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2016年 09月 28日 (水) 15時 53分
▼タイトル
『荒木飛呂彦の漫画術2』
▼本文
どうもこんにちは。
昨日に引き続き荒木先生のありがたい教えを拝読している身ですが、
作品造りの王道、『黄金の道』に於いて、
「ストーリーに於けるキャラの見せ方」というのに
非常に感銘を受けたのでここに記載致します。

まず、意外かもしれませんが作品に於ける「主人公」は、
「とにかくプラス」ストーリーが進むごとに常に「成長」
決して「マイナス」に陥ってはいけないのだそうです。
グラフに表すと所謂急成長の「右肩上がり」
ズルズルダラダラ、上がっては下がってを繰り返す。
(最終的には少しずつ上に行ってはいるが)
そして「いったん下がってその後持ち直す」のもいけないのだそうです。

例を出して説明しますと「ジョジョ第一部」
ファンの方は解ると想いますが、
「第一部」は最初ジョナサン少年期の頃から、
宿敵であるディオサマに徹底的に苛め抜かれます。
肉体的にも精神的にも、想わず眼を背けたくなるような陰惨さです。
そして案の定、ジョナサンが「反撃」に転じる「5回目」までは
「人気投票」がすこぶる「悪かった」そうです。
荒木先生曰くそれは「当たり前」の事で、
やられっぱなしの主人公に読者が感情移入出来るわけはなく
マイナスで終われば読者の気持ちもマイナスなので
「面白い」と想うわけがないそうです。
(人は快感にお金を払うのであり、「不快感」にお金は出しません)
無論「ジョジョ第一部」は掛値無しの『傑作』であり、
一部が一番好きという方も多いでしょうが、
当時の若手だった荒木先生は「計算」でそう描いていながらも、
読者の方に申し訳ないという気持ちでいっぱいだったようです。
そしてソレを反省点とし、2部以降は「ずっとプラス」を心がけて
漫画を描くことに専心したそうです。
(「6部」は舞台が刑務所なのでマイナスイメージですが、
そこからの「脱出」が「目的」なので結局「プラスプラス」なのです。
(敵を倒せば倒すほど、謎が明かされゴールに近づく))

そう言われるとワタシの「ヘタレ嫌い」や「ラブコメ嫌い」も
単に「生理的にダメ」というだけではない気がして、
ソレは上記で言った「ダメな例」の典型。
グラフで言えばあちこちグニャグニャに折れ曲がっていて、
『主人公が、停滞したり悩んだりしてとどまっている。
そのうち成長はするが、読者はうんざりする』
という荒木先生の言葉にそのまま合致していると感じたのです。
ここで言う「ダメな例」とは「ヒットしない」という事ではありません、
(場合によってはヒットしたり評価を得る事もあるでしょう)
しかしながら10年、20年、100年経っても読まれ続ける
「普遍的な名作」には成り得ないという事です。

まぁ卑近な例としてワタシの愚考を晒させて戴くと
『新世紀エヴァンゲリオン』
この作品を使って説明させて戴きますが、
この作品にはご存知の、社会現象にまでなった「アニメ版」と
そのキャラクターデザインを行っていた貞本 義行先生の描かれた
「マンガ版(通称貞本版)」という二つの表現形態が存在します。
どちらも基本的な「設定」「世界観」「ストーリー」に大きな違いはありません。
しかし最も「違う」のはその「キャラクター」彼ら彼女らの「性格」です。
荒木先生が作品を作る上で一番大事なのがこの「キャラクター」で
(なんでもスゴイ「キャラクター」なら、
テーマもストーリーも世界観さえなくても作品が描けるそうです。
例−こち亀の両さん、サザエさん、DBの孫悟空)
ワタシもその意見には大いに賛成です。

まず結論から云うと、同じ作品、ストーリー、世界観なのに
ワタシは「アニメ版・エヴァ」は好きではありません。
(映像、音楽、演出は本当にスゴイと想いますが)
何故なら上記の理由、主人公、碇 シンジが「プラスプラス」で
上がっていかないからです。
(個々のキャラクターを出すとキリがないので「主人公のみ」に限定します)
ソレが碇 シンジというキャラじゃないか、何言ってんだこの○○は
と想われるかもしれませんが、「マンガ版の」碇 シンジは違うのです。
はっきり言います、『別人』です。

アニメ版の方のシンジは、もしかして「対人恐怖症」なんじゃないか?
というくらい他人との接触を極度に怖れていますが、
マンガ版の方のシンジは別に他人を怖れてはいない、
ただ「関わるのが面倒」と斜に構えて距離を置いているだけなのです。
だから「エヴァ」に初めて乗る時も、
名台詞の「逃げちゃダメだ」は言いません。
「逃げる気はない、アンタ(ゲンドウ)に一泡吹かせてやる」
という気持ちで乗り込みます(綾波のためでもありません)
だから、「他人が怖くて無関心を装っているけど、いつか誰かに助けて欲しい」
という「アニメ版」とは違い、
絡んできたトウジにも同居を装って監視しているミサトにもガンガン逆らいます。
(だから「そうやって人の顔色ばかり覗ってるからよ」と嫌味も言われません)
それは綾波に対しても同じ事で、
「自分以上に何もない」彼女を不憫に想い、
「ラミエル戦」後は共に彼女と歩いて行こうと「決意」を固めます。
特徴的なのはアスカへの接し方で、
勝気で強引で自信家な彼女にただ引っ張り回されるのではなく
(まぁ彼女のキャラも大分違うのですが)
「自分を特別と想わない方がいい」と忠告したり
彼女の理不尽な言い分をサラリと流したりします。
何より違うのが「渚 カヲル」が「嫌い」で、
胸倉掴んで「前歯全部折ってやる!」でしょうw
そしてみんなのトラウマ量産機の場面では、
弐号機がヤられるギリギリに初号機で駆けつけ、
「ミサトさんと約束した! 君を助けるッ!」
とまるでスパロボ主人公のような熱い台詞を吐いて量産機を無双します。
そして量産機がS2機関で復活するも、
振り上げられた諸刃の剣から弐号機(アスカ)を身を挺して庇い、
「もう誰も死なせない!!」とベルセルクのガッツのような
咆哮をあげて頭蓋に大刀を叩きつけ、シンクロ率250%(尚も上昇)
最後には六枚翼の『覚醒』までします。

どうですか? この息をもつかせぬ「プラス+プラス」
ジョジョに出てきてもなんら違和感はない、
これなら荒木先生に「ダメだよあの主人公・・・・」とは言われないでしょうw
勿論「アニメ版」が好きな人を否定する気はありませんが、
「荒木飛呂彦」的な価値観ですと、断然「貞本版」の方が「王道」
『黄金の道』というコトですね。




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