第一章
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左胸
優木沙織はまだ小学四年生だ、成績はそれなりによくピアノを習っている。そちらは習ったばかりでコンクール等先の話だった。
しかし彼女をピアノ教室で教えている巻方夏子はピアノを弾く彼女にいつもこう言っていた。
「上手になってきてるわ」
「そうですか?」
「この前弾いた時よりもね」
こう言うのだった、まだたどたどしい指の動きの彼女に。
「ピアノは弾けば弾くだけね」
「上手になるんですね」
「そう、だからね」
「私前よりもですね」
「上手になってるわ、それでね」
夏子は沙織のその丸く黒目がちな目を見た。小柄で髪は黒のおかっぱ今では珍しい髪型にしている。振袖を着れば日本人形の様だ。
「優木さんコンクール出たい?」
「そんな、とても」
「上手じゃないっていうのね」
「はい、はじめたばかりですから」
「誰でもはじめた時はね」
どうかとだ、夏子は沙織に微笑んで言った。夏子は長い波がかった黒髪を後ろで束ねている。眉は細く薄い。目は一重で蒲鉾型だ。唇はピンク色で薄く横に大きめだ。背は一四七程だ。
その小柄な身体でだ、自分よりもさらに小さい彼女に言った。
「下手よ」
「じゃあ先生も」
「勿論よ」
笑っての返事だった。
「先生も優木さんと同じ歳にはじめたけれど」
「下手だったんですか」
「何も弾けなかったのよ」
実際にというのだ。
「そうだったから」
「だから私も」
「弾けばね」
それだけというのだ。
「上手になるから」
「それじゃあ」
「そう、沢山弾けばね」
それだけというのだ。
「優木さんも上手になるから」
「じゃあ」
「今日も弾いて」
「そして」
「そう、上手になってね」
微笑んでだ、沙織に言うのだった。沙織は夏子のその言葉に素直に頷いて弾いていった。
しかしだ、レッスンが終わり。
沙織は家に帰る時にだ、彼女t入れ替わりに教室であり夏子の家に来た高校生の池田慶彦を見る度にだ。
動きを止めてだ、無意識のうちに。
自分の左胸、心臓のところに手をやった。その沙織を見ても。
夏子はそのことには何も言わなかった、だが。
沙織の背中をそっと押してだ、いつもこう言った。
「では先生はね」
「はい、今から」
「池田君のレッスンがあるから」
「私は、ですね」
「帰ってね」
そしてというのだ。
「自分のお家でも出来れば」
「勉強ですね」
「ピアノがなくても」
弾くべきそれがだ。
「練習は出来るわね」
「先生が教えてくれましたね」
「そう、盤を描いたのがあれば」
それでというのだ。
「それで弾く練習をすればね」
「いいんですね」
「だからね」
それで、というのだ。
「練習が出来るから」
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