「恋姫無双~劉禅の綱渡り人生~」の感想

ななん
ななん
 
コメント
魏:呉:蜀の国力比は、6:3:1だったと言われています。宦官の黄皓を重用するなどの失敗はあるが、孔明死後10年は北伐なんて言う無謀なことはしてませんし、孔明死後30年は国を保った点から、評価が分かれるところです。

魏に下った後、鍾会と姜維の反乱に同調せず、司馬昭との宴会の故事などから、暗君なのか馬鹿を装った仁君のか本当に評価が分かれるところですが、最近の再評価の動きで後者もありうると言う見解がなされています。
 
作者からの返信
作者からの返信
 
コメントありがとうございます。

もともと蜀の国力は低く、姜維の無茶な北伐が国力低下の原因という意見もあるようですね。
孔明死後十年守りに入っていたのは蒋琬らの家臣の決定であり、三十年国を保てたのも魏の内部のゴタゴタや天然の要害等、地理的に恵まれていたという印象があり、また、劉禅=暗君のイメージが先行してました。ご指摘ありがとうございます。