第四章
[8]前話
「ポーグナーの演説、そしてヴァルターの幾つかの歌、それに第三幕の五重唱といった場面は」
「そうした場面だね」
「確かにそうした場面はいいね」
「どの場面もね」
「よかったね」
「そう、そのどの場面もね」
ハンスリックがオアシスとまで評したその場面はというのだ。
「喜劇的な部分じゃない」
「それじゃあどういった部分か」
「あの作品は喜劇だというけれど」
「どういった場面かな」
「それでは」
「荘重と言うべきだね」
これがハンスリックの評だった。
「それはね」
「そちらになるんだね」
「荘重と言うべきだね」
「どの場面も」
「喜劇ではなく」
「そう、あの作品は喜劇というが」
それはというのだ。
「むしろ荘重な交響曲、非常に長いそれだと言った方がいいかも知れない」
「そうした作品だというのだね、しかし」
ここまで聞いてだ、友人の一人がハンスリックにこう言った。
「君はワーグナー氏の話だと」
「ああ、あの話だね」
「そう、脚本を朗読する時に怒ったそうだが」
「ワーグナー氏はそう言ってるね」
「その話と君の今の評価は全く違うが」
「そうだね、しかし私は今言った通りだ」
淡々とさえしてだ、ハンスリックはその友人に答えた。
「マイスタージンガーについてはこう考えている」
「そうなのだね」
「君の話は確かに聞いた」
「その評価は」
「我々は君の評価を受け止めさせてもらう」
「作品への考えを」
「そうしてもらえると何よりだ」
友人達にだ、ハンスリックは微笑んで応えた。そして後は食事を楽しむのだった。
彼をモデルにしたと言われるベックメッサーから新たなドイツ語が出来た、他人の粗探しをするという意味の言葉さえもがだ。
そうした単語にさえなっている、ハンスリックをモデルにしている人物がそうなったところを見るとワーグナーの勝利となるかも知れない、しかしハンスリック本人はそうしたワーグナーの自分への攻撃をよそにこうした評価を残した。どちらが勝ったかどうかという話ではないかも知れないがこのことを見るとどちらが感情的であったかは言うまでもないだろう、少なくともハンスリックはニュルンベルグのマイスタージンガーという作品を彼の視点から冷静に評価した、自分自身が揶揄されている作品を。このことは紛れもない事実である。
批評家 完
2016・4・17
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