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ドリトル先生と悩める画家
第十二幕その七

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「どうもね」
「あまりね」
「変わりないんじゃ」
「別にね」
「太田さんは」
「スランプだった時と」
「いや、間違いなくね」
 先生はこう言うのでした。
「彼はスランプを脱出したよ、絵にもそれが出ていたよ」
「そう?」
「だから前とあまり変わらないわよ」
「僕達が見る限りは」
「特にね」
「前と同じ絵なんじゃ」
 皆の言うことは変わりません。
「絵の具の使い方もタッチも」
「画風もね」
「何がどう違うのか」
「前と今で」
「いや、前とは本当にね」
 それこそというのです、先生は。
「違ってきてるよ」
「ううん、私達にはわからないけれど」
「先生にはわかることなんだ」
「芸術は」
「そういうもの?」
「そうなるかな、彼の画風はゴッホに近くてね」
 それでというのです。
「僕はゴッホが好きだから」
「それでなの?」
「太田さんの絵もわかるの」
「そうなの」
「うん、ゴッホも日本の浮世絵に影響を受けたけれどね」 
 そうして鮮やかで大胆な色使いになったと言われています。
「太田君も然りでね」
「ああ、浮世絵のお話してたね」
「さっき実際にね」
「ゴッホさんと同じく」
「そういうことなの」
「うん、そして彼はゴッホみたいにね」
 十九世紀のこの画家さんと同じく、というのです。
「鮮やかな色使いと大胆な描き方が持ち味だけれど」
「その持ち味がなんだ」
「スランプの時よりもなんだね」
「よくなっている」
「そうなんだ」
「うん、彼はスランプのトンネルを抜けたんだ」
 まさにというのです。
「その第一歩を踏み出したところだよ」
「そういうことなのね」
「幾ら言われても私達にはわからないけれど」
「先生がそう言うならね」
「やっぱりそうなのよね」
「うん、君達もいい絵ってあるよね」
 首を傾げさせてばかりの皆にです、先生はあらためて尋ねました。
「そうだね」
「うん、あるよ」
「私達にもね」
「やっぱり色々とね」
「あるわよ」
「僕は今の日本の平安時代の絵が好きだよ」
「あれいいね」
 最初にオシツオサレツが言いました。
「十二単がよくてね」
「特に女の人がいいね」
「アメリカのポスターも悪くないよ」
「独特のセンスがあるわね」
 チープサイドの家族はこちらがお気に入りみたいです。
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