「日向の兎」の感想

T・P・R
T・P・R
 
良い点
主人公の影響で良くも悪くも変化している原作キャラが面白いです。
運命にあらがうことを覚えたネジ、驕らないサスケ、距離の縮まったナルトとヒナタ。
そして凶悪になっていくテンテンの忍具……
 
悪い点
中忍第一試験にて。
例えばの話、試験内容が過酷過ぎて受験生が忍びとして再起不能、ないし死亡したとしても試験官は監督不行き届きで罰せられたりはしない筈です。
つまり、試験官は受験生の生殺与奪権が与えられているとも言えるわけで。
それなのに、受験資格をはく奪する権利を持ってないとするのは違和感を感じました。
ましてや、その推測を過信し、絶望的ルールを素直に信じて困惑する生徒を小バカにして見下す行為には嫌悪感すら覚えます。
勝手に他里の下忍の受験資格をはく奪したりしたら外交問題になるという理屈でしたけど、『意味もなく』はく奪するような忍びはそもそも試験官に選ばれないでしょう。
仮にイビキが本当に受験資格をはく奪したとしても自里はもとより他里の忍びにも公平だと信用された試験官の下した判定の結果です。
問題になるとは思えませんでした。

長々とすみませんが原作でナルトが勇気と覚悟を示して周囲を奮い立たせた大好きなシーンだったのでどうしても気になったんです。
勇気と無謀は違うと感じるかもですけど、それらの違いって結局後出しの予言でしかないと思うんです。
成功したら勇敢だった、失敗したら無謀だった、となるだけで。



追記
返信ありがとうございます。
上の質問は「受験生の命を奪うのがOK」なのに「受験生の受験資格を奪うのはNG」とするのは無理があるんじゃないかという質問でした。
問題度で言えば前者の方が明らかに重そうに感じます。
死ぬのに比べたら、受験できなるくらい余程マシです。
そして試験官が公平である限りにおいて有望な忍びはそもそも奪われないし、それでも奪われるような奴はいろいろ問題ありなんじゃないかと。
あと、こういっちゃなんですが「たかが受験資格のために辞退する奴」が中忍になれるとは思えません。
実際の受験の場合に例えてますけど、死ぬ可能性のある非常識な受験に現実の受験を引き合いに出すのは無理があるように思います。
イビキはそういう「リスクのない任務なんて存在しない」ということを言いたかったんじゃないかなと感じました。

ごちゃごちゃ理屈を並べたてましたが、結局はイビキというキャラクターが大好きだから彼の理屈や持論を批判したくないんです。
受験資格も奪うつもりはなかったみたいですし。

なお、本当に生死のかかった任務の場合は作者さんの意見に全面的に同意します。
イビキさんの理屈はあらゆるリスクを考慮し、それでも全てを排除しきれず、しかし絶対に辞退できない不確定要素ありありの重要任務にどう立ち向かうかの心得みたいな教訓だと解釈していました。
この問いに正解することが出来たメンバーだからこそ、後にサスケ奪還任務などを遂行できたんじゃないかと思いました。
確かに任務は失敗でしたけど、僕はシカマルたちの勇気ある挑戦を無謀だったなんて言葉で表したくないです。

長々と本当にすみません。
あくまでこれは僕個人の感想なので、内容を変えろとかそういう意見ではないことを明記します。
 
コメント
命の扱いが軽い……ダンゾウのように非情なのでも扉間のように卑劣なのでもなく、単純に軽い。
主人公強いのに不安定でハラハラします。 
作者からの返信
 
感想、ありがとうございます

単純にその年のみの剥奪ならば問題はありませんが、"永久"にとなった場合それは問題すぎるだろうと思います。例えば我愛羅のような里の切り札的な力を持っていたとしても、他里の忍者が試験を任されたからと言ってその昇進などの資格を未来永劫奪うというのは洒落になっていません。
私達の立場に置き換えれば、何処かの高校に受験して落ちました。その学校が「お前、もう二度と受験しちゃダメだから」と言い出したら、どれほどの非難がくるでしょうか?その人はもう一生中卒で学歴が終わるんですよ?それもかなりの人数。
私達であれば抗議運動とかで済むかも知れませんが、相手は同盟国でも簡単に裏切ったりするような武装国家です。当然、洒落にならない事になるんじゃないでしょうか?
加えて、イビキの台詞である俺を選んだ火影様を恨め、的な台詞から察するに他里は火影に試験官を選ばせたという形じゃないかと思います。もし、他里と厳正に話し合って決められたのなら俺を選んだお前らのお偉方を恨め、的な台詞になると思います。
次に勇気と無謀ですが、どんな任務にもリスクがあるというのは分かりますが、そのリスクを抑えることもせず出たとこ勝負というのは無謀というのではないでしょうか?敵の術、体格、チャクラ、忍具、相手は一体どんな戦術で戦うのか、そういう事を判断し100%全滅する確率を1%でも下げて、僅かでも隊の仲間の生存率を上げるのが小隊の隊長である中忍の仕事だと私は考えます。そして、潰せる不確定要素を潰すという努力を前提にして挑むもは勇気でしょう。
ですが、イビキは一切情報を出さずに何の確証も持てないままにあの質問をして、あらゆる任務にはリスクがあるというのはおかしな話だと思います。
再びになりますが私達風に言えば、試験を受ける前に一切勉強せずに試験に挑むのは勇気ですか?無謀でしょう?
実際、中忍試験の終わりの方で任務は成功したましたが隊は全滅しましたじゃ、中忍としてはダメ、というような台詞があるように、判断材料を一切提示しないままに、複数ある試験の内の一回を突破するというメリットと未来永劫下忍のままという巫山戯たリスクを問うて中忍の適性を調べるというのは筋違いだと私は思いました。
ただ、確かにナルトのシーンをカットしたのは失敗でしたね。もう少し話が進んで落ち着いたら、色々と加筆させて頂きます

命の軽さですが言ってしまえばあの世界では忍というのは傭兵のようなものなのですから、殺しもすれば殺されもするだろうと考えています。加えて基本的に私は勝敗というものは戦いの前にどれだけ準備をして技術を練り上げて積み重ねたかで決まり、戦闘自体はそれの事後処理にすぎないという考え方なので、あまり急に覚醒して一発逆転というのは好きではないのでそう感じられるかもしれません。

色々とご指摘ありがとうございます。
大変考えさせられる事にもなったので、今後もこういった意見をくだされば幸いですm(_ _)m