌のある」
「この人がいたね」
「弟さんが三好
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