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東京レイヴンズ 異符録 俺の京子がメインヒロイン!
邯鄲之夢 6
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がれた葡萄酒を美味そうに飲み干した秋芳が酒精混じりのため息を吐く。

「いまの崖山はほぼ一〇〇パーセント自給自足できるから飢えや渇きに苦しむ心配はないが、こうもひっきりなしに攻撃されてちゃ辛抱たまらん。『信長の野望』や『三国志』で内政がしたいのに隔月で攻め込まれて合戦ゲーになってる状態だ」
「いっそこっちから攻めていきましょうよ、守ってばかりで飽きちゃった。儀式呪術でドカーン! て一発大きいのをぶち込みたいわ」

 紅い雫に濡れた京子の唇から過激な言葉が出た。京子もまた秋芳とおなじ葡萄酒を飲んでいるが、こちらは果汁入りで中には茘枝(ライチ)の実が沈められていた。後世でいうところのサングリアだ。

 葡萄酒。ワインが一般に飲まれることになったのは日本では明治以降だが、中国はワインの歴史も古く、司馬遷の『史記』には中国の北西部で葡萄が栽培されて果実酒が醸造されているという記述がある。
 中国ではじめて葡萄が植えられたのは前漢(紀元前二〇六〜紀元後八年)のころで、後漢に入ると葡萄酒まで醸されるようになった。三国時代の魏の文帝曹丕は『詔群臣』のなかで、葡萄について「残暑の厳しいころの二日酔いの朝に露のしたたるような葡萄を食べると、渇きを癒してくれる。醸せば美酒となる葡萄は最高だ」というようなことを述べ、高く評価している。曹丕は葡萄酒をこよなく愛し、よだれを流し唾をのみこむほど美味だとも書き残しているほどであるから、この時代の葡萄酒はかなり良質だったと思える。
 ワインの保存と運搬を容易にしたガラス瓶とコルク栓が普及したのは一八世紀からで、織田信長の時代にポルトガルから船に積み込まれて来たワインは、その多くが木樽に入れられていただろう。するとワインはかなり酸化していたにちがいない。信長の口にしたワインはそうとう不味かったのではないか。
 しかし曹丕の時代の葡萄酒は醸造量が少なく、宮廷でも珍品とされていて、醸造が最盛期を迎えたのは、唐代に入ってからで詩聖、酒仙といわれる李白も「遥かに見る漢水の鴨頭緑、恰も葡萄のはじめて醗?するに似る」などと歌っている。

 閑話休題――。

「そうだな……、世界で一番平和を愛する日本人として専守防衛を努めてきたが、いくさが長引けばかえって双方の被害ばかりが大きくなるだけだ。ここはひとつ敵陣に大穴を開けて壊滅まで追い込んでやるか」
「いままでが地味すぎたのよ。とびっきり派手な術を使っておどろかせてやりましょう」
「それこそ天地が引っくり返るような術を用意しよう。もっともかなり時間と手間がかかるが」
「そうしましょ、そうしましょ!」

 陰陽塾に通う学生の身では使用するどころか学ぶことすら禁忌にあたいする攻性儀式呪術を実践できるとあって京子の瞳が期待に輝く。
 それを愛おしいと思うと同時に妙な不安が秋
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